第五十三話 西御門蒼空
西御門家。
晴真たちは週末を利用して、この屋敷へ泊まり込みで結界術を学びに来ていた。
そして凛はもう一つ。
西御門紫月から鞭の扱いを教えてもらうことになっている。
本格的な修練は明日から。
今日はせっかく来てくれたのだからと、西御門家が歓迎の席を用意してくれていた。
「今日はゆっくりしていくといい」
紫玄が上機嫌でそう言った。
「夕食も色々用意させている」
その言葉を聞いた瞬間。
晴真と道満、紅葉、小夜の四人が顔を見合わせた。
「……おもてなし」
晴真が呟く。
道満も思い出したらしい。
「角来道場……」
紅葉が口元を押さえる。
小夜も肩を震わせた。
そして四人同時に吹き出した。
「ふふっ」
「なんだ?」
紫玄が不思議そうに見る。
「い、いえ!」
晴真は慌てて首を振った。
「ちょっと前のおもてなしを思い出して!」
「角来家か?」
「はい」
道満が苦笑する。
「あちらも随分と歓迎してくれましたので」
「そうか」
紫玄は満足そうに頷いた。
「ならば西御門家も負けてはいられんな」
「競わなくていいですよ!?」
晴真の声に皆が笑う。
歓迎会が始まると紫玄は生徒たち一人一人へ声を掛けて回っていた。
「秀だったな」
「は、はい!」
高崎秀が背筋を伸ばす。
「それに学」
「はい!」
寺崎学も緊張した様子で返事をする。
紫玄は二人を見ると穏やかに笑った。
「紫穂から聞いているぞ」
「え?」
「二人ともなかなか良い結界を張っていたそうだな」
二人の顔が一気に明るくなった。
「本当ですか!?」
「紫穂さんがそんなことを!?」
「ああ。基礎もしっかりしていると言っていた」
「やった!」
「よし!」
二人が嬉しそうに拳を握る。
晴真はそんな光景を少し離れたところから眺めていた。
昨日の話を聞いた時は、もっと厳格な人物なのかと思っていた。
確かに伝統や格式を大切にする人なのだろう。
けれど――
「本当に子供が好きなんだなぁ」
自然と笑みがこぼれる。
その時。
「…………」
視線を感じた。
晴真が振り返る。
少し離れたところにいた小樹が、じーっとこちらを見つめていた。
「?」
晴真は首を傾げる。
そしてニコッと笑った。
「なんですか?」
「……ふふ」
小樹が小さく笑う。
晴真はますます不思議そうな顔をした。
だが小樹は何も答えない。
ただ晴真を見つめながら心の中で思っていた。
――なるほどね。
――小夜が好きになるのも分かるわ。
穏やかで。
暖かくて。
触れているだけで安心するような心の音。
森羅聴を持つ小樹でも、これほど柔らかな心の音を聞くことは滅多にない。
――この子なら。
小樹の表情が少しだけ寂しそうになる。
――もしかしたら蒼空の心を……。
「お母様?」
声を掛けられた。
小樹が振り返る。
紫花が不思議そうにこちらを見ていた。
「どうしたのですか?」
「何でもないわ」
小樹は微笑む。
そして改めて晴真を見る。
「晴真君」
「はい」
「一つお願いしてもいい?」
「なんですか?」
小樹は少し間を置いた。
「蒼空とお話をしてくれないかしら」
「蒼空君と?」
「ええ。いつでもいいの」
晴真は理由も分からないまま、それでも素直に頷いた。
「はい。分かりました」
「ありがとう」
その横で紫花が少し心配そうな顔をする。
「お母様……」
晴真が首を傾げる。
すると小夜と道満もやって来た。
「すみません」
小夜が遠慮がちに尋ねる。
「あの……蒼空さんという方は?」
道満も続く。
「俺たちは会ったことがありませんよね」
「ああ、そうか」
紫玄が頷く。
「二人はまだ会ったことがなかったな」
小樹も席へ座り直した。
「蒼空はね、少し特殊な陰陽眼を持っているの」
「特殊な陰陽眼?」
晴真も興味を示す。
「元々は表佐倉で暮らしていた子なの」
小樹が静かに話し始めた。
「蒼空の生まれた一族は昔、裏佐倉で暮らしていたそうよ」
「今は違うんですか?」
凛が尋ねる。
「ええ。色々事情があって表佐倉へ移ったの」
長い年月。
裏佐倉から離れて暮らしたことで霊的な血筋は少しずつ薄くなっていった。
そのため現在では陰陽眼を持って生まれる者自体が珍しい。
しかし――
「時々いるのよ」
小樹は続ける。
「強い陰陽眼を持って生まれる子が」
「…………」
皆が静かに聞く。
「そして特に珍しい陰陽眼が発眼した場合は、本人と家族の同意を得て裏佐倉で保護することがあるの」
