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帰る空~桜舞う記憶~  作者: 雨宮ぐみ


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10/20

「八月への扉」


――あの日、私は知らない青年に「帰ってきて」と願った。

十七歳の夏。

家族旅行で訪れた鹿児島・知覧。

そこで私は、一枚の写真に出会った。

写真の中にいたのは、まだ少年の面影を残した十八歳の青年だった。

知らない人のはずなのに、なぜか懐かしい。

初めて見る写真なのに、ずっと昔から知っているような気がする。

そして、その青年が家族に残した一通の手紙を読んだとき、理由も分からないまま涙があふれた。

――帰ってきて。

心の中で、そう願っていた。

その夜、私は不思議な夢を見る。

戦争の時代。

一つの家族。

そして、幼い少女を抱きしめる青年。

少女の名前は、桜子。

青年は、誠司。

けれど私は知らなかった。

その少女が、かつての私自身だったことを。

そして――

この家族が、もう一度私を必要としていることを。

時代を越えて与えられた、小さな命。

見えるのは、人の心。

そして、まだ決まっていない未来。

けれど、未来を変えるということは、誰か一人を救えば終わることではなかった。

父の葛藤。

母の祈り。

兄の恐怖と覚悟。

そして、幼い妹の「生きてほしい」という願い。

戦争によって引き裂かれようとする家族を前に、桜子は何度も未来を見る。

何度も迷い、何度も涙を流す。

それでも――

「みんな一緒に生きてほしい」

その願いだけは、決して手放さなかった。

これは、過去に生きた一つの家族と、未来から戻ってきた一人の少女の物語。

そして、

「もし、あの時代にもう一度戻ることができたなら――」

そんな問いから始まる、家族と平和の物語です。

過去を変えることはできない。

けれど、過去から受け取った想いを、未来へつなぐことはできる。

この物語を読んでくださるあなたの心に、桜子たちの願いが届きますように。

そして、二度と同じ悲しみを繰り返さない未来を、私たち一人ひとりが願い続けられますように。


昭和二十年七月下旬。


知覧から帰って数日が過ぎた。


桐生家の庭に吊るされた風鈴が、夏風に揺れる。


チリン。


その音を聞くたび、桜子は知覧で出会った人たちの笑顔を思い出していた。


森本清志。


丘で笑っていた青年たち。


茶屋のおばあさん。


(みんな、生きてた。)


その記憶は、令和で見た展示写真よりも鮮やかだった。


だからこそ、守りたい気持ちは前より強くなっていた。


実技試験の通知


昼過ぎ。


郵便屋が汗をぬぐいながら門を叩いた。


「桐生さん。」


「正式通知です。」


勝が封を受け取る。


誠司が開く。


そこには実技試験の日程が書かれていた。


八月五日。


家族は静かに顔を見合わせる。


「あと十日か。」


勝が呟く。


誠司は頷いた。


「はい。」


桜子は胸がざわついた。


(五日。)


でも。


日記では違った。


浮かび上がる日付


その夜。


桜子は秘密の日記を開いた。


昨日まで白紙だった最後のページ。


そこに、ゆっくりと炭色の文字が浮かび上がる。


八月三日


「……!」


息が止まる。


書いた覚えはない。


指でこすっても消えない。


その下へ、新しい文字が滲むように現れた。


約束を思い出せ。


桜子の全身に鳥肌が立った。


「八月三日。」


何の日だった?


令和の記憶を探る。


平和会館。


展示。


手紙。


写真。


でも、その日付だけが霞んで思い出せない。


アルミのお守り


翌朝。


誠司は森本からもらったアルミ板を磨いていた。


小さな金属片。


角を丸く削り、紐を通す穴を開ける。


「首から下げようかな。」


桜子が覗き込む。


その瞬間。


アルミ板が朝日に反射した。


眩しい光。


そして桜子の頭へ、一瞬だけ映像が流れ込む。


滑走路。


強い風。


帽子が飛ぶ。


誰かが叫ぶ。


「止まれ!」


映像はすぐ消えた。


桜子は額を押さえる。


(八月三日。)


(滑走路。)


何かが起きる。


教官の授業


試験まで一週間。


誠司は飛行理論を学ぶため教官のもとへ通っていた。


揚力。


風向き。


計器。


桜子も時々ついて行く。


教官は笑った。


「今日の助手は桜子か。」


「うん。」


教官は木片を使って翼の仕組みを説明する。


風を受ける角度。


浮く力。


桜子は令和の理科で習った言葉が頭をよぎった。


(揚力。)


(空気の流れ。)


