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第五十九話 大蛇摩耶の過去


 部屋の中が静まり返る。


紫苑


蒼空


晴真


道満


凛


そして大蛇摩耶


皆の意識がミヅチへ向いていた。


ミヅチは少し昔を懐かしむように目を細める。


「では話そう」


一度言葉を止めた。


「摩耶という女が」


「なぜ二つに分かれ」


「そして龍姫と夜叉丸の運命に深く関わることになったのかをな」


◇


「摩耶は元々――」


ミヅチが静かに話し始める。


「封印の柱守りの一人じゃった」


「柱守りって 禍津喰羅の?」


晴真が尋ねる。


「ああ」


クシナダが頷く。


「裏佐倉各地にある封印の柱を守り、異常がないか監視する者たちだ」


「摩耶はその中でも特に優秀じゃった」


ミヅチが続ける。


「蒼蛇眼を持ち」


「物の構造」


「術式」


「霊気」


「人の状態」


「様々なものを読み解くことができた」


蒼空が自分の目へ触れる。


「今の俺と同じ……」


「そうじゃ」


ミヅチが頷く。


「ただし摩耶はお主より遥かに使いこなしておった」


思慮深く。


真面目。


責任感が強い。


困っている者を放っておけない。


それが本来の大蛇摩耶だった。


「蒼蛇眼なら何でも分かる」


「摩耶なら何とかしてくれる」


いつしか人々はそう考えるようになっていた。


朝から相談。


昼も相談。


夜になっても相談。


家の結界がおかしい。


術が上手く発動しない。


霊獣の具合が悪い。


土地の霊脈がおかしい。


家族の霊気を見てほしい。


「来る日も来る日も」


ミヅチが苦笑する。


「皆が摩耶を頼った」


柱守りとしての仕事。


人々から持ち込まれる相談。


「断ればよかったんじゃ?」


蒼空が尋ねる。


「それができる女なら苦労はせん」


チヨヒメが答えた。


「困っている者がいるのに、自分だけ休むなどできないと思うような女じゃった」


『…………』


摩耶の気配が僅かに揺れる。


「だから疲れていった」


ミヅチが続ける。


「身体も」


「心も」


「それでも頑張り続けた」


晴真が少し心配そうな顔をする。


「誰も止めなかったの?」


「止めたさ」


沙羅が腕を組む。


「皆にな」


「休め」


「全部自分で背負うな」


「もっと人を頼れ」


「何度も言われてた」


ミヅチが少し笑う。


「特に夜叉丸はな」


「夜叉丸様が?」


道満が反応する。


「ああ」


摩耶が疲れていれば声を掛ける。


相談事が多ければ代わりに引き受ける。


無理をしていれば強引にでも休ませる。


「夜叉丸は昔からそういう男じゃった」


困っている者を放っておけない。


誰にでも自然に手を差し伸べる。


「そんな夜叉丸に――」


ミヅチは摩耶の気配へ意識を向ける。


「摩耶は恋をした」


『…………』


摩耶が黙る。


蒼空が少し驚く。


「夜叉丸様のこと好きだったの?」


『……はい』


小さな返事。


「ですが」


摩耶が続ける。


『龍姫様と夜叉丸様が深く愛し合っていたことは、誰もが知っていました』


それは入り込む隙などないほど。


互いを想い。


互いを信頼し。


誰が見ても分かるほど深い絆だった。


「だから摩耶は気持ちを隠した」


ミヅチが言う。


妬ましい。


悔しい。


寂しい。


羨ましい。


そして。


そんな感情を抱いてしまう自分が嫌だった。


『龍姫様は大切な方でした』


摩耶が静かに言う。


『夜叉丸様も』


『二人に幸せになってほしいと思っていました』


「じゃが」


ミヅチの声が少し低くなる。


「人の感情とは、それほど都合よく消えてくれぬ」


誰かを愛する心。


叶わない苦しさ。


羨ましさ。


嫉妬。


疲労。


責任。


不満。


怒り。


それらを摩耶は押し殺し続けた。


自分はこんなことを思ってはいけない。


人のために尽くさなければならない。


自分より苦しんでいる人がいる。


自分が弱音を吐いてはいけない。


そして。


いつの頃からか――


摩耶に変化が現れ始めた。


「思い立ったらすぐ行動」


「人々のためなら迷う必要はない」


「自分が正しいと思ったことを即座にやる」


最初は皆。


疲れすぎて性格が変わってしまったのだと思っていた。


