第四十話 桜がけに燃える正臣
裏佐倉ふるさと広場での楽しい休日から数日。
一年一組には、すっかりいつもの学園生活が戻っていた。
しかし――。
ここ数日。
一つだけ明らかに変わったことがある。
「いいか」
教壇の前。
正臣が分厚い資料の束を持っていた。
「結界術では、強度だけを意識しないこと」
「相手の攻撃を受ける角度」
「展開する位置」
「味方との距離」
「この三つを意識するだけでも霊力の消費量は大きく変わる」
黒板には。
びっしりと図が描かれている。
結界の展開位置。
攻撃を受け流す角度。
さらに。
札術との組み合わせ。
「次」
正臣が資料をめくる。
「札術」
「桜がけでは、威力の高い術を使えばいいというものではない」
「相手を倒す必要はない」
「足を止める」
「進路を変えさせる」
「仲間から引き離す」
「それだけでも十分だ」
生徒たちは真剣に聞いていた。
というより。
最近。
毎日これだった。
札術。
結界術。
封印術。
式神術。
武術。
霊馬術。
どの授業でも。
正臣は大量の資料を用意していた。
しかも。
一枚一枚。
図入り。
注釈入り。
初等部一年生でも理解できるように、かなり噛み砕いて説明されている。
迅が手元の資料を見る。
「…………」
一枚。
二枚。
三枚。
十枚。
二十枚。
まだある。
「先生」
「なんだ?」
「これ全部先生が作ったの?」
「そうだけど」
「…………」
迅が素直に感心した。
「すげぇな」
刀也も資料を眺める。
「これ昨日の夜も作ってたんですか?」
「まあ」
正臣が笑う。
「少しだけ」
刀也は正臣の顔を見る。
そして眉を寄せた。
「でも先生」
「なんか疲れてねえか?」
「え?」
よく見ると。
正臣の目の下には少しだけ隈がある。
凛も心配そうに見る。
「大丈夫ですか?」
「寝ています?」
「寝てるよ」
「本当に?」
「…………」
正臣が少し目を逸らした。
「昨日は」
「三時間ほど」
「全然寝てないじゃないですか!」
凛が即座に言った。
皆が笑う。
正臣も苦笑する。
「少し張り切りすぎた」
その時――。
「少し?」
聞き慣れた声。
一年一組が振り向く。
教室の後ろ。
いつの間にか。
沙羅が壁へ寄りかかっていた。
「正臣は桜がけになるとムキになるからな」
「沙羅?」
正臣が呆れる。
「いつからいたんだ」
「ちょっと前」
「授業中だぞ」
「知ってる」
さらに。
その隣から。
ひょこ。
銀髪の女性が顔を出す。
ミヅチ。
「そうじゃな」
「正臣は昔から桜がけになると」
「普段の冷静さはどこへ行ったのかと思うほど熱くなるからのう」
「ミヅチまで……」
正臣が額を押さえる。
刀也の目が輝く。
「先生、昔からなんですか?」
「余計なこと聞かなくていい」
だが。
沙羅は楽しそうに笑っている。
「こいつ学生の頃なんかな」
「沙羅」
「何だよ」
「喋らなくていい」
「まだ何も言ってねぇだろ」
「言おうとしてることが分かるんだよ」
ミヅチも楽しそうに笑う。
「桜がけの前日など」
「正臣一人だけ作戦会議を終わらせなくての」
「ミヅチ!」
「もう夜じゃぞ、と皆に言われても」
「あと一つだけ確認しよう、と――」
「やめてくれ!」
どっ!
