第百七話 斬り拓く者と水虎の縄張り
「道がねぇなら――俺が作ってやるよ!!」
深い森の中。
立身刀也の全身から、凄まじい霊力が噴き上がった。
ゴウッ!!
刀也が握る霊木の木刀に、膨大な霊力が流れ込んでいく。
その霊力は木刀の表面を覆い、やがて刀身の先へと伸び始めた。
一尺。
二尺。
さらに、その先へ。
「……えっ!?」
凛が目を見開いた。
「ちょっと、刀也!?」
「なんですの、あれは……!」
紅葉も驚きの声を上げる。
木刀から伸びた霊力は、もはや普通の刀の長さではなかった。
巨大な光の刃。
それは、まるで大太刀のような形を成していた。
「おおっ!」
豪太が嬉しそうに笑う。
「すげぇじゃねぇか!」
しかし、小夜だけは少し違うところに注目していた。
「……すごい」
その瞳に映るのは、刀也の全身を巡る霊力の流れ。
丹田から湧き上がる霊力が、腕を通り、木刀へと集中している。
しかも。
その流れには、ほとんど乱れがなかった。
「……クシナダ様の修練の成果ですね」
小夜が小さく呟いた。
刀也は口元に笑みを浮かべた。
「へへっ!」
そして、前方に広がる森を睨む。
「いくぜぇぇぇ!!」
大きく踏み込み、腰を捻る。
立身裏一刀流。
全身の力を刃へ伝える、鋭い横薙ぎの一閃。
しかし、今の刀也が振るうのは、ただの剣撃ではない。
霊力によって巨大化した刃を、さらに前方へと解き放つ。
「おらぁぁぁぁ!!」
ズバァァァァァン!!
巨大な霊力の斬撃が、森の奥へと駆け抜けた。
次の瞬間。
バキバキバキバキッ!!
「きゃあっ!?」
凛が思わず身を伏せた。
斬撃が通過した場所から、無数の枝が宙を舞う。
進路を塞いでいた木々が次々と斬り裂かれ、太い幹までもが音を立てて倒れていった。
さらに。
ゴォォォォォッ!!
斬撃に伴う強烈な風圧が、倒れかけた木々を左右へと押し分けていく。
「うわぁぁぁ!!」
豪太が声を上げた。
「すげぇぇぇ!!」
そして。
やがて斬撃が消え去った後。
五人の前には、先ほどまで存在しなかった光景が広がっていた。
「…………」
凛が、ぽかんと口を開けた。
「……嘘」
そこには。
森の奥へ向かって、真っ直ぐに伸びる道ができていた。
決して整備された道ではない。
斬り倒された木々の切り株。
削られた地面。
左右へ押しやられた枝葉。
だが、霊馬が走り抜けるには十分な幅が確保されていた。
「……本当に」
紅葉が呆然と呟く。
「道を作ってしまいましたわ……」
「がはははっ!」
豪太が腹を抱えて笑い始めた。
「すげぇぞ、刀也!」
「へへっ!」
刀也は得意げに笑った。
「どうだ!」
しかし。
その直後。
「……はぁっ!」
刀也が大きく息を吐いた。
「はぁ……はぁ……!」
額から汗が流れ落ちる。
「……っ!」
凛が心配そうに駆け寄った。
「刀也! 大丈夫!?」
「ああ!」
刀也は笑って答えた。
「ちょっと霊力を使いすぎただけだ!」
「ちょっとって……」
凛は呆れた顔になる。
「顔色、悪いわよ!」
「へへっ……」
刀也は苦笑した。
「さすがに、あれだけの霊力を一度に放つのは、きついな」
小夜が静かに頷いた。
「それだけの威力ですから……」
そして、新しくできた道へ目を向けた。
「でも、すごいです。かなり真っ直ぐ進めそうですね」
「そうですわね!」
紅葉も頷く。
「これなら、今までのように大きく遠回りする必要はありませんわ!」
「よっしゃ!」
豪太が槍を肩に担いだ。
「だったら、早速行こうぜ!」
「待って!」
凛が声を上げる。
「刀也は大丈夫なの?」
「大丈夫だって!」
刀也は木刀を肩に担ぎ直した。
「走るくらい、どうってことねぇよ!」
「……本当?」
「おう!」
そして、にやりと笑う。
「それに、まだ道は全部できてねぇだろ?」
「……えっ?」
凛が固まった。
「まさか、もう一回やるつもり!?」
「当たり前だろ!」
刀也は笑った。
「ゴールまで真っ直ぐ行くんだからな!」
