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第七十五話 受け継がれるもの


 午前の修練を終え――


勝田家での合同合宿は、昼休みに入っていた。


広い庭先や縁側。


用意された大広間。


それぞれ好きな場所に集まり、生徒たちは昼食を取っている。


だが――


ただ食べているだけではなかった。


「さっき教わった足運び、桜駆けでも使えるんじゃない?」


「霊馬の上じゃ、そのままは無理だろ」


「でも身体の重心移動には使えそう」


「だったら騎乗中の霊力操作に応用できるかも」


あちらこちらから、そんな声が聞こえてくる。


今日学んだことを。


どう使うか。


どう組み合わせるか。


そして――


次の《桜駆け》へ、どう活かすか。


話題は尽きない。


晴真たち一年一組も、昼食を囲みながら盛り上がっていた。


「俺は結界柱を使えるようになったら、桜駆けの途中で――」


「待て晴真」


道満が止める。


「まず晴真は結界柱を壊さず霊力を蓄えられるようになれ」


「今度は大丈夫だよ」


「さっき二本壊しただろう」


「二本目は亀裂だけだよ?」


「同じだ!」


凛が呆れたように言った。


「もう晴真君は、容量を確認してから霊力を入れてください」


肩の上の桜花も深く頷く。


「凛様のおっしゃる通りです」


「桜花まで……」


その隣では。


晴真と道満の札術談義が、また始まりかけていた。


「でもさ道満君。増殖の札と疾走を合わせたら――」


「俺も考えていた。問題は増殖後の全てへ疾走が適用されるかだ」


「一個ずつ霊脈を――」


「いや、それでは本数が足りなくなる。なら増殖前に――」


美鈴が箸を止める。


「また始まった」


小夜がくすくす笑う。


「今日はずっとですね」


「放っておけ」


迅が飯を食べながら言った。


「そのうち飯食うの忘れるぞ」


「晴真なら本当にありそうだな!」


刀也が豪快に笑った。


そんな、生徒たちの賑やかな昼休み。


少し離れた場所では――


大人たちもまた、ひとつの輪を作っていた。


◇


「いやぁ――実に楽しい合宿じゃ!」


愉快そうな声を上げたのは神門蓮雅だった。


周囲を見渡せば。


子供たち。


学生たち。


若い当主や指南役。


そして、裏佐倉を支えてきた古参たち。


普段なら、それぞれの家で技を磨いている者たちが。


今日だけは家柄や流派を越えて、同じ場所で教え合っている。


蓮雅は嬉しそうに笑った。


「これを一回きりで終わらせるのは惜しいのう」


「うむ」


西御門紫玄が頷く。


「同感だ」


岩富槍玄も腕を組みながら答えた。


立身刀斎も、満足そうに生徒たちへ目を向ける。


その言葉に。


御堂晴隆が頷いた。


「そうじゃな」


茶を一口飲み。


「後進を育てるという意味でも、良い機会じゃ」


すると麻賀多道秀が笑う。


「後進だけではあるまい」


「ほう?」


「わしらも勉強になっておる」


道秀は周囲を見渡した。


「この歳になっても、知らぬ技もあれば、思いつかぬ考え方もある」


そして――


少し離れた場所。


晴真と道満が札を並べて議論している姿を見る。


「若い者を見ていると、こちらまで考えさせられるわ」


「違いない」


晴隆が笑った。


そこへ麻賀多道継が口を開く。


「ただ、これを今後も続けるのであれば――勝田家だけへ負担をお願いするわけにはいきませんな」


「いえ」


勝田忠臣は、すぐに首を横へ振った。


「当家としては、皆様をご接待できることを光栄に思っております」


御堂晴時が尋ねる。


「よろしいのですか?」


「もちろんです」


忠臣は堂々と答えた。


「どうぞお任せください」


そして――


ちらり。


息子を見る。


「そもそも、うちの息子が始めたことですから」


一斉に視線を向けられた正臣が。


「…………」


ぽりぽりと頬を掻いた。


「いやぁ……」


苦笑する。


「まさかこんな大事になるとは思ってなかったんですけどね」


「正臣らしいわね」


近くにいた沙羅が笑う。


「お前まで言うなよ」


そんな二人のやり取りにも笑いが起こった。


◇


やがて。


立身刀斎が姿勢を正した。


その視線の先には――


ミヅチ。


クシナダ。


チヨヒメ。


そして、古い時代を知る者たちがいる。


刀斎は敬意を込めて語りかけた。


「私の知る限りではございますが――」


皆が刀斎を見る。


「このように裏佐倉の各家が一堂に会し」


刀斎は、生徒たちへ視線を向ける。


「互いの技を教え、学び合う機会を設けたことなど……これまでなかったように思います」


