第百五話 運命を分ける五つの門
桜駆け、第五走。
それは、八年制の佐倉陰陽学園で行われる桜駆けの中でも、最も大番狂わせが起こりやすい区間として知られていた。
なぜなら、この第五走には、他の区間にはない特殊な仕掛けが用意されているからだ。
それが――《五つの門》。
第五走の途中には、五つの巨大な門が並ぶ分岐点が存在する。
それぞれの門の先には、まったく異なる道が続いている。
険しい山道。
深い森。
妖の棲む谷。
あるいは、何の障害もない平坦な道。
そして何より重要なのが、それぞれの道の長さが異なるということだった。
どれほど先頭で分岐点へ到着しても、選んだ道によっては簡単に順位が逆転してしまう。
逆に、最後尾からでも、最も有利な道を引き当てれば一気に首位へ躍り出る可能性がある。
だが、その門には一つの決まりがあった。
一度選んだ門は、その組の選手たちが通過すると消滅する。
つまり、後から来た組は、その門を選ぶことができない。
最初に到着した組には五つの選択肢。
二番目には四つ。
三番目には三つ。
四番目には二つ。
そして最後に到着した組には、たった一つの門しか残されない。
しかし。
最後に残された門が、必ずしも不利とは限らない。
その門こそが、最も短い道へ繋がっているかもしれないのだ。
誰が、どの門を選ぶのか。
運と判断力。
そして、その先に待ち受ける試練を乗り越える実力。
それら全てが試される。
ゆえに第五走は、桜駆け最大の波乱を呼ぶ区間として、毎年多くの生徒たちを熱狂させていた。
そして今年もまた。
この五つの門が、各組の運命を大きく変えようとしていた。
◇◇◇
「……あっ! 見えてきた!」
先頭を駆けていた凛が、前方を指差した。
広い草原を抜けた先。
そこには、巨大な五つの門が横一列に並んでいた。
それぞれ異なる装飾が施された石造りの門。
古びた木々に覆われた門もあれば、青白い霊力を帯びた門もある。
しかし、どの門も向こう側は薄い霧に包まれており、その先を見通すことはできなかった。
「うわぁ……」
凛が思わず声を漏らす。
「本当に五つあるんだね!」
「これが噂の五つの門ですか」
紅葉が興味深そうに見つめた。
「どれを選ぶかで、勝敗が大きく変わるんですよね」
「そうみたいだな!」
刀也が笑う。
「面白そうじゃねぇか!」
「面白そうって……」
凛は呆れたように刀也を見た。
「適当に選んだら大変なんだからね!」
「わかってるって!」
五人は門の手前で霊馬の速度を落とした。
どの門にも、道の長さや危険についての説明はない。
ただ、静かに選ばれるのを待っている。
「……どうしよう」
凛が腕を組んだ。
「見た目じゃ、全然わからないね」
「そうですね」
紅葉も考え込む。
「術式の気配は感じますが、どれが正しい道なのか……」
その時。
凛は、ふと小夜を見た。
「ねぇ、小夜ちゃん!」
「はい?」
「森羅聴で、門の向こうの様子ってわからないかな?」
「あっ……!」
小夜が顔を上げた。
「やってみます!」
小夜は霊馬の背で目を閉じた。
そして、静かに意識を集中させる。
《森羅聴》。
森羅万象の微かな音や気配を聞き取る、小夜の持つ特別な資質である。
木々が風に揺れる音。
地を這う小さな虫の気配。
遠くで流れる水の音。
普通の人間には決して聞き取れないような微かな音さえ、小夜の耳には届いていた。
しかし。
「……難しいですね」
小夜が小さく呟いた。
門の向こうは、特殊な結界によって隔てられている。
そのため、普段のように明瞭な音を聞き取ることができなかった。
それでも。
微かに、何かが聞こえる。
小さな囁き声のようなもの。
森に棲む精霊や妖たちの声だろうか。
小夜は、さらに意識を集中させた。
「…………」
そんな小夜を、四人が静かに見守る。
はずだったのだが。
「俺は、どれでもいいと思うけどな!」
突然、刀也が口を開いた。
「こういう時は男らしく、真ん中だろ!」
「…………」
小夜の眉が、ぴくりと動く。
