第五十六話 凛の修練?
午前
凛は西御門家の別の修練場へやって来ていた。
今日はいよいよ――
西御門紫月から鞭の扱いを教えてもらう。
春花が届けてくれた新しい霊装武具もある。
凛は少し緊張しながら修練場の戸を開けた。
「失礼します!」
「おっ、来た来た」
中では紫月が待っていた。
そして――
「凛ちゃん、こっちこっち」
もう一人。
深月までいる。
「深月さん?」
凛が首を傾げる。
「どうしてここに?」
「手伝い」
「手伝い?」
紫月と深月が顔を見合わせる。
そしてニヤッと笑った。
凛は嫌な予感がした。
「……なんですか?」
紫月が腕を組む。
「凛ちゃん」
「はい」
「鞭を使うならさ」
真剣な顔。
「まず形から入らないと」
「形?」
「そう」
深月も大きく頷く。
「大事だよ」
「何がですか?」
「というわけで」
紫月が凛の肩を掴んだ。
「座って」
「え?」
「いいからいいから」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
そのまま鏡台の前へ座らされる。
目の前には化粧道具。
髪飾り。
櫛。
色々な物が並んでいた。
「…………」
凛が固まる。
「これ、鞭の修練ですよね?」
「そうだよ?」
紫月が当然のように答える。
「じゃあなんで化粧道具があるんですか!?」
深月が笑う。
「だから形から」
「絶対関係ないですよね!?」
「あるある」
「ありません!」
しかし二人は止まらなかった。
「凛ちゃん肌綺麗だから薄めでいいね」
「髪どうする?」
「ちょっと派手にしよ」
「待ってくださいってば!」
◇
しばらくして。
「できた!」
紫月と深月が満足そうに頷いた。
「…………」
凛は鏡の前で固まっていた。
普段とは違う髪型。
少し派手にまとめられた髪には飾りもついている。
そして生まれて初めての化粧。
派手すぎるほどではない。
けれど普段の凛からすれば十分すぎるほど大人っぽい。
「…………」
凛の顔がみるみる赤くなる。
「は、恥ずかしいです……」
「えー、なんで?」
紫月が鏡越しに凛を見る。
「めっちゃ可愛いじゃん」
深月も頷く。
「うん、似合ってる」
「ほ、本当ですか?」
凛が恐る恐る鏡を見る。
いつもの自分とは全然違う。
ちょっとだけ大人っぽくて。
ちょっとだけ派手で。
でも――
「…………」
悪くないかもしれない。
「可愛いよ」
「絶対似合うと思ってた」
二人に褒められ、凛の口元が少し緩んだ。
「えへへ……」
「おっ、嬉しそう」
「ち、違います!」
「顔に出てるよ」
「もう!」
凛は恥ずかしそうに頬を押さえる。
けれど。
少し楽しい。
こうして友達や年上の女性と髪を弄ったり、化粧をしてもらったり。
凛にはあまり経験のないことだった。
そんな凛を見ていた紫月が微笑む。
「よし」
パンッと手を叩く。
「そろそろ始めようか!」
「やっとですか!」
「何事も楽しくやらないとね」
紫月が笑う。
その言葉に凛も笑った。
「はい!」
◇
修練場。
紫月は一本の鞭を持っていた。
春花が届けた霊装武具ではない。
普通の鞭だ。
「まず今日はこれを使うよ」
「霊装武具じゃないんですか?」
「いきなり霊装武具を使ってもしょうがないっしょ」
紫月が鞭を軽く振る。
「まず普通の鞭をちゃんと扱えるようにならないと」
「なるほど」
凛が頷く。
「お願いします!」
「じゃあ最初は構えと姿勢からね」
紫月が自分の足元を示す。
「足は肩幅くらい」
凛も真似をする。
「こうですか?」
「そうそう」
紫月が凛の後ろへ回る。
「利き足を少し後ろ」
「はい」
「重心はちょっと低くして」
凛が膝を軽く曲げる。
「こんな感じ?」
「いいね」
次に紫月は凛の手元を見る。
「握りは強くしすぎない」
「強く握っちゃダメなんですか?」
「ダメっていうか、動かしにくくなるんだよね」
紫月は自分の鞭を持って見せる。
