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第四十四話 名門と町道場

 桜がけの日が近づくにつれ。


正臣による対策授業も、いよいよ佳境へ入っていた。


札術。


結界術。


封印術。


式神術。


武術。


霊馬術。


さらに五人一組での連携。


襷を持つ者を守るための陣形。


妖や罠への対処。


敵の妨害を受けた際の判断。


毎日の授業は、これまで以上に実戦を意識したものへ変わっていた。


そして晴真には。


それ以外にもやることがある。


放課後には将門流古武術道場へ通い。


霊撃砲。


霊衝勁。


そして新しく覚えた霊爆轟身。


学園では合気術を中心とした体術の修練。


時間を見つければ。


霊馬厩舎へ向かい。


「月桜!」


ヒヒン!


愛馬の月桜の身体を丁寧に拭き。


餌を与え。


鬣を梳く。


「最近忙しくてごめんね」


ブルルッ。


「桜がけが終わったら、ゆっくり走ろうね」


ヒヒン!


そんな。


授業。


修練。


月桜の世話。


また授業。


そんな毎日を過ごしていた。



ある日の昼休み。


一年一組の教室では。


いつものように皆が昼食を食べていた。


「晴真」


刀也が食べながら尋ねる。


「今日も将門流?」


「うん」


晴真も弁当を食べながら頷く。


「今日は清盛さんと霊爆轟身の練習」


迅が呆れる。


「お前よく身体もつな」


「楽しいから」


「そういう問題か?」


道満が横から言う。


「霊爆轟身はまだ維持時間が短いからな」


「晴真の場合、出力を上げすぎる」


「うん……」


晴真は苦笑する。


「つい全部出しちゃうんだよね」


「普通は全部出せないんだよ」


迅が突っ込む。


その時だった。


ガラッ。


教室の扉が開く。


「失礼いたします」


「与一!」


もう一つの声。


与一が振り向いた。


「ん?」


そこに立っていたのは。


弓月。


そして。


角来桜華。


二人を見た瞬間。


与一の顔が。


わずかに引きつった。


「…………」


迅がにやり。


「来たぞ与一」


刀也も笑う。


「お迎えじゃねぇか?」


「違う!」


与一が即答した。


晴真は何も疑わず立ち上がる。


「与一君呼んでくるよ」


「あ」


弓月が止める。


「いいえ」


「今日は与一に用があるわけではありません」


「え?」


与一が逆に驚いた。


「俺じゃないの?」


桜華が晴真を見る。


「今日は晴真君に用があるんです」


「僕?」


「はい」


桜華は腰へ手を当てる。


「父が言っていました」


「晴真君はいつになったら道場へ来るんだ、と」


弓月も頷く。


「うちでも同じです」


「前から体術を習いに来る話があったでしょう?」


「あ……」


晴真の顔が。


少し気まずそうになる。


「ごめんなさい」


頭を下げる。


「最近ちょっと忙しくて」


「桜がけの授業もあるし」


「放課後も――」


「晴真は」


与一が助け舟を出した。


「最近、将門流も習い始めたところなんだよ」


「だから本当に忙しいんだ」


「将門流?」


二人が同時に反応した。


桜華の表情が少し曇る。


弓月も。


「将門流古武術……ですか?」


「うん!」


晴真は嬉しそうに頷いた。


「僕の陰陽眼とすごく相性が良いんだよ」


「霊撃砲もそうだし」


「この前は霊爆轟身も教えてもらって」


「清盛さんもすごく強いし、教え方も分かりやすくて――」


晴真は楽しそう。


だが。


弓月と桜華は顔を見合わせた。


二人とも。


体術を扱う名門の家に育っている。


幼い頃から。


歴史ある流派。


長く続く家。


師から弟子へ受け継がれる技。


そうしたものを当たり前のように見てきた。


だからこそ。


最近になって急に名前を聞くようになった。


表佐倉の小さな町道場。


将門流古武術。


どうしても。


引っかかるものがあった。


弓月が少し心配そうに尋ねる。


「大丈夫なのですか?」


「え?」


「将門流古武術です」


晴真が首を傾げる。


桜華も続けた。