「なぁ、豪太!」
刀也が楽しそうに笑う。
「真ん中って、なんか当たりっぽくねぇか?」
「……おい、刀也」
豪太が低い声で言った。
「ん?」
「今、小夜が頑張ってんだろ」
「えっ?」
「静かにしてろよ!」
「…………」
刀也が口を尖らせた。
「……すいません」
少し不貞腐れた様子で黙り込む。
その姿に凛が苦笑した。
「もう、刀也ったら!」
小夜は小さく笑みを浮かべると、再び耳を澄ませた。
しばらくして。
「……わかりました」
小夜が目を開けた。
「本当!?」
凛が身を乗り出す。
「はい。ただ、はっきりしたことはわかりませんが……」
小夜は五つの門を見渡した。
「一番左の門が、最も声が少ないような気がします」
「声が少ない?」
「はい。他の門からは、たくさんの気配や声が聞こえるんです。でも、一番左だけは、それがかなり少なくて……」
小夜は少し考えた。
「もしかすると、その先の道は比較的短いのかもしれません」
「なるほど!」
凛が頷く。
「距離が短ければ、それだけ出会う妖や精霊も少ない可能性があるってことだね!」
「はい。あくまで推測ですが」
紅葉も頷いた。
「ほかに判断材料もありませんし、小夜さんの感覚を信じましょう」
「そうだね!」
凛は笑顔で答えた。
「じゃあ、一番左の門に……」
その時だった。
コンッ。
何かが石を叩く、小さな音。
「……ん?」
凛が振り返った。
そこには。
暇そうにしていた刀也が、手に持っていた槍の石突で、真ん中の門を軽く小突いている姿があった。
「やっぱり、真ん中がいいと思うんだけどなぁ」
刀也は、そんなことを呟いていた。
そして。
ゴゴゴゴゴゴゴ……。
「…………えっ?」
突然。
真ん中の門が、淡い光を放ち始めた。
門に刻まれた術式が次々と浮かび上がり、重厚な石の扉がゆっくりと開いていく。
「…………」
五人が固まった。
「……えっ?」
刀也が目を丸くする。
「な、なんだ?」
ゴゴゴゴゴッ!!
完全に開かれた門の向こうに、霧に包まれた道が現れた。
そして、ほかの四つの門を隔てるように、透明な結界が展開される。
選択が確定したのだ。
「何をやっているんですかぁぁぁ!!」
紅葉の怒声が響き渡った。
「えええっ!?」
刀也が驚いて振り返る。
「ちょ、ちょっと待て!」
「刀也!?」
凛も叫んだ。
「えっ!? 開いちゃったの!?」
「お前ぇぇぇ!!」
豪太が額に青筋を浮かべた。
「何やってんだよ!!」
「わ、悪りぃって!」
刀也は慌てて両手を上げた。
「わざとじゃないんだぜ!?」
「当たり前でしょう!」
紅葉が怒る。
「わざとだったら、もっと大問題です!」
「いや、でもよ!」
刀也は必死に言い訳を始めた。
「ちょっと叩いただけじゃねぇか! まさか開くなんて思わねぇだろ!?」
「門を選ぶ場所で門を叩いたら、そうなるかもしれないでしょ!」
凛も呆れ顔だ。
「いや、でも!」
刀也は小夜へ視線を向けた。
「そんなに変わらねぇだろ? なぁ、小夜!」
「…………」
小夜は困ったように笑った。
「……あの」
「ん?」
「そこが……一番声が多かったんです」
「…………えっ?」
刀也の顔が引きつる。
小夜は申し訳なさそうに続けた。
「なので……そこだけは、選ばない方がいいと思っていたんですけど……」
「…………」
数秒の沈黙。
そして。
「マジで!?」
刀也が絶叫した。
「ま、マジで!?」
「はい……」
「…………」
刀也はゆっくりと俯いた。
「……ごめん」
先ほどまでの勢いが嘘のように消え失せていた。
その様子を見て、豪太がため息をつく。
「ったく、お前って奴は……」
紅葉も額に手を当てた。
「本当に、先が思いやられますわ……」
しかし。
凛は、しばらく開いた門を見つめた後、大きく息を吐いた。
「……もう、いいわ!」
「凛?」
「開いちゃったものは仕方ないでしょ!」
そして、笑顔になる。
「それに、道が長くたって、私たちが速く走ればいいんだから!」
「……!」
刀也が顔を上げた。
「そうだな!」
