第二十話 受け継がれた悪筆
チーム研修発表を、いよいよ明日に控えた放課後。
黒桜寮の談話室では、最後の作戦確認をする者。
修練場では、技の調整をする者。
それぞれが明日の準備を進めていた。
そんな中――。
修練場の隅。
晴真と春花は地面に紙を広げ、二人して難しい顔をしていた。
「うーん……」
晴真が筆を持ったまま首を傾げる。
「なんか、うまくいかないんだよなぁ」
「そうですね……」
春花も眼鏡を押し上げる。
「術式そのものは間違っていないはずなのですが」
紙の横には、霊装武具の依代として用意された小さな霊木。
その表面へ組み込むための術式を、二人で考えているらしい。
そこへ――。
「何をしてるんだ?」
道満がやって来た。
「あっ、道満君」
晴真が紙を持ち上げる。
「実はね、霊装武具の依代に描く術式を考えてるんだけど」
「春花さんに教えてもらいながらやってるのに、なかなかうまくいかないんだ」
「術式?」
道満の目がすぐに真剣になる。
「ちょっと見せてみろ」
「うん」
晴真が紙を差し出す。
「…………」
道満が見る。
「…………」
沈黙。
「どう?」
「…………」
道満は何も言わない。
晴真の肩に座っていた桜花が、そっと道満を見る。
そして――。
目配せ。
(言っちゃ駄目ですよ)
そんな顔だった。
道満も桜花を見る。
(分かっている)
再び紙を見る。
そして心の中で。
(……下手すぎる)
術式以前の問題だった。
文字の大きさはバラバラ。
線は微妙に曲がっている。
妙なところで詰まり。
妙なところだけ大きい。
それでも一応、読めなくはない。
「道満君?」
「……いや」
道満は言葉を選ぶ。
「個性的だな」
桜花が吹き出しそうになった。
「何がですか?」
そこへ銀花がやって来た。
「術式を書いているのですか?」
「うん!」
晴真が嬉しそうに紙を見せる。
「銀花さんも見て」
「では失礼して――」
銀花が覗き込む。
「…………」
止まった。
(……下手すぎます)
道満と目が合う。
二人は無言で頷いた。
だが。
銀花はもう一度じっくりと晴真の字を見る。
「……あら?」
「どうしたの?」
「いえ……」
銀花は首を傾げた。
下手なのだが。
妙に見覚えがある。
この独特な線。
文字の癖。
そして術式の詰め込み方。
「…………あっ」
銀花が気づいた。
「龍姫様……」
「え?」
「晴真様の字」
銀花が微笑む。
「龍姫様の札に書かれていた文字と、とてもよく似ています」
「龍姫様と?」
晴真が目を丸くする。
「はい」
「特に、この辺りなど……」
そこへ。
「あらあら」
珠代までやって来た。
「皆様で何をご覧になっているのです?」
「晴真様が術式を書いていらっしゃるんです」
「まあ」
珠代も紙を覗く。
「…………」
少し間があった。
そして笑顔で。
「ずいぶん個性的な字ですね」
「そうかな?」
晴真が照れたように頭を掻く。
「えへへ」
道満と銀花は同時に思った。
(褒められてない)
「ですが――」
珠代は懐かしそうに紙を見る。
「本当に龍姫様の字によく似ていますね」
その言葉に。
春花がぴくりと反応した。
珠代の視線が――。
すーっ。
春花へ向く。
「そういえば」
にっこり。
「龍姫様があのような個性的な文字を書くようになったのは……」
「どなたの影響でしたでしょうね?」
「…………」
春花の眼鏡が僅かにずれた。
「な、なぜ私を見るのですか」
珍しく焦っている。
そこへ――。
「ほっほっほ!」
楽しそうな声。
チヨヒメだった。
「そうじゃのう」
「春花も昔から、なかなか独特な字を書くからのう」
「チヨヒメ様!」
「確かに」
今度はクシナダまで頷く。
「龍姫様は幼い頃から春花に教わっておったからな」
「師匠の字に似てしまったのじゃろう」
「失礼ですよ、皆さん!」
春花が頬を膨らませる。
「字なんて!」
「読めればいいんです!」
「それを悪筆というのじゃ」
「クシナダ様!」
皆が笑った。
晴真は自分の字を見る。
春花の字を見る。
「……似てるかな?」
「晴真様まで比べないでください!」
◇
「まあ」
道満が紙を受け取る。
「字の形は仕方ないとして――」
「仕方ない!?」
晴真が少し傷つく。
「そこは気にするな」
「気になるよ!」
道満は構わず続ける。
「術式なんだから、もっと整理して書いた方がいい」
指で紙を示す。
「ここ」
「火炎の術式と霊力を流す術式が近すぎる」
「あ、本当だ」
銀花も横から助言する。
「晴真様」
「文字の大きさも揃えてみてはいかがでしょう」
「大きさ?」
「はい」
「一文字だけ大きくなってしまうと、術式全体の形が崩れてしまいますから」
「分かった!」
晴真が新しい紙を取る。
「もう一回やってみる!」
さらさらさら――。
「…………」
道満。
「…………」
銀花。
「できた!」