「晴真君が気に入っているなら、それ自体を否定するつもりはありませんけど」


少し言いづらそうに。


「やはり基礎は」


「きちんとした名門の流派で身につけた方が良いと思います」


教室の空気が。


少し変わった。


与一が眉をひそめる。


「桜華」


「その言い方は――」


その時。


「へぇ」


教室の入口から。


別の声がした。


皆が振り返る。


「愛理ちゃん?」


そこには。


将門愛理が立っていた。


「晴真君にちょっと用があって来たんだけど」


愛理は。


弓月と桜華を見る。


先ほどの会話を。


聞いていたらしい。


にこり。


笑う。


だが。


目が笑っていない。


「あら」


「さすが名門のお嬢様お二人」


「町道場なんかじゃ」


「体術の基礎すら教えられないって思ってらっしゃるんだね」


「…………」


晴真が。


まずい。


という顔をする。


「愛理ちゃん」


「何?」


「言い方……」


「だってそう聞こえたんだけど」


弓月も眉を寄せた。


「別に」


「そのようなことを言ったつもりはありません」


桜華も続く。


「そうです」


そして。


晴真を見る。


「ただ」


「晴真君のような御堂家の血を引く方が」


「わざわざ町道場へ通っていることを」


「少し不思議に思っただけです」


「弓月!」


与一が立ち上がった。


「失礼だぞ!」


「…………」


弓月が口を閉じる。


桜華も。


少し気まずそうに晴真を見る。


晴真自身は。


怒ってはいなかった。


ただ。


どう説明すればいいのか分からず。


困ったように二人を見ていた。


その時。


「すまない」


静かな声が入った。


道満だった。


「少し口を挟ませてもらっていいか?」


「道満君?」


弓月と桜華が振り返る。


道満は席から立つと、二人ではなく。


まず愛理を見た。


「愛理も」


「煽るような言い方をするな」


「え?」


「二人は将門流のことを知らなかっただけだ」


愛理は少し不満そうに頬を膨らませる。


「でもさ」


「言われた側としては結構腹立つよ」


「それは分かる」


道満は素直に頷いた。


「だが」


少しだけ笑う。


「知らないものを、知る機会まで潰す必要はないだろう」


「…………」


愛理が目を瞬く。


やがて。


「分かったよ」


「ありがとう」


そして道満は。


改めて弓月と桜華へ向き直った。


「将門流について一つ訂正しておきたい」


「訂正?」


「ああ」


「将門流古武術の考案者は龍姫様だ」


「…………」


二人の目が大きくなる。


「龍姫様?」


「そうだ」


道満は続ける。


「龍姫様が金桜眼の力を身体へ活かすために考案した武術を」


「俺たち人間でも扱えるよう編纂したのがクシナダ様だ」


弓月が驚く。


「クシナダ様が……」


「これは単なる伝承じゃない」


「春花さんが確認しているし、クシナダ様御本人も認めている」


「では……」


桜華が将門愛理を見る。


「本当に」


「はい」


愛理は胸を張った。


「本当です」


道満は続ける。


「だから由緒だけを基準にしても、将門流を軽く見る理由はない」


そこまで言って。


一度。


言葉を止めた。


「ただ」


二人を見る。


「俺が言いたいのは」


「そこじゃない」


「え?」


弓月が首を傾げる。


道満の視線が。


ほんの少し遠くなる。


脳裏に浮かんだのは。


数日前。


将門流古武術道場での手合わせ。


三重の巡らせ。


居合。


結界。


どれも。


自分が自信を持っていた技だった。


それなのに。


清盛には。


動き出しを潰され。


居合を封じられ。


結界を破られ。


最後には。


投げられ。


天井を見上げることになった。


あれほど。


見事に負けたのは久しぶりだった。


そして何より。


清盛はただ勝ったのではない。


道満がどこで迷うのか。


何が弱点なのか。


それを本人に気づかせるように戦っていた。


負けたあと。


道満は自分から頭を下げた。


――俺もこちらの道場でご厄介になれませんか?


