031 新しい生活と決断
結婚式からしばらく、私は今までと変わらず【アストラ】の一員として活動を続けている。
騎士であるユーリスとの暮らしはすれ違いが多い。
冒険者の生活は不規則であるうえ、騎士も唐突に予定が変わることがある。
久しぶりにゆっくりできると思っても突然呼び出されたり、予想以上に仕事に時間がかかって帰れないこともあるのだ。
なので私たち夫婦での決まり事は一つだけ。
〝二人の時間を大事にしよう〟
たったこれだけだ。
生活をする上での決まりはない。
ただ二人で過ごす時間を大事にするために、お互いにできることをする。
二人で食卓を囲むために先に帰れた方が料理を用意したり、有意義に休日を過ごせるように時間がある方が家の片付けをする。
二人揃って誰かに押し付けるような性格ではないから成り立っている側面もあるが、こんな決まりでお互いに不満なく日々を過ごしている。
「——それでイーヴォが怒っちゃいまして……」
「なにそれっ!」
食卓を囲んでそんな他愛のない会話で笑い合う。
気づけばいつの間にか皿が空になっていた。
「ユーリス、私そろそろ仕事を休もうかと思ってるんだけど……」
食器を置いて言った私にユーリスは首を傾げた。
そしてしばらくの沈黙の後、前のめりになって口を開いた。
「もしかして、何か至らない点が——⁉」
「違うよ。ただ、そろそろ将来のことを考えた方が良いかなって思っただけだよ。それに今の【アストラ】なら私がいなくてもうまくやっていけるからね」
慌てるユーリスに私は笑いかけた。
今までの【アストラ】での生活を考えれば、ユーリスはとても良くしてくれている。
やらなくては、と思っていたことも先にやってくれている気の利かせよう。
不満どころか感謝しかない。
「ですが……」
「Aランクパーティになって外に出ている時間が増えているのがずっと気になっていたんだ。私がいる必要がないなら、私はユーリスとの時間を増やしたい」
「リーゼさん……」
事実、Aランクになってから長期で王都を離れることが多くなった。
一つの依頼で一週間出ている、なんてことも一度や二度ではない。
その間、ユーリスにすべて任せてしまっているのはなんとも心苦しい。
本人は自分が不在の時にやってくれているから、と言っているが、明らかにユーリスの負担が多くなっている。
これではいけないと思う。だからこその決断だ。
それになにもこのままずっとというわけではない。
「……それに、最近農地の相談が増えているんだろう?」
つい先日、帰宅途中に会った人に言われたのだ。いつも面倒事ばかりすまない、と。
何も聞いていなかったので、きっとユーリスは一人ですべて対処していたのだろう。
「それは……」
すっとユーリスは目を伏せた。
まるで怒られる前の子供のようだ。
「ユーリス、私は怒ってないよ。だから私を見て」
恐る恐るといった様子で上げる顔に両手を伸ばす。
少しひんやりとした顔が驚きにわずかに震えた。
「ユーリス。私、そんなに怒りっぽく見えるかい?」
「いいえ……」
「私は感謝しているんだよ。いつもユーリスは私の手が届いていないところを気にかけてくれてる。相談が来ているのを話さなかったのは、私の負担を増やさないためだろう?」
じっと見つめ合ったまま沈黙する。
どう答えようか迷っているのか、固まったままの様子に柔らかく息を吐いた。
「負担を減らすために一人で背負い込むのは〝協力〟とは違うと思うんだ。だからもっと頼って欲しい」
頬に添えた私の手に彼の熱いぐらい温かな手が重ねられる。
そしてそっと握るように手を下ろした。
「すみません。あなたのことを考えるあまりあなたを軽んじていました。——実は先日の貴族がまたしつこく迫っているようなんです」
「——? なんでまた……」
ため息のように吐き出された言葉に思わず首を傾げた。
あれほど相場を提示したのに。それに今の地権者は私たちだ。
ユーリスの言い方からして、私たちに対して持ちかけているのではなく実際に作業している者に対して行っているのだろう。
これは明確な規則違反だ。
「わかりません。それも手当り次第みたいでして……」
「士爵には相談したのかい?」
「それはまだです」
少し考える。
一番楽なのは実力行使だ。
相手が規則違反をしているのならば、こちらも同じ舞台に立って排除すれば良い。
だが相手はおそらく貴族だ。下手なことをすれば手痛い目に遭うかもしれない。
そうなった場合、私たちだけでなく元々この地で働いている人たちにも害が及ぶかもしれない。
「せめて目的が分かれば手を打てるんだけどねえ……。ユーリス、士爵に相談するついでに向こうのことを調べてもらえないかい?」
ふと視界に入った空の皿を見て、そう話した。
おそらくこの手は誰もが嫌がることだろう。
食は誰もが切っても切り離せないものなのだから。
「構いませんが、なにか案があるのですか?」
「そうだねえ。もしあの男が没落貴族なら、辺境伯の恐ろしさを思い知らせてやろうかとね」
「何をする気なんですか……」
悪意を隠していない笑みを浮かべる私に、ユーリスは少し青ざめた表情で引いていた。
■■■
士爵に相談した結果を待つ間に私がやれることは、環境を整え、状況を知ることだ。
まず初めにやることは、【アストラ】にしばらくの間休むことを申し入れること。
冒険者として活動していることによって、動きたいところで仕事に出張っていては機を逃してしまうからだ。
「——ということでしばらく休ませてほしいんだよ」
パーティの拠点でそう切り出せば、沈黙が待っていた。
エステラは突然のことに戸惑っている様子で、アルシウスとファイドロは静かに瞑目している。
三人に話した理由は、農地の件ではない。本来考えていた結婚による理由の方だ。
そもそも農地の件は急ぐ理由であって、長期で休む理由にはなり得ないのだから。
「——それもそうだよな。すまない、気が利かなかった」
「アルシウスさん⁉」
反対することを期待していたのだろう。エステラが珍しく声を張り上げた。
それにアルシウスは首を振った。
「今の俺たちなら三人でそれなりにやっていけると思う。それにこれは本来俺たちから切り出さなきゃいけないことだ。引き止める理由がない」
「ですが……!」
立ち上がって抗議しようとしたエステラを、それまで黙っていたファイドロが止めた。
彼に振り返ったエステラにファイドロも首を振る。
「アルシウスの言う通りだ。俺たちに引き止める理由がない」
二人に否定されてしまった以上、エステラは引き下がらざるを得なかった。
力なく椅子に座ったエステラは俯いて、ついに泣き始めてしまった。
「エステラ、ごめん……。ちゃんとまた戻ってくるから」
「……ちゃんと、戻って、きてくださいね……」
嗚咽を漏らしながらそう言った彼女が泣き止むまで、私は拠点にとどまった。




