第六話 鬼コーチ春花
翌朝。
黒桜寮の食堂には――。
いつもとは明らかに違う光景が広がっていた。
「…………」
「…………」
「…………」
一年一組の十五人が、揃って放心したような顔で朝食を食べている。
いつもなら。
「摩季さん! おかわり!」
「俺も!」
「味噌汁もう一杯!」
朝からそんな声が飛び交うのだが――。
今日は静かだった。
黒桜寮の寮母、鍋山摩季が不思議そうに十五人を見る。
「どうしたんだい、あんたたち」
返事がない。
「朝から随分静かじゃないか」
「…………」
刀也がゆっくり顔を上げる。
「摩季さん……」
「なんだい?」
「ご飯……うまいっす……」
「そりゃよかったよ」
「でも……」
刀也は再び茶碗へ顔を落とした。
「腕が上がらねえ……」
「何やったんだい!?」
その横では。
普段なら誰よりも勢いよく白飯をかき込んでいる豪太が――。
「ごちそうさまでした……」
静かに箸を置いた。
摩季が目を見開く。
「豪太?」
「はい……」
「もう終わりかい?」
「はい……」
「まだ五杯だよ?」
「今日は……もう……」
豪太が遠い目をする。
「食えません……」
「豪太が五杯!?」
摩季が思わず声を上げる。
普段なら十杯以上は当たり前。
そんな豪太が五杯で箸を置く。
これは明らかな異常事態である。
「一体、朝から何があったんだい……」
摩季が呆然としていると。
「おはよう」
監督生の立身刀姫と、補佐の刀優が食堂へ入ってきた。
「おはようございます……」
十五人から返ってきたのは、魂の抜けたような挨拶。
刀姫が眉をひそめる。
「なんだ、その返事は」
刀優も心配そうに覗き込む。
「皆さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫です……」
「たぶん……」
「生きてます……」
「一応……」
刀優が刀姫を見る。
「姉さん」
「ああ」
刀姫も頷く。
「まったく大丈夫には見えないな」
しかし。
時計を見ると登校時間が迫っている。
十五人はふらふらと立ち上がった。
「じゃあ……」
「行ってきます……」
「行ってきまーす……」
「気をつけて行ってきな!」
摩季が見送る。
いつもなら賑やかに飛び出していく十五人が。
今日はまるで敗残兵のように黒桜寮を出ていった。
摩季は腕を組む。
「……本当に何があったんだい?」
刀姫は何となく察したように修練場の方を見る。
そこには。
眼鏡を拭いている春花の姿があった。
「……なるほど」
刀姫は苦笑した。
◇
午前の授業。
「では、ここは重要だから覚えておくように」
正臣が黒板へ文字を書く。
「霊脈と霊圧の関係は――」
返事がない。
「……?」
正臣が振り返る。
「…………」
一瞬。
言葉を失った。
一年一組十五人。
全員が――。
すやすや。
揃って寝ていた。
晴真は机へ突っ伏し。
刀也は椅子にもたれ。
迅は腕を組んだまま。
与一は教科書を開いたまま。
道満に至っては、きちんと背筋を伸ばした姿勢のまま寝ている。
「……なんだこれは?」
正臣が苦笑する。
「新学期早々、全員居眠りとはいい度胸だな」
それでも。
誰一人起きない。
「お前たち……何やったんだ?」
答えは――。
放課後に分かることとなった。
◇
放課後。
黒桜寮の修練場。
「迅様!」
春花の怒声が響き渡る。
「何回早いと言えば分かるのですか!」
「す、すみません!」
迅が急停止する。
「それでも忍びですか!?」
「一人で突っ込んで何が連携です!」
「速ければいいと思っているなら、今すぐ一人で戦ってきなさい!」
「ぐっ……!」
春花の眼鏡が光る。
キラン。
「もう一度!」
「はいっ!」
迅が走り出す。
その隣では。
ガキィン!