豪太も笑った。
「がははっ! そういうことだ!」
小夜も頷く。
「はい! まだ、どんな道なのか決まったわけではありませんから!」
「……まったく」
紅葉も小さく笑った。
「仕方ありませんわね」
凛は手綱を握り直した。
「みんな! 行こう!」
「おおっ!!」
一組の五頭の霊馬が、真ん中の門へと駆け出した。
最後尾を走る刀也が、小さく呟く。
「……本当に、悪かったって」
すると豪太が笑った。
「だったら、走りで取り返せよ!」
「……おう!」
刀也は力強く頷いた。
五頭が門を通り抜ける。
その直後。
ゴゴゴゴゴゴ……。
門は淡い光となって崩れ、跡形もなく消え去った。
残された門は、四つ。
一組の選んだ道が、吉と出るか凶と出るか。
それは、まだ誰にもわからなかった。
◇◇◇
それから少しして。
「……ふぁぁぁぁ」
大きなあくびが聞こえた。
四組の第五走班である。
「蒼空君! ちゃんと走ってください!」
「そうですよ! さっきから霊馬に任せきりじゃないですか!」
麻賀多葵と麻賀多楓が、左右から蒼空を叱っている。
「ええー……」
蒼空は眠たそうに目を擦った。
「だって、ちゃんと走ってるじゃん」
「霊馬が、です!」
「そうとも言うねぇ」
「もうっ!」
二人が同時に声を上げた。
さらに、後ろから弥勒絢が口を開く。
「蒼空君! 本当に一位を狙う気があるんですか!?」
「あるよぉ」
「なら、もう少し真面目にしてください!」
「はいはい」
その様子に、海隣寺千景が呆れたようにため息をついた。
「まったく……」
結局。
四人の少女が蒼空を急かし続け、半ば引きずるようにして走っていたのだった。
しかし。
「……あっ」
蒼空が前方を見た。
「着いたみたいだね」
四人も顔を上げる。
そこには、四つの巨大な門が残されていた。
「これが、五つの門……」
絢が呟いた。
「一組は、もう通過したんですね」
「そうみたいですね」
千景が頷く。
四人は霊馬の速度を落とし、門を見比べた。
しかし。
「……困りましたね」
千景が眉をひそめる。
「どれを選べばいいのか、判断材料がありません」
「そうねぇ」
葵も腕を組んだ。
「見た目はどれも普通の門だし……」
「どこでもいいんじゃない?」
楓が言った。
「どうせ、わからないんだから!」
その言葉に千景も頷く。
「迷っていても仕方ありませんね」
「じゃあ……」
葵が一番左の門を指差した。
「ここにしようよ!」
「そうですね!」
絢が頷きかけた。
しかし。
「そこはダメ」
突然、蒼空が口を開いた。
「…………えっ?」
四人が同時に振り返る。
蒼空は、いつもの眠たそうな表情のまま言った。
「そこ、遠回りだよ」
「…………」
一瞬、沈黙が流れた。
「……えっ?」
葵が首を傾げる。
「なんでわかるの?」
「んー……」
蒼空は曖昧に笑った。
「なんとなく?」
「なんとなく!?」
四人が声を揃えた。
「そんな理由で決められません!」
絢が怒る。
「じゃあ……」
楓が、左から二番目の門を指差した。
「ここはどう?」
「ああ」
蒼空は頷いた。
「そこは、一番近道だね」
「本当!?」
楓の顔が輝いた。
「じゃあ、そこにしましょう!」
「そうですね!」
千景も頷く。
しかし。
「でも、やめた方がいいよ」
「…………えっ?」
四人が再び固まった。
絢が眉をひそめる。
「どうしてですか?」
「一番近いんですよね?」
千景も問いかける。
「だったら、そこが一番有利じゃありませんか!」
「うーん……」
蒼空は少し考えた。
そして、何でもないことのように言った。
「水虎に勝てるなら、そこでもいいけど」
「…………」
「…………えっ?」
葵が目を丸くする。
「すいこ……?」
「水虎だよ」
蒼空は淡々と答えた。
「門の先に、かなり強いのがいるみたい」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
絢が慌てて声を上げる。
「どうして、そんなことまでわかるんですか!?」