だが――


「違った」


ミヅチが言う。


「摩耶自身の心が」


「自分を守るために」


「もう一つの摩耶を生み出しておった」


部屋が静かになる。


蒼空が尋ねる。


「もう一人の……摩耶さん」


「そうじゃ」


本来の摩耶は。


思慮深く。


慎重で。


責任感が強い。


だがもう一人は。


思い込みが激しく。


一度こうだと決めたら疑わない。


善意で先走り。


周囲の話を聞く前に行動してしまう。


晴真が小さく呟く。


「今の摩耶さんみたいな……」


『…………』


「晴真」


道満が小声で止める。


『聞こえていますよ』


「ご、ごめんなさい」


ミヅチが苦笑する。


「まあ間違ってはおらん」


『ミヅチ様まで……』


だが話は笑えるものではなかった。


そのもう一人の摩耶が。


良かれと思って勝手に行動する。


周囲に迷惑を掛ける。


そして――


「摩耶!」


「何をしている!」


「勝手なことをするな!」


皆が怒る。


すると。


その瞬間。


表へ出ていたもう一人の摩耶が消える。


そして――


本来の摩耶へ戻る。


何が起きたのか。


何をしたのか。


十分に分からないまま。


真面目な摩耶だけが叱られる。


謝る。


落ち込む。


自分を責める。


そしてさらに心を追い詰める。


「その繰り返しじゃ」


ミヅチが静かに言った。


本来の摩耶でいられる時間は。


少しずつ。


少しずつ。


短くなっていった。


◇


そして。


その弱った心へ近づいた者たちがいた。


「禍津喰羅教……」


晴真が呟く。


「ああ」


ミヅチの表情が険しくなる。


彼らは思い込みの激しい摩耶へ近づいた。


人々を救いたいのでしょう。


世界を救いたいのでしょう。


禍津喰羅こそ。


すべての苦しみから人々を救う神の使いなのだと。


「そして摩耶は信じた」


『…………』


摩耶の気配が震える。


自分なら人を救える。


封印を解けば。


皆を苦しみから救える。


そう思い込んだ。


「そして」


ミヅチが静かに言った。


「封印の柱が一つ」


「解かれた」


晴真たちの表情が強張る。


封印の向こうから現れたもの。


禍津喰羅の分体。


それは――


摩耶へ取り憑いた。


「摩耶の身体を乗っ取った禍津喰羅は」


「各地へ瘴気の種を撒き始めた」


土地が汚染され。


水が濁り。


霊脈が乱れる。


獣。


妖。


霊獣。


さらには神の眷属までも。


次々と瘴気に侵されていった。


晴真は拳を握る。


「豪斎さんの時みたいに……」


「そうじゃ」


クシナダが頷いた。


「だがあの時は規模が違った」


各地で暴走。


混乱。


争い。


その中心にいたのが――


大蛇摩耶。


いや。


摩耶の身体を奪った禍津喰羅だった。


◇


それを止めるため。


龍姫。


夜叉丸。


そして裏佐倉の者たちが立ち上がった。


一つずつ。


瘴気の種を封じ。


侵された者を浄化し。


土地を清めていった。


それでも


瘴気の種は、撒かれ続け


このままでは キリがない


元を断つしかない


それは、


禍津喰羅の分体に取り憑かれた摩耶。


「じゃが厄介じゃった」


ミヅチが続ける。


摩耶へ攻撃を加えても。


傷つくのは摩耶の身体。


禍津喰羅そのものには大した影響がない。


攻撃できない。


だが放置もできない。


そんな中。


摩耶本人の意識は。


身体の奥深くで。


ずっと泣いていた。


『私がもっと強ければ』


摩耶の声が小さく響く。


『もっと逞しければ』


『人を好きになったり』


『誰かを羨んだり』


『妬んだり』


『そんなことをしなければ』


『もう一人の私など生まれなかった』


「違う」


晴真が思わず口を挟む。


皆が見る。


晴真は少し困ったようにする。


「ごめんなさい」


それでも続ける。


「誰かを好きになるのは悪いことじゃないと思う」


「妬いたり悔しいと思ったりするのも」


「多分……普通だよ」


摩耶は何も答えない。


ミヅチは晴真を見て少し笑った。


「龍姫も」


「似たようなことを言っておったよ」


「龍姫さんが?」


「ああ」


龍姫は。


禍津喰羅の奥に閉じ込められた摩耶の心へ触れた。


その苦しみ。


後悔。


絶望。


すべてを知った。


