第七話 春花からの提案
数日後の放課後。
黒桜寮の修練場には、今日も一年一組十五人の姿があった。
春花は手元の帳面を確認すると、眼鏡を押し上げる。
「さて、皆さん」
十五人の背筋が反射的に伸びる。
この数日ですっかり身についた習慣だった。
「やっと――基礎が固まってきましたね」
「…………」
刀也と迅が顔を見合わせる。
そして。
「えぇぇぇ!?」
「今までのが基礎かよー!」
二人の悲鳴が修練場に響いた。
「俺、毎日死ぬかと思ってたんだけど!」
「朝も放課後も地獄だったぞ!」
「基礎です」
春花は即答した。
「嘘だろ……」
刀也が崩れ落ちる。
周囲の皆は苦笑するしかなかった。
とはいえ――。
春花の言葉通り。
この数日間で、十五人は確実に変わっていた。
迅は仲間と速度を合わせるようになり。
刀也は攻撃前の癖を意識するようになった。
道満は動きながら札術を使えるようになり。
凛も判断に迷う時間が減った。
美鈴の指示は短くなり。
晴真も、自分ではなく仲間を見る時間が増えている。
それぞれが自分の欠点と向き合い。
少しずつ克服し始めていた。
「では」
春花が帳面を閉じる。
「次の段階へ進みます」
刀也の顔が引きつる。
「……まだあるの?」
「当然です」
「ですよねー……」
「次は――」
春花は十五人を見渡した。
「皆さんの役割を変えます」
「え?」
凛が首を傾げる。
「役割を、ですか?」
「はい」
春花は第一班を見る。
晴真。
凛。
刀也。
豪太。
与一。
「まず第一班」
「凛様」
「はい」
「晴真様が担当している中堅の遊撃へ」
「私が遊撃……」
「晴真様は刀也様の前衛」
「僕が前?」
晴真が目を丸くする。
「刀也様は豪太様が担当している前衛補佐」
「おう!」
「豪太様は与一様の後方」
「後ろ!?」
豪太が自分を指差す。
「そして与一様」
「はい」
「凛様の位置へ入り、班の指揮を担当してください」
与一が少し驚く。
「僕が指揮を?」
「はい」
春花は五人を見る。
「この班は凛様が一年一組全体の指揮へ回った場合、残る四人で戦うこともあります」
凛がはっとする。
「確かに……」
「ですから」
春花は続ける。
「誰か一人が欠けただけで動けなくなる班では困ります」
「前衛しかできない」
「後衛しかできない」
「指揮官がいなければ何もできない」
「それでは本当の連携とは言えません」
与一が頷く。
「誰がどこに入っても最低限の役割を果たせるようにする」
「その通りです」
「なるほどなぁ」
刀也が感心する。
「次」
春花は第二班を見る。
道満。
紅葉。
美鈴。
小夜。
太一。
「美鈴様の班は少し特殊な布陣にします」
「特殊?」
美鈴が首を傾げる。
春花は道満を見る。
「道満様の陰陽術は、間違いなく警戒されています」
「でしょうね」
道満も否定しない。
「ですから――」
春花は言った。
「道満様には前衛へ出ていただきます」
「えっ!?」
全員が驚く。
「俺が前衛ですか?」
「はい」
「札術ではなく――剣術で戦ってください」
道満の目が僅かに細くなる。
「なるほど」
すぐに意図を理解した。
「相手は俺が札術を使うと考える」
「そこを逆手に取るのですね」
「はい」
春花は頷く。
「そして前衛に立ちながら班の指揮も担当してください」
「分かりました」
「その補佐として小夜様」
「はい」
