↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者を殺すために潜入した魔族の少女が、なぜか俺のパン屋で毎朝働いている  作者: 臥裳斗真


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/5

第四話 祭りの前の日

 翌朝、店の裏から火薬樽が消え始めた。

 焼き上がったパンを棚に並べ終えて裏口を開けると、トマが酒屋の主人と二人がかりで、黒い焼き印の樽を荷車へ積んでいるところだった。


「……何をしているんですか」


「防火点検」


「パン屋が?」


「祭りの前だからな」


「誰の指示です」


「俺」


「パン屋が?」


「……」


「なんですか」


「二回言うな」


 樽を押しながら、酒屋の主人が笑った。


「こいつ昔は軍にいたらしくてな。火薬を店の裏に置くなって、朝からうるさいんだよ」


「ここで燃えたら、あんたの酒も全部いくぞ。西の石倉なら壁が厚い」


「遠いんだよなあ」


「祭りが終わったら、俺が戻しに行く」


「なら、まあいいか」


 話はそれで決まって、決まっていないのはシエルだけだった。


「どうして、急に」


「昨日、荷車が三台、こっちへ曲がるのを見た。祭りだからって、店の近くに置きすぎだ」


 樽を荷台に押し上げながら、トマはシエルと目を合わせた。


「……そうですか」


「ああ」


 それ以上、トマは何も言わなかった。

 シエルは荷車を見送ってから、窯の前へ戻った。

 午前のうちに酒屋の樽が三つ消え、昼には花火屋の予備の火薬が、午後には角の倉庫に積まれていた発火剤が、それぞれ西の石倉へ運ばれていった。

 トマはどこへ行っても、防火点検だ、の一点張りで押し通した。

 祭りの直前にか、と訊かれれば、だから今やるんだと返し、王都の許可はと訊かれれば、火事になってから取るのかと返す。

 相手が面倒になって折れるまで、同じことを繰り返す。

 軍にいた頃は物を一つ動かすにも命令書が必要だったが、パン屋になった今は、面倒な近所の男になれば済んだ。

 店の中からシエルはそれを見ていた。

 酒屋、花火屋、角の倉庫。

 店を真ん中にした円の内側から、火薬が一つずつ消えていく。

 偶然ではない。

 ではなぜ、と考えたところで、店の扉が開いた。


「シエル姉ちゃん! 父ちゃんがね、祭りの日はここで見ようって!」


「……そうですか」


「パンも買う!」


「お金は」


「父ちゃんが払う!」


「では、売ります」


「けち!」


「店員ですので」


 いつもと同じやり取りをしながら、シエルは窓の外を見ていた。

 最後の樽を積んだ荷車を、トマが押している。

 西の石倉までなら、二百歩はとうに越える。


「……どうして」


「なにが?」


「いえ」


 ピノには、答えなかった。



 夕方、シエルは窯の前で火を見ていた。

 火なら、薪をどう組めば、風をどう通せば、灰をどれだけ残せばどうなるか、全部に答えがある。

 トマが何を知っていて、どこまで知っているのかには、答えがなかった。


「祭りの日の夜まで、薪はもつか」


 奥から声がして、シエルは振り返った。


「……お店を、開けるんですか」


「言っただろ」


「危険です」


「またそれか」


「はい」


「お前、祭りの日は休みたいのか」


 返事が止まった。


「休むなら、休んでいいぞ。一人でも回せる」


「でも」


「逃げるなら、今のうちだぞ」


 薪を持つシエルの指が止まった。


「……何から、ですか」


「祭りから。人が多いし、危ないんだろ」


 トマは粉袋を積み直しながら、棚の高さを揃えている。

 いつもと同じ顔だった。


