5 人心地より寝心地
少しの間、誰も何も言わなかった。
……挨拶を間違えただろうか。
さっき聞こえた声は、ちゃんと分かる言葉だった。挨拶くらいは通じてほしい。
「あ、ああ。……こんにちは」
返してくれたのは、先頭にいた大きな剣の人だった。
森の獣の時みたいに、唸り声が返ってくることはなかった。それだけで、ひとまず安心だ。
「……子供?」
剣の人がそう呟くと、隣の身軽そうな人が身を乗り出した。
「ほんとだ! ちっちゃい子がいる!」
……ちっちゃい子。
今の身体が小さいのは分かっている。それでも、前の世界では高校生だったのだ。面と向かって言われると、ちょっと複雑だった。
「フィル、落ち着け」
剣の人が身軽そうな人を手で制して、こちらへ向き直った。
「驚かせてすまない。私はローザだ。お前、名前は?」
「……ハク」
「ハクか。こんなところで、何をしていた?」
「……人を探してた。森の外に出たくて」
ローザは、すぐには返事をしなかった。私の頭から足元まで、一度だけ目を動かす。
湿ったままのワンピースに、泥だらけの靴。昨日の雨から、まだ乾ききっていない。……見た目は、あまりよろしくないだろう。
こちらも、四人の頭に目が行った。
誰にも、角は生えていない。
この世界の人間には、やっぱり生えないのだろうか。
身軽そうな人の目が、私の頭の上で止まっていた。
「ねえ、その角って本物?」
「……本物。たぶん、生まれつき」
この身体で目を覚ました時には、もう生えていた。だから、生まれつきで間違ってはいない。……はず。
「そうなんだ。触ったら痛い?」
「フィル。失礼だぞ」
ローザにたしなめられて、フィルと呼ばれた人が首をすくめた。
武器を持っていない、もう一人の女の人も、こちらへ歩いてきた。私の角を見て、それから耳、背中の後ろへと目を移していく。
何かを探しているような目だ。
「……獣人の方、というわけでもなさそうですね」
「違うのか?」
ローザが聞くと、女の人は頷いた。
「角のある獣人の方もいます。でも、獣人の方なら、耳や尻尾にもそれらしい特徴があるものなんです。この子には、それが見当たらないので」
獣人。前の世界の小説で、見たことのある言葉だ。この世界には、本当にいるらしい。
獣人でもないのに角だけ生えている人は、あまりいないのかもしれない。自分が何なのかは、私にも分からない。気になることが、また一つ増えてしまった。
女の人は少し考えるような顔をしたけれど、それ以上は言わなかった。
「ローザさん。この子のお話、私が聞いてもいいですか」
落ち着いた声の人だ。私の前まで来ると、目の高さを合わせるように膝を折った。
「私はアリメルといいます。ハクさん、ですね」
「……うん」
「怪我はしていませんか?」
「……してない」
「それならよかったです。この森には、一人で?」
「……一人」
「ご家族や、一緒にいる方は」
「……いない」
アリメルは一度黙ってから、言葉を選ぶように続けた。
「ここへ来る前は、どこにいたんですか?」
一番答えにくいところだ。
本当のことを全部話すなら、一度死んで、神様と話して、それから――となる。嘘をつきたいわけではない。でも、会ったばかりの人に話して信じてもらえるとは思えない。
だから、言えることだけを言う。
「……気づいたら、この森にいた。その前は、遠いところ。もう、帰れないところ」
前の世界は、どこよりも遠い。もう帰れないのも本当だ。
アリメルはしばらく私を見ていたけれど、それ以上は聞いてこなかった。
「では、この森に来てから、どのくらい経ちますか?」
「……十日くらい」
「十日!?」
フィルの声が、森に響いた。思わず肩がはねる。
「フィル、声が大きいです」
そう言ったのは、さっき私を見つけた上着の人だった。フィルと同じ顔なのに、声はずいぶん落ち着いている。