「ちょっと待ちなさい!!」
凛が叫んだ。
「そんなこと何回もやってたら、霊力がなくなっちゃうでしょ!」
「うっ……」
刀也が言葉に詰まる。
「それは……まぁ……」
「まぁ、じゃない!」
そのやり取りを見ていた豪太が、再び笑った。
「がははっ! だったら、俺たちも手伝えばいいじゃねぇか!」
「……えっ?」
豪太は槍を構えた。
「刀也が大きな木を斬るなら、俺たちは細かい邪魔なもんを片付けりゃいい!」
「なるほど!」
紅葉が頷いた。
「それなら、刀也さんの負担を減らせますわね!」
「私も!」
凛が札を取り出した。
「火球で邪魔な物怪を追い払うくらいならできるわ!」
「私は森の気配を探ります!」
小夜も笑顔になる。
「危険な場所や、霊馬が通りやすい地形を探しますね!」
「おおっ!」
刀也が嬉しそうに笑った。
「いいじゃねぇか!」
豪太も頷く。
「一人で全部やろうとすんなよ!」
そして、刀也の肩を軽く叩いた。
「俺たち五人で走ってんだからな!」
「……へへっ!」
刀也は少し照れくさそうに笑った。
「そうだな!」
凛は四人を見渡した。
そして、満面の笑みを浮かべる。
「よし! じゃあ、みんな!」
「おう!」
「行きますわよ!」
「はい!」
凛が手綱を握り直した。
「ここから、一気に取り返すわよ!」
五頭の霊馬が、刀也の斬り拓いた道へと駆け出した。
◇◇◇
しかし。
その道は、決して楽なものではなかった。
「小夜! 次はどっちだ!?」
「そのまま真っ直ぐです! ただ、少し先に大きな倒木があります!」
「おっしゃ!」
豪太が槍を構えた。
「任せろ!」
霊馬を走らせながら、豪太が槍を振るう。
「どりゃあっ!!」
バキィッ!!
進路を塞ぐ倒木が砕け散った。
「よし!」
その横では、紅葉が薙刀を振るっていた。
「こちらは任せてください!」
シュバッ!!
絡み合う蔦や枝が、次々と切り払われていく。
さらに。
ギィィィッ!!
茂みから飛び出してきた物怪へ、凛が札を向けた。
「もうっ! 邪魔よ!」
「火球!」
ボウッ!!
火球が物怪へ命中し、霊力の粒子となって消えていった。
「よし!」
凛が笑う。
「この調子!」
「おう!」
刀也も木刀を振るった。
ただし、先ほどのような巨大な斬撃ではない。
必要な場所だけに霊力を集中させ、進路を塞ぐ木々を斬り払っていく。
その様子を見ながら、小夜が嬉しそうに言った。
「すごいです!」
「ん?」
「最初より、ずっと霊力の使い方が上手になっています!」
「へへっ!」
刀也が笑う。
「さっきの一発で、ちょっとコツがわかったんだ!」
「……本当?」
凛が笑った。
「やっぱり、刀也って剣のことになるとすごいわね!」
「剣のことだけって言うなよ!」
「だって本当でしょ?」
「ぐっ……!」
豪太が大笑いした。
「がはははっ! 違ぇねぇ!」
「お前まで言うな!」
五人の笑い声が、森に響いた。
だが。
その時だった。
「……あっ!」
小夜が突然、顔を上げた。
「どうしたの?」
凛が尋ねる。
小夜は目を閉じ、耳を澄ませた。
「……聞こえます」
「何が?」
「水の音です!」
「水?」
「はい!」
小夜は前方を指差した。
「それに、森の先から風が流れ込んできています!」
紅葉が顔を上げた。
「……ということは?」
「おそらく……」
小夜は嬉しそうに笑った。
「森の出口が近いんだと思います!」
「本当!?」
凛の顔が輝いた。
「やったぁ!」
「がははっ!」
豪太が笑う。
「こりゃ、意外と早く抜けられそうだな!」
「……へへっ!」
刀也も嬉しそうに笑った。
「よっしゃ!」
そして、前方に残る木々を見据える。
「だったら、最後にもう一発……!」
「刀也!」
凛が睨んだ。
「……はい」
刀也は素直に木刀を下ろした。
「もう大きいのは撃ちません」
「よろしい!」
凛が満足そうに頷いた。
「みんなで進めばいいんだから!」
「おう!」