「トマさんは逃げないんですか」


「店がある。明日の生地もある」


 シエルは目を伏せた。


「……つまらない人ですね」


「それ、前にも聞いた」


「今日もです」


 トマは粉袋を積む手を止めた。


「シエル。祭りの夜、何が起きる?」


 シエルの口が、開いた。

 何か言いかけたその瞬間、左腕を押さえて体を折った。

 袖の下から、赤い光が滲んでいる。


「……言えません」


 息が、浅かった。


「言えない、のか。言わない、じゃなくて」


「……はい」


 赤い光は、少しずつ引いていった。

 トマはそれ以上、訊かなかった。

 訊けばまた光る。

 それだけは分かった。



 夜、通信石が赤く灯った。


『報告せよ』


「観測値を修正しました。風向きが変わっています」


『着弾への影響は』


「許容範囲内です」


 嘘ではなかった。

 どこまでを許すのかは、向こうに訊かれなかった。


『現地の火薬配置に変更がある』


 シエルの目が上がった。


『観測地点周辺の仮置き場が、移されている。現地の防火措置だそうだ』


 石を握る指に、力が入った。


『問題はない。第三射の着弾点を、残っている火薬へ寄せろ』


 机の地図に目をやる。

 残っているのは、兵舎の弾薬庫だけだった。

 店から、二百歩のぎりぎり内側。


『聞こえたか』


「……はい」


『修正せよ』


「了解」


『失敗すれば処分する。次の花火師は、もう用意してある』


 赤い光が消えた。

 四日目には、お前も役に立つかもしれないだろ。

 帳場で言われた声が、耳の奥に残った。

 シエルはしばらく動かなかった。

 それから観測表を開き、炭筆を手に取った。



 祭りの前日、トマは店を開ける前に騎士団の詰所を訪ねた。


「帰れ」


 入口で顔を合わせるなり、アルドが言った。


「まだ何も言ってない」


「お前が朝から来る時は、ろくな話じゃない」


「兵舎の弾薬庫を動かしてくれ」


「ほらな」


 アルドが額を押さえた。


「祭りの前日に弾薬庫を動かせと言われて、はいと答える勇者がいると思うか」


 トマは答えずに、昨夜描いた地図を机に広げた。

 店を真ん中にした円が一つ、その内側に印がいくつか、ほとんどに線が引いてあって、残っているのは兵舎の一つだけだった。


「この中から、火薬を消したい」


「理由は」


「敵の観測器を見つけた。祭りの夜、王都に砲撃が来る」


 アルドの顔から、笑いが消えた。


「……持ち主は」


「まだ言えない」


「言えない、か」


「本人は言えないんだ。言おうとすると、腕の印が焼ける。問い詰めれば、その場で火がつくかもしれない」


「なら、本人を押さえるか」


「観測を止めたら、向こうは最初の座標のまま撃ってくるかもしれない。空へ逃がす手まで、一緒に消える」


 それ以上、アルドは訊かなかった。

 地図の真ん中に描かれた小さな四角を、しばらく黙って見ていた。

 必要なものを先に全部揃えておいて、理由は最後にしか言わない。

 遠征の頃から、こいつはそうだった。


「……このあいだのパン」


 アルドが、地図から目を上げずに言った。


「遠征の朝のパン、お前が焼いてたって、知らずに食ってた。補給係はもういらないなんて言えたのは、何を支えてもらってたか、見てなかったからだ」


 トマは、何も言わなかった。


「今度は、補給の専門家として決めろ。俺は動かす」


 トマは地図の上に指を置いた。


「弾薬庫は、二百歩の外まで出す。兵舎側の通りには、祭りの夜は人を入れない。

 店の前の通りも封鎖して、客は向かいの水場の、防火壁の向こう側まで下げる。あの壁は古いが厚い」


「広場は」