「……そうじゃな」


ミヅチも考える。


長く生きてきた。


裏佐倉の歴史も。


そこに生きた人間たちも。


数え切れないほど見てきた。


それでも――


「確かに」


ミヅチが頷く。


「ここまで皆が集まって、こうして一日を過ごした覚えは……あまりないのう」


「そうじゃな」


クシナダも腕を組む。


「各家が集まることはあった」


会議。


祭事。


戦。


封印。


大きな出来事があるたびに、人は集まった。


「じゃが、ただ互いに教え合うために集まったことは――」


「…………」


クシナダが考える。


その時だった。


「あら?」


チヨヒメが首を傾げる。


「一度――あったのではないか?」


「ん?」


ミヅチが見る。


チヨヒメは、どこか懐かしそうに笑っていた。


銀花が気づく。


「ああ……」


その瞬間、胸の奥にしまっていた記憶が、静かにほどけていった。


遠い昔。


まだ龍姫と夜叉丸が、今よりずっと若かった頃。


あの日も、こんなふうに人の声が絶えなかった。


笑い声があり、慌ただしく走り回る足音があり、誰もが呆れながらも、どこか楽しそうにしていた。


銀花は、自然と口元を緩めた。


「ありましたね」


「何じゃ?」


「昔――龍姫様が皆様を集められた時です」


その名前に。


古い時代を知る者たちの表情が柔らかくなった。


銀花の胸の奥に、龍姫の声が蘇る。


明るく、迷いがなく、周囲を巻き込むことを少しも疑っていない声。


銀花は目を伏せ、記憶の中のその姿を追った。


「突然――」


少し声色を真似るように。


「『妾はこの者と永遠に添い遂げる。ゆえに皆で祝うぞ』――と」


ミヅチが目を丸くする。


そして。


「……ああ!」


ぱん、と膝を叩いた。


「あったのう!」


クシナダも思い出した。


「あれか!」


「何の前触れもなく言い出した、あれじゃな」


「そうです」


銀花が笑う。


笑いながらも、その胸には懐かしさだけではない、かすかな痛みがあった。


龍姫は、あの日もいつも通りだった。


自分が嬉しいと思ったことを、皆にも分け与えようとした。


その無邪気さが、どれほど周囲を振り回すのかも考えずに。


けれど――


だからこそ、皆は龍姫のそばに集まった。


珠代も懐かしそうに微笑んだ。


「あの時の夜叉丸様は大変でしたね」


「大変どころではなかったぞ」


ミヅチが吹き出す。


「龍姫が言うだけ言って、後は全部あやつに任せたからの」


銀花の脳裏に、夜叉丸の姿が浮かんだ。


龍姫の隣で、困ったように眉を下げている。


けれど、その目には隠しきれない喜びがあった。


龍姫が望むなら。


龍姫が笑うなら。


どれほど忙しくても、どれほど無茶な頼みでも、結局は引き受けてしまう。


「夜叉丸様、ずっと駆けずり回っておられましたもの」


珠代が笑う。


銀花も頷いた。


「ええ。あちらへ走ったかと思えば、今度はこちらへ呼ばれて……」


その時の夜叉丸は、誰よりも忙しそうだった。


それでも、龍姫のそばを離れることはなかった。


龍姫が皆の輪の中心で笑っているのを、少し離れた場所から見守っていた。


その表情を思い出すと、銀花の胸が締めつけられる。


春花も思い出したようにため息をついた。


「本当にそうでした」


「龍姫様ったら――」


春花は少し呆れた顔を作る。


「『皆で集まるぞ。楽しいものにせよ』と、それだけ言って」


「後は?」


近くにいた者が尋ねる。


春花は即答する。


「全部、私たち任せです」


笑いが起こった。


銀花も笑った。


けれど、その笑いの奥には、失われた時間への想いが滲んでいた。


あの頃は、いつまでも続くと思っていた。


龍姫の笑い声も。


夜叉丸の困った顔も。


皆で過ごす、あの穏やかな時間も。


「私もあちらこちらへ奔走した覚えがあります」


銀花も頷く。


「ご自分のお召し物まで、一葉様たちへ丸投げでしたからね」


すると。


少し離れていた二葉が口を開く。


「龍姫様は――」


当時を思い返すように遠い目をする。


「『とりあえず見た目が良ければよい。妾に似合うようにせよ』と」


三葉がすぐ続けた。


「一番困る頼み方です」


また笑いが起きる。


一葉も苦笑した。


「あの時は本当に困りました」


「結局、印旛大龍王様と若陽様へご相談して、何とか形になりましたね」


「懐かしいのう」


ミヅチが笑う。


その笑い声を聞きながら、銀花は目を細めた。


懐かしい。


本当に、懐かしかった。


けれど、懐かしいと思えることが、時に苦しい。


もう二人は、あの日のように皆の前へ姿を現すことはない。


龍姫の声を聞くことも。


夜叉丸の困った笑顔を見ることも。