「だってフェン、十日だよ!? こんなとこで、一人で!?」
「聞こえていました。私も驚いています」
驚いているようには、あまり見えない。
フィルと、フェン。同じ顔の二人は、たぶん双子なのだろう。
それにしても、そんなに驚くことだろうか。
大変ではあった。でも、水も実も見つかったし、危ない獣には眠ってもらえばよかった。十日くらいなら、何とかなった。
もう一度やれと言われたら、断るけれど。
「よく無事だったな……」
ローザが、低い声で言った。
「ハクさん。お腹は空いていませんか?」
アリメルに聞かれて、気づいた。空いている。
今日口にしたのは、酸っぱい実が何粒かだけだ。朝から歩き通しでもある。
「……空いてる」
「少し待っていてくださいね」
アリメルは荷物から布の包みを出して、中から丸いパンを一つ取り出した。
……パン。
この世界に来て、初めて見るちゃんとした食べ物だ。
「硬いですけど、よかったらどうぞ」
「……ありがとう」
受け取って、端をかじる。
確かに硬い。噛んでも、なかなか小さくならない。
でも、噛んでいるうちに、粉の香りが口に広がってきた。
酸っぱくない。
それだけで、十分すぎる。
「……おいしい」
「それはよかったです」
「ハクちゃん、もう一個食べる? 私のもあるよ」
フィルが、横から顔を覗かせた。
「……今は、大丈夫。ありがとう」
「そっか。足りなかったら言ってね」
パンをかじりながら、四人を見る。
ローザは数歩離れて、周りの木々に目を配っていた。フィルはその隣で何か話しかけて、フェンが時々短く返している。アリメルは私のそばに残って、食べ終わるのを待ってくれていた。
いい人たち、なのだと思う。少なくとも、今のところは。
パンを食べ終わる頃、ローザがこちらへ戻ってきた。
「さて。どうするか」
「このまま調査を続けるわけにはいきませんね」
アリメルが立ち上がる。
「ああ。この子を連れて奥へは進めない」
……調査。
「……何か、調べてたの?」
聞くと、ローザが頷いた。
「最近、この森の様子がおかしくてな。本来なら森から出てこない魔物が、近くの村にまで出てくるようになった。それも、一匹や二匹じゃない」
魔物。
ゲームや小説では、よく聞いた言葉だ。この世界には、そう呼ばれるものが本当にいるらしい。
「……魔物って、どんなの?」
「この森にいる獣のことだ。普通の獣よりずっと大きくて、角や牙の生えたやつが多い」
ローザの説明を聞くと、思い当たるものばかりだった。
最初の日に私を追い回した、角の生えた猪みたいなの。沢を占領していた、牙の太い灰色の。この十日、何度も出くわしては眠ってもらってきた獣たち。
私がずっと獣だと思っていたあれは、魔物だったらしい。
「畑を荒らされたり、家畜が襲われたりしているんです。それで、森の中で何が起きているのか、調べに来たんですよ」
アリメルが付け足した。
あれが村に出てきたら、確かに大変だ。
そういえば、と思い出す。
「……最近、森がうるさかった」
「うるさい?」
「……夜の鳴き声が増えた。昼間も、走り回ってる獣をよく見た」
ローザの目が、こちらを向いた。
「いつ頃からだ」
「……何日か前から。はっきりとは、覚えてない」
毎日、同じような暮らしをしていたのだ。何日目に何があったかまでは数えていない。
「やはり、森の中でも何か起きているな」
「ええ。ですが、まずはハクさんを安全な場所へ連れていきましょう」
「そうだな」
ローザが、私に向き直った。
「ハク。私たちは一度、森の外へ戻る。一緒に来るか」
「……行く」
迷う理由はない。むしろ、こちらから頼みたかったくらいだ。
「帰り道でも、魔物が出るかもしれない。危ない時は、私たちの言うことを聞いてくれ」
「……分かった」
ようやく、森から出られる。