再び五頭の霊馬が駆け出した。
その先。
木々の隙間から、明るい光が差し込み始めていた。
◇◇◇
一方。
水虎の縄張りの手前では、三組の五人がいまだに頭を悩ませていた。
「……うーん」
詩織が腕を組む。
「やっぱり、正面から戦うのは危険よね」
「そうですわね」
雛菊も頷いた。
「相手は水虎。しかも、この渓谷は水の霊力が非常に濃い場所です」
「つまり……」
智則が言った。
「水虎にとっちゃ、最高の場所ってことか」
「そういうことですわ」
「なるほどなぁ……」
夏樹が滝壺へ視線を向けた。
「水虎って、水を操るんだろ?」
「ええ」
雛菊が答える。
「それも、かなり強力な水術を使う妖として知られています」
「厄介だな……」
夏樹は眉をひそめた。
「この地形じゃ、水はいくらでもあるぞ」
「そうなのよ……」
詩織もため息をついた。
「こっちが不利すぎるわ」
その時。
「……ふむ」
舞桜が腕を組んだ。
「ならば、水虎を倒せばよいのではないか?」
「だから!」
詩織が声を上げる。
「それが危険だって言ってるの!」
「そうですわ!」
雛菊も頷く。
「不用意に刺激してはいけません!」
「むぅ……」
舞桜が少し不満そうに唇を尖らせた。
「せっかく強そうな妖がおるというのに……」
「戦うために来たんじゃないでしょう!」
「そうじゃったな!」
舞桜は笑った。
「桜駆けであった!」
「忘れないでよ!」
詩織が頭を抱えた。
しかし。
その直後だった。
「……あっ」
詩織が小さく声を漏らした。
「……どうしましたの?」
雛菊が尋ねる。
詩織は、水虎のいる滝壺をじっと見つめていた。
「……そうか」
「詩織?」
「ねぇ、みんな」
詩織が顔を上げた。
「水虎って、縄張りに入らなければ襲ってこないのよね?」
「……あぁ」
夏樹が頷く。
「少なくとも、そういう習性があるって聞いたことはある」
「じゃあ……」
詩織は前方を指差した。
「私たちが今いる場所は、水虎の縄張りの外ってことよね?」
「そうなるな」
智則が頷いた。
「それがどうした?」
「……つまり」
詩織は笑みを浮かべた。
「水虎は、縄張りの外にいる私たちを、わざわざ追いかけてはこない可能性が高いってことよ」
「…………」
四人が顔を見合わせた。
「……なるほど?」
智則が首を傾げる。
「いや、何がなるほどなんだ?」
「だから!」
詩織は少し呆れながら続けた。
「水虎を倒す必要なんてないのよ!」
「……えっ?」
雛菊が目を丸くする。
「倒さなくてもよいのですか?」
「そう!」
詩織は頷いた。
「私たちは、この先の道へ進めればいいだけなんだから!」
そして、滝壺の向こうへ続く道を指差した。
「水虎の注意を引きつけて、その隙に通り抜ければいいのよ!」
「……おおっ!」
智則が声を上げた。
「なるほど!」
「しかし……」
夏樹が眉をひそめる。
「誰かが縄張りに入って注意を引くんじゃ、危険なのは変わらないぞ」
「そうね」
詩織が頷いた。
「だから、そこを工夫するの」
そして、雛菊へ顔を向けた。
「雛菊。あなたの札術で、水虎の注意を引けると思う?」
「……札術で?」
雛菊は少し考えた。
「何をするかにもよりますが……」
「水虎を直接攻撃するんじゃなくて、別の場所に音や気配を作るの」
「……あっ!」
雛菊が顔を上げた。
「なるほど!」
そして、嬉しそうに頷く。
「それなら、幻術や音を発生させる札を組み合わせれば、できるかもしれませんわ!」
「本当!?」
「はい!」
雛菊は札を取り出した。
「ただし、水虎ほどの妖を騙し続けるのは難しいと思います」
「それで十分よ!」
詩織が笑った。
「ほんの少し、注意を逸らせればいいんだから!」
「なるほどな!」
夏樹も頷いた。
「その隙に一気に駆け抜けるってわけか」
「そういうこと!」
智則が笑った。
「いいじゃねぇか!」
「でしょう?」
詩織は得意げに笑った。
その時。
「……ふむ!」