道満の目が細くなった。
「養子……」
何かに気づいたように紫玄を見る。
「特別な陰陽眼……まさか」
少し考える。
「緑蛇眼……?」
紫玄の表情が変わった。
「道満」
「はい」
「蛇眼を知っているのか?」
「七曲の双子から聞きました」
茜と桔梗。
二人の姉同然だった七曲皐月。
その名前を思い浮かべたのだろう。
紫玄はしばらく黙っていた。
「……そうか」
そして静かに息を吐く。
「皐月はうちにもよく来ていた」
紫月が顔を上げる。
「皐月さんが?」
「ああ」
紫玄は懐かしそうに笑った。
「紫月と仲が良くてな」
紫月も小さく頷く。
「よく一緒に修練してたよ」
紫玄は少し寂しそうな目をする。
「私自身も妹のように可愛がっていた」
「…………」
紫月は何も言わなかった。
けれど表情が寂しく悔しげになる。
紫玄は話を戻した。
「蒼空の蛇眼は皐月の緑蛇眼とは違う」
「別の蛇眼なんですか?」
晴真が尋ねる。
「ああ」
紫玄は頷いた。
「だがやはり特殊な力を持っている」
そこで一度言葉を止めた。
「皐月の件もあったからな」
紫月が紫玄を見る。
「私は何としてもあの子を守ってやりたかった」
紫玄は静かに笑う。
「だから養父に名乗り出た」
晴真はその言葉を聞きながら紫玄を見る。
西御門家の当主。
厳格で。
格式を大切にして。
けれど子供たちへ向ける目はとても優しい。
晴真は少しだけ納得した。
「じゃあ蒼空君は紫玄さんの息子なんですね」
「ああ」
紫玄は嬉しそうに頷いた。
「私の大切な息子だ」
その言葉に小樹も優しく微笑む。
紫花も嬉しそうだった。
だが紫月は少し苦笑する。
「まあ、かなり変わった奴だけどね」
「紫月」
小樹が咎める。
「だって本当じゃん」
「どんな人なんですか?」
晴真が尋ねる。
紫月は腕を組んだ。
「とにかく眠そう」
「眠そう?」
「いつ見ても眠そうなんだよ」
紫玄も苦笑する。
「特殊な陰陽眼の影響もあるようでな」
「そうなんですか」
「それに――」
紫玄が小樹を見る。
小樹は少し困ったように笑った。
「心の声がとても小さいの」
小夜の表情が変わる。
「心の声……」
同じ森羅聴を持つ者だからこそ、その意味が分かったのだろう。
「聞こえないんですか?」
「聞こえないわけじゃないの」
小樹は首を振る。
「ただ、とても小さいのよ」
喜び。
怒り。
悲しみ。
楽しさ。
普通なら心から自然に響いてくる感情の音。
蒼空のそれはとても静かだった。
「だから何を考えているのか分かりづらくてね」
小樹は少し寂しそうに笑った。
「もちろん悪い子じゃないわ」
紫月も頷く。
「むしろ優しい奴だよ」
そして晴真たちを見る。
「ちょっと変わってるけど、仲良くしてやってくれ」
晴真たちは顔を見合わせた。
「はい!」
凛も笑う。
「もちろんです」
道満も頷いた。
「同年代なら話す機会も多いでしょう」
小夜も微笑む。
「私もお話してみたいです」
紅葉たちも続く。
その返事を聞き――
「…………」
紫玄。
小樹。
紫月。
紫花。
そして紫苑まで。
西御門家の者たちがどこか嬉しそうに見えた。
晴真は少し不思議に思う。
――蒼空君ってどんな人なんだろう。
まだ少ししか話したことのない少年。
晴真の中に少しだけ興味が湧いていた。
◇
夜。
晴真たちは西御門家へ泊めてもらうことになった。
客間はいくつか用意され、男子と女子に分かれて眠ることになる。
男子部屋。
布団を敷きながら秀が突然口を開いた。
「なあ」
「何?」
晴真が振り返る。
秀は少し声を潜めた。
「紫花さんって綺麗だよな」
「分かる」
学が即答した。
晴真も思い出す。
「うん。綺麗だね」
道満も普通に頷いた。
「そうだな」
「…………」
秀と学が二人を見る。
「なんですか?」
晴真が首を傾げる。
秀が呆れたように言う。
「お前たち何か分かってないなぁ」
「何が?」
「何がじゃない!」
学も加わる。
「あんなに綺麗な人、そうそういないぞ!」
晴真と道満は顔を見合わせた。
「そうなの?」
「俺に聞くな」
すると樹が笑った。
「この二人には分からないよ、きっと」
「なんで?」
「だってさ」
樹が晴真と道満を指差した。
「二人の身内に学園でも有名な美人がいるじゃん」
「身内?」
「道満は白桜寮の監督生」
樹が指を一本立てる。
「麻賀多道香さん」
「姉上か?」
「そう!」