そう思ってから、気になったことがあった。
「……お仕事、途中なのに。いいの?」
「気にするな。こんな森に、子供を置いていけるわけがないだろう」
「調査は、また改めて来られますから」
アリメルも頷いた。
申し訳ない。でも、正直に言えば、すごく助かる。
「……ありがとう」
頭を下げると、フィルが笑った。
「気にしない気にしない! それに、ハクちゃんも一緒の方が、帰り道が賑やかでいいし」
「帰り道を賑やかにする必要はありません」
フェンが平らな声で返した。
「えー。ずっと静かなのも、つまんないじゃん」
「静かな方が、魔物に気づきやすいです」
「それはそうだけどさぁ……」
……この二人は、いつもこうなのだろうか。
「……森を出たら、人のいるところはある?」
「街がある。まず森を抜けて、そこからさらに移動することになるがな」
ローザが答えた。まだ、だいぶかかるらしい。
それでも、行き先が分かっているだけで、気持ちは全然違う。もう、当てもなく歩かなくていいのだ。
「そういえば、ハクさん。この森の名前は知っていますか?」
アリメルに聞かれて、首を横に振る。
「デビルフォレストといいます」
……悪魔の森。
ずいぶん物騒な名前だ。
「名前の由来はいくつか言われていますが、危険な魔物が多いことで知られている森です。普通の旅人は、まず入りません」
「……そうなんだ」
住んでいたけれど。
「よく生きてたね、ハクちゃん」
フィルが、しみじみと言った。
それについては、私もそう思う。
「街に着いたら、まずはゆっくり休んでくださいね。休める部屋と寝台は、こちらで用意しますから」
アリメルの言葉に、思わず顔を上げた。
寝台。
屋根の下で、濡れない場所で、横になれる。昨夜の湿った葉の感触を思い出すと、それだけで、早く森を出たくなった。
「ハクさん、今、嬉しそうでしたね」
フェンが、こちらを見ていた。
「……そう?」
「はい。今までで一番、反応がよかったです」
そんなに顔に出ていただろうか。
「フェンも寝るの好きだもんね!」
「好きですよ。休める時に休むのは、大事なことですから」
フェンは私を見て、わずかに口元を緩めた。
「ハクさんとは、話が合うかもしれません」
この人とは、仲良くなれそうな気がする。少なくとも、眠ることに関しては。
「お前たち、そろそろ出るぞ」
ローザの声に、フィルが「はーい」と手を上げる。フェンも、黙って歩き出した。
先頭はローザ。その少し後ろをフィルが歩き、フェンは時々立ち止まって周りを確かめている。アリメルは、私の歩く速さに合わせてくれていた。
森を歩くのには、もう慣れた。でも、誰かと一緒に歩くのは、この森に来て初めてだ。
四人とも、道のない森を迷わず進んでいく。
「……方向、分かるの?」
「フェンさんが、探知魔法で周りを調べてくれているんです」
「……探知魔法?」
「地形や、生き物のいる場所を探る魔法です。フェンさんは、そういう魔法が得意なんですよ」
それで、さっき見つかったのかもしれない。木の陰から顔を半分出していただけなのに、迷う様子もなくこちらを向いていた。
便利だ。あれが使えたら、森で迷いかけることもなかっただろう。
「……私も、使えるかな」
「魔法に興味があるんですか?」
「……ちょっと」
眠らせる魔法が使えるのだから、ほかの魔法も使えるかもしれない。火を出したり、水を出したり。布団を出す魔法なんかがあれば、一番嬉しい。
……さすがに、それは都合がよすぎるか。
「落ち着いたら、フェンさんに聞いてみるといいかもしれませんね」
アリメルがそう言うと、前を歩いていたフェンが振り返った。
「呼びましたか?」
「ハクさんが、魔法に興味があるそうなので。今度、お話を聞いてみてはどうかと」
「構いませんけど、街に着いてからにしてください。歩きながらだと、長くなるので」