「森羅聴で相手の動きを読み、道満様の死角を補ってください」
「分かりました」
「紅葉様は中堅」
「承知しましたわ」
「太一様も中堅から小篠塚流の大技を狙ってください」
「はい!」
「そして美鈴様」
「はい!」
「最後方です」
「私が?」
「美鈴様は突出した専門分野こそありませんが、何でも器用にこなせます」
美鈴が少しだけ目を丸くする。
「後方支援」
「状況分析」
「必要なら札術や結界」
「戦況を見て必要な情報だけを道満様へ伝えてください」
「はい!」
春花は五人を見る。
「陰陽術を警戒してくる相手へ、あえて武術を中心に一気に仕掛ける」
「それがこの布陣の目的です」
道満が楽しそうに笑う。
「面白い」
「やってみましょう」
◇
「そして忍びの皆様」
春花の視線が移る。
迅。
隼人。
綾女。
茜。
桔梗。
なぜか五人が緊張する。
「隼人様」
「はい」
「迅様の役割――前線で戦ってください」
「俺が?」
「はい」
迅が笑う。
「お頭の戦闘、見せてもらおうじゃん」
「お前は黙ってろ」
「綾女様」
「はい」
「隼人様に代わり指揮を」
綾女が僅かに固まった。
「……私が?」
「声を出す良い練習です」
「…………はい」
迅が笑いを堪える。
「笑いましたね」
「笑ってません」
「迅様」
「はい!」
「茜様、桔梗様が担当している爆薬、罠による制圧をお願いします」
「俺が罠ぁ?」
「はい」
「速く走るだけが忍びではありません」
「ぐっ……」
「茜様、桔梗様」
「はい!」
「綾女様が得意とする忍術を学んでください」
双子が顔を見合わせる。
「分かりました」
「やってみます」
春花は満足そうに頷く。
「まずはこの配置で形にします」
「ある程度できるようになったら――また入れ替えます」
「また!?」
十五人から悲鳴が上がった。
◇
その時。
豪太が困った顔で手を上げた。
「春花さん」
「何でしょう」
「俺……後方で何したらいいんだ?」
皆が豪太を見る。
豪太は槍を掲げた。
「槍でもぶん投げればいいのか?」
「…………」
春花が止まった。
眼鏡の奥の目が細くなる。
「そうですね」
ぽつり。
「ぶん投げますか」
「え?」
キラン。
眼鏡が光った。
晴真の肩で桜花が呟く。
「……また何か思いつきましたね」
春花は周囲を見回す。
「模擬戦程度なら、この程度の武器でも問題ないでしょう」
「桜花」
「はーい!」
「庭から枝を何本か持ってきてください」
「枝?」
「お願いします」
「分かりました!」
桜花が飛んでいく。
しばらくすると。
「持ってきましたー!」
両腕いっぱいに枝を抱えて戻ってきた。
「ありがとうございます」
春花はその中から一本を取る。
どこにでもある木の枝。
「皆さん」
「少し離れてください」
十五人が下がる。
春花は枝を握る。
すうっ――。
霊力が流れ込む。
次の瞬間。
ブォン!
枝を芯にして霊気が伸びた。
形作られたのは――。
一本の槍。
正確には。
槍の形をした、凝縮された霊気の塊。
「うおっ!?」
刀也が目を見開く。
春花はそれを構え。
「ふっ!」
投げた。
ドンッ!!
霊気の槍が地面へ突き刺さる。
地面が僅かに抉れた。
「すっげえええ!」
豪太が叫ぶ。
「春花さん、それ何だ!?」
「静かに」
「はい」
春花はもう一本の枝を取る。
霊力を流す。
今度は――。
刀。
シュンッ!