そして。


龍姫は決めた。


「禍津喰羅の分体を」


「自らの身体へ封印すると」


「えっ」


晴真が息を呑む。


「そんなことしたら……」


「当然皆が止めた」


沙羅が言う。


無茶だ。


危険すぎる。


やめろ。


他の方法を探せ。


だが。


龍姫は一言だけ言った。


「この女性を救わなければいけない」


そして秘術を発動した。


禍津喰羅の分体が。


摩耶の身体から引き剥がされる。


龍姫へ。


移ろうとした。


その瞬間――


「夜叉丸が割って入った」


道満の目が見開かれる。


「夜叉丸様が……」


「ああ」


夜叉丸は龍姫を押し退けた。


そして。


禍津喰羅の分体を。


自らの中へ取り込んだ。


◇


その際。


もう一つの出来事が起こった。


摩耶の中に存在していた。


思い込みが激しく。


先走る。


もう一人の摩耶。


その魂の側面が――


禍津喰羅と共に。


夜叉丸へ引き込まれた。


「そこで」


ミヅチは摩耶を見る。


「お主の魂は完全に二つへ分かれた」


本来の。


思慮深い摩耶。


そして。


夜叉丸の中へ取り込まれた。


思い込みの激しい摩耶。


『…………』


摩耶は何も言えなかった。


◇


救われた本来の摩耶は。


自分がしてしまったことを悔やみ続けた。


自分のせいで。


土地が汚れ。


多くの者が傷つき。


そして。


夜叉丸が禍津喰羅を引き受けた。


「一方の夜叉丸は」


ミヅチが話を続ける。


「最初の数か月は何ともなかった」


普通に生活し。


笑い。


龍姫と過ごし。


仲間たちと修練し。


以前と変わらぬ日々を送っていた。


だが。


少しずつ。


異変が始まる。


普段なら流せる小さな苛立ち。


怒り。


悲しみ。


不安。


それら負の感情が。


妙に強くなる。


「半年ほどした頃じゃ」


夜叉丸自身が。


身体の中に瘴気を感じ始めた。


そして龍姫へ言った。


――俺を封印してくれ。


しかし龍姫は拒んだ。


必ず助ける。


方法を探す。


絶対に諦めない。


「じゃが」


ミヅチは目を伏せる。


「時間は待ってくれなかった」


やがて身体にも異変が現れた。


角。


牙。


異常な霊力。


凶暴化。


そしてある日。


夜叉丸は消えた。


残されていたのは――


一振りの刀。


「宵桜……」


道満が腰元を見る。


「ああ」


夜叉丸は宵桜を置いて。


姿を消した。


◇


その後。


本佐倉城。


そこへ異形となった夜叉丸が現れた。


そして名乗った。


闇夜叉。


「夜叉丸は」


ミヅチが静かに笑う。


「瘴気に侵された者たちを次々と力で屈服させた」


妖。


獣。


霊獣。


眷属。


暴走していた者たちを倒し。


本佐倉城へ集めていった。


当時。


皆は思った。


闇夜叉が軍勢を作ろうとしている。


裏佐倉へ攻め込むつもりなのだと。


「じゃが」


ミヅチは首を振る。


「今なら分かる」


「夜叉丸様は」


道満が呟く。


「各地で暴れないように集めていた……」


「そうじゃろうな」


薄れゆく自我。


身体を侵す瘴気。


それでも。


自分と同じように侵された者たちを。


人里から遠ざけ。


一か所へ集めた。


「最後の最後まで」


ミヅチは少し寂しそうに笑う。


「人のために尽くそうとする」


「良い男じゃったよ」


◇


そしてある日。


龍姫のもとへ。


一通の手紙が届いた。


ただ一言。


――もう抑えきれない。


――頼む。


龍姫はすぐに動いた。


ミヅチ。


チヨヒメ。


クシナダ。


若陽。


井野丸。


そして印旛大龍王。


多くの者が本佐倉城へ向かった。


目的は。


夜叉丸を殺すことではない。


救うこと。


「じゃが」


沙羅が静かに呟く。


「その頃にはほとんど自我が残ってなかった」


闇夜叉との戦い。


凄まじい力。


禍津喰羅の瘴気。


近づくことさえ難しい。


だが。


自我を失いかけても。


夜叉丸は最後まで。


龍姫たちを傷つけないように抗っていた。


「その僅かな隙を」


「龍姫たちは見逃さなかった」


そして。


本佐倉城の地下深く。


奈落。


そこへ闇夜叉を封印した。


その際。


夜叉丸の中に取り込まれていた。