「鞭って腕だけで振る武器じゃないから」
親指と人差し指を見せる。
「この辺で軽く支える感じ」
「軽く……」
「そう」
凛が握り直す。
「手首が自由に動くだろ?」
「あ、本当だ」
「肘も少し曲げて」
紫月が位置を直す。
「鞭を持つ手は肩くらいか、ちょっと低め」
凛は言われた通り構えた。
足。
腰。
肩。
肘。
手首。
一つずつ確認する。
「こうですか?」
紫月が少し離れて見る。
「うん」
ニッと笑った。
「いいじゃん。様になってるよ」
「本当ですか!」
凛の表情がぱっと明るくなる。
「覚えるの早いね」
「ありがとうございます!」
紫月が鞭を構えた。
「じゃあ次は振りね」
◇
「鞭で大事なのは」
紫月がゆっくり鞭を動かす。
「先っぽを無理矢理動かそうとしないこと」
「先端を狙わない?」
「そう」
腕を後ろへ引く。
「まず腕をしなやかに動かして」
そこから前へ。
ヒュン――
鞭が綺麗な波を作る。
「最後に手首」
小さく返す。
「こうやって力を先へ送っていく」
凛が真剣に見ていた。
「力を伝える……」
「そうそう」
紫月はもう一度構える。
「最初に少し後ろへ引く」
鞭が後方へ流れる。
「これが予備動作」
そして。
「そこから前へ」
ヒュン!
「押し出して」
最後に手首を返す。
鞭が一直線に伸びた。
「この動きの流れを身体に覚えさせる」
「なるほど……」
凛も鞭を握る。
「やってみて」
「はい!」
後ろへ。
そして前。
「えい!」
ヒュルッ。
鞭が途中でぐにゃりと曲がった。
「あれ?」
紫月が笑う。
「最初はそんなもん」
「難しいですね」
「見た目よりね」
凛はもう一度。
「えい!」
ヒュン。
先ほどより少し綺麗に伸びる。
「おっ」
紫月が笑う。
「いいじゃん」
「本当ですか!」
「うん。やっぱ器用だね」
凛は嬉しそうに鞭を見る。
「次」
紫月が前へ出た。
「鞭といえばこれ」
「?」
紫月が構える。
「音を鳴らす基本」
鞭を持ち上げる。
「クラッキング」
「クラッキング?」
「そう」
紫月は鞭を頭上へ回した。
ヒュルルル――
そして一気に振り抜く。
最後の瞬間。
手首を鋭く返す。
パァン!!
「わっ!」
乾いた破裂音が修練場へ響いた。
凛が目を丸くする。
「すごい音!」
「でしょ?」
「でも」
凛は首を傾げた。
「なんでわざわざ音を鳴らすんですか?」
「んー」
紫月は少し考える。
そして。
「大きい音出したら相手ビビるっしょ」
「…………」
凛が瞬きをする。
「それだけですか?」
「結構大事だよ?」
紫月が笑う。
「威嚇して相手を近づけない」
鞭を軽く揺らす。
「戦わずに退かせられるなら、それが一番だからね」
「ああ」
凛が納得する。
「なるほど」
「それにさ」
紫月が人差し指を立てる。
「この音って結構面白いんだよ」
「何がですか?」
「鞭の先端付近がものすごい速度まで加速して」
再び軽く振る。
パァン!
「音速を超えることで衝撃波が生まれる」
「音速!?」
凛の目が一気に輝いた。
「そんなに速いんですか!」
「そう」
紫月が笑う。
「手元から伝わった動きが細い先端へ向かうにつれて一気に加速する」
鞭を見る。
「それが音速を突破した時に、あの乾いた音が鳴るわけ」
「へぇ……!」
凛は自分の持つ鞭を見る。
まさかこんな柔らかい武器に、それほどの速度が生まれるとは思っていなかった。
「ということは……」
凛が紫月を見る。
「そこに霊力を乗せたら?」
紫月の口元が上がる。
「いいところに気づいたね」
「やっぱり!」
紫月は少し離れた位置にある的を見る。
「見てて」
先ほどまでの軽い雰囲気が変わった。
足を開く。
腰を落とす。
鞭を構える。
「普通のクラッキングに霊力を乗せる」
紫月の腕から鞭へ霊力が流れていく。
「鞭そのもので相手を打つ必要はない」
凛が息を呑む。
「西御門流鞭術――」
ヒュンッ!!