一振り。
霊気の刃が空気を切る。
そして。
形が変わる。
槍。
春花が構える。
さらに――。
薙刀。
「おお……」
小夜が目を輝かせる。
紅葉も食い入るように見ていた。
春花は霊力を解く。
武器が消え。
ただの枝へ戻った。
「この技は――」
春花は枝を掲げる。
「霊装武具と呼ばれます」
「霊装武具……」
道満が繰り返す。
「依代となる物へ霊力を込め」
「武器」
「防具」
「場合によっては簡単な道具」
「使用者が強く思い描いた形へ、霊気を具現化する技です」
「すげえ!」
「そんなことできるの!?」
「刀にもなるんですか!?」
一斉に騒ぎ始める。
「静かにしてください!」
「はい!」
春花は少しだけ頬を赤くした。
褒められ慣れていないらしい。
豪太は完全に夢中だった。
「これなら!」
枝を一本持ち上げる。
「後ろから投げ槍にして飛ばせるじゃん!」
「その通りです」
「春花さん!」
豪太が頭を下げる。
「俺にも教えてください!」
「俺も!」
刀也。
「僕も!」
晴真。
「俺も興味があります」
与一。
気づけば全員が目を輝かせていた。
その中でも。
道満は――。
「…………!」
誰よりも目を輝かせていた。
「春花殿」
「術式を詳しく教えていただけますか?」
「道満君、顔がすごいよ」
晴真が笑う。
「うるさい」
◇
春花による霊装武具の講義が始まった。
「まず注意事項です」
「この術は具現化している間、霊力を消費し続けます」
「長時間使えば当然消耗します」
「それから――」
春花は本物の刀を見る。
「基本的には、実物の武器には敵わないと思ってください」
「形だけ作れても意味がありません」
「硬度を保ち続ける必要があります」
「はい!」
「では始めます」
術式。
霊力の流し方。
依代との繋ぎ方。
形を固定する方法。
春花が一つずつ説明する。
そして――。
最初に成功したのは。
「……できた」
道満だった。
手にした枝から。
短い霊気の刀身が伸びている。
「やっぱり道満君だ!」
晴真が喜ぶ。
道満は満足そうに眺める。
「面白い術だ」
続いて。
「できました!」
凛。
さらに。
「私も!」
美鈴。
「……できた」
隼人。
器用な者たちが次々に成功する。
そして成功した者が、できない仲間へ教え始めた。
「刀也君、形を意識しすぎです!」
「霊力が抜けてます!」
「豪太、力入れすぎ!」
「霊力で作るんだって!」
「迅、また雑!」
「なんでだよ!」
最後まで苦戦したのは――。
太一。
「くっ……」
何度やっても刀身が崩れる。
しかし。
「もう一度」
何度も繰り返し。
ようやく。
ブンッ。
「……できた!」
短い霊気の刀が形を保った。
「おお!」
皆から拍手が起こる。
「やったな太一!」
「ありがとう!」
◇
その時。
道満が自分の霊装武具を見ながら尋ねた。
「春花殿」
「はい?」
「この霊装武具の硬度は、誰が使っても同じなのですか?」
「いいえ」
春花は首を振る。
「使用者の霊質によって大きく変わります」
「霊質……」
「はい」
春花は少し懐かしそうな表情になる。
「道満様のご先祖にあたる――夜叉丸様」
道満の表情が変わる。
「銀桜眼の……」
「はい」
春花は頷く。
「夜叉丸様はかつて――」
少し笑う。
「鋼の刀を、霊装武具で斬ったことがあります」
「ええっ!?」
十五人が叫ぶ。
刀也が自分の木刀を見る。
「鋼を!?」
「霊気で作った刀で!?」
「はい」
道満は自分の霊装武具を見る。
「そんな硬度を……」
「ですが」
春花の表情が少し寂しげになる。
「夜叉丸様ほどの硬度を生み出せる者は、その後ほとんど現れませんでした」
「霊力消費も大きく、実物の武器を使った方が効率も良い」
「そのため霊装武具は徐々に廃れていったのです」
春花は皆の作った武具を見る。
「現在なら――木刀程度の硬度を維持できれば十分でしょう」
「そうなんだ……」
道満は少し嬉しそうだった。
