青の臨界点。あるいは、敗北者たちの「逆転満塁ホームラン」について
結局のところ、人生なんてものは「あきらめる」タイミングを測るだけのゲームだ。
いつまでも青い夢を見ていられない。いつまでも放課後の続きを演じてはいられない。
二十八歳の僕は、そうやってスマートに自分を納得させてきたつもりだった。
けれど、目の前に並ぶ四人の「負けヒロイン」たちの瞳を見た瞬間、僕の構築してきた大人のロジックは、ただのゴミクズと化した。
2032年、夜明け。
海岸線は、燃えるようなオレンジ色に染まり始めていた。
「……西野。判決を下すわ」
一ノ瀬佳樹が、僕の胸ぐらを掴んだ。
彼女の手は、驚くほど冷えていた。いや、震えていたんだ。
「私は一週間後、この国を発つ。……でも、私の心はここに置いていく。……あなたが他の誰かを選んでも、あるいは誰も選ばなくても、私の『執着』という名の呪いからは、一生逃げられないと覚えなさい」
佳樹の言葉は、悲鳴のようにも聞こえた。
有能な弁護士、冷静な幼馴染。そんな仮面の下で、彼女はずっと、僕という不確実な存在に人生を賭けていたのだ。
「和彦! 私は走るよ!」
和久井檸檬が、太陽に向かって叫んだ。
「次の選考会、私が勝ったら……お前に言いたいことがある! ……負けたら、その時は笑って私の背中を蹴飛ばせ! ……どっちにしろ、お前は私の『ゴール』に立ってなきゃいけないんだ!」
檸檬の放つ熱量は、潮風さえも熱く変える。
彼女は「負け」を知るたびに強くなってきた。その強さが、今、僕を真っ向から押し潰そうとしている。
「……和彦、さん。……私の、物語の……ペンを、奪えるのは……あなた、だけです。……完結させるか、続編を……書かせるか……選んで、ください……」
柏木小鞠が、僕の影を強く踏みしめる。
彼女は、僕が自分だけのものにならないことを知りながら、それでも僕の人生のすべてを言葉で支配しようとしている。
そして、羽賀杏菜。
彼女は、泣き笑いのような表情で僕を見つめていた。
「和彦くん。……私ね、わかっちゃった。……和彦くんが『やれやれ』って溜息をつくたびに、私、もっと好きになっちゃうんだよ。……街を出るなんて嘘。……私、和彦くんが降参するまで、ずっとここに居座ってあげる」
やれやれ。
もう、逃げ場なんてどこにもない。
僕は、市役所の職員として、大人として、この状況を「調整」しようとしていた自分を笑った。
こんな不条理で、非論理的で、最高に熱い情念を、どうして事務的に処理できるはずがある。
「……わかったよ」
僕は、深呼吸をした。
肺を満たしたのは、塩辛い潮風と、夏の終わりの予感。
僕は、ポケットから十一年間持ち歩いていた、あの色褪せたタイムカプセルの「白紙の封筒」を取り出した。
「一ノ瀬、羽賀。和久井、柏木。……僕の人生は、お前らという不確定要素のせいで、とっくに計算不能になってるんだ。……だから、あきらめるのは、僕の方だ」
僕は、その白紙の封筒を、力強く引き裂いた。
「僕は、お前たち全員の『負け戦』を引き受ける。……誰か一人を選ぶなんて、そんな便利な逃げ道は選ばない。……一生かけて、お前たち全員の溜息と、涙と、執着の相手をしてやるよ」
それが、二十八歳の僕が出した、最低で最高の「解答」だった。
誰も幸せにならないかもしれない。全員が泥沼の「二周目」に突入するだけかもしれない。
けれど、それが僕たちにふさわしい、青春の続きなんだ。
「……はぁ? 西野、それ、法的に言えば重婚罪の教唆か何かかしら?」
佳樹が呆れたように、でも口角を上げて言う。
「わはは! 和彦、お前、最後にとんでもない無茶振りしてきたな!」
檸檬が僕の背中を、これまでで一番強く叩く。
「……和彦、さん。……バカ、です。……でも、最高の……プロット、です……」
小鞠が、手帳に狂ったように文字を書き込む。
「……うん。和彦くんらしいね。……じゃあ、覚悟してね。私の『大好き』は、十年分、利息がついてるから」
杏菜が、僕の手をぎゅっと握りしめた。
太陽が完全に水平線から昇った。
不必要なまでに高く、青い、あの頃と同じ空。
けれど、今の僕たちには、もう「保留」なんて言葉は必要なかった。
物語は、いよいよ最終局面へ。
僕たちの「負け戦」という名の、終わらない夏の二周目が、今、最高の加速を始めた。




