第三十三話 瘴気の核
学園長室での理事会から。
数時間後――。
麻賀多本家。
広大な屋敷には。
異様なほど多くの人々が集められていた。
景虎の命令によって。
麻賀多本家の一族。
分家から本家へ仕える者。
使用人。
庭師。
料理人。
警護役。
屋敷へ長年出入りしている者まで。
本家と深く関わってきた人間は、一人残らず呼び集められていた。
「全員、揃ったか。」
麻賀多景虎が尋ねる。
「はい。」
影人が答えた。
その隣には影華。
そして。
少し離れたところに――。
麻賀多影也。
「…………。」
俯いている。
いつもの。
人を見下すような表情はない。
肩を落とし。
誰とも目を合わせず。
ただ黙って座っていた。
晴真は。
その姿を遠くから見つめた。
「…………。」
胸が。
少しだけ痛んだ。
自分が霊門を封じた。
今の影也は。
札一枚使えない。
陰陽師の家に生まれ。
陰陽術を使えることを誇りとしてきた少年にとって。
それがどれほど辛いことなのか。
晴真には。
完全には分からない。
でも。
あの姿を見ていると。
何とも言えない気持ちになる。
その時。
ぽん。
頭に大きな手が乗った。
「お父さん。」
晴臣だった。
何も言わず。
晴真の頭をくしゃりと撫でる。
反対側から。
晴隆も晴真の肩へ手を置いた。
「今は。」
「見るべきものを見ておけ。」
晴真が祖父を見る。
「はい。」
晴隆は穏やかに頷いた。
「答えを出すのは、その後でも遅くはない。」
「……うん。」
◇
屋敷の中央にある大広間。
そこには巨大な祓いの陣が敷かれていた。
今日行われるのは。
麻賀多宗家による――。
祓いの儀。
本来。
麻賀多本家が柱守りたちから受け取った瘴気を。
定期的に宗家が祓い清めるための儀式。
しかし。
先代当主の急逝によって。
その役目は景虎へ正しく伝えられなかった。
結果。
何年もの間。
祓いは一度も行われていない。
その影響が。
どこまで広がっているのか。
誰にも分からなかった。
宗家側には。
麻賀多道秀。
麻賀多道継。
麻賀多道隆。
麻賀多道香。
そして。
凛の父――麻賀多道清。
ほかにも。
宗家に連なる術者たちがずらりと並んでいる。
一方。
道満は。
その列にはいなかった。
「……やっぱり。」
少し不満そうに腕を組んでいる。
「俺は外されたか。」
凛が苦笑する。
「仕方ないですよ。」
「道満様、まだ初等部一年生なんですから。」
「分かってる。」
「分かってるけどな。」
晴真が笑う。
「僕たちは見学だね。」
「そうだな。」
三人は少し離れた場所から。
儀式を見守っていた。
近くには。
若陽。
正臣。
紫苑。
玄。
影行。
与乃。
鈴華。
春花。
そして。
ミヅチ。
チヨヒメ。
クシナダ。
銀花。
珠代。
そのほか神の眷属たちも集まっている。
道秀が中央へ進んだ。
「始めるぞ。」
「はい!」
宗家の術者たちが。
一斉に札を構える。
道秀が手を合わせた。
「麻賀多宗家祓式――。」
術者たちの周囲へ。
白い光が広がっていく。
「清浄。」
「祓給え。」
「清め給え。」
祓いの詞が。
大広間へ静かに響いた。
最初は。
何も起こらない。
だが――。
「…………?」
晴真が眉をひそめた。
金桜眼を開いていなくても。
分かる。
空気が。
重い。
次の瞬間。
ズズズズズ……。
麻賀多本家の人々から。
黒い霧が。
ゆっくりと滲み出してきた。
「……!」
道満が目を見開く。
凛も息を呑む。
一人や二人ではない。
景虎。
影人。
影華。
影也。
使用人。
警護役。
屋敷へ仕える人々。
その身体から。
次々と。
黒い瘴気が溢れ出してくる。
「なんだ……これは。」
道継の顔色が変わる。
「多すぎる!」
道隆も。
いつもの余裕を失っていた。
「父上。」
「これはまずいです。」
道継が道秀を見る。
「これほど濃い瘴気。」
「私は祓ったことがありません!」
道秀も険しい顔になる。
「わしもじゃ。」
黒い霧は。
瞬く間に大広間の天井まで達した。
そして。
宗家の祓いによって白く浄化された部分が――。
ジュッ。
再び黒へ戻る。
「何?」
道香が目を見開く。
「浄化したはずなのに!」
白い光。
黒い瘴気。
互いがぶつかる。
浄化する。
しかし。
その直後に。
別の瘴気が触れ。
再び汚染される。
「きりがありません!」
道清が叫ぶ。
「後から後から出てくる!」
ついには。
黒い瘴気が。
大きな塊へ変わり始めた。
ゴゴゴゴゴ……。
それは。
まるで。
生き物。
いや。
何か意思を持つ怪物のように。
大広間の中で蠢いた。
「来るぞ!」
ミヅチが叫ぶ。
バシュッ!
