入学式前夜、あるいは「老後」の光景へのカウントダウンについて
四月一日。明日はいよいよ大学の入学式だ。 新居のカーテンを抜けて差し込む月光は、僕の新しい人生を祝福しているというよりは、これから始まる「永遠の延長戦」を冷ややかに見守っているように見えた。
僕は、部屋に置かれたあの古い扇風機を、意味もなく回してみた。 カタカタと鳴る首振りの音。 そのリズムに合わせて、僕の脳裏に、再び「あの映像」が割り込んできた。 EP69から繰り返されてきた、あの「真の時系列」の終着点。 海辺のベンチに座る、初老の僕と杏菜。
「……和彦くん。結局、私たち、ずっとこうだったね」 「……やれやれ。君の騒音には、一生かかっても慣れそうにないよ」
その声は、もはや幻覚ではなかった。それは、これから僕が辿る数十年間の「記憶の先行上映」であり、逃れられない確信だった。 僕は立ち上がり、佳樹から渡されたGPSタグ付きのお守りを手に取った。
「……西野、聞こえてる? 監視テストよ。あなたの心拍数が、微かに上昇しているわ。……不純なことを考えているなら、即座に東京から急行して断罪するわよ」 スマホから漏れる佳樹の冷徹な声。彼女は、東京の学生寮にいながら、すでに僕の鼓動さえも管理下に置いていた。
窓の外に目を向ければ、街灯の下を、深夜にも関わらず走り抜ける人影が見えた。 「わはは! 和彦! 見てるか! 私は入学式の朝まで走り続けるぞ!」 檸檬の、夜を切り裂くような叫び。彼女は、卒業してもなお、僕という存在を追い越し続けるためのエネルギーを枯渇させることはない。
机の引き出しを開ければ、小鞠の残した「予言書」が、月光を吸って怪しく光っていた。 「……和彦、さん。……第一章、完了。……明日から、第二章……『略奪の大学生活』……執筆、開始します……」
そして、僕はスマホを手に取り、杏菜にメッセージを送った。 『明日、入学式だな。……あの扇風機、ちゃんと回ってるぞ』 数秒後。 『うん。知ってるよ。私のボタンも、ちゃんと和彦くんの心臓、守ってるでしょ?』
返信の速さに、僕は苦笑した。 彼女たちは、場所を変え、形を変え、けれど本質的には一ミリも変わらないまま、僕の人生という舞台に居座り続けるつもりなのだ。
「……さて。……そろそろ、寝るか」 僕は電気を消した。 暗闇の中、扇風機の首振りの音だけが響く。 明日から始まる、新しい「青」。 それは、17歳の夏に始まったあの熱量を、一生をかけて冷まさないための、贅沢な時間の始まり。 僕は、未来の自分が海辺で溜息をついている姿を想像し、最高の幸福を込めて、深く、深く、溜息をついた。