二度とできない。


それでも――


銀花は、ゆっくりと息を吐いた。


「でも――」


声が優しくなる。


「楽しい一日でした」


その言葉に。


古い時代を知る者たちが静かになる。


銀花は、記憶の中の二人へ語りかけるように続けた。


「私は……」


銀花は穏やかに微笑んだ。


「あの日のことを、とても大切な思い出として覚えています」


龍姫が笑っていた。


夜叉丸が困りながらも、その隣で幸せそうにしていた。


皆が二人を祝福し、二人もまた、皆と喜びを分かち合っていた。


あの日の光景は、今も銀花の中に残っている。


色褪せてはいない。


だからこそ、失ったものの大きさも、はっきりと感じられた。


「そうじゃな」


ミヅチも静かに頷いた。


争いでもなく。


封印でもなく。


戦でもない。


ただ――


二人を祝うために。


皆が集まった日。


◇


「そういえば」


銀花が何かを思い出した。


そして晴真を見た。


「晴真様」


「はい?」


いつの間にか。


古い話が気になった生徒たちも、大人たちの近くへ集まっていた。


銀花は晴真を見て、


「その時ですよ」


「え?」


「小桜が生まれたのは」


「えっ?」


晴真が目を丸くした。


銀花は優しく語る。


「あの日――龍姫様と夜叉丸様は、互いに永遠を誓われました」


そして。


胸元へ手を当てる。


「その証として、お二人は互いの《心の欠片》を分けられたのです」


「心の……欠片?」


「はい」


銀花の指先に、かすかな震えが走った。


それは、二人が互いに差し出したもの。


命そのものではない。


けれど、命よりも深い場所にある、心の一部。


二人が互いを信じ、永遠を願った証だった。


「その二つを依代として――」


銀花は、いつも晴真のそばにいた小桜を思い出しながら語った。


「小桜は生まれました」


「…………」


晴真も小桜を思い浮かべた。


今は印旛大龍王、香取のもとで頑張っている小桜。


元気にしているだろうか。


ちゃんと笑っているだろうか。


そう考えると、胸の奥が少し温かくなった。


「そうだったんだ……」


晴真は、会いたいな、と素直に思った。


小桜が生まれた理由を知った今、その想いは以前よりも強くなっていた。


美鈴が。


じーっ。


晴真を見ていた。


「……何?」


晴真が尋ねる。


「いやぁ」


美鈴がニヤニヤする。


「なんか――誰かに似てるなぁと思って」


「誰?」


すると。


一年一組の仲間たちが。


揃って晴真を見る。


「……え?」


与一が静かに答えた。


「晴真」


「俺!?」


「うん」


与一が頷く。


「思いついたら、とりあえずやってみる」


「…………」


「後のことは、道満や凛が何とかする」


「ちょっと待って」


道満も笑った。


「否定できないな」


「道満君!?」


凛も苦笑する。


「私も否定できませんね」


「凛ちゃんまで!?」


与一は続ける。


「そして気づいたら――」


周囲を見る。


「みんなを巻き込んでる」


晴真も周囲を見る。


道満


凛


刀也


迅


与一


小夜


紅葉


美鈴


隼人


豪太


太一


綾女


桔梗


茜


秀


学


樹


誠


千尋


ひなた


紗月


菜穂


剛


遊喜


いつの間にか。


たくさんの仲間がいる。


「でもさ」


与一は笑った。


「それで、みんなのためになってたりする」


小夜も微笑む。


「楽しくなっていたりもしますね」


「そんなぁ……」


晴真が困ったように頭を掻く。


迅が呆れた顔で言う。


「お前、自覚なかったのか?」


「ないよ!」


「だろうな」


刀也が豪快に笑う。


「晴真だからな!」


「どういう意味だよ!」


また笑いが起こる。


そんな中。


道満が少しだけ優しい表情で晴真を見る。


「まあ――」


「何?」


「だからだろうな」


「何が?」


道満は周囲の仲間たちを見る。


そして晴真へ視線を戻した。


「みんなが自然と、お前の周りに集まるのは」


「…………」


晴真は一瞬、言葉を失った。


「道満君がそんなこと言うなんて」


「うるさい」


「照れてる?」


「黙れ!」


笑い声が広がった。


◇


少し離れた縁側。


その光景を――


正臣と沙羅が並んで見ていた。


「楽しそうね」


沙羅が言う。


「ああ」


正臣が笑う。


「いいクラスになったよ」


正臣の笑顔を見ながら、沙羅は胸の奥に温かなものが広がるのを感じていた。


最初は、ここまで多くの子供たちがひとつにまとまるとは思っていなかった。


