青の賞味期限、あるいは十光年先の「敗北宣告」について
結局のところ、人生における「区切り」なんてものは、カレンダーの数字が変わるほど簡単には訪れてくれない。
深夜の海で10年前のタイムカプセルを暴き出し、砂まみれの感情をぶつけ合ったとしても、僕たちの肺にはまだ、あの頃の青い熱量が澱のように沈殿している。
僕、西野和彦は、白み始めた水平線を眺めながら、28歳になった自分の足元がおぼつかないことに「やれやれ」と毒づいていた。
2032年、早朝。
波音が夜の熱狂を洗い流していく。僕たちの間には、かつての放課後のような、けれど決定的に違う重力を含んだ沈黙が流れていた。
「……ねえ、和彦くん。結局、タイムカプセルの中身、私たちの負けだったね」
砂浜に座り込んだ羽賀杏菜が、少しだけ声を枯らして笑った。
彼女の指先には、10年前の彼女が書いた、僕への呪いにも似た「約束」の紙が握られている。
28歳になった彼女は、仕事で身につけたはずの「大人の余裕」をどこかに置き忘れたような、18歳のあの頃と同じ、無防備な瞳で僕を見つめていた。
「羽賀。勝負なんて最初からついていたんだ。……10年経っても、僕たちは結局、この狭い海岸線から一歩も外に出られていない。……僕も含めて、全員が『過去』という名の不治の病に罹っているようなものだ」
僕がいつものように可愛げのない正論を吐くと、隣に立っていた一ノ瀬佳樹が、冷え切った海風を切り裂くような鋭い視線を僕に向けた。
「西野。その『不治の病』という表現、法的に言えば、現状維持を決め込むための卑怯な言い逃れに聞こえるわね。……いい? タイムカプセルの蓋は開いた。つまり、私たちの『執行猶予』は今、この瞬間に満了したのよ」
佳樹は、弁護士としての理知的な仮面を少しだけ剥がし、18歳の頃から変わらない、僕を一生逃さないと誓ったあの独占欲を露わにする。
東京に戻れば、彼女はまた「有能な若手弁護士」として戦うのだろう。けれど今、僕の隣にいるのは、僕の人生のすべてをアーカイブしようとする、一人の厄介な幼馴染だった。
「和彦! 湿っぽい顔してんなって! ほら、もうすぐ日が昇るぞ!」
堤防の上で、和久井檸檬が朝焼けに向かって大きく伸びをした。
実業団のトップランナーとして日本中を駆け回る彼女にとって、この10年は「止まれないレース」の連続だったはずだ。けれど、彼女が足を止める場所は、いつもここだった。
「私たちはさ、負けたんじゃない。……10年かけて、ようやくここが『スタートライン』だって気づいただけだろ?」
「……和彦、さん。……私の、新作の……タイトル、決まりました。……『青の、未練……あるいは、10年越しの……敗北宣言』……です。……もちろん、主演は……あなた、ですよ……」
背後で、柏木小鞠が手帳にペンを走らせる。
彼女は作家として、僕たちのこの滑稽で美しい10年を、永遠の「物語」の中に閉じ込めようとしていた。
やれやれ。
結局、僕たちは何も変わっていない。
スーツを着て、税金を払い、大人びた言葉を覚えたけれど、心の中にはまだ、あの夏の日の砂が残っている。
「……羽賀。……一ノ瀬。……和久井、柏木」
僕は一人一人の名前を、噛みしめるように呼んだ。
10年前、僕は彼女たちの想いに、ただの一度も明確な答えを出さなかった。
それは優しさではなく、ただの臆病だった。
「……僕は、相変わらず『やれやれ』な毎日を送っている。……明日も役所の窓口で溜息をつきながら、書類の山に埋もれるだろう。……でも、もし10年後の僕が、またこの海で君たちと溜息をついているとしたら……」
僕は言葉を一度切り、昇り始めた太陽の眩しさに目を細めた。
「……それは、僕の人生において、唯一の『成功』だと言えるのかもしれないな」
「……何それ。最高に和彦くんらしい、最低の告白だね」
杏菜が笑い、佳樹が呆れたように溜息をつき、檸檬が肩を叩き、小鞠が小さく頷く。
18歳の青い未練が、28歳の新しい日常へと溶け出していく。
「どうせ、恋してしまうんだ。」
誰かが呟いたその言葉は、僕たちの10年という歳月に対する、最高に潔い降伏宣言だった。
僕たちの「二周目の夏」は、今、新しい光の中へと走り出した。
物語は終わらない。
不必要に高いこの青空の下で、僕たちは、また何度でも「負け戦」を繰り返していくんだろう。




