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第百八話 紅蓮の突破と迫り来る追走者


「妾たちは――止まらぬのじゃ!!」


舞桜の叫びと同時に、霊馬《焔》の全身から紅蓮の霊力が噴き上がった。


その炎のような霊力は、舞桜の乗る焔だけでなく、並走する四頭の霊馬をも包み込んでいく。


「うわっ! なんだこれ!?」


智則が驚きの声を上げた。


「熱くない……?」


雛菊が不思議そうに自分の腕を見る。


身体を包み込む紅い霊力は、まるで炎のように揺らめいているというのに、少しも熱さを感じなかった。


「これは焔の霊力じゃ! 妾の霊力と合わせておる!」


舞桜は嬉しそうに笑った。


「さあ、行くぞ!!」


その瞬間――。


ドォォォォォン!!


巨大な水柱が五人の正面で弾けた。


凄まじい水圧。


並の結界ならば、一瞬で押し潰されてしまうほどの威力だった。


「きゃあああっ!!」


雛菊が悲鳴を上げる。


「舞桜!!」


詩織も思わず叫んだ。


しかし舞桜は、少しも怯んでいなかった。


「焔!!」


ヒヒィィィィン!!


焔が高らかに嘶く。


紅蓮の霊力がさらに膨れ上がり、五頭の霊馬を覆う炎の膜が一段と厚くなる。


激流と紅蓮の霊力が衝突した。


ジュウウウウウッ!!


凄まじい音とともに、大量の白い水蒸気が噴き上がった。


「うわっ、前が見えねぇ!!」


夏樹が叫ぶ。


「舞桜! このままじゃ道が分からない!」


詩織の声が響く。


だが、舞桜は笑っていた。


「心配するでない!」


「何か考えがあるの!?」


「ない!!」


「ないの!?」


詩織と雛菊の声が見事に重なった。


「じゃが、前に進めばよいのじゃろう?」


「そんな単純な話じゃないでしょ!!」


詩織の怒鳴り声が響いた。


その時だった。


「待て! 何かおかしいぞ!」


智則が声を上げた。


「水の勢いが弱くなってないか?」


「えっ?」


雛菊が顔を上げる。


確かに、先ほどまで五頭を押し戻そうとしていた水圧が弱まっていた。


「違う……」


詩織は白い水蒸気の向こうに目を凝らした。


「弱くなったんじゃないわ」


水流が左右へと分かれている。


まるで目に見えない大きな壁にぶつかったかのように、激流が五頭の周囲を流れていく。


「焔の霊力が水を押し分けているのね!」


「その通りじゃ!」


舞桜が得意げに胸を張る。


「焔の紅蓮毛は、ただ速く走るだけの力ではない!」


焔は全身から紅い霊力を放出し続けていた。


その霊力は激流を蒸発させるだけではなく、外側へ押し退ける力を生み出している。


「妾と焔の霊力を重ねれば、この程度の水など!」


舞桜が笑みを浮かべた。


「恐るるに足らぬのじゃ!!」


しかし――。


グルルルルル……。


水蒸気の向こうから、低い唸り声が響いた。


一瞬、周囲の空気が重くなる。


「……舞桜」


詩織の顔から笑みが消えた。


「何じゃ?」


「水虎は、まだそこにいるわよね?」


「うむ!」


「じゃあ……今、私たちが向かっている方向は……」


その瞬間。


白い水蒸気が左右に割れた。


そこにいたのは――。


巨大な水虎だった。


「ぎゃああああっ!!」


智則と夏樹が揃って悲鳴を上げる。


水虎は五頭の霊馬を見下ろし、鋭い牙を剥き出しにしていた。


「舞桜! 真正面よ!!」


詩織が叫ぶ。


「おおっ!」


舞桜の目が輝いた。


「これは好都合じゃな!」


「どこがよ!!」


次の瞬間。


水虎が巨大な前脚を振り上げた。


「来るぞ!!」


夏樹の叫びとともに、その前脚が勢いよく振り下ろされる。


しかし――。


「右へ!!」


詩織が即座に叫んだ。


その声に反応し、五頭の霊馬が一斉に進路を変える。


ズガァァァン!!


水虎の前脚が地面を叩きつけた。


地面が大きく陥没し、水飛沫と土砂が舞い上がる。


「危なかった……!」


雛菊が震える声を漏らす。


「舞桜! 今度こそ私の指示を聞いて!」


詩織が叫んだ。


「うむ! 任せたぞ!」


「最初からそうしてよ!!」


詩織は周囲を見渡した。


水虎の背後には川が流れ、その向こう側には木々に囲まれた細い道が続いている。


「あそこ……!」


詩織が指差した。


「川の向こう! あそこまで抜ければ、縄張りの外に出られるかもしれない!」


「なるほどのう!」


舞桜が大きく頷く。


「では、突っ切るぞ!」


「だから正面から行かないで!!」


再び詩織の怒声が響いた。


その横で智則が呟く。


「……なあ、詩織」


「何よ!」


「お前、舞桜と一緒にいると大変だな」


「今さら気づいたの!?」


夏樹と雛菊が思わず笑いそうになる。


だが、その余裕は一瞬で消えた。


グォォォォォォ!!