「フェンに魔法のこと聞くなら、覚悟した方がいいよ」
フィルが振り返って言った。
「一回話し始めると、すっごく長いんだから」
「フィルが途中で聞かなくなるだけです」
「だって難しいんだもん!」
「では、最初から聞かなければいいと思います」
「それはそれで寂しいじゃん!」
アリメルは、二人のやり取りを見て小さく笑っていた。
そういえば、アリメルだけは、三人を「さん」付けで呼んでいる。
「……あの三人、昔からの知り合い?」
アリメルに聞くと、頷きが返ってきた。
「戦乙女の皆さんは、幼馴染だそうですよ」
「……戦乙女?」
「ローザさんたち三人の、冒険者のチームの名前です」
そこで、気づいた。
「……だそう、って」
「私は、チームの一員ではないんです。冒険者ギルドの者で、今回は調査に付き添っています」
冒険者に、冒険者ギルド。
これも、前の世界のゲームや小説で聞いたことのある言葉だ。依頼を受けて、魔物と戦ったりする人たちだったと思う。
「……冒険者って、魔物と戦う人?」
「それも仕事の一つですね。ほかにも護衛や、素材の採取、今回のような調査など、いろいろな依頼を受けます」
戦うだけではないらしい。
「ハクさんも、興味がありますか?」
「……危なそうだから、あんまり」
「そうですね。危険なお仕事も多いですから」
ふと、この世界で暮らすなら、私もいつか働かないといけないのだろうか、と思った。前の世界では、まだ高校生だったのに。
もっとも、今はそれより休みたい。
昨夜は、雨でほとんど眠れていないのだ。
「ハクさん、疲れましたか?」
アリメルが、私の顔を覗き込んでいた。
「……ちょっと。でも、まだ歩ける」
「無理はしないでくださいね」
本当は、足が重い。
けれど、ここで座ったら、そのまま眠ってしまいそうだ。せっかく森を出られるのだから、早く進みたい。
寝台も、待っていることだし。
しばらく歩いたところで、前を歩いていたローザが、肩越しにこちらを振り返った。
「ハク。さっきから気になっていたんだが」
「……何?」
「十日もこの森にいて、魔物には襲われなかったのか。この森には、危険な魔物がいくらでもいるんだぞ」
襲われそうになったことなら、何度もある。
その時どうしていたかも、決まっている。
「……危ないのは」
言いかけたところで、フェンが足を止めた。
淡々としていた目が、森の奥の一点をじっと見ている。
「……来ます。一匹、まっすぐこっちです」
その一言で、空気が変わった。
ローザが背中の大剣を抜く。あんなに大きなものが、驚くほど静かに鞘から離れた。フィルは腰の短剣を両手に一本ずつ握って、音もなく前へ出る。
「ハクさん、私の後ろに」
アリメルが、私と森の間に立った。武器は持っていない。代わりに、少しだけ腰を落として、両手を軽く握った。
……素手で、何をするつもりなんだろう。
聞く暇はなかった。
茂みが割れて、大きな影が飛び出してくる。
ずんぐりした身体に、左右へ突き出した太い牙。額から、まっすぐ前へ一本の角。
見覚えがある。最初の日、私を追い回したのと同じ種類だ。
ただ、様子が違う。鼻息が荒く、口の端から泡がこぼれている。目は落ち着きなく動き回っていて、何を見ているのか分からない。
二日前、何かに追われるように沢の向こう岸を走り抜けていった獣たちを思い出した。
獣は止まらなかった。一番前にいたローザへ、頭を低くして突っ込んでいく。
ローザは避けなかった。大剣の腹を正面に立てて、角を受け止める。
がん、と硬い音が森に響いた。
ローザの足が、地面を削って半歩下がる。それでも、倒れはしなかった。
獣は頭を振って離れると、少し下がって、前脚で地面を掻き始めた。
それも、見覚えがある。最初の日、あの獣は地面を掻いたあと、まっすぐ突っ込んできたのだ。
「フィル、右から回れ!」
「分かってる!」
