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第五十四話 蒼蛇眼の巫女


 早朝。


西御門家の屋敷はまだ静まり返っていた。


朝の修練がすっかり習慣になったせいか、晴真は休日でも早く目が覚めるようになっている。


同じ部屋では道満たちがまだ眠っていた。


晴真は静かに布団から抜け出す。


「せっかくだし散歩してみようかな」


昨日は歓迎会もあって、広大な西御門家の屋敷をほとんど見て回れていない。


晴真は一人で庭へ出た。


朝露に濡れた草。


手入れされた庭木。


少し離れた場所には結界術の修練場も見える。


「本当に広いなぁ」


そんなことを言いながら歩いていると――


「ん?」


一本の大きな木の前で足を止めた。


枝の上に誰かいる。


「…………」


よく見る。


昨日ほとんど話せなかった少年。


西御門蒼空だった。


太い枝へ身体を預け、そのまま気持ちよさそうに眠っている。


晴真はしばらく見上げた。


「なんでそんなところで寝てるんだろう」


思わず笑ってしまう。


「ふふっ」


すると――


「……ん」


蒼空がゆっくり目を開けた。


枝の上から眠たそうに晴真を見る。


「なんで笑ってるの?」


「あっ、ごめん」


晴真は苦笑した。


「なんでそんなところで寝てるのかなって」


蒼空は身体を起こす。


「ここ静かだから」


「静か?」


「うん」


ひょいっと枝から飛び降りる。


「人がたくさんいると、色んなものが見えてきたりしちゃうからさぁ」


「それって陰陽眼のせいなの?」


「うん」


蒼空の瞳に淡い蒼色の光が浮かぶ。


「蒼蛇眼《そうだがん》って言ってね」


「蒼蛇眼……」


「見た対象を解析して、その情報を脳へ直接送り込む眼……らしいんだけど」


蒼空は頭を掻く。


「難しいことはよく分かんない」


そして近くの木を見る。


「とりあえず何か見るとさ」


蒼い瞳が僅かに輝く。


「ぶわーって頭の中に情報が入ってくるんだよ」


「どんな情報?」


「色々」


蒼空は木を指差す。


「この木なら樹齢とか、水がどこを通ってるとか、霊気の流れとか、どこが弱ってるとか」


「そんなに分かるの!?」


晴真の目が輝いた。


「すごい!」


「すごいんだけどね」


蒼空は苦笑する。


「ずっとだから」


「ずっと?」


「うん」


人。


物。


術。


武器。


結界。


目に入るものから次々と情報が流れ込んでくる。


「だからいつも疲れちゃうんだよね」


「ああ……」


晴真も納得した。


だから昨日も眠そうだったのだろう。


「それって自分で見えなくすることはできないの?」


「何度か試したけどダメだった」


「陰陽眼に霊力を流さなければいいんじゃない?」


「俺もそう思ったんだけどさ」


蒼空は自分の胸へ手を置いた。


「普通に生きてても身体には霊気が流れてるでしょ?」


「うん」


「それだけでも反応しちゃうんだよね きっと‥」


「それは大変だね……」


「でしょ?」


蒼空が少しだけ笑う。


晴真は考え込んだ。


そして――


「蒼空君」


「何?」


「ごめん。ちょっと見てもいい?」


「見る?」


晴真の瞳に金色の桜が浮かぶ。


「金桜眼で」


「……いいよ」


晴真は蒼空を見つめた。


身体を巡る霊気。


何本もの霊脈。


丹田。


特におかしなところはない。


普通の人と同じように霊気が巡っている。


「普通だなぁ……」


「何が?」


「霊気の流れ」


晴真は首を傾げた。


「ちょっと触れてみてもいい?」


「うん」


晴真は蒼空の手へ触れる。


霊気合わせと同じように、自分の霊気を静かに流した。


蒼空の霊気へ触れながら、その流れを辿る。


「…………」


丹田。


さらに奥。


もっと深く。


そこで――


「あれ?」


晴真の表情が変わった。


「どうしたの?」


「何かある」


「何か?」


晴真はさらに集中する。


そこには蒼空本人とは明らかに違う霊気の塊があった。


晴真は以前にも似たものを見たことがある。


正臣。


そして沙羅。


二人の中に存在していた、別の魂の欠片。


「これ……」


だが少し違う。


蒼空の中にある霊気は、周囲から完全に浮いている。


「なんでこれだけこんなに異質なんだろう」


晴真は僅かに霊気を流し、蒼空の霊気と混ぜ合わせようとする。


その瞬間――


バチッ!