水虎が咆哮を上げる。


周囲の川から、幾本もの巨大な水柱が立ち上がった。


「また来るぞ!!」


「雛菊! 囮札は残ってる!?」


詩織が叫んだ。


「あと二枚!」


「十分よ! 水虎の左側に放って!」


「分かった!」


雛菊は懐から二枚の札を取り出し、霊力を流し込む。


「行けっ!!」


二枚の札が宙を舞った。


次の瞬間、札から霊力と音を放つ二つの囮が現れ、水虎の左側へ走り出す。


水虎の視線が一瞬だけ動いた。


「今よ!!」


詩織が叫ぶ。


「舞桜! 右側から回り込んで!」


「承知した!!」


舞桜が焔の手綱を握り直した。


「皆の者、遅れるでないぞ!!」


五頭の霊馬が一斉に駆け出す。


水虎が囮に気を取られた、ほんの一瞬。


それが、詩織の狙った好機だった。


「このまま川を越えるわよ!」


「おう!!」


智則と夏樹が声を揃えた。


だが――。


水虎はすぐに囮が偽物だと気づいた。


グルァァァァァ!!


怒りの咆哮とともに、川の水が逆巻き始める。


「まずい! 気づかれた!」


雛菊が叫ぶ。


「舞桜!!」


詩織が声を張り上げた。


舞桜は笑った。


「分かっておる!」


そして、焔の首筋を優しく叩く。


「もう少しじゃ。頼むぞ、焔」


ヒヒィィィン!!


焔が応えるように嘶いた。


紅蓮の霊力が再び燃え上がる。


「皆の者!!」


舞桜が振り返った。


「妾から離れるでないぞ!!」


五頭の霊馬がひとまとまりになった。


その直後――。


「行くぞ、焔!!」


焔が地面を強く蹴った。


五頭を包む紅蓮の霊力が、巨大な炎の塊のように川へ飛び込んでいく。


ドォォォォォン!!


