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帰る空~桜舞う記憶~  作者: 雨宮ぐみ


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7/20

「秘密の日記を見つけた人」


――あの日、私は知らない青年に「帰ってきて」と願った。

十七歳の夏。

家族旅行で訪れた鹿児島・知覧。

そこで私は、一枚の写真に出会った。

写真の中にいたのは、まだ少年の面影を残した十八歳の青年だった。

知らない人のはずなのに、なぜか懐かしい。

初めて見る写真なのに、ずっと昔から知っているような気がする。

そして、その青年が家族に残した一通の手紙を読んだとき、理由も分からないまま涙があふれた。

――帰ってきて。

心の中で、そう願っていた。

その夜、私は不思議な夢を見る。

戦争の時代。

一つの家族。

そして、幼い少女を抱きしめる青年。

少女の名前は、桜子。

青年は、誠司。

けれど私は知らなかった。

その少女が、かつての私自身だったことを。

そして――

この家族が、もう一度私を必要としていることを。

時代を越えて与えられた、小さな命。

見えるのは、人の心。

そして、まだ決まっていない未来。

けれど、未来を変えるということは、誰か一人を救えば終わることではなかった。

父の葛藤。

母の祈り。

兄の恐怖と覚悟。

そして、幼い妹の「生きてほしい」という願い。

戦争によって引き裂かれようとする家族を前に、桜子は何度も未来を見る。

何度も迷い、何度も涙を流す。

それでも――

「みんな一緒に生きてほしい」

その願いだけは、決して手放さなかった。

これは、過去に生きた一つの家族と、未来から戻ってきた一人の少女の物語。

そして、

「もし、あの時代にもう一度戻ることができたなら――」

そんな問いから始まる、家族と平和の物語です。

過去を変えることはできない。

けれど、過去から受け取った想いを、未来へつなぐことはできる。

この物語を読んでくださるあなたの心に、桜子たちの願いが届きますように。

そして、二度と同じ悲しみを繰り返さない未来を、私たち一人ひとりが願い続けられますように。

第七話 「秘密の日記を見つけた人」


昭和二十年六月。


梅雨の雨が、瓦屋根を静かに叩いていた。


桐生家の庭はしっとりと濡れ、紫陽花が青く色づき始めている。


桜子は縁側で、小さな炭を握りしめていた。


秘密の日記を膝に乗せ、今日も一つ丸を描く。


「あと十六日。」


丸の横には、小さな飛行機。


そして新しく書き足した文字。


「もりもと。」


書き終えた途端、母・千代美の声が聞こえた。


「桜子、お使いお願いね。」


「はーい。」


慌てて日記を座布団の下へ隠し、桜子は駆け出していった。


その数分後だった。


雨宿り


畑仕事を終えた誠司は、雨を避けて縁側へ戻ってきた。


「よく降るな。」


濡れた手ぬぐいを絞り、座布団へ腰を下ろそうとした瞬間。


コトン。


薄い帳面が落ちた。


「……桜子の?」


表紙には何も書かれていない。


開くつもりはなかった。


だが風が吹き、勝手にページがめくれた。


最初に目へ飛び込んできたのは、大きな丸印。


その下には幼い文字で、


「橋。」


次のページ。


「井戸。」


「柿。」


誠司の表情が変わる。


「これ……。」


全部、桜子が言い当てた出来事だった。


さらにページをめくる。


そこには歪んだ文字で書かれていた。


おにいちゃんかえる


誠司の指先が止まる。


その次のページ。


そこには、まだ起きていない言葉があった。


あめとぶな


そして最後に。


炭で何度もなぞった一文。


みんなでかえる


誠司は静かに帳面を閉じた。


胸が苦しい。


(三歳の子が。)


(こんなことを書けるはずがない。)


「ごめんな」


その頃。


桜子は味噌を受け取り、急いで家へ戻っていた。


「ただいま!」


縁側へ駆け上がった瞬間、息が止まる。


誠司が日記を持っていた。


「……。」


頭が真っ白になる。


(終わった。)


(嫌われる。)


(怖がられる。)