紫月の手首が返る。
「裂空鞭!」
パァァン!!
鋭い破裂音。
次の瞬間。
バシィン!!
離れた的へ目に見えない衝撃が叩きつけられた。
「えっ!?」
的が大きく揺れる。
中央には深い亀裂が走っていた。
凛が目を丸くする。
「鞭、届いてませんよね!?」
「届いてないよ」
紫月がニッと笑う。
「音速を超えた瞬間の衝撃に霊力を乗せて飛ばしてる」
「すごい……」
凛が的を見る。
完全な遠距離攻撃。
小太刀では届かなかった距離。
凛がずっと欲しかった戦い方だった。
「それだけじゃないよ」
「まだあるんですか?」
「あるある」
紫月はもう一度鞭を構える。
「今のは一発」
腕を軽く回す。
「じゃあ連続でやると――」
鞭が動いた。
「西御門流鞭術――」
パァン!
最初の一撃。
「裂空千鞭!」
次の瞬間――
パパパパパパァンッ!!
「えっ!?」
凛の目では追えない。
鞭がしなるたび。
次々と衝撃波が放たれていく。
バシッ!
バシバシッ!
バァン!!
的へ無数の衝撃が叩き込まれる。
ひびが広がり。
削られ。
砕かれ。
最後には――
バァン!!
粉々に吹き飛んだ。
「…………」
凛は口を開けたまま固まっていた。
紫月が鞭を肩へ乗せる。
「こんな感じ」
「…………」
「凛ちゃん?」
「す……」
「す?」
凛の目が輝く。
「すごいです!」
「でしょ!」
紫月がニッと笑う。
明らかに得意げだった。
「西御門流鞭術って結構すごいんだから」
胸を張る。
「見た目も派手だし!」
「はい!」
「間合いも長い!」
「はい!」
「音もカッコいい!」
「はい!」
「何より――」
鞭をビシッと構える。
「映える!」
「そこ!?」
後ろで見ていた深月が吹き出した。
「あはは!」
そして紫月を見る。
「紫月」
「何?」
「めちゃくちゃドヤ顔になってるよ」
「いいじゃん!」
「さっきまで師匠っぽくて格好良かったのに」
「今も格好いいっしょ!」
「自分で言う?」
二人が笑う。
凛もつられて笑った。
「ふふっ」
紫月は再び凛を見る。
「まあ今の技はまだまだ先だけどね」
「はい!」
「まずは――」
普通の鞭を凛へ渡す。
「ちゃんと振れるところから始めよう」
凛は受け取った。
そして先ほど教えてもらった通りに構える。
足を開く。
重心を落とす。
握りすぎない。
肘を柔らかく。
「お願いします!」
「よし!」
紫月が笑う。
「いっぱい振ろうか!」
「はい!」
凛は鞭を後ろへ引く。
そして前へ。
ヒュン――
まだ音は鳴らない。
それでも。
もう一度。
ヒュン!
「さっきよりいいよ!」
「本当ですか!」
「そうそう。その感じ!」
「はい!」
もう一度。
ヒュン!
また一度。
ヒュン!
紫月の助言を聞きながら、凛は何度も鞭を振る。
少しずつ。
本当に少しずつ。
鞭の軌道が綺麗になっていった。
そして何より。
「ふふっ」
凛は笑っていた。
初めての化粧。
初めての派手な髪型。
そして初めて扱う鞭。
どれも今までの自分にはなかったもの。
最初は恥ずかしかった。
けれど――
「楽しい……」
小さく呟く。
紫月には聞こえていた。
「でしょ?」
「はい!」
紫月は嬉しそうに笑った。
「何事も楽しくやらないとね」
「はい!」
ヒュン!
凛の振った鞭が伸びる。
まだ裂空鞭には程遠い。
けれど。
馬上で戦うために探し始めた新しい武器。
その第一歩を――
麻賀多凛は確かに踏み出していた。