さらに晴真を見る。
「晴真は御堂の才媛」
二本目。
「御堂陽乃さん」
「ああ、陽乃姉ちゃん」
秀が頭を抱えた。
「ほら!」
「何が?」
「その反応!」
学も頷く。
「普段から綺麗な人を見慣れてるから感覚がおかしくなってんだよ」
「そうかなぁ?」
晴真は本気で分からない。
秀と学が肩を落とした。
「可哀想に……」
「何がだよ!」
道満が笑う。
晴真も吹き出した。
「そういえば刀也もそうじゃん」
樹が思い出したように言う。
「刀姫さんもすごく綺麗だよな」
晴真は頷く。
「うん」
道満も。
「確かに」
そして二人同時に言った。
「でも怖い」
「分かる」
一瞬の沈黙。
その後。
「ははははは!」
男子部屋に笑い声が響いた。
◇
一方。
女子部屋では――
やはりというべきか。
恋の話になっていた。
「ねえ紅葉」
美鈴がニヤニヤしながら紅葉を見る。
「何ですの?」
「小夜ちゃんと道満君が親戚同士だからってヤキモチ妬かないでよ?」
「妬いてませんわ!」
紅葉がすぐに否定する。
「本当に?」
「本当です!」
小夜がクスクス笑う。
「紅葉ちゃんって本当に道満君が好きなんだね」
紅葉は胸を張った。
「はい。大好きですわ!」
「おお……」
千尋が少し驚く。
「隠さないんだね」
「隠す必要がありますの?」
「ないけど」
美鈴が笑う。
「ここまで堂々としてると逆に気持ちいいね」
紅葉は当然という顔をしていた。
小夜がふと思ったように尋ねる。
「でも紅葉ちゃん」
「はい?」
「もし……」
少し言いづらそうにする。
「相手が自分のことを何とも思ってなかったら?」
部屋が少し静かになる。
紅葉は目を瞬かせた。
そして少し考える。
「それは――」
皆が見る。
「道満様が私をどう思っているのかは、もちろん気になりますわ」
「うん」
「でも」
紅葉は穏やかに笑った。
「私が道満様を好きだという気持ちは、それによって変わるわけではありませんもの」
「…………」
美鈴が目を丸くする。
千尋も感心していた。
小夜も柔らかく笑う。
「紅葉ちゃん、すごいね」
美鈴が頷いた。
「紅葉にしては格好いい」
「なんですの、その言い方は!」
「あはは!」
笑いが起こる。
そして美鈴の標的が変わった。
「じゃあ凛は?」
「何が?」
凛がきょとんとする。
紅葉が呆れた顔をした。
「知っています?」
「何を?」
「あなた」
紅葉が凛を指差す。
「女版晴真君って呼ばれてますわよ」
凛の目が輝いた。
「そうなの?」
嬉しそうに笑う。
「なんか嬉しいね!」
「そういう意味ではありませんわ!」
紅葉が頭を抱える。
美鈴も笑う。
「凛って男子にも結構人気あるのにさ」
「そうなの?」
「ほら!」
「本当に晴真君と同じですわ!」
「えー?」
凛は困ったように笑う。
千尋が尋ねた。
「凛ちゃんってそういうの気にならないの?」
「うーん……」
凛は布団の上で足を伸ばしながら考える。
「まだよく分からないかな」
「恋愛?」
「うん」
凛は笑った。
「誰かを好きとか、付き合いたいとか、そういうのまだよく分からなくて」
「なるほどねぇ」
美鈴が凛を見る。
そして突然――
ぎゅっ。
「わっ!」
凛へ抱きついた。
「美鈴!?」
「まあ、そういうところが凛のいいところなんだけどね!」
「何それ!」
すると小夜まで凛の反対側へ抱きつく。
「私も!」
「小夜まで!?」
千尋も笑いながら加わった。
「じゃあ私も」
「ちょっと!」
紅葉は少し迷ったあと――
「仕方ありませんわね」
「紅葉も!?」
四人に囲まれた凛が笑う。
「もう!」
皆も笑う。
しばらく騒いだあと。
凛は友人たちを見回した。
小夜。
紅葉。
美鈴。
千尋。
そして同じ部屋にいる皆。
「私は今は――」
凛が笑う。
「こうやってみんなで楽しくしてる方がいいかな」
「凛らしいね」
美鈴が笑った。
「ですわね」
紅葉も頷く。
小夜も嬉しそうに微笑んだ。
西御門家で過ごす最初の夜。
男子部屋ではくだらない話で笑い。
女子部屋では恋の話で盛り上がる。
明日から始まる結界術と鞭の修練を前に。
一年一組の夜は賑やかに更けていった。
そして――
この屋敷のどこかには。
まだ晴真たちと挨拶程度の会話しかしたことのない少年がいる。
西御門蒼空。
特殊な蛇眼を持ち。
誰よりも静かな心の音を持つ少年。
晴真と蒼空。
二人が言葉を交わすのは――
もうすぐだった。