「うわっ!」


弾かれた。


「何!?」


蒼空も驚く。


晴真はもう一度その霊気を凝視する。


そして気づいた。


ほんの僅か。


本当に薄い。


だが確かに知っている感覚。


「…………」


晴真の顔から笑顔が消えた。


「瘴気……?」


「え?」


「なんで……?」


晴真はもう一度確かめる。


間違いない。


霊気の塊に薄く禍々しい気配が混じっている。


「瘴気がある……!」


「瘴気!?」


その時――


「晴真?」


背後から声がした。


「朝から何をしている?」


振り返る。


そこには道満がいた。


「道満君!」


「目が覚めたらお前がいなかったからな」


道満は二人の様子を見る。


「どうしたんだ?」


晴真が立ち上がる。


「ちょうど良かった!」


「何だ?」


「蒼空君の丹田の中に瘴気を感じるんだ!」


「何?」


道満の表情が一変した。


「瘴気だと?」


「うん」


「蒼空」


「はい」


「少し背中を借りるぞ」


道満が蒼空の背中へ手を当てる。


ゆっくりと霊気を流し込む。


丹田。


その奥。


「…………」


さらに探る。


そして――


「あった」


道満の目が鋭くなる。


「確かに他とは違う」


薄っすらと。


しかし間違いなく。


瘴気を含んだ霊気の塊。


「なぜ蒼空の中にこんなものが……」


その瞬間。


カタカタカタ――


道満の腰で宵桜が震えた。


「宵桜?」


道満が柄へ手を添える。


再び強く震える。


まるで何かを訴えているようだった。


「……そういうことか」


道満は宵桜を抜く。


白銀の光が刀身を包んだ。


「蒼空、少し我慢してくれ」


「何するの?」


「浄化する」


道満が宵桜を構える。


「宵桜、頼む」


刀身から澄んだ霊気が溢れ出す。


「銀花清浄の祓い!」


白銀の光が蒼空を包んだ。


「うっ……!」


蒼空が胸を押さえる。


丹田の奥。


異質な霊気の塊へ浄化の力が届く。


ジュウウウウ――


「何だ!?」


瘴気が激しく蠢いた。


まるで浄化を嫌がっているように暴れ出す。


「道満君!」


「ああ!」


道満がさらに霊力を上げる。


白銀の光が強まった。


すると――


ズズズズズッ!!


蒼空の身体から黒い瘴気が這い出した。


「うわっ!」


「蒼空君!」


晴真が支える。


這い出した瘴気は蒼空の身体を包み込み――


突然。


道満へ襲いかかった。


「道満君!」


「くっ!」


だが晴真がすぐに両手を合わせた。


金桜眼が輝く。


「金桜封印術――」


金色の桜が舞う。


「金桜縛!」


バシュッ!!


金色の霊気が縄のように伸び、瘴気を絡め取った。


ギギギギギッ!!


瘴気が激しく暴れる。


「道満君!」


「分かっている!」


道満が宵桜へさらに霊力を込める。


「祓え!」


白銀の光。


「封じる!」


金色の光。


二つの力が瘴気を包み込む。


禍々しい黒が少しずつ薄くなっていく。


そして――


パァァァッ!!


瘴気が完全に消えた。


カラン。


何かが地面へ落ちる。


「…………」


晴真と道満が見る。


黒く濁った小さな塊。


「これ……」


晴真が呟く。


道満の表情が険しくなる。


「瘴気の種……」


禍津喰羅の瘴気を宿した種。


「なんで蒼空君の中に……」


晴真は蒼空を見る。


「蒼空君、大丈夫?」


「…………」


返事がない。


「蒼空君?」


蒼空は自分の胸へ手を当てていた。


そして――


「……あれ?」


頬を何かが伝う。


涙。


蒼空自身が一番驚いている。


「なんで……」


涙を指で触れる。


「俺、泣いてる?」


丹田の奥。


先ほどまで瘴気があった場所が、ほんのりと暖かい。


「なんだろう」


蒼空は胸を押さえる。


「ここがすごく暖かい……」


その時。


カッ――!


