第五十二話 西御門家
週末前の放課後
一年一組の教室では、晴真たちが帰り支度をしていた。
今日、凛は以前から話に出ていた霊装武具の鞭について、西御門紫月から修練をつけてもらう予定になっている。
本来なら紫月が学園へやって来るはずだった。
ところが――
「西御門家に来てほしい?」
晴真が目を丸くする。
「はい」
凛が苦笑しながら頷いた。
「紫月さんが学園まで来るつもりだったらしいんですけど、紫玄様が『せっかくなら西御門家へ連れて来い』って」
「どうして?」
美鈴が尋ねる。
凛は少し困ったように答えた。
「この前、晴真君たちが角来道場へ行った話を聞いたみたいで……」
「それが関係あるの?」
「どうやら――」
凛が一呼吸置く。
「神門家より先に、西御門家へ来てほしいそうです」
「…………」
晴真はしばらく黙った。
(なんか……子供みたいだな)
もちろん口には出さなかった。
西御門家当主
西御門紫玄
以前会った時の印象は、伝統と格式を重んじる厳格な人物だった。
まさか角来家に先を越されたことを気にしているとは思わなかった。
◇
そんなわけで、西御門家へ向かうことになったのは凛だけではなかった。
晴真、道満、小夜、紅葉、美鈴、千尋、秀、学、樹。
一年一組の中でも特に陰陽術を得意とする面々が同行することになった。
校門近くで待っていた秀が、どこか不安そうに口を開く。
「……大丈夫なのかな」
「何が?」
晴真が尋ねる。
「いや、晴真とか道満なら歓迎されるだろうけどさ」
秀は頭を掻いた。
「俺たちみたいな普通の生徒が、西御門家なんか行っていいのかなって」
隣にいた学も頷く。
「俺もそれは思った。西御門家って言ったら、裏佐倉でもかなり古い家だろ?」
樹も苦笑し、千尋も少し緊張した様子だった。
すると小夜が首を横に振る。
「大丈夫ですよ。伯父様はそういうことを気にする方ではありません」
「伯父様?」
晴真が小夜を見る。
その横で道満も頷いた。
「ああ。伯父上は確かに伝統や格式を大切にする方だ。だが家柄や才能だけで人を判断するような方ではない」
晴真は二人を交互に見る。
「えーっと……二人とも紫玄さんのこと、伯父さんって呼んでるけど、親戚なの?」
「ああ」
道満が答える。
「伯父上の妹が俺の母だからな」
「そうだったんだ!」
晴真が驚く。
小夜も微笑んだ。
「私の場合は伯母の夫です。紫玄様の奥様である小樹伯母様は、私の母の姉妹なんです」
「へぇー」
晴真は納得する。
「じゃあ二人とも、小さい頃から西御門家に行ってたんだ?」
「そうだな。何度か会っている」
道満が懐かしそうに答えると、小夜を見る。
「そもそも俺が式神術を学ぶようになったきっかけの一つが小夜だ」
「私ですか?」
「ああ。伯父上から『式神術なら小夜に教わるといい』と言われたんだ」
小夜は少し照れくさそうに笑う。
「昔から式神術だけは得意でしたから。西御門家で何度か一緒に遊びましたね」
「そうだったな」
「その頃から道満さんは陰陽術が得意で、いろいろな術を見せてくれました」
「小夜も式神術を見せてくれただろう」
「覚えています」
二人が昔を思い出して笑う。
その横で紅葉がじーっと二人を見ていた。
美鈴がその表情に気づく。
「紅葉?」
「なんでもありません」
「……そう?」
美鈴は少しだけ笑った。
「小さい頃の話だよ?」
「分かっています!」
紅葉が少し強めに答える。
道満は何のことか分からず首を傾げていた。
小夜は、なんとなく察する。
(紅葉さん……ちょっと焼いてる?)