「そうですよ!」
楓も叫ぶ。
「まだ門の中にも入っていないのに!」
その時だった。
蒼空の瞳が、淡い蒼色の光を帯びた。
瞳孔が細く縦に伸び、まるで蛇のような形へと変わっていく。
《蒼蛇眼》。
その異様な光景に、四人が息を呑んだ。
「……蒼空君?」
葵が小さく呼びかける。
蒼空は、ぼんやりと四つの門を眺めていた。
だが、その瞳に映っているものは、普通の人間が見ている景色とは違っていた。
門に刻まれた術式。
そこに流れ込む霊力の経路。
結界の向こう側に繋がる霊脈。
さらに、その先に存在する何者かの強大な霊圧。
それらが、断片的な情報となって蒼空の意識へ流れ込んでくる。
まるで、無数の景色が一瞬にして頭の中を通り過ぎていくかのように。
「……なるほどねぇ」
蒼空が小さく呟いた。
そして、四人へと視線を戻す。
「蒼蛇眼で見たんだよ」
「…………」
「なんか、いろいろ情報が流れ込んできた」
「……そんなことまで?」
千景が驚いたように呟いた。
蒼空は頷く。
「うん。全部がわかるわけじゃないけどね」
そして、左から二番目の門を見る。
「そこは距離だけなら一番短い。でも、途中に水虎がいる」
「…………」
「かなり強いみたいだから、倒すのに時間がかかると思うよ」
その言葉に、四人は顔を見合わせた。
確かに、どれほど道が短くとも、途中で強力な妖に足止めされれば意味がない。
「じゃあ……」
絢が問いかける。
「蒼空君は、どこがいいと思うんですか?」
「んー……」
蒼空は残された門を見渡した。
そして。
「ここかな」
一番右端の門を指差した。
「ここは、この中だと一番安全そうだし」
「安全?」
「うん。それに、距離も二番目に近いと思う」
「……!」
葵と楓が顔を見合わせた。
「それって……」
「かなり有利じゃない!?」
「まぁねぇ」
蒼空は眠たそうに頷いた。
「少なくとも、僕たちには一番向いてると思うよ」
その言葉に、千景が笑みを浮かべた。
「では、蒼空君の選んだ門にしましょう!」
「ええ!」
絢も頷く。
「その蒼蛇眼を信じます!」
「私も!」
「うん! そこにしよう!」
葵と楓も賛成した。
蒼空は四人の顔を見渡した。
「……いいの?」
「もちろんです!」
千景が答える。
「蒼空君が、ちゃんと考えて選んだんですから!」
「ふぅん……」
蒼空は少しだけ笑った。
「じゃあ、行こっか」
蒼空が門へ向けて手をかざす。
すると。
ゴゴゴゴゴゴ……。
右端の門が、ゆっくりと開き始めた。
「さぁ、みんな!」
蒼空は手綱を握り直した。
「ちゃんとついて来てね!」
「はい!」
四頭の霊馬が蒼空に続く。
そして五人が門をくぐると、巨大な門は光となって消え去った。
残る門は、三つ。
◇◇◇
その頃。
「行くのじゃ! 焔!」
「ヒヒィィィィン!!」
真紅のたてがみをなびかせ、一頭の霊馬が猛烈な勢いで草原を駆け抜けていた。
その背に跨るのは、岩富舞桜。
三組の襷持ちである。
「皆の者! 妾について来い!」
「はい!」
「おう!」
その後方には、上勝田詩織、麻賀多雛菊、町方智則、坂戸夏樹。
四頭の霊馬が、舞桜に遅れることなく続いていた。
しかし。
その速度は、明らかに異常だった。
「なっ……!?」
少し後方を走っていた二組の朔夜が、驚いたように目を見開いた。
「速い!?」
「なんだ、あの速度は!」
凌雅も声を上げる。
先ほどまで、二組と三組と五組はほぼ横並びだった。
それが、いつの間にか三組だけが突出している。
しかも。
舞桜だけではない。
後ろを走る四人の霊馬までもが、同じように速度を上げているのだ。
「……どういうことだ?」
玲司が眉をひそめる。
その隣で香花が、先頭を走る舞桜の霊馬に目を向けた。
「あれは……」
そして、驚いたように呟いた。
「紅蓮毛……!」
「紅蓮毛?」
牡丹が聞き返した。
香花は頷く。
「ええ。非常に珍しい霊馬です」
《紅蓮毛》。
その名の通り、燃え盛る炎のような紅い毛並みを持つ霊馬。