「客を、壇から三百歩の外まで下げてくれ」


「凱旋祭の警備の頭は俺だ。王族の警護だと言えば俺の裁量で通る。空いたところは、幻影で埋めさせる」


「退路も先に閉じる。何か落ちても、そこに誰もいないように」


 トマは、地図の端の城壁を指で叩いた。


「城外にも騎兵を伏せておいてくれ。最初の一発で方角が割れたら、砲座を押さえる」


 アルドが、短く頷いた。


「障壁は」


「何枚張れる」


「宮廷の魔術師を全部並べて、三枚。砲弾なら、一枚で一発がやっとだ。直撃と破片は止められるが、爆風までは殺せない。落ちれば、広場の店は何軒か潰れるぞ」


「人が残れば、店は建て直せる」


「……お前が言うと重いな」


「砲撃で狙うなら、壇と、退路と、火薬だ。三か所に一枚ずつ張ってくれ。一発で終わるとは限らない」


「壇は」


「お前の鎧は、訓練用の人形に着せて立たせておけ。遠目に動いて見えるように、幻影を重ねてな。お前は外から見てろ」


「……凱旋祭の主役だぞ、俺は」


「生きてれば来年もやる」


 アルドは長く息を吐いて、地図を丸めた。


「昼までに正式な命令にする。凱旋祭に伴う、警備配置の変更だ。防火壁の向こう側には避難の術式も敷かせる。そのかわり、あとで全部話せ」


「話せたらな」


 それで昔のことが全部なくなるわけではなかったし、なくならなくていいとトマは思った。



 その日の午後、兵が列になって、兵舎の弾薬庫から木箱を運び出していった。

 店先からシエルはそれを見ていた。

 箱は店から離れていき、二百歩を越えて、さらに遠くへ運ばれていく。

 軍の命令で、軍が動いている。

 パン屋の防火点検ではもう説明がつかない。


「……どうして」


「何がだ」


 すぐ後ろに、トマが立っていた。


「いえ」


「そうか」


 それだけで、トマは店の奥へ戻っていった。



 凱旋祭の朝は、いつもと同じに始まった。

 朝四時に窯を起こし、生地を入れて、焼いて、棚に並べる。

 違ったのは、窯の横にいつもはない水桶が二つ並んでいたことだった。

 桶の脇には、軍で使う厚い防火布が畳んで置いてある。

 窯のまわりに積んであった小麦袋と薪は倉庫へ移されていて、煙道の差し板には、いつの間にか油が差してあった。


「何ですか、これ」


「防火点検」


「まだ続いているんですか」


「祭りが終わるまでな」


 シエルは差し板に指を掛けてみた。

 前は両手でないと動かなかった板が、指一本で滑った。

 ピノが来て、客が来て、通りには祭りの旗が一枚ずつ増えていく。

 昼には王都じゅうが浮かれていて、夕方、遠くで鐘が鳴ると、中央広場へ向かう人の流れが太くなった。

 ピノが父親の手を引いて、通りの向こうの水場の、石造りの防火壁の向こう側に陣取った。


「シエル姉ちゃん、来たよ!」


「知っています」


 パンを包む手は止まらなかったが、日が傾くにつれて、シエルの口数は減っていった。

 閉店の札を返す前に、シエルは紅茶を淹れた。


「珍しいな。お前が淹れるのは」


「店員ですので」


 トマはカップを受け取って口をつけ、熱いな、とだけ言った。

 少しして、帳場に頬杖をついたまま動かなくなった。

 シエルは、その肩に自分の上着を掛けた。

 それから二階へ上がった。



 本来の計画どおりなら、数分後、この店は周りの火薬ごと吹き飛ぶ。

 二階の窓辺で、シエルは最後の座標を打ち込んだ。

 王都中央広場まで、八百四十二歩。

 風は北東、高度の補正は二。

 観測表には、そう書いてある。

 その欄の下には、砲弾を空へ逃がすための数字が並んでいる。

 窓の向こうでは、勇者凱旋祭の花火が上がり始めていて、赤い光が咲くたびに、少し遅れて腹の底へ音が届く。

 紅茶に混ぜた睡眠薬は効いたらしい。