そんな空気を知ってか知らずか、道満が話を戻した。
「話が逸れたが、伯父上は人にものを教えるのが非常に上手な方だ」
「教える?」
「ああ。俺も幼い頃、何度も陰陽術を教わった」
道満は穏やかに笑う。
「今日もきっと学ぶことは多いと思うぞ」
「それでも緊張するって」
秀が笑う。
「俺も」
「私も……」
学、樹、千尋も顔を見合わせた。
◇
やがて校門へ向かうと――
「おーい!」
大きく手を振る女性がいた。
西御門紫月だった。
「みんな来たな!」
いつもの気さくな笑顔で迎えてくれる。
そしてその隣には西御門紫苑も立っていた。
「全員いますね」
「あっ、紫苑先生」
晴真たちが挨拶する。
紫月がニヤニヤ笑った。
「紫苑姉さんさぁ、私一人じゃ不安だからってついて来たんだぜ」
「紫月」
紫苑がため息をつく。
「あなたは話しながらどんどん先へ歩いて行くでしょう」
「大丈夫だって」
「これだけ生徒がいるんですよ」
「じゃあ誰か一人くらい気づくだろ」
「そういう問題ではありません」
そのやり取りに皆が笑う。
歩き始めると、紫月が振り返った。
「しかし兄貴も変なところ気にするよな。角来道場に先に行ったって聞いてさ」
肩をすくめる。
「『ならば次は西御門家だ』だって」
「やっぱり気にしてたんですね……」
凛が苦笑する。
「まぁな」
紫月は笑う。
「兄貴さぁ、あんな難しい顔してるけど実は子供好きなんだよ」
「えっ」
晴真たちが一斉に反応する。
「紫玄さんが?」
「めちゃくちゃ好き」
「意外です……」
美鈴が呟く。
紫苑も微笑んだ。
「昔からそうですよ。面倒見が良くて、年下の子の世話をするのが好きでした。私や紫月も随分面倒を見てもらいました」
「へぇ……」
晴真の中で紫玄の印象が少しずつ変わっていく。
紫苑は続けた。
「奥様の小樹さんも、とても優しい方ですよ」
小夜を見る。
「小夜ちゃんの伯母様ですね」
「はい」
小夜が嬉しそうに頷いた。
「小樹伯母様も森羅聴を使えるんですよ」
「えっ!」
晴真が驚く。
「小夜ちゃんと同じ?」
「はい。私が森羅聴の使い方を学んだ相手の一人でもあります」
晴真は俄然、西御門家への興味が湧いてきた。
◇
一行は七曲りの森を抜けていく。
深い森の中をしばらく進むと、木々の向こうに大きな屋敷が現れた。
「うわぁ……」
晴真が思わず声を漏らす。
長い歴史を感じさせる立派な門。
その奥には広い庭と幾つもの建物が並んでいる。
派手というより静かで重厚。
長い年月、この地にあり続けたことそのものが風格となっている屋敷だった。
美鈴が隣の紫月を見る。
「紫月さん」
「ん?」
「本当に、ここの娘なんですか?」
「おい」
紫月が笑う。
「どういう意味だ」
「いや……なんというか……」
美鈴は紫月の普段の姿と屋敷を見比べた。
紫月はけらけら笑う。
「まぁ、家は選んで生まれてこられないからな」
「紫月……」
紫苑が深いため息をついた。
◇
門の前には一人の少女が立っていた。
年齢は道満の姉である道香や、刀也の姉である刀姫と同じくらいだろうか。
長い髪を綺麗に整え、穏やかな笑みを浮かべている。
「西御門家へようこそ」
にっこりと微笑む。
「…………」
晴真、秀、学、樹。
男子四人が揃って固まった。
「綺麗な人……」
誰かが小さく呟く。
少女はそんな反応には気づかず、道満と小夜を見る。
「道満君、小夜ちゃん。久しぶり」
二人もすぐに頭を下げた。
「お久しぶりです、紫花姉様」
「お久しぶりです」
少女の名は西御門紫花
西御門紫玄の長女だった。
その時、屋敷の奥から声がした。
「紫花さん!」
眼鏡をかけた少女が小走りでやって来る。
三組の西御門紫穂だった。
「紫玄様が、早く中へお通しするようにって」
「あら」
紫花が笑う。
「お父様ったら」
紫穂も皆へ頭を下げた。
「こんにちは。西御門家へようこそ」
「こんにちは!」
晴真たちも挨拶する。
だが先ほど紫花を見た時とは、男子たちの反応があまりにも違った。
紫穂の眉がぴくっと動く。
眼鏡をくいっと上げた。
「……失礼ですよ」
「え?」
「紫花さんの時と反応が違いすぎます」
「いや!」
「そんなことないよ!」
「普通だって!」
男子たちが慌てる。
その様子を晴真の肩に座っていた桜花がじーっと見ていた。
眼鏡。
眼鏡を上げる仕草。
そして真面目な雰囲気。
桜花は晴真を見る。