刀也が木刀を振るう。
「刀也様!」
「はい!」
「攻撃を悟られないよう考えていますか!?」
「か、考えてます!」
「ではなぜ毎回、攻撃する直前に右肩が上がるのです!」
「うっ!」
「武術全般を極めたい?」
春花が刀也を見る。
「この程度の癖すら直せなくて――」
「何をほざいているのですか!」
「ぐはっ!」
精神に直撃した。
「もう一度!」
「はい!」
春花の指導は正確だった。
正確すぎた。
悪い部分を的確に指摘し。
改善方法を教え。
そして最後に――。
必ず心を抉る一言を付け加える。
◇
少し離れた場所。
ミヅチ。
チヨヒメ。
クシナダ。
三柱の大蛇が並んで見学していた。
「……凄まじいのう」
チヨヒメが苦笑する。
ミヅチも扇子で口元を隠す。
「まったく」
「お主らも馬鹿じゃのう」
修練場を走り回る十五人を見る。
「あやつに指導を頼むとは」
クシナダが肩をすくめた。
「くわばら、くわばら」
その時。
「道満様!」
「はい!」
道満が札を構える。
走る。
だが。
術を発動する瞬間――。
ぴたり。
足が止まった。
春花の眼鏡が光る。
「また足が止まっています!」
「くっ……!」
「止まらなければ術が放てないなんて――」
春花が冷たく言い放つ。
「お子ちゃまですか!」
「……っ!」
道満の眉が引きつる。
「道満があんな顔するの初めて見たぞ」
沙羅がいつの間にか加わっていた。
「エグいな……」
だが。
道満は歯を食いしばる。
「もう一度お願いします!」
「当然です!」
道満が再び走り出す。
「凛様!」
「はい!」
凛が振り返る。
「あなたは要ですよ!」
「はい!」
「なら迷ってどうするのです!」
「うっ……!」
「あなたが迷っている間に、仲間全員が危険に晒されるのですよ!」
「指示を出したなら仲間を信じる!」
「はい!」
「もっと大きな声で!」
「はいっ!」
「美鈴様!」
「はいぃ!」
「指示は簡潔に!」
「右から刀也君が行って、そのあと迅君が――」
「それです!」
「ひっ!」
「ベラベラ喋らない!」
「伝えたいことを頭の中でまとめてから話す!」
「戦闘中に長話を聞いてくれる敵がどこにいるのですか!」
「ぐっ……!」
美鈴が胸を押さえる。
「刺さった……」
「落ち込んでいる暇があるならもう一度!」
「はい!」
沙羅は完全に引いていた。
「……マジでエグいな」
ミヅチが懐かしそうに笑う。
「昔から変わらぬ」
「龍姫様以外、春花の修練からは皆逃げ出したからのう」
沙羅が春花を見る。
「龍姫は逃げなかったのか?」
「うむ」
ミヅチは笑う。
「何を言われても『分かった! もう一回!』じゃ」
「……誰かに似てんな」
沙羅が晴真を見る。
ちょうどその時。
「晴真様!」
「はい!」
晴真が振り返る。
「ちゃんと周りを見ていますか!」
「見てるよ!」
「見ていません!」
即答だった。
「えぇ!?」
「今の晴真様は自分の術を成功させることしか考えていません!」
春花は晴真の前へ歩く。
「あなたの霊力操作は規格外です」
「多重発動もできます」
「強力な術も使えます」
「ですが!」
晴真を真っ直ぐ見る。
「あなたの規格外の力に、皆が合わせられるわけではありません!」
「……!」
「どれだけ凄い力でも――」
春花は十五人を示す。
「仲間に合わせられなければ邪魔なだけですよ!」
周囲が一瞬静かになる。
かなり厳しい言葉だった。
だが。
晴真は。
「はーい!」
にこっと笑う。
「分かったよ、春花さん!」
「次はみんなの動きをちゃんと見る!」
「もう一回やっていい?」
「……」
春花の表情が僅かに柔らかくなる。
「もちろんです」