「先代の銀桜眼――夜叉丸様は、本当に凄い方だったのですね」
「そうですね」
春花の目が懐かしそうに細くなる。
「龍姫様と一緒に、私の修練もよく受けておられました」
皆が春花を見る。
「夜叉丸様も?」
「はい」
春花がくすりと笑う。
「半分ほど、やけくそになっておられましたけどね」
「…………」
十五人が苦笑する。
迅がぼそり。
「四百年前から鬼コーチだったんだ……」
キラン。
「迅様?」
「何でもありません!」
◇
そんな中。
晴真が――。
「…………」
何かを考えていた。
その口元が。
にやっ。
道満が気づく。
「晴真」
「何?」
「お前……何を考えている」
「え?」
「その顔は絶対何か考えている顔だ」
「そんなことないよ」
晴真は笑いながら言った。
「道満君」
「なんだ?」
「霊木でできた居合刀、貸して」
「……何をする気だ?」
「ちょっと試したいだけ」
道満は嫌な予感がした。
だが。
晴真の目が完全に好奇心で輝いている。
「……壊すなよ」
「うん!」
道満が居合刀を渡す。
晴真はそれを腰へ差した。
「刀也君」
「なんだよ?」
「ちょっと受けてみて」
「…………」
刀也が嫌そうな顔をする。
「なんで俺?」
「刀也君なら受けられると思って」
「その言い方が一番怖えよ!」
周囲が笑う。
刀也は仕方なく木刀を構えた。
「分かったよ」
「来い!」
「ありがとう!」
晴真が居合刀へ手を掛ける。
春花が眉をひそめた。
「晴真様?」
「ちょっとだけ!」
晴真が居合刀へ霊力を流す。
霊装武具。
鞘の中。
霊木の刀身を依代にして――。
霊気が形を作る。
「行くよ!」
「来い!」
晴真が見よう見まねの居合を放った。
シュッ!
鞘から霊木の刀身が抜かれる。
その瞬間。
刀身を覆っていた霊装武具が――。
さらに先へ伸びた。
「えっ!?」
刀也の目が見開かれる。
本来の刀身より。
遥かに長い霊気の刃。
「うわっ!」
だが刀也も流石だった。
反射的に木刀を構える。
ガキィィン!!
受け止めた。
――その瞬間。
バキッ!
「…………」
刀也の木刀が。
真っ二つに折れた。
先端が地面へ落ちる。
カラン。
沈黙。
「…………」
刀也が折れた木刀を見る。
晴真を見る。
もう一度。
木刀を見る。
「……晴真」
「ご、ごめん!」
「晴真ぁぁぁぁ!」
「ごめんなさーい!」
晴真が逃げる。
刀也が追いかける。
「俺の木刀ぉぉぉ!」
「今度、霊木の木刀買うから!」
「そういう問題じゃねえ!」
「本当にごめんって!」
「待てぇぇぇ!」
修練場を二人が走り回る。
「また始まった」
迅が笑う。
「晴真君らしいですね」
凛も苦笑する。
「刀也君も災難だね」
与一が笑う。
「笑い事じゃねえぞ!」
「ごめーん!」
皆の笑い声が響く。
しかし。
その中で――。
春花と道満だけは笑っていなかった。
二人は地面へ置かれた居合刀を見ている。
「……春花殿」
「はい」
「今の」
「私も見ていました」
春花が眼鏡を直す。
霊装武具は本来。
依代となる物を中心に、使用者が思い描いた武具を霊気で形作る技。
ならば。
刀身を依代にした場合――。
必ずしも。
元の刀身と同じ長さである必要はない。
道満の目が鋭くなる。
「霊力を維持できるなら……」
「長さを変えられる」
「形も」
春花が続ける。
「戦いの途中で変えられる可能性があります」
二人が顔を見合わせた。
その向こうでは。
「待て晴真!」
「ごめんってばぁ!」
「新品だからな!」
「分かった!」
「普通の木刀じゃねえぞ! 霊木だぞ!」
「分かったって!」
追いかけっこが続いている。
春花はその光景を見ながら――。
僅かに笑った。
「また晴真様が」
道満も苦笑する。
「ああ」
「妙なものを見つけたな」
ただの古い術。
そう思われていた霊装武具。
しかし。
晴真の何気ない思いつきによって――。
その術が持つ新しい可能性が。
静かに姿を現し始めていた。




