引っ越し前夜のパッキング。あるいは、段ボールに詰めきれない「情念」の総量について
三月下旬。春の嵐が窓を叩く夜。 僕の部屋は段ボール箱に占領され、生活の気配は無機質なテープの音に掻き消されていた。 地元の国立大に進む僕にとって、引っ越しといっても距離は知れている。けれど、四人の少女たちがこの六畳一間に遺していった「痕跡」を整理する作業は、どんな重労働よりも僕の精神を摩耗させた。
「……西野。この家具の配置案は、風水学的にも、そして私の監視カメラの死角を確保する意味でも、著しく不適切よ」 段ボールの山を掻き分けて、一ノ瀬佳樹が部屋に侵入してきた。彼女は明日、東京の私立大へ発つはずなのに、なぜか僕の新居の家具配置図を勝手に作成し、赤ペンで容赦ない修正を入れている。
「佳樹……お前は自分の荷物をまとめろよ。それから、監視カメラなんて設置させるわけないだろ」 「プライバシーへの配慮? 笑わせないで。あなたの生活のすべてを透明化することこそが、私の最大級の愛情表現よ。……ほら、この合格祈願のお守り、新居の鍵と一緒に付けておきなさい。中にGPSタグを仕込んであるから。一分ごとにあなたの現在地を私の端末に送信するように設定済みよ」
佳樹が差し出したのは、もはや呪いの依代に近い最新鋭の追跡装置だった。彼女が僕の「不在」の間も、この空間を支配し続けるという冷徹な宣言。
「和彦! ほら、引っ越し祝いの超特大プロテインだ! 新生活は筋肉からだぞ!」 窓から(なぜ正門から来ないんだ)飛び込んできたのは、和久井檸檬だ。彼女の背負っている袋には、プロテインだけでなく、大量のサプリメントが詰まっていた。 「お前、大学生活でモテようとか思うなよ。和彦は私のライバルなんだからな。軟派な女が近づいてきたら、私がマッハで駆けつけて蹴散らしてやるからな!」 「檸檬、お前は僕のSPか何かか? ……だいたい、お前も同じ大学だろ。毎日会うじゃないか」 「毎日じゃ足りないんだよ! 24時間、お前の視界に私の走る姿を焼き付けてやらないと、お前、すぐどこかへ行っちゃいそうだからな」
檸檬は、僕のまだ開けていない段ボールに「和久井檸檬・専用」とマジックで大きく書き殴った。
「……和彦、さん。……押し入れ、……空いて……ますか?」 小鞠が、段ボールの隙間から這い出してきた。彼女は一冊の分厚いノートを、僕の机の引き出しの奥に隠そうとしていた。 「……これは、……予言書……です。……あなたが、……大学で出会う……すべての不純物を……文字で、……浄化しておきました……」 「小鞠、予言書という名のデスノートを僕の部屋に置くのはやめてくれ」
四者四様の、狂気に満ちた「餞別」。 僕は、自分の新生活が始まる前から、彼女たちの情念によって完全にコーティングされていることを悟り、深い溜息をついた。
「ねえ、和彦くん。……私、これ、持ってきちゃった」 最後に現れた杏菜の手には、あの夏の日、図書室で僕たちが使っていた、古びた扇風機があった。 「……これ、図書室で廃棄されるって聞いたから。……ねえ、和彦くん。私たちの新生活にも、あの夏の風、吹かせておこうよ」
杏菜は、その扇風機を部屋の真ん中に置いた。 無機質だった部屋に、微かにあの頃の、埃と情熱の匂いが混ざり合う。 「……ああ。……捨てられないものが、多すぎるな」
僕は、四人の少女たちに囲まれ、段ボールの山の中で座り込んだ。 明日からは、新しい生活。 けれど、僕の背負っている「敗北」の荷物は、どんな引っ越し業者も運べないほど、重く、そして誇らしいものになっていた。