激流を押し分け、五頭が一気に対岸へと突き進んだ。


水虎もすかさず水柱を放つ。


しかし、紅蓮の霊力に包まれた五頭は、その水柱を突き破った。


「うおおおおお!!」


「行けえええ!!」


智則と夏樹が叫ぶ。


そして――。


五頭の蹄が対岸の地面を捉えた。


「抜けた!!」


雛菊が歓喜の声を上げた。


「まだよ! 走って!!」


詩織が叫ぶ。


背後では、水虎が再び咆哮を上げていた。


だが、五頭が川から離れるにつれて、その声は次第に遠ざかっていった。


やがて――。


水虎の姿が完全に木々の向こうへ消えた。


「……追ってこない?」


雛菊が振り返る。


「どうやら、縄張りから出られたみたいね」


詩織が安堵の息を漏らした。


「やったぞ!!」


智則が拳を突き上げる。


「水虎を突破した!!」


夏樹も嬉しそうに笑った。


だが、舞桜だけは――。


「むぅ……」


どこか不満そうだった。


「どうしたの、舞桜?」


雛菊が尋ねる。


舞桜は振り返り、水虎のいた方向を見つめた。


「できれば、もう少し相手をしてみたかったのう」


「絶対に嫌よ!!」


詩織の声が森に響き渡った。


その声に、智則と夏樹は大笑いした。


「ははは! 舞桜らしいな!」


「詩織、お疲れ!」


「他人事みたいに言わないで!」


雛菊も笑っていた。


そんな仲間たちを見て、舞桜は満足そうに微笑んだ。


「まあ、よい」


そして前を向く。


「妾たちは、先頭を目指しておるのじゃからな!」


舞桜が手綱を引いた。


「さあ! 先を急ぐぞ!!」


五頭の霊馬が再び速度を上げた。


水虎の縄張りを突破した三組。


その前方には、木々の隙間から明るい光が差し込んでいた。


第五走の終わりは、もう遠くない。


一方、その頃。


一組の第五走班もまた、森の出口へと迫っていた。


「見えたぞ!!」


刀也が声を上げる。


その先には、木々の間から差し込む明るい光があった。


「やっと森を抜けられるのね!」


紅葉が嬉しそうに言った。


「まったく、刀也の無茶には付き合いきれないわ」


凛は呆れたように笑う。


「何言ってんだよ! 俺のおかげで近道できたんだろ?」


刀也が得意げに胸を張る。


「そうだけど、霊力を使いすぎよ!」


「細かいこと気にすんなって!」


「細かくないわよ!」


二人のやり取りに、豪太が豪快に笑った。


「ははは! まあ、森を抜けられたんだからいいじゃねぇか!」


「そうですね」


小夜も微笑んだ。


しかし、その直後。


小夜の表情が変わった。


「……皆さん」


「どうしたの、小夜?」


凛が尋ねる。


小夜は目を閉じ、周囲の音に意識を集中させた。


《森羅聴》。


木々のざわめき。


風の流れ。


遠くで響く水音。


そして――。


「……聞こえます」


小夜が呟いた。


「何が?」


「霊馬の蹄の音です」


「えっ!?」


全員が小夜を見る。


「それも、一頭や二頭ではありません」


小夜はさらに意識を集中させた。


「五頭……おそらく五頭です!」


「ほかの組か!?」


刀也が目を輝かせた。


「はい。それに……」


小夜は少し驚いたように目を開いた。


「かなり速いです!」


凛の表情が引き締まる。


「どの方向?」


小夜が右前方を指差した。


「川の向こうです!」


「川?」


紅葉が首を傾げる。


「そういえば、さっきから水の音が聞こえるわね」


「ええ。でも、今聞こえている蹄の音は……」


小夜は一度言葉を切った。


「こちらに近づいています!」


その瞬間だった。


遠くから――。


「はーっはっはっは!!」


聞き覚えのある、楽しそうな笑い声が響いた。


「……ん?」


刀也が眉をひそめる。


「なんだ? あの笑い声」


凛は思わず苦笑した。


「……まさか」


豪太も笑みを浮かべる。


「いや、間違いねぇだろ」


紅葉が呟いた。


「舞桜ちゃん……?」


その時。


「皆の者! もう少しじゃ!!」


遠くから響く声。


一組の全員が顔を見合わせた。


「やっぱり舞桜だ!!」


刀也が叫ぶ。


「三組が近くにいるの!?」


凛の目が鋭くなる。


「しかも、私たちより先にいる可能性があるわ!」


「えっ!? マジかよ!」


刀也が驚く。


「せっかく俺が森を切り開いたのに!」


「だから、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」


凛は前方を見据えた。


「皆! 急ぐわよ!」


「おう!!」


五頭の霊馬が加速する。


一組が森の出口へ飛び出した。


そこには、川沿いに広がる大きな草原があった。


そして――。


その先を走る五頭の霊馬。


先頭には、紅い霊力を纏った一頭の霊馬。


「いた!!」


豪太が叫ぶ。


「舞桜たちだ!!」


刀也が笑みを浮かべた。


「おーい!! 舞桜ーー!!」


その大声は、草原を駆け抜けた。


「……ん?」


先頭を走っていた舞桜が振り返る。


「今、誰か妾を呼んだか?」


「気のせいじゃない?」


詩織が答えた。


しかし、次の瞬間。


「舞桜ーー!! 待てーー!!」


はっきりと聞こえてきた声。


智則が後ろを振り返った。


「……おい」


「どうした?」


夏樹が尋ねる。


智則は目を見開いた。


「一組だ!!」


「何っ!?」


三組の全員が振り返る。


そこには――。


凄まじい速度で追いかけてくる、五頭の霊馬の姿があった。


「嘘でしょ!?」


雛菊が叫ぶ。


「だって、私たちが一番 近道を通っていると思っていましたわ!」


「何でこんなに早いんだよ!?」


夏樹も驚きを隠せない。


詩織は、その先頭にいる少女を見た。


麻賀多凛。


そして、その横には立身刀也の姿。


「……なるほどね」


詩織が小さく呟いた。


「きっと、何か無茶なことをしたんでしょうね」


その言葉に、舞桜が楽しそうに笑った。


「はっはっは! 面白いではないか!」


「面白くないわよ!」


「妾たちを追ってくるとは、なかなかやるのう!」


舞桜は前を向いた。


その瞳には、先ほど水虎を相手にしていた時以上の輝きが宿っていた。


「じゃが――」


焔が高らかに嘶く。


「そう簡単に追いつかせるつもりはないぞ!」


紅蓮の霊力が、再び焔の全身から噴き上がった。


「皆の者!!」


舞桜が叫ぶ。


「ここからが本当の勝負じゃ!!」


「言われなくても分かってるわ!」


詩織が手綱を握り直した。


雛菊、智則、夏樹もそれに続く。


一方、後方の一組。


凛は前を走る三組を見据えていた。


「皆、見て!」


「おう! 舞桜たちが加速したな!」


刀也が楽しそうに笑う。


豪太も拳を握りしめた。


「負けてらんねぇな!」


「ええ!」


紅葉が頷いた。


小夜も静かに微笑む。


「凛さん。私たちも行きましょう!」


「もちろん!」


凛は襷を胸に押さえた。


晴真から託された、大切な襷。


ここで順位を落とすわけにはいかない。


「絶対に負けないわよ!」


五頭の霊馬が一斉に加速した。


紅蓮の霊力を纏い、先頭を走る三組。


そして、その背中を猛追する一組。


二つの組が、同じ草原を駆け抜けていく。


だが――。


その頃。


二組、そして四組もまた五組も、別々の道を通って第五走の終盤へと近づいていた。


誰が最初に最後の道を抜けるのか。


まだ、誰にも分からない。


桜駆け第五走。


最も順位が入れ替わると言われる、運命の区間。


その本当の勝負は、ここから始まろうとしていた。


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