青の断層。あるいは、鉄の処女が突きつけた「執行猶予」の終焉について
結局のところ、人生なんてものは、不親切に設計されたパズルみたいなものだ。 最後のピースをはめた瞬間に完成すると思っていたのに、いざその時が来ると、土台そのものがひっくり返って、すべてがゼロに戻ってしまう。 僕、西野和彦は、深夜の市役所のデスクで、二十八歳になった自分の「現在地」を再確認するように、古びたスケジュール帳を見つめていた。
2032年、盛夏。 海辺でのタイムカプセル開封から数週間。僕たちの関係は、十年前の放課後に戻ったかのように見えた。けれど、それはひどく脆い均衡の上に成り立っていることを、僕は誰よりも理解していた。
「……西野。あなたのその、五年目の職員とは思えない『とりあえず現状維持で』という事なかれ主義。……法的に言えば、それは未来に対する背任行為に近いわよ」
一ノ瀬佳樹が、僕のデスクに一通の封筒を叩きつけた。 それは、彼女がニューヨークの法律事務所から受け取った「海外派遣」の最終通知だ。 二十八歳の佳樹は、有能すぎるがゆえに、僕の「やれやれ」が届かない場所へと飛んでいこうとしている。
「一ノ瀬、お前……。これは、お前のキャリアにとって最大級のチャンスだろ。僕がどうこう言う問題じゃない」
「ふん。相変わらずね。……あなたのその『物分かりの良い大人』のふり、いつまで続けるつもり? 私が本当に求めているのは、判例に基づいた正論じゃない。あなたの、法的根拠のない『独占欲』なのよ。私に、このキャリアを捨てさせるほどの身勝手さを、なぜ一度も見せてくれないの?」
佳樹は、僕のネクタイを乱暴に掴んで引き寄せた。眼鏡の奥の瞳が、怒りと、それ以上の絶望で濡れているのを、僕は至近距離で見た。 僕たちは大人になった。やりたいことよりも、やるべきことを優先し、感情を論理で蓋をすることに慣れてしまった。けれど、その蓋の下では、十年前から少しも成長していない「未練」という名のマグマが、今も煮えくり返っている。
――遡ること、十一年前。2021年、卒業式の日の屋上。
「……和彦くん。私、いつか和彦くんがいなくても、一人でちゃんと歩けるようになりたい。……でもね、歩けるようになるまでは、ずっと私の手を離さないでいてほしいの」
十八歳の羽賀杏菜が、僕の制服の袖を握りしめて言った。あの時、僕は「やれやれ」と笑って逃げた。手を繋ぎ直す責任からも、突き放す残酷さからも、ただ目を逸らした。 そのツケが、今、二十八歳の僕の元に、佳樹の「旅立ち」という形をとって回ってきたのだ。
「……一ノ瀬、僕は……」
「言葉はいらないわ。……今夜、あの海に来なさい。羽賀も、和久井も、柏木も呼んである。……そこで、私たちの『十光年先の未練』に、あなた自身で引導を渡しなさい」
佳樹は背を向け、冷徹なヒールの音を響かせて去っていった。 スマホが震える。羽賀杏菜からのメッセージ。 『和彦くん。今夜、全部終わりにしよう。……そうじゃないと、私、一生和彦くんを嫌いになれないから』
「最後」という予感が、夜の帳を切り裂くように僕の胸に刺さる。 僕は、佳樹の内示書を握りしめ、夜の海へと車を走らせた。 空を見上げれば、不必要なまでに高い、夏の星空。 二十八歳の僕は、ようやく悟る。僕たちの「負け戦」は、ここで一度、完全に終わらせなければならない。 「保留」という名の安寧を焼き捨て、大号泣の結末か、あるいは地獄の続きかを選び取るために。
物語は、いよいよ最後の五分間に突入する。 僕たちの十光年先の約束が、今、最大の臨界点を迎えようとしていた。