しかし、その真価は美しい姿だけではない。
紅蓮毛には、他の霊馬にはない特殊な能力が備わっていた。
それは――《群れを率いる力》。
ほかの霊馬たちから群れの長として認められることで、周囲の霊馬の能力を底上げすることができるのだ。
脚力。
持久力。
霊力の巡り。
そして、走行時の呼吸や歩調。
群れの長である紅蓮毛を中心に、霊馬たちの能力が自然と引き上げられていく。
ただし、単に紅蓮毛が走れば発揮されるわけではない。
周囲の霊馬が、その存在を群れの長として認めなければならないのだ。
そして。
舞桜の霊馬、焔。
この紅蓮毛は、すでに三組の霊馬たちから群れの長として認められていた。
さらに、舞桜の巧みな馬術が加わる。
「焔! もう少しじゃ!」
「ヒヒィィィィン!!」
焔が大きく嘶く。
その瞬間。
四頭の霊馬たちも、一斉に力強く地面を蹴った。
五頭の動きが、まるで一つの生き物のように揃っていく。
その速度は、さらに上がった。
「すごい……!」
詩織が思わず声を漏らす。
「これが、舞桜の焔の力……!」
「ふふん!」
舞桜は得意げに笑った。
「当然じゃ!」
そして、前方を見据える。
「焔は、妾の自慢の霊馬じゃからな!」
そのまま三組は、二組と五組を大きく引き離していった。
◇◇◇
「見えたぞ!」
舞桜が前方を指差した。
そこには、三つの門が残されていた。
「ほう……」
舞桜は面白そうに笑った。
「これが噂の五つの門か!」
すでに一組と四組が通過したため、門は三つしか残っていない。
「さて……」
舞桜は少しだけ門を眺めた。
そして。
「よし! ここにするのじゃ!」
真ん中に残された門を指差した。
「…………えっ?」
詩織が目を丸くする。
「ちょっと、舞桜!」
「なんじゃ?」
「そんな簡単に決めていいの!?」
「そうですわ!」
雛菊も声を上げる。
「ここは慎重に選ばなければいけません!」
「ふむ……」
舞桜は二人を見た。
「では、何を基準に選ぶのじゃ?」
「えっ?」
詩織が言葉に詰まる。
舞桜は続けた。
「どの門が近いのか、わかるのか?」
「それは……」
「どの門が安全なのか、わかるのか?」
「……いいえ」
「ならば、同じことじゃ!」
舞桜は胸を張った。
「根拠もないまま考え続けたところで、時間が無駄になるだけじゃろう!」
「…………」
「妾たちには、どれが正しい道か判断する材料がない!」
そして、真ん中の門を指差す。
「ならば、真ん中でよい!」
「そ、そんな……」
詩織は困ったように笑った。
「もう少し考えても……」
「何を迷う!」
舞桜は不敵に笑う。
「どの道を通ろうと、妾たちが一番速く駆け抜ければよいだけじゃ!」
その言葉に、智則が豪快に笑った。
「ははっ! 舞桜らしいな!」
夏樹も頷く。
「確かに、迷っている時間がもったいないのは事実だ」
「でしょう?」
舞桜は満足そうに笑った。
そして。
「決まりじゃ!」
門へ向けて手を伸ばす。
ゴゴゴゴゴゴ……。
真ん中の門が開き始めた。
「さぁ! 皆の者!」
舞桜は焔の手綱を握り直す。
「妾について来るのじゃ!」
「ちょ、ちょっと待って!」
詩織が慌てる。
「もう開けちゃったの!?」
「当然じゃ!」
「もうっ!」
詩織は苦笑しながら、霊馬を走らせた。
「仕方ないわね!」
「行きましょう!」
雛菊も続く。
智則と夏樹も、二人に遅れず門へと向かった。
こうして三組の五人は、真ん中に残されていた門をくぐっていった。
その直後。
門は光となって消滅した。
残るは、二つ。
だが。
舞桜たちは知らなかった。
自分たちが選んだその門こそ。
先ほど蒼空が《蒼蛇眼》で見抜いた、最も距離の短い道。
そして。
強大な《水虎》が待ち受ける道だったということを。
◇◇◇
「……やっと見えた!」
二組の先頭を走る朔夜が、前方を見据えた。
そこには、二つの門だけが残されていた。
「三組が先に通ったか……」
玲司が悔しそうに呟く。
「まさか、あそこまで差をつけられるとは」
「ははっ!」
凌雅が楽しそうに笑った。