フィルが獣の横へ回り込む。フェンが片手を獣へ伸ばすと、周りの空気がその手の先へ吸い寄せられるように動いた気がした。
この人たちは、たぶん強い。あの突進を正面から受け止めて、立っていられる人がいるのだ。放っておいても、きっと何とかしてしまうのだろう。
でも、あの獣はまた突っ込んでくる。ローザは今、半歩押された。フィルは、牙が届きそうなところまで近づいている。何とかなるまでに、誰かが怪我をするかもしれない。
それに、あの獣を止める方法なら、私も知っている。
この十日、危ない獣にはずっとそうしてきた。追いかけられる前に。近づかれる前に。いつもなら、とっくに眠ってもらっている距離だ。
後ろにいて、と言われた。
後ろからでも、届く。
アリメルの背中越しに獣を見て、身体の奥のいつもの感覚に呼びかける。すぐに応えが返ってきた。
「……夢誘」
獣が、地面を蹴った。
一歩。二歩。そこで、前脚がかくりと折れた。
勢いのまま、大きな身体が地面を滑る。土と落ち葉を押しのけて、ローザの足の少し手前で止まった。
それきり、動かない。
しばらくすると、荒かった鼻息が、ゆっくりとした寝息に変わっていく。
森が、静かになった。
ローザは大剣を構えたまま、動かなかった。フィルも、短剣を握ったまま固まっている。フェンの伸ばした手の先で、集まりかけていた空気がふっとほどけた。
「……何が、起きた」
ローザが、低い声で呟いた。
フィルが、そろそろと獣に近づいて、覗き込む。
「……寝てる」
それから、もう一度。
「え、寝てる? なんで?」
誰も答えなかった。
フェンだけは、獣の方を見ていなかった。いつの間にか、振り返ってこっちを見ている。表情の薄い顔の中で、目だけが大きく見開かれていた。この人がこんな顔をするのは、初めて見る。
アリメルが、ゆっくりと振り返った。
構えていた両手が、そのままの形で止まっている。その目が、眠っている獣と、私の顔とを、何度か行き来した。
気づけば、四人の視線が全部こっちへ集まっていた。
何か言った方がいい気がする。
「……さっきの、続き」
言いかけて、途中になっていた答え。
「危ないのには、こうやって寝てもらってた」
誰も、何も言わなかった。
その顔を見れば、だいたい分かる。
魔法のある世界だと聞いていたから、眠らせるくらいは珍しくないのかもしれないと思っていた。教わってもいないのに使えたことは、少し引っかかっていたけれど。
でも、あの突進を剣で受け止めるような人たちが、そろってこの顔をしている。少なくとも、よくあることではないらしい。
見せない方がよかったかな、と一瞬だけ考えて、やめた。あのまま誰かが怪我をするよりは、ずっといい。
最初に動いたのは、アリメルだった。
構えていた両手を下ろして、長く息を吐く。それから、さっきまでと同じ丁寧な声で言った。
「……ハクさん。聞きたいことが、たくさんできました」
私を見る目は、少しだけ変わっていた。
聞かれるのは構わない。でも、長い話になるなら、先に寝ておきたい。
「……寝てからでいい?」
アリメルは一瞬きょとんとして、それから、小さく吹き出した。
「……ええ。まずは、ちゃんと休んでからにしましょう」
ローザが、ようやく大剣を下ろした。
「話は後だ。こいつが起きる前に、ここを離れるぞ」
「……しばらくは、起きないと思う」
「それでもだ」
きっぱり言われた。反論は、思いつかない。
フィルが、眠った魔物と私を何度か見比べてから、「ハクちゃん、すごいね……」と呟いた。
フェンは何も言わなかった。ただ、歩き出してからも、前を歩きながら時々こちらを振り返っていた。
少し進んだところで、私も一度だけ振り返った。
木々の間で、魔物は大きな身体を丸めて眠っていた。さっきまでの荒い鼻息が嘘みたいな、穏やかな寝息だった。