舞桜が満足そうに頷いた。
「さすが詩織じゃ!」
「……えっ?」
「妾の見込んだ通りじゃな!」
舞桜は胸を張った。
「やはり、其方に任せて正解だったのう!」
「…………」
詩織の笑顔が引きつった。
「……あなたねぇ」
「なんじゃ?」
「少しは手伝いなさいよ!」
「もちろんじゃ!」
舞桜は即答した。
「妾は何をすればよい?」
「……えっ?」
そのあまりに素直な返答に、詩織が少し驚いた。
舞桜は笑っていた。
しかし、その瞳は真剣だった。
「策を考えるのは其方たちの方が得意じゃ」
そして、焔の首筋を優しく撫でる。
「だが、走ることなら妾に任せよ!」
「……舞桜」
「水虎がどれほど恐ろしい妖であろうと、妾と焔が先頭を駆け抜けてみせよう!」
焔が力強く嘶いた。
「ヒヒィィィィン!!」
その声に応えるように、ほかの四頭の霊馬も顔を上げた。
「……ふふっ」
詩織は思わず笑った。
「本当に、あなたって人は……」
そして、雛菊を見た。
「じゃあ、決まりね!」
「はい!」
雛菊も頷いた。
「わたくしたちが水虎の注意を逸らし、舞桜さんが先頭を走る」
「おう!」
智則が笑う。
「俺たちは、遅れずついていけばいいんだな!」
「ああ」
夏樹も頷いた。
「ただし、油断はするなよ」
そして、水虎を見据えた。
「あいつが本当に幻術に引っかかるかは、やってみなきゃわからないんだからな」
「そうね」
詩織は真剣な表情で頷いた。
「もしもの時は、無理に突破しないこと」
そして、舞桜へ視線を向ける。
「特に、舞桜!」
「む?」
「絶対に一人で戦い始めないでよ!」
「…………」
舞桜は少し考えた。
「……善処するのじゃ!」
「絶対って言ってるでしょう!!」
詩織の叫びが、渓谷に響き渡った。
◇◇◇
しばらくして。
「……準備できましたわ」
雛菊が静かに告げた。
その手には、数枚の札が握られていた。
音を操る札。
霊力の気配を作り出す札。
そして、それらを離れた場所で発動させるための札。
複数の術式を組み合わせ、水虎の注意を引くための仕掛けを作り上げたのだ。
「……すごいわね」
詩織が感心したように言う。
「こんな短時間で、よく組めたわね」
「ふふっ」
雛菊が少し得意げに微笑んだ。
「これくらい、麻賀多の名を持つ者なら当然ですわ!」
「頼もしいわ!」
詩織は笑った。
そして、ほかの三人へ視線を向ける。
「いい? 雛菊が術を発動させたら、水虎の反応を確認するわ」
「おう!」
「わかった!」
「うむ!」
「それから、舞桜が先頭を走る」
詩織は続けた。
「ただし、絶対に隊列を崩さないこと!」
「任せるのじゃ!」
舞桜が笑った。
「焔!」
「ヒヒィィィィン!!」
「皆を頼んだぞ!」
焔が力強く地面を蹴った。
その瞬間。
四頭の霊馬にも、変化が現れた。
霊力の巡りが活発になり、呼吸が自然と揃っていく。
《紅蓮毛》。
群れの長として認められた焔の力が、再び発揮され始めていた。
「……よし」
詩織は小さく息を吐いた。
「雛菊、お願い!」
「はい!」
雛菊が札を構えた。
「では……参りますわ!」
ヒュッ!
数枚の札が宙へと舞う。
札は風に乗って渓谷の上を進み、水虎のいる滝壺から少し離れた岩場へと向かった。
そして。
「術式解放!」
雛菊が声を上げる。
パァァァッ!!
札が淡い光を放った。
次の瞬間。
ガラガラガラッ!!
渓谷の反対側から、岩が崩れ落ちるような大きな音が響いた。
さらに。
そこへ、複数の霊力の気配が生まれる。
まるで、何者かが岩場を駆け回っているかのように。
「……!」
水虎の耳が、ぴくりと動いた。
グルルル……。
巨大な頭が、ゆっくりと音のした方へ向けられる。
「……よし!」
智則が小さく声を上げた。
「引っかかったぞ!」
「まだよ!」
詩織が制した。
「もう少し様子を見て!」
水虎は岩場を見つめていた。
そして。
グオォォォォッ!!
突然、大きく吠えた。
ドバァァァァン!!
