青の二周目。あるいは、敗北者が「あきらめ」をあきらめる時について
結局のところ、夜明けというものは残酷だ。
暗闇が隠してくれていた都合のいい感傷を、容赦のない光ですべて現実に引き戻してしまう。
僕、西野和彦は、砂まみれのローファーを片手に、白み始めた水平線を眺めていた。
2032年、早朝。
タイムカプセルの中身をすべて確認し終えた僕たちの間には、深夜の熱狂が嘘のような、ひどく落ち着いた、それでいて気まずい沈黙が流れていた。
「……ねえ、和彦くん。結局、私の手紙……読まなかったね」
砂浜に座り込んでいた羽賀杏菜が、膝を抱えたまま僕を見上げた。
彼女の28歳の横顔は、朝露に濡れた花のように少しだけ寂しげで、けれど凛としていた。
十年前、彼女が僕に預けた青い封筒。僕はそれを、あえて開けなかった。
「……羽賀。十年前のお前が書いた言葉に、今の僕がジャッジを下すのはフェアじゃない。……それに、そこに何が書いてあるか、わざわざインクの跡を辿らなくても、今の君の顔を見ればわかる」
僕が「やれやれ」を半分、本心を半分混ぜて答えると、杏菜は少しだけ驚いたように目を見開き、それからクスクスと、あの頃と同じように笑った。
「相変わらずだね、和彦くん。……でも、そういう逃げ腰なところ、私、意外と嫌いじゃなかったのかも」
「西野。その『嫌いじゃない』という曖昧な表現を、好意の確定と見なすのは論理的な飛躍よ」
背後から、いつの間にかパンプスを履き直した一ノ瀬佳樹が、冷徹な、けれどどこか満足げな声で割り込んできた。
彼女のスーツは潮風で少しヨレているけれど、その瞳には「勝訴」を確信した弁護士のような光が宿っている。
「いい、西野。私たちは十年前の自分たちに勝ったの。過去の記憶に縛られるのではなく、今の自分の意志で、再びこの場所に集まった。……これは私たちの人生における、最も正当な『再定義』よ。……だから、これから私が東京に戻っても、あなたの監視体制はより一層強化されると覚悟しなさい」
佳樹の独占欲は、もはや距離さえも味方につけようとしていた。
彼女が去り際に僕のネクタイを整える時、指先に込められた微かな熱が、これから始まる長い「大人の二周目」を予感させた。
「わはは! 佳樹、まだそんなこと言ってんのか! ほら、和彦、杏菜! もうすぐ太陽が完全に昇るぞ! 新しいレースの号砲だ!」
和久井檸檬が、堤防の上で大きく伸びをした。
彼女はこれからまた、プロの世界で戦い続ける。けれど、彼女が走る道の先には、いつもこの海辺の風景が、そして僕たちの溜息が、お守りのように寄り添っているんだろう。
「……和彦、さん。……私の、新作の……プロット、決まりました。……タイトルは……『負けヒロインが、大人に……なれない、理由』……です。……もちろん、主演は……あなた、ですから……」
柏木小鞠が、手帳に何かを書き込みながら、僕の影をそっと踏んだ。
彼女の物語は、これからも僕の人生を侵食し続ける。それが彼女なりの、僕への執着の形だった。
やれやれ。
結局、僕たちは何も解決していないのかもしれない。
十年前の「好き」も、現在の「執着」も、複雑に絡み合ったまま、僕たちの足元を濡らしている。
けれど、昇り始めた太陽が照らし出したのは、絶望的な未来なんかじゃなかった。
不必要に高くて青い、あの頃と同じ空。
僕は、隣で微笑む杏菜の温度を、そして背後から注がれる三つの熱い視線を感じながら、大きく一つ、深呼吸をした。
「……どうせ、恋してしまうんだろうな。……また、何度でも」
僕が小さく、誰にも聞こえないような声で零した敗北宣言。
それは、これから始まる「28歳の夏」への、最高に前向きな降伏だった。
物語は終わらない。
僕たちの「青」は、今、新しい季節の光を連れて、力強く動き出したのだ。