それぞれ違う家に生まれ、違う技を学び、違う考え方を持っている。


それでも今は、晴真を中心に笑い合っている。


正臣も同じものを見ていた。


晴真が始めた小さな集まりが、いつの間にか大きな輪になっている。


その輪の中で、生徒達が皆んなが仲間たちと笑っている。


それだけで、胸が満たされた。


二人は。


晴真たちを見ながら。


ただ嬉しそうに笑っていた。


その姿を――


銀花が見ていた。


「…………」


一瞬。


本当に一瞬だけ。


正臣の笑顔と、沙羅の隣で柔らかく緩んだ表情が、銀花の中で別の二人と重なった。


昔。


皆を巻き込み。


楽しそうに笑っていた龍姫。


その隣で。


困った顔をしながら。


それでも誰より幸せそうに笑っていた夜叉丸。


「…………」


銀花の胸が、きゅっと締めつけられた。


似ている。


顔立ちが同じというわけではない。


声も、仕草も、過ごしてきた時間も違う。


それでも――


人を巻き込む明るさ。


誰かのために自然と動いてしまう優しさ。


そして、隣にいる者を見つめる時だけ浮かぶ、あの穏やかな笑み。


それが、あまりにもよく似ていた。


正臣が笑う。


沙羅がその横顔を見て、つられるように微笑む。


その光景の奥に、銀花は遠い日の龍姫と夜叉丸を見ていた。


龍姫が何かを思いつき、皆を巻き込んでいく。


夜叉丸が困ったように眉を下げながら、そのすべてを受け止めていく。


二人の間にあった、言葉にしなくても伝わる信頼。


互いがそこにいるだけで、何もかも大丈夫だと思えた時間。


「……龍姫様」


声には出さなかった。


出してしまえば、堪えていたものが崩れてしまいそうだった。


もう一度、あの二人に会いたい。


もう一度、あの声を聞きたい。


そんな願いが、胸の奥からこみ上げる。


けれど、銀花はそれを静かに押し込めた。


過去は戻らない。


龍姫も夜叉丸も、もうここにはいない。


それでも――


目の前には、二人の面影を感じさせる者たちがいる。


正臣と沙羅。


そして、晴真たちの世代。


受け継がれたのは、姿や血だけではない。


人を笑顔にする心。


誰かと喜びを分かち合おうとする気持ち。


困難な時にも、隣にいる者を信じる強さ。


それらは、確かに今もここにある。


銀花の瞳が僅かに潤む。


だが――


何も言わなかった。


すると。


ぽん。


頭に手が置かれた。


銀花が見上げる。


ミヅチだった。


「ミヅチ様……」


ミヅチは何も尋ねない。


銀花の胸の内を、すべて分かっているようだった。


ただ。


銀花の頭を優しく撫でた。


その手の温かさに触れた瞬間、銀花は危うく涙をこぼしそうになった。


けれど、皆の前で泣くわけにはいかない。


銀花は唇を結び、何度かゆっくり瞬きをした。


そして、ようやく小さく笑った。


「……はい」


ミヅチはそれ以上、何も言わなかった。


言葉にすれば、かえって遠い記憶を傷つけてしまうことがある。


だからこそ、ただそばにいる。


その優しさが、今の銀花にはありがたかった。


過ぎ去った時間は戻らない。


けれど。


こうしてまた。


皆が集まり。


笑い。


教え。


学び。


次の世代へと何かが繋がっていく。


龍姫と夜叉丸が残したものは、記憶の中だけにあるのではない。


今を生きる者たちの笑顔の中に。


誰かを思いやる心の中に。


そして、こうして人々が集まり、互いに手を差し伸べる時間の中に。


確かに息づいている。


そんな一日が。


また生まれている。


◇


やがて。


昼食の時間も終わりを迎えた。


「よし!」


凛が立ち上がる。


「午後もまだ修練がありますよ!」


「うへぇ……」


美鈴が少しだけ嫌そうな顔をする。


「食べた直後なんだけど」


「少し休んでからです!」


「ならよかった」


刀也が立ち上がる。


「よっしゃぁ!」


迅も肩を回す。


「最後にもう一踏ん張りだな」


道満はすでに札を取り出している。


「午後は、増殖術についてもう少し試したい」


晴真も立ち上がる。


「俺も!」


桜花がすぐに釘を刺す。


「晴真様」


「ん?」


「結界柱は?」


「……ちゃんと少しずつ入れます」


「本当にお願いします」


再び小さな笑いが起きた。


凛が皆を見る。


「それじゃあ――」


拳を上げる。


「午後も頑張りましょう!」


晴真たちも一斉に手を上げた。


「「「おーっ!!」」」


その元気な声が。


勝田家の空へ――


大きく響き渡った。

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