「ありがとうございます!」
晴真はすぐに仲間のところへ走っていった。
ミヅチがその姿を見つめる。
「……こういうところも」
「龍姫様によく似ておる」
クシナダも静かに頷いた。
「叱られたことを恨まぬ」
「自分に必要なことなら、素直に受け入れる」
チヨヒメが微笑む。
「じゃから伸びるのじゃろうな」
◇
「くそっ!」
刀也が立ち上がる。
晴真の様子を見ていた。
「晴真に負けてられるか!」
木刀を握り直す。
「春花さん!」
「もう一回お願いします!」
道満も額の汗を拭う。
「俺もだ」
札を構え直す。
「次は絶対に足を止めない」
凛も。
「もう一度お願いします!」
迅も。
「今度こそ合わせる!」
与一も。
豪太も。
小夜も。
紅葉も。
太一も。
隼人も。
綾女も。
美鈴も。
茜も。
桔梗も。
疲れ切っている。
足は重い。
腕も上がらない。
それでも――。
誰一人として修練場から出ていかなかった。
「もう一回!」
「お願いします!」
「次こそ!」
「まだできます!」
声を振り絞る。
春花は十五人を見る。
「では――もう一度!」
「はいっ!」
十五人の声が響き渡った。
◇
「なるほどな」
修練場の入口から声がした。
皆が振り返る。
正臣が立っていた。
「先生!」
正臣は腕を組みながら苦笑している。
「道理で今日、授業中に十五人揃って居眠りしていたわけだ」
「……あ」
十五人が固まる。
春花がゆっくり振り返る。
「授業中に?」
キラン。
眼鏡が光る。
「…………」
十五人の顔から血の気が引いた。
「お、おい」
迅が震える。
「これ……俺たち、余計なこと聞かれたんじゃ……」
「先生!」
刀也が叫ぶ。
「なんで言うんですか!」
「俺が悪いのか!?」
「明日から修練時間をさらに調整する必要がありますね」
春花が帳面を開く。
「授業中に眠るなど言語道断です」
「ひぃぃぃ!」
沙羅が腹を抱えて笑う。
「自分たちで頼んだんだから諦めろ!」
正臣も苦笑しながら十五人を見る。
しかし。
その目はどこか嬉しそうだった。
「それにしても……」
クシナダが正臣の隣へ来る。
「正臣」
「はい?」
「お主の生徒たちは、随分と向上心が強いのう」
修練場を見る。
あれだけ疲れている。
あれだけ厳しく指摘されている。
それでも誰一人。
「もう嫌だ」
とは言わない。
正臣は静かに微笑んだ。
「本当に頑張り屋なんです」
そして。
晴真を見る。
仲間と笑いながら。
また次の修練へ向かっていく少年。
「もしかしたら――」
正臣は小さく呟く。
「晴真に感化されてるのかもしれませんね」
「晴真に?」
「はい」
正臣は十五人を見る。
「晴真は失敗しても、できないことがあっても、すぐに『もう一回』って言うんです」
「それを毎日見ているうちに――」
刀也が晴真へ追いつく。
道満も並ぶ。
凛が皆へ指示を出す。
そして十五人が再び動き出す。
「皆も、できないことを恥ずかしがらなくなった」
「失敗したなら、できるまでやればいい」
「そう思うようになったんじゃないでしょうか」
クシナダは目を細める。
「よき仲間に恵まれたのう」
「はい」
正臣は迷わず頷いた。
「俺の自慢の生徒たちです」
その直後。
「刀也様!」
「はいっ!」
「また右肩!」
「うわあああ!」
「迅様! 早い!」
「すみません!」
「道満様! 止まらない!」
「はい!」
「凛様! 迷わない!」
「はい!」
「晴真様! 周りを見る!」
「はーい!」
怒号と返事が黒桜寮に響き渡る。
三組との模擬戦まで――あとわずか。
鬼コーチ春花による地獄の特訓は。
まだまだ始まったばかりだった。