滝壺の水が盛り上がり、巨大な水の塊となって岩場へ向かって飛んでいった。
轟音とともに水が炸裂する。
「ひっ!?」
雛菊が思わず身を竦めた。
「な、なんという威力……!」
「……すごいわね」
詩織も息を呑む。
岩場の一部が砕け散り、激しい水飛沫が舞い上がっていた。
もし、あれをまともに受けていたら。
そう考えるだけで、背筋が寒くなる。
しかし。
「……今じゃな?」
舞桜が静かに尋ねた。
「……ええ」
詩織は頷いた。
「水虎の注意は向こうに向いているわ」
そして、前方の道を指差す。
「今なら、通り抜けられるかもしれない!」
「ふふん!」
舞桜は嬉しそうに笑った。
「よし!」
手綱を握り直す。
「皆の者!」
「はい!」
「おう!」
「行くぞ!」
舞桜は大きく息を吸い込んだ。
そして。
「焔!!」
「ヒヒィィィィン!!」
「駆けるのじゃぁぁぁ!!」
ドドドドドドッ!!
五頭の霊馬が、一斉に駆け出した。
焔を先頭に、四頭がぴたりと続く。
その速度は、先ほどよりもさらに速い。
まるで、五頭の霊馬が一つの生き物になったかのようだった。
「すごい……!」
詩織が思わず呟いた。
「本当に、速い!」
「当然じゃ!」
舞桜が笑う。
「このまま、一気に抜けるぞ!」
「はい!」
五人は水虎の縄張りへと踏み込んだ。
その瞬間。
グルルルルル……。
「……っ!」
雛菊が顔を上げた。
「……待ってください!」
「どうした!?」
智則が叫ぶ。
「水虎が……!」
その時だった。
ドンッ!!
まるで、渓谷全体が脈打つような衝撃が走った。
「……えっ?」
詩織が振り返る。
水虎は、すでにこちらを見ていた。
蒼い瞳が、五人の姿を捉えている。
「……嘘」
詩織の顔から血の気が引いた。
「もう、気づかれた!?」
グルルルルルル……。
水虎が、ゆっくりと立ち上がった。
その巨大な体から、水が滝のように流れ落ちていく。
そして。
ゴォォォォォッ!!
周囲の水が、一斉に渦を巻き始めた。
「まずい!」
夏樹が叫んだ。
「来るぞ!!」
次の瞬間。
ドバァァァァァン!!
巨大な水柱が、五人の進路を塞ぐように噴き上がった。
「きゃああっ!?」
雛菊が悲鳴を上げる。
「止まって!」
詩織が叫んだ。
しかし。
五頭の霊馬は、すでに全速力で駆けていた。
急停止すれば、隊列が崩れる。
かといって、このまま突っ込めば、水柱に飲み込まれる。
「舞桜!!」
詩織が叫んだ。
その時。
「……ふふっ!」
舞桜が笑った。
「……えっ?」
詩織が目を丸くする。
舞桜は、目の前に立ち上がる巨大な水柱を見据えていた。
その瞳には、恐怖など微塵もない。
むしろ。
先ほどよりも、ずっと嬉しそうだった。
「……やはり」
舞桜は、にやりと笑った。
「そう簡単には、通してくれぬか!」
「喜んでる場合じゃないでしょう!!」
詩織の叫びが響く。
しかし。
舞桜は、焔の首筋を優しく撫でた。
「……のう、焔」
「ブルルルッ!」
「久しぶりに、あれをやるかのう?」
焔が、力強く嘶いた。
「ヒヒィィィィン!!」
その瞬間。
焔の真紅のたてがみが、炎のように揺らめいた。
そして。
五頭の霊馬を包み込むように、紅い霊力が広がり始める。
「……えっ?」
詩織が目を見開く。
「舞桜……?」
舞桜は、満面の笑みを浮かべた。
「皆の者!」
そして、声を張り上げる。
「しっかり掴まっておれよ!」
「ちょ、ちょっと!?」
雛菊が慌てる。
「何をするつもりですの!?」
「はははっ!」
舞桜は豪快に笑った。
「決まっておろう!」
前方には、天高く噴き上がる巨大な水柱。
その向こうには、水虎が待ち構えている。
だが。
舞桜は、少しも速度を緩めなかった。
「妾たちは――」
焔が、大きく地面を蹴った。
ドンッ!!
「止まらぬのじゃ!!」
真紅の霊力が、五頭の霊馬を包み込んだ。
その直後。
水虎が、大きく口を開いた。
グオォォォォォォッ!!
渓谷を震わせる咆哮。
そして、巨大な水柱が五人へと襲いかかる。
水虎の激流。
対するは、紅蓮毛《焔》に率いられた三組の五頭。
果たして舞桜は、この圧倒的な水の壁をどう突破するのか。
桜駆け第五走。
最短の道を選んだ三組に、最大の試練が襲いかかろうとしていた。