黒い瘴気が。
触手のように伸びた。
狙いは――。
宗家の術者たち。
「結界!」
紫苑が即座に札を放つ。
バァン!
透明な壁が展開され。
黒い触手を弾く。
だが。
ドン!
ドン!
ドン!
「くっ!」
紫苑が歯を食いしばる。
「重い!」
「わしらもやるぞ!」
ミヅチ。
チヨヒメ。
クシナダたち神の眷属が前へ出る。
「清浄結界!」
複数の結界が重なり。
瘴気の広がりを押さえ込む。
それでも。
瘴気は。
減らない。
むしろ。
祓えば祓うほど。
奥からさらに濃いものが出てくる。
「これ……。」
晴真が呟く。
道満も。
じっと瘴気を見ていた。
凛が言う。
「このままだと。」
「浄化するだけじゃ駄目なんじゃ……。」
道満が頷く。
「ああ。」
晴真も思い出す。
草笛の丘。
豪斎を救った時。
そして。
夜叉丸と龍姫の過去。
「龍姫様と。」
「夜叉丸様……。」
晴真が立ち上がった。
「二人は。」
「浄化と封印を同時にやってた!」
道満も続く。
「そうだ!」
「瘴気そのものを祓いながら。」
「逃げ場をなくして封じる!」
凛が大人たちを見る。
「浄化だけじゃ。」
「散った瘴気がまた戻ってしまいます!」
その声を聞いて。
晴隆が振り返る。
「なるほど。」
晴時も気づく。
「そういうことか。」
晴臣が札を取り出す。
「だったら。」
「浄化された瞬間に封じればいい。」
沙羅が笑う。
「ようやく出番かよ。」
正臣も前へ出た。
「教師陣も協力します!」
玄。
紫苑。
影行。
与乃。
ほかの教師たちも札を構える。
「封印!」
晴隆たちが。
一斉に術を展開する。
白く浄化された瘴気を。
次々と封印陣へ押し込んでいく。
しかし――。
バキン!
「何!?」
封印陣が砕ける。
別の場所では。
浄化された瘴気が。
封じられる直前。
また黒く染まった。
「駄目じゃ!」
晴隆が叫ぶ。
「呼吸が合っておらん!」
「浄化と封印に一瞬でも差が出れば戻る!」
晴時が歯を食いしばる。
「人数が多すぎる。」
晴臣も額に汗を浮かべる。
「誰か一人が。」
「全体のタイミングを合わせねぇと!」
その時。
晴真が。
凛を見る。
「凛ちゃん。」
「はい!」
次に。
道満を見る。
「道満君。」
「ああ。」
三人。
視線が合った。
チーム研修。
何度も何度も。
春花に叩き込まれた。
役割。
連携。
タイミング。
誰が何をするのか。
一瞬で理解する。
晴真が前へ出た。
「僕がやります!」
「晴真?」
晴臣が振り返る。
「僕が金桜封印術を使う!」
大人たちがざわめく。
晴真は続ける。
「みんなの霊力を。」
「僕に貸してください!」
そして。
道満と凛を見る。
「道満君。」
「凛ちゃん。」
「宵桜を使って。」
「あの時の浄化術を!」
道満が頷く。
「銀花清浄の祓いか。」
「うん!」
晴真は凛を見る。
「凛ちゃん。」
「全体の指揮をお願い。」
「浄化と封印のタイミング。」
「全部合わせて。」
凛が迷わず答える。
「分かりました!」
「道満君は。」
「皆の霊力を。」
「宵桜へ上手く流して。」
「任せろ。」
さらに。
凛がすぐに周囲を見る。
「西御門紫玄様!」
紫玄が驚く。
「私か?」
「はい!」
「晴真君。」
「道満君。」
「私。」
「この三人以外を結界で守ってください!」
紫玄が。
一瞬。
目を見開く。
そして笑った。
「承知した。」
「神門蓮雅様!」
「何だ。」
「札術で不測の事態に備えてください!」
「よかろう!」
「立身家の皆様!」
「忍びの皆様!」
「岩富家!」
「角来家!」
凛が次々と指示を飛ばす。
「瘴気の中に。」
「核のようなものがないか探してください!」
「これほどの瘴気が。」
「ただ集まっているだけとは思えません!」
刀斎が笑う。
「よい指揮じゃ。」
刀真も刀を抜いた。
「了解した。」
根郷宗時。
七曲家。
忍び衆。
岩富家。
角来家。
皆が散開する。
晴隆が目を細める。
「いつの間にやら。」
「大人まで指揮するようになりおったか。」
晴時も少し笑った。
「頼もしいですね。」
凛が大きく息を吸う。
「では!」
「行きます!」
◇
宗家の人々が。
再び祓いの陣を組む。
道満が。
宵桜を抜いた。
短い刀身へ。
霊力を流す。
銀色の光。
「皆さん!」
道満が叫ぶ。
「俺に霊力を!」
道秀。
道継。
道隆。
道香。
道清。
宗家の術者たちが。
次々と霊力を送り込む。
「ぐっ……!」
道満の腕が震える。
あまりにも多い。
だが。
道満は。
一本一本。
霊力の流れを整えていく。
晴真から学んだ。
霊脈の考え方。
太さ。
流量。
強さ。
すべてを調整し。
宵桜へ導く。
「道満君!」
凛が声を上げる。
「まだです!」
「分かってる!」
銀色の光が。
さらに強くなる。
凛も。
宵桜へ手を重ねた。
「今です!」
二人の瞳に。
一瞬。
銀色の桜が咲く。
「銀桜浄化術――!」
「銀花清浄の祓い!」
ブワァァァァァッ!!
