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帰る空~桜舞う記憶~  作者: 雨宮ぐみ


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9/20

「知覧への招待」


――あの日、私は知らない青年に「帰ってきて」と願った。

十七歳の夏。

家族旅行で訪れた鹿児島・知覧。

そこで私は、一枚の写真に出会った。

写真の中にいたのは、まだ少年の面影を残した十八歳の青年だった。

知らない人のはずなのに、なぜか懐かしい。

初めて見る写真なのに、ずっと昔から知っているような気がする。

そして、その青年が家族に残した一通の手紙を読んだとき、理由も分からないまま涙があふれた。

――帰ってきて。

心の中で、そう願っていた。

その夜、私は不思議な夢を見る。

戦争の時代。

一つの家族。

そして、幼い少女を抱きしめる青年。

少女の名前は、桜子。

青年は、誠司。

けれど私は知らなかった。

その少女が、かつての私自身だったことを。

そして――

この家族が、もう一度私を必要としていることを。

時代を越えて与えられた、小さな命。

見えるのは、人の心。

そして、まだ決まっていない未来。

けれど、未来を変えるということは、誰か一人を救えば終わることではなかった。

父の葛藤。

母の祈り。

兄の恐怖と覚悟。

そして、幼い妹の「生きてほしい」という願い。

戦争によって引き裂かれようとする家族を前に、桜子は何度も未来を見る。

何度も迷い、何度も涙を流す。

それでも――

「みんな一緒に生きてほしい」

その願いだけは、決して手放さなかった。

これは、過去に生きた一つの家族と、未来から戻ってきた一人の少女の物語。

そして、

「もし、あの時代にもう一度戻ることができたなら――」

そんな問いから始まる、家族と平和の物語です。

過去を変えることはできない。

けれど、過去から受け取った想いを、未来へつなぐことはできる。

この物語を読んでくださるあなたの心に、桜子たちの願いが届きますように。

そして、二度と同じ悲しみを繰り返さない未来を、私たち一人ひとりが願い続けられますように。


昭和二十年七月。


蝉の声が、朝から村いっぱいに響いていた。


桐生家の庭では、風鈴が小さく鳴っている。


チリン。


その音を聞きながら、桜子は秘密の日記へ今日の丸を書いた。


「あと七日。」


実技試験まで残り一週間。


未来は少しずつ変わっている。


それでも胸のざわめきは消えなかった。


その時だった。


坂道から郵便屋のベルが聞こえる。


「桐生さん、知覧からですよ。」


桜子は立ち上がった。


(また知覧。)


三通目の手紙


勝が封を開く。


差出人は、やはり森本清志だった。


誠司が読み上げる。


桐生誠司さん。配置換えの前に、もしご家族の都合が合うなら、知覧飛行場の近くまで来られませんか。飛行場の中へ自由に入れるわけではありませんが、近くの茶屋から飛行機の離着陸が見える場所があります。空を好きな人なら、一度見てほしい景色です。


誠司は少し照れた。


「会ってみたいな。」


勝は腕を組む。


「遠いが……。」


千代美が静かに言った。


「桜子も喜びそう。」


桜子は胸が熱くなる。


(行く。)


(今度は展示じゃない。)


(生きている知覧。)


父の決断


その夜。


勝は地図を広げた。


知覧までの道。


徒歩。


荷馬車。


途中の宿。


「一日で着く距離じゃない。」


誠司が頷く。


「でも。」


勝は家族を見渡した。


「今だからこそ。」


「行こう。」


桜子は思わず立ち上がる。


「ほんと?」


「本当だ。」


勝は笑った。


「家族四人で行く。」


その言葉を聞いた瞬間、桜子の胸に温かいものが広がった。


(前世では。)


(家族旅行なんてなかった。)


(今度は一緒。)


知覧への道


数日後。


朝焼けの中を桐生家は出発した。


荷馬車に荷物を積み、ゆっくり南へ向かう。


道端には夏草が揺れる。


誠司が桜子を肩車した。


「知覧ってどんなところだろうな。」


桜子は空を見上げる。


(知ってる。)


でも、その知覧は令和だった。


平和会館。


慰霊碑。


静かな町。


今向かうのは、まだ戦争の続く知覧。


「楽しみ。」


そう答えた。


本当は怖かった。


茶屋のおばあさん


夕方。


知覧近くの小さな茶屋へ着いた。


白髪のおばあさんが迎えてくれる。


「遠いところからよう来たね。」


麦茶が運ばれる。


桜子は周りを見回した。


畳。


柱。


窓。


胸が締めつけられる。


(ここ。)


