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四重奏(カルテット)の不協和音。あるいは、僕らが卒業できない「敗北」の定義について

十二月。 ついに「冬」が、言い逃れのできない重厚さを持って、僕たちの日常を塗り潰し始めた。 図書室の片隅、古いストーブがパチパチとはぜる音だけが響く空間。 僕、和彦を中心に、杏菜、佳樹、檸檬、小鞠の四人が、磁石に引き寄せられる鉄屑のように集まっていた。


かつては「負けヒロイン」たちの溜まり場に過ぎなかったこの場所は、今や、それぞれの「執着」が火花を散らす、最も静かで、最も過酷な戦場へと変貌を遂げている。


「ねえ、和彦くん。これ、お母さんが焼いたクッキー。……みんなで、食べよう?」


杏菜が、タッパーに入った不揃いなクッキーを差し出した。その指先は、寒さのせいか、それとも隠しきれない不安のせいか、微かに震えている。 彼女の差し出す「日常」という名の救済。それは、これからバラバラになるかもしれない僕たちの関係を、必死に繋ぎ止めようとする微弱な結び目だった。


「羽賀さん。糖分の過剰摂取は、受験生の脳に不要なドーパミンを放出させ、判断力を鈍らせるわ。……西野、あなたは私の用意した『集中力維持特化型サプリメント』だけを摂取していればいいのよ」


佳樹が、冷徹な手つきで杏菜のタッパーを脇に追いやり、銀色のシートに包まれた錠剤を僕の前に置いた。彼女の瞳には、「和彦の肉体も精神も、一ミリたりとも他者に汚させない」という、峻厳なまでの独占欲が宿っている。


「硬いこと言うなよ一ノ瀬! 和彦にはスタミナが必要なんだよ。ほら、私が買ってきた肉まんだ! これ食って、明日の模試を乗り切るぞ!」


檸檬が、コンビニの袋から湯気の立つ肉まんを放り投げた。彼女の野性的な熱量が、図書室の張り詰めた空気を強引に掻き回す。


「……和彦、さん。……肉まんの、……湯気……文字が、……滲みます。……静かに、……愛して……ください」


小鞠が、ノートの陰から恨みがましい視線を送る。彼女のペンは、今この瞬間の、僕を巡る四人の醜くも美しい争奪戦を、余すところなく物語へと昇華させていた。


僕は、四方向から注がれる、温度も色彩も異なる「情念」の視線に、ただ深く溜息をつくしかなかった。


「……やれやれ。お前たち、少しは自分の進路に集中したらどうだ。僕を構っている暇があったら、英単語の一つでも覚えろ」


「「「「それはそれ、これはこれ!!」」」」


四人の声が、不自然なほど完璧に重なった。 彼女たちは知っているのだ。 卒業というタイムリミットが近づくにつれ、自分たちの「敗北」――すなわち、僕という唯一の観測者を失うことへの恐怖が、耐え難いものになっていることを。


だからこそ、彼女たちはそれぞれのやり方で、僕の記憶の「最優先事項」であり続けようと必死だった。 杏菜は優しさで、佳樹は規律で、檸檬は熱量で、小鞠は深淵で。


「ねえ、和彦くん」 杏菜が、ストーブの火を見つめながら、ふと呟いた。 「私たち、卒業しても……こうして、喧嘩して、笑って、いられるかな。……なんだか、今のこの時間が、タイムカプセルの中に閉じ込められたみたいで……開けるのが、少し怖いよ」


図書室が、一瞬、静まり返った。 佳樹の指先が止まり、檸檬の笑顔が翳り、小鞠のペンが紙を引っ掻いた。 全員が同じ予感を感じていた。 今のこの、歪で、重苦しくて、けれど何よりも愛おしい四重奏が、永遠に続くはずがないことを。


「……怖がる必要なんてないわ、羽賀さん」 佳樹が、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。 「私が、未来を管理する。西野がどこへ行こうと、私がその場所を『私たちの領土』として定義し直す。……卒業は、契約の終了ではなく、拡大よ」


「そうだよ! 私がどこまでも走って、お前らを繋ぎ止めてやる!」 檸檬が、力強く拳を握る。


「……私は……書きます。……皆さんの、……醜い、……独占欲を……永遠の、……美談として……」 小鞠が、暗い熱情を込めてノートを閉じた。


僕は、窓の外を見上げた。 空は、どこまでも高く、冷たい青。 あの夏、屋上で始まった僕たちの物語は、今や出口のない、迷宮のような「冬」へと足を踏み入れている。


「……そうか。なら、勝手にしろ。僕はただ、お前たちの騒音に耳を塞ぎながら、自分の道を歩くだけだ」


僕の言葉に、四人はそれぞれの表情で微笑んだ。 それは、決して折れることのない「執着」の証明。 負けヒロインが多すぎる。 けれど、その負け戦を一生続けていく覚悟が、僕の中にもいつの間にか芽生えていた。


ストーブの火が、ゆらりと揺れる。 僕たちの17歳の冬は、四重の呪縛と、それに勝る温もりに包まれながら、静かに、けれど激しく燃え上がっていた。

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