銀色の桜吹雪が。
大広間いっぱいに広がった。
触れた瘴気が。
次々と。
黒から白へ。
白から透明へ。
浄化されていく。
「効いてる!」
晴真が叫ぶ。
しかし。
瘴気も黙ってはいない。
ギュルルルッ!
無数の黒い触手が生まれ。
道満と凛へ襲いかかる。
「させるか!」
蓮雅が札を四枚構えた。
「火炎!」
轟ッ!
四本の炎が。
黒い触手を焼き払う。
別方向から。
巨大な瘴気の塊が飛ぶ。
ドォン!
「結界!」
紫玄が両手を広げる。
巨大な障壁。
ドン!
ドン!
ドン!
何度も。
瘴気が結界へ叩きつけられる。
「ぐっ……!」
紫玄の足が。
床を滑る。
「何という力だ……!」
「紫玄!」
蓮雅が叫ぶ。
「持たせろ!」
「言われずとも!」
その横を。
刀真が駆け抜ける。
「立身流 極意 烈嵐一閃!」
刀斎も続く。
「斬れぬものと思うなよ!」
ズバァァァン!
二人の剣技が。
瘴気を切り裂く。
「刀姫!」
クシナダが叫んだ。
「妾に合わせよ!」
「はい!」
刀姫が。
三重の巡らせ。
全身へ霊力を巡らせる。
クシナダが。
神気を刀へ纏わせた。
二人。
同時に踏み込む。
「はぁぁぁぁっ!神威の一閃」
巨大な斬撃が。
瘴気の壁を真っ二つにする。
「今じゃ!」
「行け!」
忍びたちが。
一斉に内部へ飛び込む。
根郷衆。
七曲衆。
青菅。
麻倉。
それぞれが。
瘴気の中を走り。
何かを探す。
「核を探せ!」
「中心に何かあるはずだ!」
岩富槍玄が。
槍を振るう。
「岩富流穿嵐の尖!」
瘴気を貫き。
道を切り開く。
角来家の者たちは。
体術と霊力を組み合わせ。
瘴気の塊を次々と打ち砕く。
「右側を開けろ!」
「忍びを通せ!」
チヨヒメ。
珠代。
銀花。
ミヅチは。
四方へ散り。
「結界!」
神の眷属たちによる結界で。
瘴気そのものを大広間中央へ押し込んでいく。
「逃がすでないぞ!」
「分かっておる!」
「そちらが薄い!」
「塞ぐのじゃ!」
黒い塊が。
次第に。
小さく。
濃く。
凝縮されていく。
「晴真!」
晴臣が叫ぶ。
晴真は。
中央で。
目を閉じていた。
周囲から。
霊力が集まる。
晴臣。
晴時。
晴隆。
沙羅。
正臣。
玄。
影行。
与乃。
教師たち。
そして。
神の眷属。
皆の霊力を。
晴真は。
自分の中へ取り込まず。
金桜封印術へ流すため。
慎重にまとめていく。
「まだ。」
晴真が呟く。
「核が見つかってない。」
その時だった。
瘴気の中。
眼鏡の奥で。
春花の目が鋭くなる。
「…………。」
何か。
一瞬だけ。
黒い霧の奥で動いた。
「そこ!」
春花が。
枝を拾う。
霊力を込める。
枝が。
長い槍状の霊装武具へ変わった。
「はぁっ!」
ドン!