令和で復元展示を見た部屋によく似ている。


おばあさんが笑った。


「若い飛行兵さんたちも、ようここで休んでいくんよ。」


桜子は息を呑んだ。


「……。」


言葉が出ない。


初めて見る飛行場


翌朝。


森本が迎えに来た。


「初めまして。」


写真で見た笑顔。


でも今は、生きている。


息をしている。


笑っている。


桜子は思わず涙ぐんだ。


森本は慌てる。


「えっ。」


「どうしたの?」


桜子は首を振る。


「会えた。」


「え?」


「なんでもない。」


森本は不思議そうに笑った。


「変わった子だな。」


誠司が苦笑する。


「よく言われます。」


丘の上へ案内される。


その先に広がっていた。


知覧飛行場。


飛行機が滑走路を走る。


エンジン音が胸へ響く。


ゴォォォォ——


桜子は目を閉じた。


令和では静かだった場所。


今は命が行き交う場所だった。


写真の中の青年たち


丘の向こうから若い兵たちが歩いてくる。


笑っている。


冗談を言っている。


水を掛け合っている。


その中の一人を見た瞬間。


桜子は立ち尽くした。


(この人。)


平和会館で見た写真。


笑顔の青年。


名前まで思い出せそうになる。


別の青年。


また写真。


また写真。


(みんな。)


(生きてる。)


胸が苦しくなる。


令和では写真だった人たちが、今は笑っている。


森本が紹介する。


「みんな飛ぶことが好きなんだ。」


兵たちは桜子へ手を振る。


「お嬢ちゃん!」


「こんにちは!」


桜子も手を振り返した。


涙を隠しながら。


森本の願い


昼休み。


森本が誠司へ話しかけた。


「君の手紙。」


「嬉しかった。」


誠司は照れる。


「本当のことを書いただけです。」


森本は空を見た。


「飛行機ってさ。」


「人を帰すために飛ぶ日が来ると思う。」


誠司は頷いた。


「俺も。」


二人は初めて笑い合った。


桜子はその光景を目に焼き付ける。


(この出会い。)


(変えたい。)


(守りたい。)


桜子が見つけたもの


帰る前。


桜子は飛行場の端に咲く一本の桜の若木を見つけた。


夏なのに、小さな葉が風に揺れている。


手を伸ばす。


触れた瞬間。


記憶が流れ込んだ。


雪。


桜。


手紙。


「桜子。」


誰かが呼ぶ。


振り返る。


そこには軍服姿の青年が立っていた。


前に庭で会った、あの幻の青年だった。


「まだ間に合う。」


「次は八月。」


そう告げると、風に溶けるように姿を消した。


「八月。」


桜子は呟く。


終戦まで、あと一か月余り。


でも、その一カ月が、一番長い一カ月になることを。


彼女だけが知っていた。


帰り際の約束


別れ際。


森本は誠司へ小さな包みを渡した。


「これ。」


開けると、中には飛行機の小さなアルミ板が入っていた。


「使えなくなった部品だけど。」


「お守り。」


誠司は大切そうに受け取る。


「ありがとうございます。」


森本は笑う。


「また会おう。」


その言葉に桜子は心の中で強く答えた。


(うん。)


(今度こそ。)


(みんなで会おう。)


知覧の夕焼けが四人の背中を赤く染める。


エンジン音は遠ざかり、代わりに蜩の声が響いた。


桜子は木製飛行機とアルミのお守りを胸へ抱きしめる。


その二つは、「帰る空」を信じる人たちの願いをつないでいた。


――第九話 終。



この物語を書き終えて、最後に残ったのは、一つの問いでした。

「命を守るとは、どういうことなのだろう。」

戦争の時代には、多くの人が自分の大切な人を残して、戦地へ向かいました。

そこには、それぞれの覚悟があり、家族への愛があり、そして言葉にできない恐怖もあったのだと思います。

私たちが今、当たり前のように過ごしている日常。

家族と食卓を囲むこと。

「いってらっしゃい」と送り出し、「おかえり」と迎えること。

好きな人と笑うこと。

明日の予定を考えること。

将来の夢を語ること。

それらは決して当たり前のものではありません。

この物語の中で、桜子は過去へ転生し、未来を変えようとします。

けれど、本当に変えたかったのは、一人の人間の運命だけではありません。

「誰かが犠牲にならなければならない」という未来そのものでした。

兄を救うために父が犠牲になる。

父を救うために兄が犠牲になる。

そんな未来ではなく、

父も、母も、兄も、妹も――

家族全員が生きて、笑って、未来を迎える。

桜子が最後まで願ったのは、そんな未来でした。

そして、物語の中で桜子が持つ「人の心が見える力」と「未来を見る力」は、特別な力でありながら、実は私たちにもあるものなのかもしれません。

誰かの悲しみに気づくこと。

誰かの苦しみに寄り添うこと。

大切な人を失いたくないと思うこと。

そして、

「明日は今日より平和であってほしい」

と願うこと。

それもまた、未来を変える小さな力なのだと思います。

知覧で残された写真や手紙は、過去から未来へ届けられた言葉です。

その言葉を受け取った私たちが、何を感じ、何を未来へ残していくのか。

それは、この物語を読んでくださった皆さん一人ひとりに託されているのだと思います。

最後に。

桜子が願った、

「みんな一緒に生きてほしい」

という言葉が、どうか物語の中だけの願いになりませんように。

戦争を知らない世代から、また次の世代へ。

家族を想う気持ちを。

平和を願う心を。

そして、かけがえのない命の大切さを。

この物語が、ほんの少しでも未来へつなぐ橋になれば幸いです。

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