もう一人の摩耶の魂も引き離された。


「じゃが」


ミヅチが続ける。


「二つに分かれた魂は戻らなかった」


若陽。


井野丸。


印旛大龍王。


それほどの者たちが力を合わせても。


一つへ戻すことはできなかった。


そして。


夜叉丸を奈落へ封じた直後。


龍姫は迷わなかった。


「夜叉丸を一人にはしない」


そう言って。


奈落へ飛び込んだ。


「…………」


部屋が静まり返る。


「今も」


ミヅチが言う。


「二人は本佐倉城の奈落の底で」


「禍津喰羅の分体を封じ続けておる」


晴真が拳を握った。


沙羅。


正臣。


二人へ繋がる。


ずっと昔の出来事。


◇


一方。


残された本来の摩耶は。


龍姫と夜叉丸の訃報を聞き。


完全に心を折られた。


自分のせいだ。


自分が封印を解かなければ。


自分がもっと強ければ。


自分が弱い感情など持たなければ。


毎日。


毎日。


嘆き。


謝り。


食事も取らず。


眠ることもできず。


少しずつ衰弱していった。


「それを見かねたのが」


ミヅチが言う。


「印旛大龍王様じゃ」


印旛大龍王は。


摩耶へ一つの秘術を授けた。


魂を。


未来へ送る術。


転生の秘術。


だが。


人間が使えば。


あまりにも大きな代償が必要になる。


「その代償は」


ミヅチが摩耶を見る。


「術者の命そのものじゃった」


晴真が息を呑む。


「それでも摩耶は使ったの?」


「ああ」


迷わなかった。


自分の命で。


二人を僅かでも救えるなら。


未来へ可能性を残せるなら。


摩耶は。


龍姫と夜叉丸の魂の欠片を掬い上げ。


未来へ送った。


その転生先。


「一人が」


ミヅチが沙羅を見る。


「御堂沙羅」


沙羅が黙る。


そして。


正臣を見る。


「もう一人が」


「勝田正臣」


正臣も静かに目を閉じた。


「龍姫様と夜叉丸様の魂の欠片は」


「こうして今の時代へ残された」


晴真が二人を見る。


「じゃあ二人が今ここにいるのは」


「摩耶さんが……」


「命を使って残したものじゃ」


『…………』


摩耶は何も言わない。


ただ。


静かに泣いているような感覚だけが伝わっていた。


◇


「そして」


ミヅチは紫苑と蒼空を見る。


「摩耶自身についてじゃ」


摩耶の身体は。


転生の秘術を使い。


その命を終えた。


だが。


魂は二つに分かれたまま。


本来の。


思慮深い摩耶。


そして。


思い込みが激しく。


先走ってしまう摩耶。


印旛大龍王は。


そんな彼女を哀れんだ。


「そして」


ミヅチは少し笑う。


「自らの小指を代償にした」


「小指?」


晴真が聞き返す。


「ああ」


印旛大龍王ほどの存在でも。


分かれた二つの魂を。


一つへ戻すことはできなかった。


ならば。


それぞれに。


新たな人生を与える。


二つの魂を。


未来へ転生させた。


「一人が」


ミヅチが紫苑を見る。


「西御門紫苑」


「私……」


紫苑が胸へ手を当てる。


そして。


蒼空を見る。


「もう一人が」


「西御門蒼空」


「俺が……」


蒼空は呆然としていた。


「だから」


春花が静かに続ける。


「お二人の中には今でも転生前の魂が欠片として残っているのですね」


「そうじゃ」


ミヅチが頷く。


紫苑。


思慮深く。


責任感が強く。


結界術を研究し。


生徒一人一人へ目を配る。


蒼空。


蒼蛇眼を持ち。


そしてその奥には。


思い込みが強く。


一度決めたことへ一直線に進む摩耶の魂。


「性格や能力にも」


「少なからず影響しておる」


紫苑が困ったように笑う。


「言われてみると……」


蒼空は頭を抱えた。


「俺、あっちの方なんだ……」


『あっちとは何ですか!』


「本人が反応した」


晴真が笑う。


『晴真君まで!』


少しだけ。


部屋に笑いが戻った。


ただし。


ミヅチはすぐに真剣な表情へ戻る。


「本来なら」


「蒼空の中の摩耶ももっと自然に魂へ馴染んでいたはずじゃ」


「でも」


道満が地面に置かれた黒い種を見る。


「禍津喰羅の瘴気に侵されていた」


「ああ」


夜叉丸の中に取り込まれていた間。


もう一人の摩耶の魂も。


禍津喰羅の瘴気へ晒され続けていた。


その影響が。