一撃。
瘴気が吹き飛ぶ。
その奥。
黒い霧の中に。
小さな。
硬い塊。
「見つけました!」
春花が叫ぶ。
「晴真様!」
全員の視線が集まる。
「あれです!」
「お願いします!」
晴真が。
目を開く。
金色の桜が。
瞳に咲く。
「見えた!」
黒い塊。
瘴気の中心。
まるで。
すべての穢れが。
そこから伸びているように見える。
晴真が両手を合わせた。
「皆さん!」
「力を貸してください!」
「おう!」
「任せろ!」
「使え!」
無数の霊力が。
一斉に。
晴真へ集まる。
「凛ちゃん!」
「はい!」
凛が。
すべてを見る。
銀桜浄化術。
結界。
忍び衆。
そして。
晴真。
タイミング。
今。
「晴真君!」
「今です!」
晴真が。
両手を広げる。
「金桜封印術――!」
金色の桜が。
一斉に舞い上がった。
「金桜縛!」
バァァァァァン!!
金色の光。
無数の桜。
浄化された瘴気が。
金色の糸へ絡め取られていく。
そして。
春花が見つけた。
黒い核。
そこへ向かって。
次々と吸い込まれていった。
銀花清浄の祓いで。
黒い瘴気が銀色の光へ変わる。
その瞬間。
金桜縛が捕らえる。
浄化。
封印。
浄化。
封印。
寸分違わぬ。
連続。
「道満様!」
「次!」
「分かってる!」
「宗家の皆様、霊力を少し落としてください!」
「はい!」
「晴真君!」
「左側が遅れています!」
「うん!」
凛の声に合わせ。
二つの術が。
まるで。
一つの術のように動く。
やがて。
大広間を覆っていた瘴気が。
みるみる消えていく。
「もう少し!」
晴真が叫ぶ。
最後の黒い霧。
銀の桜が浄化する。
金の桜が。
それを捕らえる。
シュウゥゥゥ……。
静かになった。
残ったのは。
床の中央。
一つの。
黒い物体。
「…………。」
誰も。
すぐには近づかなかった。
晴真。
道満。
凛。
三人が。
ゆっくり歩み寄る。
「これ……。」
凛の声が震える。
道満も。
目を見開いていた。
晴真は。
言葉を失う。
小さい。
黒い。
種子のような形。
歪な表面。
まるで。
生き物のように。
かすかに脈打っている。
三人の頭に。
同じものが浮かんだ。
草笛の丘。
豪斎の身体から。
取り出された――。
「瘴気の種……。」
晴真が呟く。
「似てる。」
道満がしゃがみ込む。
「いや。」
「ほとんど同じだ。」
凛も青ざめる。
「でも……。」
「あの時。」
「直弥が持っていたものは。」
「外から植え付けるものでしたよね。」
「うん。」
晴真が答える。
「でも。」
「これ……。」
晴真は。
景虎たちを見る。
そして。
黒い種のような塊を見る。
「本家の人たちの中から。」
「瘴気を集めたら出てきた。」
ミヅチが。
ゆっくり近づいてくる。
「…………。」
チヨヒメ。
クシナダ。
銀花。
珠代。
神の眷属たちも。
その物体を見る。
誰も。
笑わない。
若陽も。
膝をつき。
慎重に覗き込んだ。
「これは……。」
晴隆が低い声で言う。
「瘴気の種と。」
「同じものなのか?」
「分からぬ。」
ミヅチが答える。
「じゃが。」
「似すぎておる。」
クシナダの目が細くなる。
「もし。」
「これが。」
「自然に生まれたものだとしたら……。」
沙羅が振り返る。
「待てよ。」
「自然に?」
「そうじゃ。」
クシナダは。
黒い核を睨む。
「長い年月。」
「瘴気を一か所に溜め続ければ。」
「それ自体が凝縮され。」
「このような形になる可能性はある。」
道満の顔色が変わる。
「だったら……。」
凛も。
同じことに気づく。
「瘴気の種って。」
晴真が。
黒い種を見る。
そして。
ゆっくり言った。
「誰かが。」
「最初から作っているものじゃなくて……。」
「瘴気を。」
「たくさん集めて。」
「固めて。」
「作るもの……?」
誰も。
答えなかった。
だが。
ミヅチ。
クシナダ。
若陽。
道秀。
晴隆。
誰もが。
同じ可能性へ辿り着いていた。
若陽が。
小さく呟く。
「もしや……。」
その視線は。
黒い核から離れない。
「瘴気の種とは。」
「禍津喰羅の瘴気を凝縮して作られた――。」
そこまで言い。
若陽は口を閉じた。
まだ。
断定はできない。
しかし。
一つだけ。
確かなことがあった。
豪斎を狂わせた。
あの黒い種。
そして。
麻賀多本家の中で。
長い年月をかけて作られた。
この黒い核。
二つは。
あまりにも。
似すぎていた。
晴真は。
その小さな黒い塊を見つめる。
それが。
今までとは違う。
もっと大きな何かへ。
自分たちを導こうとしているような。
そんな。
嫌な予感がしていた。