あの時。


道場の大きさも。


家の格も。


そんなものは。


一度も頭に浮かばなかった。


ただ。


学びたい。


この人たちから教わりたい。


そう思った。


道満は小さく息を吐いた。


「俺は数日前」


「その町道場の門下生に」


教室の皆が見る。


「完敗した」


「え?」


刀也が真っ先に反応した。


「道満が?」


迅も驚く。


「マジで?」


「マジだ」


道満はあっさり認めた。


以前の道満なら。


人前で自分の敗北を。


これほど素直に口にできただろうか。


「将門清盛さんという人だ」


刀也が「ああ」と声を上げる。


「清盛さんか!」


「優と互角にやる人だろ?」


「そうだ」


道満は頷く。


「俺は三重の巡らせを使った」


「居合も」


「結界も使った」


「それでも」


苦笑する。


「見事に投げられて終わった」


「へぇ……」


迅が珍しく感心する。


道満は愛理を見る。


「しかも」


「ただ負けたわけじゃない」


「俺が考えすぎて判断が遅れること」


「技を選ぼうとするあまり、近距離では迷いが生まれること」


「清盛さんは手合わせの中で」


「俺自身に分からせてくれた」


弓月と桜華が黙る。


「俺は」


道満が自分の胸へ手を置く。


「麻賀多宗家で生まれた」


「子供の頃から」


「名門の術」


「名のある師」


「長い歴史を持つ技」


「そういうものを当たり前に尊いと思ってきた」


それ自体が。


悪いわけではない。


歴史を受け継ぐこと。


家の技を守ること。


先祖を敬うこと。


そこには。


確かな価値がある。


「でも」


道満は続ける。


「いつの間にか俺は」


「歴史が長いことと」


「優れていることを」


「同じものだと思っていた」


「…………」


紅葉が静かに道満を見る。


「名門だから優れている」


「宗家だから正しい」


「表佐倉育ちだから知らない」


「町道場だから大したことはない」


一つずつ。


かつての自分を。


自分自身で否定していく。


「それは」


「物を見る方法として楽なんだ」


道満が言った。


「名前を見れば決められる」


「家を見れば決められる」


「生まれを見れば決められる」


「相手を実際に知ろうとしなくても」


「勝手に答えを出せるからな」


晴真が。


静かに道満を見る。


道満も晴真を見る。


「俺は最初」


「晴真にもそれをやった」


「表佐倉で育った」


「陰陽師の世界を知らない」


「それだけで」


「自分より下だと決めつけた」


「…………」


晴真は少し困ったように笑う。


「昔の話だよ」


「ああ」


道満も笑う。


「でも」


「なかったことにはしたくない」


その言葉に。


晴真の表情が少し変わった。


道満は。


逃げなかった。


昔の自分から。


「晴真を見て」


「自分が間違っていたと気づいた」


「それでも」


「頭では分かっていても」


「どこかにまだ残っていたんだと思う」


「家柄で物を見る癖が」


そして。


清盛との手合わせ。


「それを」


「今度は将門流に叩き壊された」


迅が吹き出す。


「物理的にもな」


「否定できない」


道満も笑う。


教室に小さな笑いが起きた。


だが。


道満はすぐに二人を見る。


「だから」


「町にある小さな道場だから」


「最近名前を聞くようになったから」


「名のある家が後ろについていないから」


「それだけで中身まで判断するのは」


少しだけ間を置く。


「もったいない」


弓月と桜華が。


はっとする。


道満は責めていなかった。


馬鹿にしてもいない。


ただ。


自分と同じ失敗をしてほしくない。


そう言っているだけだった。


「技が優れているか」


「師が優れているか」


「自分がそこで何を学べるか」


「見るなら」


「自分の目で見た方がいい」


道満は。


穏やかに笑った。


「名門であることは誇っていいと思う」


弓月と桜華を見る。


「俺も麻賀多宗家に生まれたことを誇りに思っている」


「でも」


「その誇りを」


「他人の価値を測る物差しにするのは違う」


「…………!」


弓月の目が。


少し大きくなる。


桜華も。


何も言えなかった。


道満は。


ほんの少し照れくさそうに頭を掻く。


「まあ」


「俺も最近ようやく分かってきたことだから」


「偉そうに言えるほどじゃないけどな」


その横で。


紅葉は。


完全に見惚れていた。


「道満様……」


「ん?」


紅葉は胸の前で手を組む。


「素晴らしいですわ」


「いや」


「だからそんな大した――」


「いいえ!」


紅葉は力強く否定した。


「ご自身の過ちを認め」


「そこから学び」


「さらに他の方を責めるのではなく」


「同じ失敗をしないよう言葉を掛けられる」


目が。


きらきらしている。


「流石です道満様!」


「…………」


道満が少したじろぐ。


「紅葉」


「はい!」


「近い」


「あっ」


紅葉が慌てて一歩下がる。


皆が笑う。


晴真も。


嬉しそうに笑っていた。


「道満君」


「なんだ?」


「変わったね」


「…………」


道満は少しだけ目を細めた。


「お前に言われると」


「なんか悔しいな」


「なんで!?」


また笑いが起きる。


だが。


晴真には分かっていた。


入学したばかりの頃。


自分を。


表佐倉育ちの素人として見ていた少年。


家柄と伝統を。


誰より重く考えていた少年。


その道満が今。


町道場を庇い。


自分の敗北を笑って話し。


知らなかった者を責めるのではなく。


「自分の目で見ればいい」と言っている。


それは。


大きな変化だった。


そして。


弓月と桜華も。


それが分かった。


弓月が静かに頭を下げる。


「……おっしゃる通りです」


桜華も続く。


「私たち」


「道場そのものを見る前に」


「名前だけで判断していました」


道満は首を横へ振る。


「気づいたならそれでいい」


その言葉。


そして。


柔らかく笑った顔に。


弓月の胸が。


どくん。


「…………」


桜華も。


頬が少し熱くなる。


(ちょっと待って)


弓月は慌てて与一を見る。


(私には与一がいるのに)


桜華も。


まったく同じことを考えた。


(何を考えているんですか私は!)


