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帰る空~桜舞う記憶~  作者: 雨宮ぐみ


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6/20

「知覧から届く手紙」


――あの日、私は知らない青年に「帰ってきて」と願った。

十七歳の夏。

家族旅行で訪れた鹿児島・知覧。

そこで私は、一枚の写真に出会った。

写真の中にいたのは、まだ少年の面影を残した十八歳の青年だった。

知らない人のはずなのに、なぜか懐かしい。

初めて見る写真なのに、ずっと昔から知っているような気がする。

そして、その青年が家族に残した一通の手紙を読んだとき、理由も分からないまま涙があふれた。

――帰ってきて。

心の中で、そう願っていた。

その夜、私は不思議な夢を見る。

戦争の時代。

一つの家族。

そして、幼い少女を抱きしめる青年。

少女の名前は、桜子。

青年は、誠司。

けれど私は知らなかった。

その少女が、かつての私自身だったことを。

そして――

この家族が、もう一度私を必要としていることを。

時代を越えて与えられた、小さな命。

見えるのは、人の心。

そして、まだ決まっていない未来。

けれど、未来を変えるということは、誰か一人を救えば終わることではなかった。

父の葛藤。

母の祈り。

兄の恐怖と覚悟。

そして、幼い妹の「生きてほしい」という願い。

戦争によって引き裂かれようとする家族を前に、桜子は何度も未来を見る。

何度も迷い、何度も涙を流す。

それでも――

「みんな一緒に生きてほしい」

その願いだけは、決して手放さなかった。

これは、過去に生きた一つの家族と、未来から戻ってきた一人の少女の物語。

そして、

「もし、あの時代にもう一度戻ることができたなら――」

そんな問いから始まる、家族と平和の物語です。

過去を変えることはできない。

けれど、過去から受け取った想いを、未来へつなぐことはできる。

この物語を読んでくださるあなたの心に、桜子たちの願いが届きますように。

そして、二度と同じ悲しみを繰り返さない未来を、私たち一人ひとりが願い続けられますように。


昭和二十年六月。


実技試験の延期から七日が過ぎた。


桐生家には、束の間の穏やかな時間が流れていた。


誠司は畑仕事を手伝い、父・勝は村の防空訓練を指導し、母・千代美は配給の少ない米に麦を混ぜながら家族の食卓を守っていた。


そして桜子は――。


毎朝、秘密の日記に丸を一つずつ描いていた。


「あと二十三日。」


まだ三歳の小さな指で数えるたび、自分の心へ言い聞かせる。


(未来は変えられる。)


(焦らない。)


郵便屋の赤い鞄


昼下がり。


坂道の向こうから、自転車のベルが聞こえた。


「郵便ですよー。」


赤い革鞄を肩に掛けた郵便配達員が門をくぐる。


戦時中、手紙は家族にとって命そのものだった。


「桐生さん宛てです。」


勝が受け取った封筒は、見慣れない住所だった。


差出人にはこう書かれている。


鹿児島県 知覧飛行場


桜子の息が止まった。


(知覧。)


指先が震える。


あの日。


令和で立ち尽くした平和会館。


ガラス越しに見た色褪せた手紙。


胸の奥で何かが強く脈打った。


差出人・森本清志


勝は封を開いた。


中には几帳面な字で書かれた便箋が入っていた。


桐生勝様突然のお便りをお許しください。私は知覧飛行場で整備兵をしております、森本清志(二十歳)と申します。


桜子はその名前を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。


(森本さん。)


知覧で見た。


展示ケースの端。


「整備兵・森本清志」。


兄の飛行機を整備した青年。


写真の笑顔まで思い出せる。


「桜子?」


母が心配そうに覗き込む。


「どうしたの?」


桜子は首を振った。


「なんでもない。」


でも胸は苦しかった。


(この人も。)


(あの展示の中にいた。)


手紙の理由


勝は続きを読み上げた。


誠司さんが飛行学校を志望されていると伺いました。私も飛行機に携わる者として、若い方が空を目指すことを嬉しく思っています。機会があれば、知覧で会える日を楽しみにしております。


誠司は照れながら笑った。


「知らない人なのに。」


勝が頷く。


「昔の部下の紹介らしい。」


母は嬉しそうだった。


「良い人そうね。」


桜子だけが笑えなかった。


(会っちゃだめ。)


(未来では会える。)


(でも、その未来は知ってる。)