転生したあとまで残った。


蒼空の魂と完全に馴染めず。


別の霊気の塊として残っていたのだろう。


「晴真と道満が浄化したことで」


銀花が言う。


「ようやく本来の状態へ戻り始めたのでしょう」


◇


ミヅチは。


摩耶へ向き直った。


「だからな」


『はい……』


「摩耶」


静かな声。


「急かす必要などない」


『でも――』


「龍姫様も」


「夜叉丸も」


沙羅。


正臣。


二人を見る。


「現世に別の形として転生しておる」


「お主が焦って」


「今すぐ片割れを探さなければ」


「今すぐ二人を救わなければ」


「そう思い込む必要はない」


『ですが……』


「摩耶」


その瞬間。


ミヅチの声が変わった。


部屋の空気が――


凍った。


『…………』


チヨヒメ


クシナダ


銀花


珠代


一葉


二葉


三葉


春花


全員から


先ほどまでとは全く違う気配が漂う。


摩耶も黙った。


ミヅチは静かに言う。


「一つ」


「勘違いするなよ」


『…………』


「妾たちが」


「こうしてお主と普通に話をしておるのは」


一言


一言


押し殺した怒りが滲む。


「龍姫が」


「摩耶を責めないでくれと」


「言い残したからじゃ」


晴真たちは何も言えなかった。


ミヅチの瞳に。


怒りが宿る。


「妾たちはな」


「お主に対する怒りを」


「ずっと抑えておる」


チヨヒメも低い声で続ける。


「夜叉丸がどうなったと思っておる」


クシナダも。


「龍姫がどれほど苦しんだと思う」


珠代も目を伏せる。


一葉。


二葉。


三葉。


誰も笑っていない。


ミヅチの声が響く。


「何度殺しても」


「飽き足らぬほどの怒りを」


「妾たちは今も抱えておる」


『…………』


摩耶の気配が震えた。


「お主が苦しんだことも分かっておる」


「騙されたことも」


「禍津喰羅に心を利用されたことも」


「すべて分かったうえでじゃ」


一歩。


ミヅチが前へ出る。


「過去と同じ過ちを」


「もう一度繰り返すつもりなら」


はっきりと言う。


「今度は容赦せぬ」


『…………』


「人の話を聞け」


「自分だけで決めるな」


「自分の思い込みで誰かを巻き込むな」


「よいな」


長い沈黙。


そして。


『……はい』


小さな返事。


『心に留めます』


「うむ」


それだけだった。


だが。


部屋の空気はしばらく戻らなかった。


晴真ですら。


何を言えばいいのか分からない。


蒼空も黙っている。


紫苑も


紫玄も


玄も


道満も


凛も


誰一人として口を開かなかった。


◇


しばらくして。


沙羅が大きく息を吐いた。


「……まあ」


皆が見る。


「昔の話をして怒ってても仕方ねぇだろ」


ミヅチが沙羅を見る。


「今いるのは」


沙羅は自分を指差す。


「龍姫じゃなくて俺」


正臣を指差す。


「夜叉丸じゃなくて正臣」


紫苑


蒼空


「摩耶じゃなくて」


「紫苑と蒼空だ」


そして晴真を見る。


「だったら」


「今どうするか考えようぜ」


晴真の表情が明るくなる。


「うん」


道満も頷いた。


「それが一番ですね」


紫苑が蒼空を見る。


「私たちの中に摩耶様の魂があるとしても」


蒼空も頷く。


「俺たちは俺たちだしね」


『…………』


摩耶の声が聞こえる。


『そうですね』


今度は。


先ほどまでの勢いはない。


少し落ち着いた声だった。


『私はまた』


『焦っていたのかもしれません』


ミヅチは何も言わない。


ただ。


小さく頷いた。


晴真は皆を見る。


「じゃあ」


「これからどうするか」


道満が続ける。


「一つずつ整理しましょう」


龍姫。


夜叉丸。


大蛇摩耶。


禍津喰羅。


そして。


紫苑。


蒼空。


沙羅。


正臣。


400年近い時を越えて。


過去の因縁は。


形を変え。


今の時代へと繋がっていた。


けれど。


彼らは過去の誰かではない。


今を生きる。


一人一人の人間。


だからこそ――


これからどうするのか。


それを決めるのは。


過去ではなく。


今を生きる彼ら自身だった。

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