二人が同時に道満から目を逸らす。


その様子を。


紅葉は。


しっかり見ていた。


「…………」


にこり。


満面の笑顔。


ただし。


目だけが。


ほんの少し細い。


美鈴が横から見る。


「紅葉ちゃん?」


「何でしょう?」


「……なんでもない」


美鈴は。


これ以上触れないことにした。



弓月が。


小さく息を吐く。


そして。


愛理へ向き直った。


「将門さん」


「ん?」


「先ほどは」


頭を下げる。


「失礼なことを言いました」


桜華も続く。


「私もです」


「道場の大きさだけで判断するような言い方になってしまいました」


「ごめんなさい」


「…………」


愛理は。


二人を見る。


しばらくして。


にやっ。


「じゃあさ」


「はい?」


「謝る代わりに」


拳を構えるような仕草。


「私と一勝負しない?」


「…………」


二人が顔を上げる。


晴真が苦笑する。


「愛理ちゃん」


「なんでそうなるの?」


「だって」


愛理が笑う。


「名門の体術」


「興味あるじゃん」


「私も将門流がどこまで通じるか試したいし」


弓月。


桜華。


二人は顔を見合わせる。


「…………」


そして。


少しだけ笑った。


「いいですわ」


弓月が答える。


「受けて立ちます」


桜華も頷く。


「私も構いません」


「よし!」


愛理の目が輝いた。


「決まり!」


晴真が頭を抱える。


「喧嘩にならない?」


「ならないよ!」


愛理が笑う。


「手合わせ!」


「だったらいいけど……」


その時。


桜華が何かを思いついた。


「あ」


「そうだ」


「何?」


愛理が見る。


桜華は。


にっこり笑う。


「それなら」


「今日の放課後」


愛理を指差す。


「晴真君と一緒に」


次に。


自分を指差す。


「角来道場へ来なさい」


「角来道場?」


愛理の眉が上がる。


「はい」


桜華は胸を張る。


「町道場だからどうとか」


「名門だからどうとか」


「そんな話をしたばかりですもの」


「実際に」


「お互いの武術を見ればよろしいでしょう?」


弓月も笑う。


「良い考えです」


「将門流古武術」


「私も興味が湧いてきました」


愛理が。


にやり。


「いいね」


拳を鳴らす。


「行く」


晴真が自分を指差す。


「僕も?」


「当然です!」


桜華が即答した。


「そもそも今日は」


「晴真君を道場へ連れてくるために来たんですから!」


「あ」


晴真が思い出す。


「そうだった」


刀也が吹き出す。


「忘れてたのかよ!」


迅も笑う。


「話がどんどん違う方向行ってたからな」


与一は。


嫌な予感しかしない顔。


「……俺も行くの?」


弓月と桜華が。


同時に振り返る。


「当然」


「もちろんです」


「ですよね……」


与一が肩を落とした。


迅がその肩を叩く。


「頑張れ」


「お前も来いよ」


「なんで俺が!」


「一人にするな!」


笑い声が上がる。



そんな中。


道満は。


机の上の資料へ視線を戻していた。


晴真が声を掛ける。


「道満君も来る?」


「角来道場か」


少し考える。


そして。


先日の清盛との手合わせを思い出す。


考えすぎる。


迷う。


近距離で。


その一瞬を突かれる。


体術は。


今の自分に必要なもの。


「……面白そうだな」


道満が答える。


紅葉の顔が明るくなる。


「でしたら私も――」


「紅葉」


「はい!」


「まだ何も言ってないぞ」


「…………」


少し間。


「わたくしも見学したいですわ」


皆が笑う。


そして。


愛理は。


桜華を見る。


「角来道場ねぇ」


「そんなにすごいの?」


その一言。


桜華の目が。


きらり。


「来れば分かります」


「へぇ」


「楽しみ」


「後悔しても知りませんよ?」


「そっちこそ」


二人。


笑顔。


だが。


明らかに。


火花が散っている。


晴真が小声で凛へ尋ねた。


「大丈夫かな?」


凛は苦笑する。


「手合わせだけで済むといいですね」


「やっぱり?」


昼休みの教室。


始まりは。


晴真を道場へ誘いに来ただけだった。


それが。


いつの間にか。


将門流古武術。


名門の体術家。


そして。


角来道場。


放課後には。


また新しい武術の交流が。


始まろうとしていた。

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