「すごかったな、あの紅い霊馬!」
「感心している場合じゃないわよ!」
牡丹が声を上げる。
「先頭との差が広がっちゃったじゃない!」
「まぁまぁ、牡丹さん」
香花が落ち着いた声で言う。
「まだ勝負は終わっていませんよ」
「わかってるわよ!」
朔夜は霊馬を止め、残った二つの門を見比べた。
左端の門。
そして、そこから少し離れた右側の門。
どちらも霧に包まれ、その先は見えない。
「……さて」
朔夜が腕を組む。
「どうする?」
「難しいですね」
玲司が答えた。
「術式の気配はありますが、内部の様子までは読み取れません」
「香花は?」
朔夜が尋ねる。
香花は静かに目を閉じた。
そして、周囲を巡る霊力の流れを探る。
「……左の門は、霊力の流れが比較的穏やかですね」
「右は?」
「右側は少し複雑です。何かしらの術式が組み込まれているようですが……」
香花は困ったように微笑んだ。
「どちらが有利なのか、私にもわかりません」
「なるほどな」
朔夜は頷いた。
その時。
凌雅が口を開いた。
「なぁ、朔夜!」
「なんだ?」
「右にしようぜ!」
「理由は?」
「なんとなく面白そうだから!」
「…………」
玲司が呆れたようにため息をついた。
「凌雅。少しは真面目に考えたらどうですか」
「真面目だって!」
凌雅は笑った。
「右の門、なんか変な霊力の流れがあるんだろ?」
「ええ」
香花が頷く。
「だったら、何か仕掛けがあるってことじゃん!」
凌雅は楽しそうに笑った。
「そういうのを乗り越えるのが、面白いんだろ!」
「まったく……」
玲司は呆れ顔だったが。
朔夜は、ふっと笑った。
「……悪くないな」
「えっ?」
「どうせ、どちらが正しいかわからないんだ」
そして、右側の門へ視線を向ける。
「ならば、何かを掴める可能性がある方に賭けてみよう」
「朔夜まで……」
玲司が苦笑する。
しかし、その表情に不満はなかった。
「まぁ、仕方ありませんね」
香花も微笑んだ。
「朔夜がそう決めたのなら、私は賛成です」
「私も!」
牡丹が大きく頷いた。
「どんな道だろうと、ぶっ飛ばしてやるわ!」
「ははっ! そうこなくちゃ!」
凌雅が嬉しそうに笑う。
朔夜は満足そうに頷いた。
「よし!」
そして、右側の門へ向けて手を伸ばした。
ゴゴゴゴゴゴ……。
門がゆっくりと開いていく。
その向こうには、薄暗い森が広がっていた。
「……森か」
朔夜が小さく呟く。
玲司が目を細めた。
「何かありそうですね」
「望むところだ!」
凌雅が笑う。
朔夜は四人を見渡した。
「みんな! 行くぞ!」
「おおっ!!」
五頭の霊馬が門をくぐり抜けていく。
その直後。
門は光となって消え去った。
そして。
最後に残されたのは、左端の門だけだった。
◇◇◇
「……あっ!」
少し遅れて到着した天音が、前方を見た。
「門が……!」
そこには、たった一つの門しか残されていなかった。
「一つだけ……」
薫子が呟く。
「ほかの組は、もう通過したんですね」
「そうみたいね」
天音が頷く。
光子は少し悔しそうに唇を尖らせた。
「うーん! 私たちが最後かぁ!」
「仕方ないだろ」
義臣が言う。
「あの三組の加速は、普通じゃなかったんだからな」
悟も頷いた。
「それに二組だって、かなり速かったし」
「そうね」
天音は落ち着いた様子で答えた。
そして、最後に残された門を見つめる。
「でも……」
「ん?」
薫子が首を傾げる。
天音は小さく笑った。
「考えようによっては、悪くないわよ?」
「えっ?」
「だって、私たちは選ばなくていいんだもの」
「…………」
光子が目を丸くする。
「……あっ!」
「どの門がいいか悩む時間も必要ないでしょ?」
天音は笑った。
「それに、最後に残った門が一番遠いとは限らないわ」
「確かに!」
悟が頷く。
「一番近い可能性だってあるもんな!」
「そういうこと!」
天音は胸を張った。
「なら、迷う理由なんてないじゃない!」
その言葉に、四人が笑顔になった。
「天音らしいですね!」