一年一組に笑いが起きた。
迅が腹を抱える。
「先生!」
「俺たちと変わんねぇじゃん!」
「違う!」
刀也も笑う。
「絶対同じだろ!」
「先生も負けず嫌いなんですね」
美鈴が笑う。
「…………」
正臣は少し気まずそうに咳払いした。
「まあ」
「否定はせん」
「認めた!」
さらに笑いが起きる。
正臣は黒板を軽く叩いた。
「はいはい」
「授業に戻るぞ」
すると。
道満が手を上げた。
「先生」
「はい」
「そもそも」
「初等部一年生の桜がけは、どのような種目なのですか?」
その瞬間。
正臣の表情が変わった。
「…………」
沙羅がにやっとする。
ミヅチも笑う。
「あ」
迅が気づく。
「今、先生の目変わった」
「変わってない」
「いや変わった」
刀也も頷く。
正臣は無視して黒板へ向かった。
そして。
大きく書く。
――桜がけ。
「では」
「今日はその説明をしよう」
一年一組の空気が一気に引き締まった。
◇
「一年生の桜がけは」
正臣が振り返る。
「クラス対抗の襷リレーだ」
「リレー?」
晴真が首を傾げる。
「普通のリレーとは違うんですか?」
「全然違う」
正臣は黒板へ五つの丸を描いた。
「まず」
「一クラス二十五人を」
「五人一組」
「五つの組に分けます」
道満が頷く。
「五人編成を五組」
「そうです」
正臣は一つの丸の中央へ印を付けた。
「そして各組には」
「一人のリーダーを置く」
「このリーダーが」
机の上から一本の襷を取り出す。
桜色の布。
中央には学園の紋が刺繍されている。
「この襷を持つ」
皆が襷を見る。
「残る四人は?」
隼人が尋ねる。
正臣は答えた。
「守るんです」
「リーダーを」
教室が静かになる。
「守る?」
豪太が聞き返す。
「そう」
正臣は黒板へ簡単な図を描く。
中央。
襷を持つリーダー。
その周囲に四人。
「コースの途中には」
「妖」
「罠」
「障害物」
「そして」
正臣が少し間を置く。
「他のクラスが待っている」
「おお!」
刀也の目が輝く。
「戦うんですか?」
「戦う」
教室がざわめく。
迅も身を乗り出した。
「相手のリーダー倒したらいいの?」
「正確には」
「相手の進行を妨害する」
「自分たちの襷を守る」
「それが目的だ」
正臣は襷を持ち上げる。
「この襷を」
「決められた中継地点まで運び」
「次の五人組へ渡す」
黒板に。
第一組。
第二組。
第三組。
第四組。
第五組。
順番に線を繋いでいく。
「第一組が第二組へ」
「第二組が第三組へ」
「第三組が第四組へ」
「第四組が第五組へ」
そして最後。
「第五組が」
「襷を無事に終点まで届ける」
晴真が理解する。
「だからリレーなんだ」
「その通り」
凛が尋ねる。
「襷を持っているリーダーが倒された場合は?」
「襷を失えば大きな時間損失になる」
「落とした場合も拾わなければならない」
「だから」
正臣が皆を見る。
「四人がどうやってリーダーを守るかが重要になる」
道満はすでに考え始めていた。
「前衛」
「中堅」
「後方支援」
「結界」
「索敵……」
迅が横を見る。
「もう作戦考えてる」
「当然だろう」
「早ぇよ!」
皆が笑う。
◇
晴真が手を上げた。
「先生」
「はい」
「なんで桜がけは」
「こういう競技になったんですか?」
正臣は少しだけ笑った。
「いい質問ですね」
そして。
手にしていた襷を見る。
「桜がけには」
「元になった話がある」
教室が静かになった。
正臣はゆっくり話し始める。
「昔」
「裏佐倉でも大きな戦が続いていた時代」
「ある部隊が」
「どうしても味方の本陣へ届けなければならない密書を預かったそうです」
晴真たちは真剣に聞く。
「密書には」
「敵軍の配置」
「援軍の到着時刻」
「そして戦の勝敗を左右するほど重要な情報が記されていた」
「当然」
「敵もその密書を狙った」
黒板へ簡単な道を描く。
「そこで陰陽師たちは」
「一人で運ばせなかった」
「五人一組を編成したんだ」
中央。
一人。
周囲。
四人。
「一人が密書を持ち」
「残る四人が守る」
「妖を退け」
「罠を破り」
「敵の陰陽師を防ぎながら」
「次の組が待つ場所まで密書を運んだ」
刀也が聞く。
「ずっと同じ五人で行かなかったんですか?」
「戦場を走り続ければ消耗します」
正臣が答える。
「だから一定の地点ごとに」
「新しい五人組へ密書を渡した」
「受け取った五人はまた次へ」
「さらに次へ」
「そうやって」
正臣の指が黒板の道を進む。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ。
