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021 お兄さんと呼べ!

 倒れた後、目覚めたときには私はお化け洞窟の前に横たわっていた。

 近くで焚き火しているらしくパチパチと枝が小さく爆ぜる音が聞こえていた。


「全く、二度と来るなと言っただろう」


 火の番をしていたのは、お化け洞窟で出会った銀髪の男だった。

 彼は私を見ることなく心底嫌そうに言った。


「……ごめんなさい」

「もう暗い。起き上がれるならさっさと帰れ」


 言われて初めて気づいた。

 あたりはすっかり暗くなって星が瞬いていた。


「……帰りたくない」


 私の一言に男は片眉を釣り上げて私を見た。

 苛立ち、不思議、理解できない、そんなことを物語っているような表情だった。

 そんな彼が恐ろしくて私は膝を抱えて縮こまった。


「ならどうする気だ」

「どこか遠くに行きたい」


 男の問いに答えた私も不思議だった。

 なんであんな言葉が出てきたのだろう。

 どこか遠く。

 考えたこともなかった言葉が飛び出したことに私自身が一番驚いた。


 そんな私の答えに男は舌打ちして「精霊共が騒ぐからと思って助けてやればとんだ面倒事を」と頭を掻きむしった。


「おじさん?」


 一体どうしたのだろうか、と声をかければ凄い剣幕で睨まれた。


「おじさんではない! お兄さんと呼べ!」


 え、怒るのそこなの? という気持ちもあったが、その恐ろしさに捕食者を前にした小動物のように震えるしかない。

 涙まで滲んでくる。


「ああ、クソッ! ちょっとそこで待ってろ」


 大股でお化け洞窟に入っていったお兄さんは、すぐに戻って来た。

 そして私に何かの毛皮を投げ渡した。


「とりあえずガキはさっさと寝ろ。話はそれからだ」


 渡された毛皮が寝るためのものだとわかって、それを広げた。

 薄茶色の毛皮は見たことがないが、ふわふわとした触り心地と柔らかな温かさが心地良かった。

 私はそれを掛けてぐっすり眠ることができた。


「──人間どもめ、これ以上血で穢されては親父殿でも保たぬぞ」


 そんな言葉がうっすらと聞こえていたが、眠気の方が優ってその内容を考えることなく意識を手放した。




■■■




 翌日、目を覚まして真っ先に目に飛び込んだのは天高く昇った太陽だった。

 いつもの習慣で寝坊したと飛び起きたが、街から逃げたことを思い出してうずくまった。


「ようやく起きたか。とりあえず食え」


 お兄さんに差し出されたのは何かの肉の塊を焼いたものだった。

 表面の状態から焚き火で炙っただけだろう。

 それを受け取ってまじまじと見れば、血抜きがされていないようでそれが滴っていた。

 一瞬昨日のメリアの最期が目に浮かんだ。


「……くさっ──」

「いいからさっさと食え」

「むぐっ──!」


 躊躇った私の口にお兄さんは容赦なく塊を押し込んだ。

 口いっぱいに獣臭さが広がって咽せた。

 これはマズイなんてものじゃない。食べ物ではないと思う……!