晴真が見せる。
道満は紙を見る。
さっきの紙を見る。
もう一度、新しい紙を見る。
「晴真」
「うん?」
「全然変わってないぞ」
「ええっ!?」
皆が笑う。
◇
そんな中。
少し離れたところで見ていたミヅチが、ふと思い出したように言った。
「そういえば沙羅も、あまり字は上手くないのう」
「おい!」
沙羅が振り返る。
「読めりゃいいんだよ!」
「ほれ」
ミヅチが笑う。
「春花と同じことを言っておる」
「一緒にすんな!」
「沙羅様」
春花がじろり。
「どういう意味ですか?」
「……悪かった」
そのやり取りに、また笑いが起きる。
道満がふと思い出した。
「そういえば正臣先生の術式は、とても綺麗ですね」
「うむ」
クシナダが頷く。
「正臣はなかなか達筆じゃ」
そして道満を見る。
「其方も綺麗な字を書くのう」
「ありがとうございます」
道満は少し嬉しそうに頭を下げる。
するとミヅチが懐かしそうに言った。
「夜叉丸も達筆じゃったぞ」
「え?」
道満が反応する。
「夜叉丸様も?」
「うむ」
「実に美しい字を書く男じゃった」
その瞬間。
道満が宵桜を手に取った。
「では――」
鞘から少しだけ刀身を引き出す。
そこには。
短い霊木の刀身いっぱいに刻まれた、美しい術式。
「この術式も……」
道満が見せる。
「大変美しいと思っていたのですが」
珠代が覗き込む。
そして懐かしそうに微笑んだ。
「ええ」
「それは――夜叉丸様が自ら刻まれたものですよ」
「本当ですか!?」
道満の目が輝く。
「夜叉丸様ご自身が!?」
「はい」
「一文字ずつ、ご自分で」
道満は改めて宵桜を見る。
「これを……夜叉丸様が……」
その横顔は。
完全に憧れの英雄を見る少年だった。
チヨヒメが懐かしそうに笑う。
「あやつは、よく術式を書いておったのう」
「そうじゃったな」
クシナダも頷く。
「もっとも――」
ミヅチがにやり。
「龍姫様に書かされていたことの方が多かったがな」
「書かされていた?」
晴真が首を傾げる。
チヨヒメが笑いながら昔を思い出す。
「龍姫様が新しい術を思いつくじゃろ?」
「うん」
「それを札へ書き始めるのじゃが――」
チヨヒメが晴真の紙を見る。
「まあ……こんな感じじゃ」
「ええっ!?」
晴真が自分の紙を見る。
「すると夜叉丸が隣で見ておってな」
珠代が懐かしそうに続ける。
「最初は黙って我慢しているんです」
「でも――」
銀花も笑い始める。
「途中で我慢できなくなるんですよね」
「そうそう」
ミヅチが笑う。
そして夜叉丸の真似をする。
「――龍姫様」
「なんじゃ?」
「……貸してください」
「何をじゃ?」
「筆です」
「なぜじゃ?」
「私が書きます」
「妾が書いておるではないか」
「ですから!」
クシナダが吹き出す。
「最後には夜叉丸が」
「何を書くのですか!」
「私が書きますから、龍姫様は内容だけ仰ってください!」
「……となるのじゃ」
「あったあった!」
沙羅まで笑い出す。
「アイデアだけは龍姫様、次から次へと思いつくんだけどな!」
「字がなぁ」
「失礼じゃぞ」
チヨヒメは笑いながら言う。
皆が懐かしそうに笑っていた。
◇
そんな話を聞きながら。
晴真は再び術式を書いていた。
「今度こそ……」
道満が横から覗く。
「だから、そこはもう少し小さく書け」
「こう?」
「小さすぎる!」
「難しいなぁ」
「貸してみろ」
道満が筆へ手を伸ばす。
「俺が書く」
「えー」
「何を書くんだ?」
「僕が書くよ」
「だから読みにくいんだ!」
「ちゃんと読めるよ!」
「俺が書くから内容を言え!」
「僕が思いついた術なのに!」
「だから俺が術式にするんだ!」
「…………」
そのやり取りを。
ミヅチ。
チヨヒメ。
クシナダ。
銀花。
珠代。
春花。
そして沙羅が――。
黙って見つめていた。
「…………」
晴真が紙を抱え。
道満が筆を取り上げようとしている。
「貸して!」
「嫌だよ!」
「俺が書く!」
「自分で書く!」
しばらくして。
ミヅチが小さく笑った。
「……懐かしいのう」
チヨヒメも優しく目を細める。
「本当に」
珠代が微笑む。
「よく似ていらっしゃいますね」
龍姫が思いつき。
夜叉丸が形にする。
四百年前。
何度も繰り返されていた光景。
そして今――。
晴真が思いつき。
道満が術式へ落とし込もうとしている。
本人たちは。
そんなことなど何も知らない。
「道満君! そこは違うよ!」
「なら最初からそう言え!」
「だから僕が書くって!」
「お前が書くと分からなくなるんだ!」
「分かるってば!」
「分からん!」
わあわあと言い合う二人。
その姿を見つめながら。
かつて龍姫と夜叉丸を知る者たちは――。
誰も止めようとはしなかった。
ただ。
遠い昔を思い出すように。
懐かしそうに――。
二人を見守っていた。