「え?」


晴真の金桜眼。


道満の陰陽眼。


そして蒼空の蒼蛇眼。


三人の瞳が同時に輝いた。


「な、何!?」


晴真が目を見開く。


三人の頭の中へ。


声とも。


映像とも。


記憶とも違う。


不思議な感覚が流れ込んでくる。


そして――


『私は大蛇摩耶』


「…………」


三人が固まった。


『お願い』


『私の魂の片割れを探して』


しばらく沈黙。


最初に口を開いたのは蒼空だった。


「あなた誰?」


『私は蒼蛇眼の巫女』


声が続く。


『大蛇摩耶』


「蒼蛇眼の巫女?」


晴真が首を傾げる。


『そして――』


僅かな間。


『蒼空君の転生前の姿』


「俺の?」


蒼空が自分を指差す。


「転生前?」


『ええ』


道満が目を細める。


「なら先ほどの霊気の塊は、あなたの魂の欠片ということですか?」


『そうです』


「それが禍津喰羅の瘴気に侵されていた」


『はい』


晴真が納得する。


「だから今まで蒼空君に伝えられなかったんですね?」


『そうなのです』


「なるほど……」


蒼空も頷きかけ――


止まった。


「…………」


何かに気づいた。


「ちょっと待って」


『はい?』


「じゃあ禍津喰羅の瘴気のせいで、俺の蒼蛇眼がずっと発動してたの?」


『いいえ』


「違うの?」


『それは私です』


「…………」


晴真と道満が蒼空を見る。


蒼空の目が細くなった。


「今なんて?」


『私が蒼空君に気づいてもらいたくて、蒼蛇眼へ霊力を送り続けていました』


「…………」


蒼空の眉がぴくりと動く。


そして――


「あんたか!」


『えっ』


「犯人は!」


『は、犯人!?』


「だってそうでしょ!」


蒼空が自分の目を指差す。


「あのね!」


『はい』


「蒼蛇眼の巫女っていうくらいなんだから、前の蒼蛇眼の持ち主だったんだよね?」


『その通りです』


「じゃあ摩耶さんはずっと蒼蛇眼の力を解放したまま生活してたの?」


『そんなことしません』


即答だった。


『精神が病んでしまいます』


「…………」


「…………」


「…………」


晴真。


道満。


蒼空。


三人が黙った。


『あの……?』


蒼空が震える声で言う。


「俺にそれやってたんだけど」


『…………』


「ずっと!」


『…………』


「朝から晩まで!」


『…………』


「寝てる時まで!」


『…………』


少し間が空いた。


『もしかして私……』


摩耶の声が小さくなる。


『とてつもない迷惑をかけていました?』


「そうですね!」


蒼空が即答した。


「ずっと頭の中にぶわーって情報が流れ込んできて!」


『はい……』


「脳がものすごく疲れて!」


『はい……』


「だから俺、いつも眠かったんですよ!」


『うっ……』


「あなたのせいで!」


『ぐっ……』


言葉が刺さっているのが分かる。


晴真が思わず苦笑する。


蒼空は止まらない。


「分かりますよね!」


『はい……』


「元の持ち主だったんだから!」


『分かります……』


「どれだけ疲れるのか!」


『本当にごめんなさい!』


摩耶の気配が小さくなった。


『でもこれしか思いつかなくて……』


「何が?」


『あの状態では、蒼蛇眼へ霊力を送るくらいしかできなかったのです』


「しなくていいから!」


『でも気づいてもらわないと……』


「だからって!」


『私の魂の半身を探してもらわなければならないのです』


蒼空が止まる。


晴真と道満も表情を変えた。


『そうすればきっと――』


摩耶の声が真剣になる。


『龍姫様と夜叉丸様を』


『蒼蛇眼の力でお助けできるはずです』


「え?」


晴真が目を見開く。


道満も一歩前へ出た。


「今何と言いました?」


『龍姫様と夜叉丸様を助けられる可能性があります』


晴真と道満が顔を見合わせる。


「龍姫さんと……」


「夜叉丸様を救える……?」


二人の表情が一気に真剣になった。


その時――


「晴真君」


蒼空が晴真の肩へ手を置く。


「何?」


「道満君も」


「なんだ?」


蒼空は真顔だった。


「騙されちゃダメ」


「え?」


『何ですか、その言い方は!?』


摩耶が抗議する。


蒼空は無視する。


「この人多分……」


じーっと宙を見る。


「かなり危ない」


『危ない!?』


「摩耶さん」


『何ですか!』


「昔、周りの人から痛い人って言われてなかった?」


『そんなこと言われたことありません!』


きっぱり。


そして少し得意げに――


『ただ』


『思い込むと一つのことに集中できるタイプだよね、とはよく言われました』


「…………」


晴真。


「…………」


道満。


「…………」


蒼空。


なぜか摩耶から得意げな気配が伝わってくる。


蒼空がため息をついた。


「それ多分褒め言葉じゃないからね」


晴真も頷く。


「僕もそう思う」


道満も静かに頷いた。


「俺もだ」