晴真も桜花を見る。
二人の脳裏に同じ人物が浮かんでいた。
――春花。
二人は何も言わず苦笑いした。
◇
屋敷へ通された一行は大広間へ案内された。
そこには西御門家当主、西御門紫玄が座っていた。
隣には妻の小樹。
「よく来た」
紫玄が口を開く。
以前見た時と同じ厳格な表情。
だが――
「本日はお招きいただき、ありがとうございます!」
晴真たちが揃って頭を下げると、紫玄の表情が一気に緩んだ。
「うむ! よく来たな。遠慮する必要はない、今日はゆっくりしていくといい」
明らかに嬉しそうだった。
晴真は思う。
(本当に子供好きなんだ……)
その隣で小樹が上品に笑う。
「皆さんのことを、とても心待ちにしていたんですよ」
「小樹!」
紫玄が慌てる。
「何を言っている」
「だって本当でしょう?」
小樹は楽しそうに続けた。
「まだか、まだかって。挙げ句の果てには自分で学園まで迎えに行くと言い出して、紫穂ちゃんに止められて。結局、紫花に門まで迎えに行ってもらったんですよ」
「お前!」
紫玄の顔が少し赤くなる。
「そんなことを皆の前で……!」
「だって事実ですもの」
小樹はくすくす笑う。
すると紫月が追撃した。
「兄貴はさ、本当は教師になりたかったんだよな」
「紫月!」
紫玄が振り返る。
「えっ!?」
今度は晴真たちが驚いた。
紫月は構わず続ける。
「でも西御門家の当主だからさ、家を継がなくちゃならなかった」
そして紫苑の肩をぽんと叩く。
「だから紫苑姉さんが教師になった時、すっげぇ喜んでたんだぜ」
「紫月……」
紫苑は困ったような顔をしながらも、どこか嬉しそうに笑っていた。
紫玄は腕を組む。
「……教師という仕事は尊い」
小さく呟く。
「次代を育てる仕事だからな」
晴真はその言葉を聞きながら、紫玄、小樹、紫月、紫苑、紫花、紫穂、そして小夜や道満の楽しそうな表情を眺めた。
(なんか……仲の良い家族なんだな)
自然と笑みがこぼれる。
◇
その時、廊下から紫穂の声が聞こえた。
「蒼空君、こっちです」
「んー……」
気の抜けた返事。
やがて大広間へ一人の少年が入ってきた。
年齢は晴真たちとほとんど変わらない。
少し長めの髪。
どこか眠たそうな目。
そして何より、周囲にあまり興味がなさそうな雰囲気をまとっている。
紫玄が少年を見る。
「ちょうど良い。紹介しよう」
皆へ向き直る。
「長男の蒼空だ」
西御門蒼空
紫玄と小樹の養子であり、西御門家の長男。
「蒼空、挨拶しなさい」
少年は眠そうに皆を見る。
「……よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
晴真たちも揃って頭を下げる。
蒼空は凛、道満、小夜、紅葉、美鈴、秀、学、樹、千尋と順番に眺めていく。
だが特に何の反応も示さない。
そして最後に晴真を見た。
「…………」
蒼空の目が止まる。
「?」
晴真が首を傾げる。
次の瞬間、それまで眠たそうだった蒼空の目がほんの少しだけ開いた。
「君」
「え?」
「面白いね」
にこっと突然笑った。
「えーっと……」
晴真は自分を指差す。
「僕?」
「うん、君」
蒼空は頷く。
「あとで話そう」
それだけ告げると、くるりと背を向けた。
「じゃ」
そのまま廊下へ出て行ってしまう。
「…………」
大広間が静まり返った。
晴真だけではない。
紫玄、小樹、紫月、紫苑、紫花、紫穂。
西御門家の者たちまで蒼空の背中を驚いたように見送っている。
晴真が周囲を見る。
「あの……どうしたんですか?」
紫穂がぽつりと呟いた。
「蒼空君が……自分から人に話しかけた」
紫花も珍しそうに弟が消えた廊下を見る。
「自分から人に興味を持つなんて……」
小樹も少し驚いていた。
「珍しいわね」
紫月にいたっては目を丸くして晴真を見る。
「蒼空が人に興味を持つなんてなぁ……」
「えっ」
一斉に西御門家の視線が晴真へ集まった。
「な、なんですか?」
晴真が困惑する。
紫玄もじっと晴真を見つめ、わずかに口元を緩めた。
「……この子なら」
「え?」
「いや、何でもない」
紫玄は首を横に振る。
晴真はますます首を傾げる。
その肩の上では桜花も同じように首を傾げていた。
西御門蒼空。
掴みどころのない少年との出会い。
それが晴真にとって、思いもよらない縁の始まりになることを――
この時の晴真は、まだ知らなかった。