 そんな思いで詰め込まれたそれを吐き出した。

 そもそも起きてすぐに食べるものとしても重すぎるのだ。


 涙目になってお兄さんを見ればこめかみをぴくぴくと動かしていた。

 口角も引き攣らせ、言いたいことは山ほどあるが言葉が出てこない、そんな印象だ。


 そんな調子で強烈な朝食を終えたところでお兄さんが立ち上がった。


「行くぞ。近くの町まで連れてってやる」


 私はお兄さんに首を振った。

 近くの町ではお父様の影響が強すぎる。

 流石に一晩経って、いないことに気づいているはずだ。

 私を見つけようとお父様の手が伸びているかもしれない。


「もっと遠くがいい」

「…………。……わかった。王都まで連れてってやる」


 呆れたような目でため息をついたお兄さんは私を見下ろしながら、私の頭に手を乗せた。

 大きくて固くてゴツゴツした温かい手だった。




 お化け洞窟から王都に向けて出発した私たちは一度近くの町に立ち寄った。

 それは必要なものを揃えるためだ。

 私の服が目立ってしまうということと、自分の身は自分で守れるように、ということらしい。

 抜け出す時用の質素な服ではあるが、必死に走っている間にドロドロになってしまったし、どう見ても周りから浮く質だ。

 確かに目立ちそうだ。


 お兄さんは私を町の外で待たせて、服と剣を持って来てくれた。

 服は一枚の布から切り出されたような簡単なもので、大きさも少し大きかった。

 剣も私には大きくて重すぎた。

 柄を持っても剣先を持ち上げられなかった。


「いたか?」

「いや、誰も見ていないらしい。他の町に行ったのかもしれない」

「一体どこに行ったんだ? あのお嬢様は。あれだけ目立つ髪色なんだから見落とすわけはないと思うが」


 一通り身なりを整えたところで、町の入り口からそんな会話が聞こえてきた。

 お父様が探すよう命じた人たちだろう。

 私は無意識にお兄さんの服にしがみつくように隠れていた。

 声が聞こえて来ただけなのに足が震える。


「……その頭もどうにかしないといけないな」


 何に怖がっているのか気づいたらしいお兄さんがそう呟いた。


 それから再び移動を始めた私たちは街道から離れた場所にある小屋に入った。

 もう誰も使っていないそこは見た目はボロボロで、中も埃だらけだった。

 扉を開いた瞬間に中の埃が一気に飛び出して来て、二人一緒に咳き込んだ。


「すぐそばに川があるから水を汲んで来い。吾はその髪をどうにかする物を拾ってくる」


 そう言ってお兄さんはどこかへ行ってしまった。

 私も小屋にあった手桶を手に川に向かった。


 川に行くまでは問題なかった。

 問題なのは帰りだ。

 ろくに体を動かすことがなかった私が水を一杯に入れた手桶を運ぶのは大変だった。

 持ち上げるのにも一苦労、それを運ぶのにも四苦八苦。

 重いし、取っ手は手に食い込むし、こぼれた水で全身冷たいし、小屋にたどり着いた時にはすっかり中身が減っていた。


「……いくらなんでも軟弱すぎるだろう!」


 そう怒られたのは言うまでもない。

 手桶の中身で濡れて震えながら大泣きすることになった。


 翌日、お兄さんは拾ってきた草花で私の髪を染めた。

 草花をすりつぶしたのは私だ。

 小屋の中にちょうどいい道具があったので、それでぐるぐると掻き回すのがなんだか楽しかった。


「これで良いだろう。一月ほどはもつはずだ。それまでに領地は出られるはず。流石に領地の外まで捜しには来まい」

「ありがとう!」


 川に映る私の髪は透き通るような赤色からくすんだ茶色に変わった。

 染めたせいか長い髪がうねっている。

 柔らかかった触り心地はゴワゴワになってしまったが、そんな変化が目新しくて、お兄さんに脇に抱えられるまでずっと眺めていた。


「そろそろ行くぞ。こんなところで見つかっては意味がないだろう」

「はーい」


 返事をすれば降ろされ、剣を渡された。

 自分の荷物だから自分で持てということのようだ。

 やはり剣は重く、引きずるしかない。

 そんな様子にお兄さんは顰めっ面になって剣を取り上げた。


「そんな持ち方をしていては目立つ」


 ──結局剣を持つようになったのは辺境伯領を出てからだった。




■■■




 私たちの旅は至って単純だ。

 ただひたすら街道に沿って進み、お兄さんが獣や魔物を倒す。

 日が暮れたら適当なところで野宿。

 その繰り返し。

 町で宿に泊まるようなことはしない。

 町で何かの拍子に見つかってしまうかもしれないし、何より二人ともお金を持っていなかった。

 じゃあ今着ている服や剣はどうしたのか、については怖くて聞けなかった。


 そんな繰り返しの毎日が続くことしばらく、お兄さんの言った通り髪の色が戻り始めた頃に辺境伯領を出た。


 領地に明らかな境界があるわけではないけれど、辺境伯領だけはお父様の性格なのかしっかりと目印があった。

 街道には標が、そこから領地を囲うように伸びる柵。

 こんなことになっていることすら知らなかった。


「この先に使われてない小屋がある。しばらくそこで過ごす。町も近いから困らないだろう」

「なんで?」


 お兄さんに問い掛ければ、やっぱり嫌そうに顔を引き攣らせた。


「このまま王都に行ったところで、お前では何もできんだろう! 自分で生きる術ぐらい身につけさせてやると言っているんだ!」


 お兄さんは苛々したように怒鳴る。

 私、何か悪いことしたの……?


 お兄さんが言った通り、街道から少し離れているものの、最初の小屋のように手入れされていない小屋があった。

 そこを使えるようにして一晩過ごせば、お兄さんによる厳しい特訓が始まった。


「とりあえず、戻ってくるまでそこにぶら下がっていろ」


 お兄さんは私を小屋の近くにある大きな木の枝に掴まらせてどこかへ行ってしまった。


「え⁉ どれぐらいで戻ってくるの⁉」


 私の叫びへの答えがないままぶら下がり続ける。

 だんだん手が疲れてきて痛くなり、それも次第になくなっていった。

 腕も引き伸ばされるようで変な感じがした。

 肘なんて曲げているのか伸ばしているのかすらわからなくなった。


「もう、無理……」


 感覚がないながら掴んでいる場所が変わっていくのはわかった。

 たぶん後ちょっとで掴んでいられなくなるな、とどこか他人事のように思った。

 そして程なくして予想通りツルッと手が滑って落ちた。


「きゃあっ!」


 わざと足がつかない高さにぶら下げたのだろう。

 落ちているのにふわっとした感じがして、直後にお尻にものすごい痛みが走った。


「いったーい……!」


 涙目になりながらお尻をさすり、見上げる。

 掴んでいた枝はあれだろうか。

 多分今の私二人分ぐらいの高さがありそうだ。


「この程度の時間も耐えられんとは。これは相当苦労しそうだな」


 未だ地面に座り込み見上げたままの私に、ようやく帰ってきたお兄さんが呆れた顔で言った。


 その後、明くる日も明くる日も枝にぶら下がっては、小屋の周りを走り回り、剣を持ち上げようとした。

 そんな地道な特訓は季節が一巡りするほど続き、いつしかまともに剣を振れるようになっていた。

 それでも魔物を狩れるほどではなく、せいぜい小さな獣を仕留めるぐらいの腕だ。

 それに剣を振った後は剣に振り回されてしまうのでうまく扱えているとは言えない。


「リーゼリア」


 呼ばれて振り返れば日が沈みかけていた。

 急いで戻らないと、と住処と化した小屋に向かって走った。

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