薫子が微笑む。
「そうだね!」
光子も頷く。
義臣は前方を見据えた。
「よし! なら、ここから一気に追い上げるぞ!」
「おう!」
悟も力強く答える。
天音は四人を見渡した。
幼い頃から、共に学んできた仲間たち。
勝田家を中心に、長い時間を一緒に過ごしてきた。
互いの得意な術も、苦手なことも。
どんな時に、何を考えるのかさえ。
言葉にしなくても、自然とわかることがある。
そんな五人が、こうして同じ組で最後の競技に臨んでいる。
天音は、少しだけ嬉しくなった。
「……みんな」
「ん?」
「最後まで、よろしくね!」
四人は顔を見合わせた。
そして。
「もちろんです!」
「任せて!」
「当たり前だろ!」
「絶対に勝とうぜ!」
天音は満面の笑みを浮かべた。
「うん!」
そして、残された門へ向けて手をかざす。
ゴゴゴゴゴゴ……。
五つの門のうち、最後の一つが開き始めた。
その向こうには、どこまでも続くような深い緑が広がっていた。
「……さぁ!」
天音が手綱を握り直した。
「みんな、行くわよ!」
「おおおおおっ!!」
五頭の霊馬が、一斉に門をくぐっていった。
そして。
ゴゴゴゴゴゴ……。
最後の門が、ゆっくりと消えていく。
これで、五つの門は全て選ばれた。
各組の進む道は、もう変えられない。
◇◇◇
五つの門。
五つの道。
それぞれの選択によって、二十五人の最終走者たちは別々の道へと進んでいった。
一組は、刀也の思わぬ失敗によって真ん中の門へ。
四組は、蒼空の《蒼蛇眼》を頼りに、安全で二番目に近いとされる道へ。
三組は、舞桜の大胆な判断によって最短の道へ。
二組は、朔夜と仲間たちの判断で、未知の仕掛けが待つ森へ。
そして五組は、最後に残された門へ。
しかし。
五つの門は、単なる距離の違いだけで作られたものではなかった。
それぞれの道には、異なる試練が用意されていたのだ。
◇◇◇
その頃。
三組の先頭を走る舞桜は、嬉しそうに笑っていた。
「はははっ! 見よ、皆の者!」
「どうしたの?」
詩織が尋ねる。
「この道! 思ったより走りやすいではないか!」
確かに。
門を抜けた先には、緩やかな下り坂が続いていた。
道幅も広く、障害物も少ない。
霊馬を走らせるには、申し分のない道だった。
「……本当ですね」
雛菊が頷く。
「もしかしたら、当たりだったのかもしれませんわ!」
「ふふん!」
舞桜は得意げに笑った。
「当然じゃ!」
「いや、適当に選んだだけでしょう……」
詩織が呆れたように言う。
しかし。
舞桜は気にした様子もなかった。
「結果が良ければ、それでよいのじゃ!」
「まったく……」
詩織は苦笑した。
そんな時だった。
「……ん?」
夏樹が、ふと前方を見た。
「どうした?」
智則が尋ねる。
「いや……」
夏樹は眉をひそめた。
「なんか、変じゃないか?」
「変?」
「水の音がする」
「水?」
舞桜が首を傾げた。
その瞬間。
ゴゴゴゴゴゴゴ……。
遠くから、低い轟音が響いてきた。
まるで、巨大な滝が流れ落ちるような音。
そして。
グルルルルル……。
その奥から。
何かの唸り声が聞こえた。
「…………」
詩織が、ゆっくりと前方へ視線を向けた。
「……ねぇ、舞桜」
「なんじゃ?」
「なんだか……嫌な予感がするんだけど」
「ふむ?」
舞桜は前方を見据えた。
そして。
にやりと笑った。
「ほう……」
その瞳には、恐れなど微塵もない。
むしろ。
「……面白そうではないか!」
その言葉に、詩織が額を押さえた。
「もうっ! あなたって人は!」
しかし舞桜は、そんなことなど気にしない。
「焔!」
「ヒヒィィィィン!!」
「行くのじゃ!」
紅蓮毛の霊馬が、勢いよく地面を蹴った。
その前方。
深い霧に包まれた谷底で。
二つの巨大な瞳が、ゆっくりと開かれた。
蒼く、冷たく。
水面のように揺らめく瞳。
そして。
グルルルルルル……!
巨大な何かが、静かに身を起こした。
《水虎》。
その強大な妖が、三組の到来を待ち受けていた。