思わず口にする。


「お空。」


「ながれる。」


教官は驚いた。


「そうだ。」


「空気は流れる。」


勝が小さく笑う。


「また先生になってる。」


皆が笑った。


その笑い声が、桜子には宝物だった。


森本からの小包


数日後。


知覧から今度は小さな小包が届いた。


中には古い布袋。


そして一枚の紙。


誠司さん。整備兵の仕事では、使えなくなった部品を記念に持つことがあります。これは翼の点検に使っていた小さな工具です。「帰る飛行機」を作る人になってください。


中には小さな真鍮の工具が入っていた。


誠司は目を輝かせる。


「森本さんらしい。」


桜子は微笑んだ。


(また会える。)


そう信じたかった。


父の教え


夕暮れ。


勝は誠司を道場跡へ連れて行った。


竹刀を渡す。


「飛ぶ者にも。」


「足腰はいる。」


誠司が笑う。


「飛行機なのに?」


勝は頷く。


「帰るためには。」


「立つ力が要る。」


二人は竹刀を交えた。


カン。


カン。


桜子は縁側から見つめる。


(お父さん。)


(今は軍人じゃない。)


(父親の顔。)


未来が少しずつ変わっている。


八月三日前夜


八月二日。


夜。


風が止んだ。


蝉の声も消える。


桜子は眠れなかった。


日記を開く。


八月三日の文字が濃くなっている。


そして、新しい一文。


朝、西の空を見ろ。


「西。」


知覧の方角だった。


桜子は飛び起きる。


「お兄ちゃん!」


誠司の部屋へ駆け込む。


誠司は眠そうに笑う。


「どうした?」


桜子は必死だった。


「明日。」


「朝。」


「西のお空。」


「見て。」


誠司は少し驚いたあと、優しく頷いた。


「分かった。」


「約束。」


その一言で桜子は少し安心した。


八月三日の朝


夜明け。


まだ空は薄青い。


誠司は約束通り、西の空を見上げた。


桜子も隣へ立つ。


風が吹く。


その時だった。


一羽の白い鳥が、西から東へまっすぐ飛んでいった。


誠司が呟く。


「綺麗だな。」


桜子は鳥を見つめる。


すると、その向こうに小さな黒い点が見えた。


飛行機。


一機だけ。


遠くを飛ぶその機影を見た瞬間、桜子の胸へ昨日の映像が戻る。


滑走路。


強風。


帽子。


「止まれ!」


そして。


「森本さん。」


思わずその名を呼んだ。


同じ時刻。


知覧飛行場。


強い横風が吹き始めていた。


滑走路の端で、森本清志は胸ポケットの手紙を押さえながら空を見上げる。


「今日の風。」


「いつもと違うな。」


その一言が、これから始まる出来事の合図になることを、彼はまだ知らなかった。


一方、桜子の日記には最後の一文が静かに浮かび上がる。


今日、約束が試される。


桜子は木製飛行機を抱きしめた。


「今度こそ。」


「間に合わせる。」


朝日が桜子と誠司の背中を照らす。


八月三日。


兄妹の約束は、試される時を迎えようとしていた。


第十話 終。



この物語を書き終えて、最後に残ったのは、一つの問いでした。

「命を守るとは、どういうことなのだろう。」

戦争の時代には、多くの人が自分の大切な人を残して、戦地へ向かいました。

そこには、それぞれの覚悟があり、家族への愛があり、そして言葉にできない恐怖もあったのだと思います。

私たちが今、当たり前のように過ごしている日常。

家族と食卓を囲むこと。

「いってらっしゃい」と送り出し、「おかえり」と迎えること。

好きな人と笑うこと。

明日の予定を考えること。

将来の夢を語ること。

それらは決して当たり前のものではありません。

この物語の中で、桜子は過去へ転生し、未来を変えようとします。

けれど、本当に変えたかったのは、一人の人間の運命だけではありません。

「誰かが犠牲にならなければならない」という未来そのものでした。

兄を救うために父が犠牲になる。

父を救うために兄が犠牲になる。

そんな未来ではなく、

父も、母も、兄も、妹も――

家族全員が生きて、笑って、未来を迎える。

桜子が最後まで願ったのは、そんな未来でした。

そして、物語の中で桜子が持つ「人の心が見える力」と「未来を見る力」は、特別な力でありながら、実は私たちにもあるものなのかもしれません。

誰かの悲しみに気づくこと。

誰かの苦しみに寄り添うこと。

大切な人を失いたくないと思うこと。

そして、

「明日は今日より平和であってほしい」

と願うこと。

それもまた、未来を変える小さな力なのだと思います。

知覧で残された写真や手紙は、過去から未来へ届けられた言葉です。

その言葉を受け取った私たちが、何を感じ、何を未来へ残していくのか。

それは、この物語を読んでくださった皆さん一人ひとりに託されているのだと思います。

最後に。

桜子が願った、

「みんな一緒に生きてほしい」

という言葉が、どうか物語の中だけの願いになりませんように。

戦争を知らない世代から、また次の世代へ。

家族を想う気持ちを。

平和を願う心を。

そして、かけがえのない命の大切さを。

この物語が、ほんの少しでも未来へつなぐ橋になれば幸いです。

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