桜子は震えながら日記を抱きしめた。


「ごめんなさい。」


小さな声だった。


誠司はしゃがみ込む。


「謝ることじゃない。」


「でも。」


「見ちゃった。」


「ごめんな。」


先に謝ったのは誠司だった。


桜子は顔を上げる。


兄の目は怖くなかった。


心配そうだった。


「桜子。」


「一つだけ聞いていいか。」


「うん。」


「橋のこと。」


「井戸のこと。」


「どうして分かった。」


桜子は答えられなかった。


「夢。」


それだけ言った。


嘘ではない。


本当でもある。


誠司は少し考えたあと、小さく笑った。


「そうか。」


「夢か。」


でも、その笑顔は納得した笑顔ではなかった。


守ろうと決めた笑顔だった。


初めての秘密


その夜。


誠司は納屋へ桜子を呼んだ。


木の飛行機が並ぶ棚。


「ここなら誰も聞かない。」


桜子は兄の隣へ座る。


誠司は静かに言った。


「桜子。」


「怖かったろ。」


その一言で涙があふれた。


ずっと一人だった。


未来を知っている苦しさ。


誰にも言えない秘密。


「お兄ちゃん。」


「うん。」


「死なないで。」


誠司は息を止めた。


「……。」


桜子は泣きながら続ける。


「帰って。」


「ずっと。」


「ずっと。」


誠司はそっと桜子を抱き寄せた。


「約束する。」


「できる限り。」


「生きて帰る。」


その約束は、今までで一番重かった。


森本からの二通目


翌日。


再び郵便屋がやって来た。


「知覧からです。」


森本清志から二通目の手紙だった。


誠司が読み始める。


誠司さん。あなたの返事を読みました。『帰る操縦士になりたい』その一文を何度も読み返しました。


誠司は驚く。


続きを読む。


飛行機は人を乗せ、故郷へ帰す日が必ず来る。私はそう信じています。


桜子は涙ぐむ。


(この人。)


(やっぱり。)


(同じ願いだった。)


しかし手紙の最後には気になる一文があった。


来月、知覧では大きな配置換えがあります。


桜子の心臓が大きく鳴る。


(配置換え。)


未来の記憶がざわめく。


(この後。)


(誠司と森本さんが出会う。)


(その先に。)


知覧。


特攻。


あの日。


父の決意


その夜。


勝は誠司を呼んだ。


「少し歩くか。」


二人は田んぼ道を歩く。


しばらく沈黙が続いたあと、勝が口を開いた。


「橋の日。」


「俺は初めて迷った。」


誠司は黙って聞く。


「軍人として育てること。」


「父親として守ること。」


「どちらが正しいか分からなくなった。」


誠司は空を見上げた。


「父さん。」


「俺。」


「飛びたい。」


勝は頷く。


「知っている。」


「でも。」


誠司は続ける。


「帰りたい。」


勝の足が止まる。


その言葉を聞いて、初めて父は息子の夢が変わり始めたことを知った。


「そうか。」


勝は静かに笑った。


「それなら。」


「帰る方法を、一緒に考えよう。」


日記の最後のページ


夜更け。


桜子は秘密の日記を開いた。


最後の白紙。


昨日まで一本線だけだったページに、新しく文字が浮かんでいる。


炭ではない。


誰かの筆跡だった。


約束は、一人では果たせない。


桜子は息を呑んだ。


「誰……。」


その瞬間。


納屋から木の飛行機が床へ落ちる音がした。


コトン。


誠司が慌てて拾い上げる。


翼の裏を見ると、昨日までなかった文字が刻まれていた。


「約束。」


兄妹は別々の場所で、同じ言葉を見つけていた。


二人はまだ知らない。


その「約束」という言葉こそが、知覧で果たせなかった約束へ続く、本当の始まりだったことを。


第七話 終。


### 次回・第八話「約束の飛行機」


誠司は桜子のために木製飛行機を完成させます。しかし、その飛行機の設計図には、令和では存在しないはずの印が現れます。一方、知覧では整備兵・森本清志が「帰る操縦士」という言葉を胸に、ある危険な命令へ向き合うことになります。

この物語を書き終えて、最後に残ったのは、一つの問いでした。

「命を守るとは、どういうことなのだろう。」

戦争の時代には、多くの人が自分の大切な人を残して、戦地へ向かいました。

そこには、それぞれの覚悟があり、家族への愛があり、そして言葉にできない恐怖もあったのだと思います。

私たちが今、当たり前のように過ごしている日常。

家族と食卓を囲むこと。

「いってらっしゃい」と送り出し、「おかえり」と迎えること。

好きな人と笑うこと。

明日の予定を考えること。

将来の夢を語ること。

それらは決して当たり前のものではありません。

この物語の中で、桜子は過去へ転生し、未来を変えようとします。

けれど、本当に変えたかったのは、一人の人間の運命だけではありません。

「誰かが犠牲にならなければならない」という未来そのものでした。

兄を救うために父が犠牲になる。

父を救うために兄が犠牲になる。

そんな未来ではなく、

父も、母も、兄も、妹も――

家族全員が生きて、笑って、未来を迎える。

桜子が最後まで願ったのは、そんな未来でした。

そして、物語の中で桜子が持つ「人の心が見える力」と「未来を見る力」は、特別な力でありながら、実は私たちにもあるものなのかもしれません。

誰かの悲しみに気づくこと。

誰かの苦しみに寄り添うこと。

大切な人を失いたくないと思うこと。

そして、

「明日は今日より平和であってほしい」

と願うこと。

それもまた、未来を変える小さな力なのだと思います。

知覧で残された写真や手紙は、過去から未来へ届けられた言葉です。

その言葉を受け取った私たちが、何を感じ、何を未来へ残していくのか。

それは、この物語を読んでくださった皆さん一人ひとりに託されているのだと思います。

最後に。

桜子が願った、

「みんな一緒に生きてほしい」

という言葉が、どうか物語の中だけの願いになりませんように。

戦争を知らない世代から、また次の世代へ。

家族を想う気持ちを。

平和を願う心を。

そして、かけがえのない命の大切さを。

この物語が、ほんの少しでも未来へつなぐ橋になれば幸いです。

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