夜の記憶


その夜。


桜子は眠れなかった。


窓から月を見上げる。


すると、知覧の展示室の景色が浮かんだ。


ガラスケース。


手紙。


写真。


森本清志。


そして。


便箋の最後の一文。


『飛行機は、人を帰すために飛ぶ日がきっと来る。』


桜子は飛び起きた。


「これだ!」


令和では全部読めなかった。


でも今、記憶がはっきり繋がった。


(森本さんも。)


(本当は生きて帰る空を願ってた。)


返事を書きたい


翌朝。


桜子は誠司の袖を引いた。


「お返事。」


「え?」


「書いて。」


誠司は笑う。


「返事?」


「うん。」


「ありがとう。」


誠司は机へ向かった。


便箋を広げる。


森本様お手紙ありがとうございました。


そこまで書いて筆が止まる。


「何を書こうかな。」


桜子は小さく呟いた。


「帰る。」


誠司は笑った。


「またそれか。」


でも、その言葉を書き足した。


私は飛ぶなら、必ず帰る操縦士になりたいと思っています。


筆を置いた誠司は、自分でも少し驚いていた。


「俺。」


「こんなこと考えてたかな。」


桜子は頷いた。


「ほんと。」


その一文は、未来では存在しなかった手紙になった。


父の変化


夕方。


勝は縁側でその手紙を読み返していた。


「帰る操縦士。」


ぽつりと呟く。


軍人として育ててきた息子。


けれど今、その夢は少し違う形を見せ始めていた。


「千代美。」


「ん?」


「誠司は。」


「生きるために飛べたらいいな。」


千代美は静かに微笑んだ。


「きっと桜子が教えてくれたのよ。」


勝は娘を見つめた。


「あの子は。」


「未来を見ているのか。」


誰にも答えは分からなかった。


秘密の日記の新しい印


夜。


桜子は日記を開いた。


新しく丸を書く。


その横へ、小さく人の顔を描いた。


丸い顔。


帽子。


そして文字にならない字で書く。


「もりもと。」


(この人も助けたい。)


その時だった。


風がページをめくった。


最後の白紙に止まる。


そこには炭では書いた覚えのない一本の線があった。


飛行機雲のように、まっすぐ伸びる一本線。


桜子は息を呑む。


「また。」


誰かが導いている。


そう思った瞬間、遠くで飛行機の音が響いた。


ゴォォォ……


夜空を見上げる。


黒い空の向こうへ消える音。


桜子は小さな胸へ手を当てた。


「待ってて。」


「今度は。」


「みんなで帰ろう。」


その約束は、兄だけではなかった。


知覧で会った、名前も知らなかった人たち全員へ向けた約束になり始めていた。


――第六話 終。


この物語を書き終えて、最後に残ったのは、一つの問いでした。

「命を守るとは、どういうことなのだろう。」

戦争の時代には、多くの人が自分の大切な人を残して、戦地へ向かいました。

そこには、それぞれの覚悟があり、家族への愛があり、そして言葉にできない恐怖もあったのだと思います。

私たちが今、当たり前のように過ごしている日常。

家族と食卓を囲むこと。

「いってらっしゃい」と送り出し、「おかえり」と迎えること。

好きな人と笑うこと。

明日の予定を考えること。

将来の夢を語ること。

それらは決して当たり前のものではありません。

この物語の中で、桜子は過去へ転生し、未来を変えようとします。

けれど、本当に変えたかったのは、一人の人間の運命だけではありません。

「誰かが犠牲にならなければならない」という未来そのものでした。

兄を救うために父が犠牲になる。

父を救うために兄が犠牲になる。

そんな未来ではなく、

父も、母も、兄も、妹も――

家族全員が生きて、笑って、未来を迎える。

桜子が最後まで願ったのは、そんな未来でした。

そして、物語の中で桜子が持つ「人の心が見える力」と「未来を見る力」は、特別な力でありながら、実は私たちにもあるものなのかもしれません。

誰かの悲しみに気づくこと。

誰かの苦しみに寄り添うこと。

大切な人を失いたくないと思うこと。

そして、

「明日は今日より平和であってほしい」

と願うこと。

それもまた、未来を変える小さな力なのだと思います。

知覧で残された写真や手紙は、過去から未来へ届けられた言葉です。

その言葉を受け取った私たちが、何を感じ、何を未来へ残していくのか。

それは、この物語を読んでくださった皆さん一人ひとりに託されているのだと思います。

最後に。

桜子が願った、

「みんな一緒に生きてほしい」

という言葉が、どうか物語の中だけの願いになりませんように。

戦争を知らない世代から、また次の世代へ。

家族を想う気持ちを。

平和を願う心を。

そして、かけがえのない命の大切さを。

この物語が、ほんの少しでも未来へつなぐ橋になれば幸いです。

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