 階下からは、もう物音ひとつしなかった。

 通りの向こうの水場で、ピノが父親の肩の上から空を指さしている。


『観測点、応答せよ』


「こちら花火師。観測準備、完了」


『第一射まで、三分』


 シエルは目を閉じなかった。

 広場のずっと向こう、城壁の外の暗がりで、白い光が走った。

 火球が一つ、夜空を登ってくる。

 群衆が歓声を上げた。

 祭りの追加の花火だと思ったのだ。

 火球は広場の上へ届く前に、ずっと高い空で割れた。

 白い火が、空いっぱいに広がる。


『照準が高い。観測点、確認せよ』


「風です。上空で北東に強く流れています」


『第二射、修正値で撃つ』


 シエルは数字を送った。

 二つ目の火球も、広場のはるか上で、さっきより大きく咲いた。

 歓声が、さらに大きくなった。


『観測点。第二射も高い』


「上空の風です」


『違う』


 向こうの声が、初めて低くなった。


『送られてくる補正が大きすぎる。第三射は弾薬庫への誘導を中止し、第一目標の壇上へ向ける。現地補正は破棄。第一射の初期値を入力しろ』


 シエルの指が止まった。

 観測表のいちばん上に、最初に書いた数字が残っている。

 高度、二。

 距離、七。

 第一目標の壇へ落とすための、正しい数字だった。

 それを送れば、三つ目の火球は広場へ落ちる。

 シエルの目には、壇に立つ勇者の姿も、その周りを埋める人の影も、はっきりと見えていた。

 三つ目の砲弾は、もう城壁外の砲座を離れていた。

 発射されたあとで軌道と炸裂の高さを書き換えられるのは、砲弾と対になったこの観測石だけだった。


『観測点。入力せよ』


「シエル姉ちゃん! 次のまだー?」


 通りの向こうから声がした。

 父親の肩の上で、ピノが空を見上げている。

 正しい数字なら、ずっと分かっていた。

 それ以外の選び方を、知らなかった。


『観測点』


 炭筆の先を、二、の上に一度だけ置いた。

 三日前の夜、屋根の上で訊かれたことを思い出す。

 全部捨てて、どこへ行く。

 どこでも、と答えた。

 シエルは煙突を見た。

 それから、炭筆を動かした。


「高度補正、六。距離補正、十一」


 向こうが、一瞬だけ黙った。


『その値では高すぎる。再確認しろ』


「確認しました」


『命令だ。初期値へ戻せ。花火師、復唱せよ』


 シエルは通信石を口元へ寄せた。


「了解」


 少しだけ、間を置いた。


「観測値、変更ありません」


 三つ目の火球は、どれよりも高い空で爆ぜた。

 白い火がゆっくりと夜空を降りてきて、地面に届く前に消えていく。

 地上では、何も起きなかった。

 酒屋の地下も、角の倉庫も、兵舎も、この店も、どこも燃えなかった。


『観測点、応答せよ。観測点』


 シエルは通信石を窓枠に置き、息を一つ吐いた。

 背後で、床板が鳴った。


「軍の睡眠薬は、苦いんだ」


 振り返ると、自分の上着を腕に掛けたトマが、階段の上に立っていた。


「紅茶くらいじゃ、隠れない。一口目で分かったから、あとは飲むふりをして、袖口に吸わせた」


 トマのシャツの袖口は、手首のところまで茶色く濡れていた。


 シエルは何か言おうとして、口を開け、閉じた。

 もう一度開いて出てきたのは、ずっと胸の底にあった一文だった。


「……今日、あなたを殺す予定でした」


「予定は変わったみたいだな」


 窓枠の上で、通信石が赤く光った。


『花火師。観測値の改竄を確認した』


 シエルの左腕で、袖の下の痕が熱を持った。

 円と、その周りの短い線が、布越しにも分かるほど赤く灯り始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。