『そんなことありません!』


摩耶が反論する。


『皆さん優しかったですよ』


「例えば?」


『思い詰めなくていいよ、とか』


「うん」


『もっと気楽にいこう、とか』


「うん」


『少し周りを見た方がいい、とか』


「…………」


『よく励ましてくださいました』


蒼空が頭を抱えた。


「あのね摩耶さん」


『はい?』


「それ遠回しに直した方がいいって言われてたんだよ」


『…………』


「思い込みが強すぎるって」


『えっ』


「気づいてなかったの?」


『…………』


摩耶から大きな動揺が伝わってくる。


『そういう意味だったのですか!?』


「そうだよ!」


『そんな……』


晴真と道満が苦笑する。


蒼空はさらに続けた。


「じゃあ聞くけど」


『何でしょう』


「龍姫様と夜叉丸様を蒼蛇眼で救えるって」


「誰かに言われたの?」


『いいえ』


「何か確証があるの?」


『ありません』


「じゃあ」


蒼空の目が細くなる。


「摩耶さんがそう思ってるだけだよね?」


『はい』


「…………」


晴真と道満が同時に天を仰いだ。


「だめだ」


晴真が呟く。


「この人きっと……」


道満も額を押さえる。


「かなり思い込みが激しい方だ」


『なんですか!?』


摩耶が抗議する。


『二人ともその哀れむような目は!』


晴真と道満は蒼空を見る。


そして――


「蒼空君……」


「なんだよ」


「大変だったね」


「やめてよ!」


蒼空が本気で嫌そうな顔をした。


『なぜ私まで傷つくのでしょう!?』


「摩耶さんのせいだからでしょ!」


蒼空が言い返す。


そこで道満がふと気づいた。


「そういえば摩耶さん」


『はい?』


「蒼蛇眼へ霊力を送るのは止められるんですか?」


『もちろんです!』


「…………」


蒼空の顔が引きつった。


「もちろんじゃねぇよ!」


『ひゃっ!?』


「早く止めて!」


『は、はい!』


その瞬間。


蒼空の瞳を覆っていた淡い蒼色の光がすっと弱くなった。


「…………」


蒼空が周囲を見る。


木。


庭。


石。


晴真。


道満。


今までなら目に入った瞬間。


無数の情報が頭の中へ押し寄せてきた。


だが――


「…………」


何も来ない。


「止まった……」


蒼空が呆然とする。


「本当に?」


晴真が聞く。


「うん」


蒼空は木を見る。


「木が……ただの木に見える」


「それが普通だよ」


道満が笑う。


蒼空は次に晴真を見る。


「晴真君を見ても」


「うん」


「晴真君だ」


「僕だね」


「道満君も」


「俺だな」


「…………」


蒼空はしばらく黙っていた。


そして。


ふっと笑った。


「静かだ……」


晴真も嬉しそうに笑う。


「良かったね」


道満も頷いた。


「ああ」


蒼空は少し目を閉じる。


こんなにも頭の中が静かなのはいつ以来だろう。


いや。


もしかしたら初めてなのかもしれない。


「…………」


蒼空の頬が少し緩む。


『蒼空君』


摩耶の声が聞こえた。


『本当に申し訳ありませんでした』


蒼空は少し考え――


大きくため息をつく。


「摩耶さん」


『はい』


「とりあえず」


晴真と道満を見る。


「二人だけで話しましょう」


『え?』


「色々言いたいことあるから」


『…………はい』


晴真が苦笑する。


「頑張ってね、摩耶さん」


『なぜ私が説教される流れになっているのでしょう!?』


「当然だと思います」


道満が静かに言った。


『道満君まで!?』


蒼空は二人へ向き直る。


「晴真君」


「うん?」


「道満君」


「なんだ?」


少し照れくさそうに笑う。


「本当にありがとう」


晴真と道満が顔を見合わせる。


「どういたしまして」


「気にするな」


蒼空はもう一度頭を下げた。


そして摩耶と話すため、その場を離れていった。


しばらく二人でその背中を見送る。


「…………」


晴真が呟く。


「すごい朝だったね」


「ああ」


道満も頷く。


地面には封印された瘴気の種。


そして。


龍姫と夜叉丸を救えるかもしれないと語った、大蛇摩耶。


ただし――


「摩耶さんの話」


晴真が苦笑する。


「どこまで本当なんだろう」


「少なくとも悪意はなさそうだが」


道満も困った顔をする。


「本人の思い込みをどこまで信用していいのか分からんな」


「だよね」


二人はもう一度顔を見合わせた。


「とりあえず後で」


晴真が言う。


「春花さんあたりに聞いてみようか」


「ああ」


道満も頷く。


「大蛇摩耶という人物を知っている者がいるかもしれない」


早朝。


ただ散歩へ出ただけだった晴真。


しかしそこで見つけたのは――


蒼蛇眼に秘められた魂。


大蛇摩耶。


そして禍津喰羅に侵された、もう一つの過去だった。

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