五つ。
最後。
本陣。
「誰か一人が英雄になるのではなく」
「多くの者が繋いで」
「最後まで密書を届けた」
「そして」
「その情報によって味方は大きな戦に勝利したと言われています」
「へぇー……」
晴真が感心する。
小夜も頷く。
「だから襷を密書に見立てているんですね」
「そうです」
正臣は桜色の襷を机へ置いた。
「速い者だけでは勝てない」
「強い者だけでも勝てない」
「一人だけ優秀でも勝てない」
教室にいる二十五人を順番に見る。
「五人が互いを守り」
「その五人が次の五人へ繋ぎ」
「二十五人全員で一つの襷を終点まで運ぶ」
少し笑う。
「それが」
「一年生の桜がけです」
「…………」
生徒たちの表情が変わった。
チーム研修を終えたばかりの一年一組にとって。
その意味は。
よく分かる。
一人では勝てない。
仲間を信じる。
自分の役割を果たす。
そして次へ繋ぐ。
凛が静かに言う。
「一年一組に」
「ぴったりの競技かもしれませんね」
晴真も笑う。
「うん」
刀也が拳を握る。
「よっしゃ!」
「絶対勝とうぜ!」
「おお!」
豪太も声を上げる。
迅も笑う。
「まあやるからには勝ちてぇな」
隼人も頷く。
「当然だ」
道満は黒板を見ながら考える。
「問題は五組の編成だな」
「誰をリーダーにするか」
「それぞれの区間が同じ条件とは限らない」
正臣が少しだけ笑った。
「そこに気づいたか」
道満が見る。
「やはり」
「区間ごとに内容が違うんですね?」
「詳しい内容は当日まで公表されてない」
「妖の種類」
「罠」
「地形」
「敵との接触位置」
「毎年変わります」
「つまり」
凛が答える。
「どんな状況でも対応できる五組を作る必要がある」
「その通り」
正臣が満足そうに頷く。
刀也が笑う。
「面白そうじゃん!」
迅も頷く。
「これは燃えるな」
正臣が。
にやり。
その一言を聞き逃さなかった。
「そうでしょう?」
「…………」
迅が正臣を見る。
嫌な予感。
正臣は机の下から。
ドサッ!
さらに分厚い資料を取り出した。
「そこで」
「今日から桜がけに向けて」
「五人一組の連携訓練を増やします」
「…………」
教室が静かになる。
「札術」
一冊。
「結界術」
もう一冊。
「式神との連携」
さらに一冊。
「霊馬術」
また一冊。
「武術」
さらに。
「襷を持った状態での逃走」
さらに。
「敵リーダーへの妨害」
さらに。
「妖への対処」
まだ出てくる。
迅の顔から血の気が引いた。
「先生」
「はい?」
「その資料」
「全部やるの?」
「もちろん」
「…………」
刀也も呆然。
「桜がけまでに?」
「当然です」
沙羅が後ろで吹き出した。
「ほらな」
ミヅチも笑う。
「始まったのう」
正臣が二人を見る。
「何がだよ」
「桜がけになるとムキになる正臣」
「だからムキになってない!」
「じゃあその資料の山はなんだよ」
「必要な教材だ!」
「昨日三時間しか寝てない奴が言うな!」
皆が大笑いする。
凛も苦笑する。
「先生」
「本当に無理はしないでくださいね」
「分かっている」
「信用できねぇ」
迅が即答する。
「何がだ?」
「俺たちより先生の方が先に倒れそうだぞ」
「それはない」
刀也が笑う。
「じゃあ勝ったら少し休んでくださいよ」
「…………」
正臣が少し考える。
「勝ったら?」
「はい」
刀也はにっと笑う。
「一年一組が優勝したら」
「先生も一日ぐらい修練とか資料作りとか全部忘れて休む」
「どうです?」
「…………」
正臣は二十五人を見る。
皆。
やる気に満ちている。
その顔を見て。
正臣も笑った。
「いいでしょう」
「約束ですよ!」
「ただし」
正臣が指を立てる。
「優勝したらです」
「言ったな先生!」
刀也が立ち上がる。
「絶対勝つぞ!」
「おー!」
一年一組二十五人の声が教室いっぱいに響いた。
その様子を見ながら。
沙羅が笑う。
「結局」
「一番燃えてんの誰だろうな」
ミヅチが正臣を見る。
正臣はすでに次の資料を手に取っていた。
「ではまず」
「五人編成について考えいくぞ」
「今日中に全員」
「自分がリーダーだった場合の編成案を一つ提出してください」
「えぇぇぇぇ!?」
再び悲鳴。
沙羅とミヅチは顔を見合わせる。
「やっぱ正臣だな」
「うむ」
桜がけ。
二十五人が。
五人ずつ。
五つの組となり。
一つの襷を繋いでいく。
一年一組にとって。
チーム研修に続く。
新たな挑戦が。
いよいよ始まろうとしてい




