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020 リーゼリア

「リーゼリアお嬢様、お髪をお直しします」


 領主邸の広い一室にいるのは私と一人のメイドのみ。

 髪を直すと言ったメイドは震える手で、真っ赤な私の髪を結い上げる。

 そして一切私と目を合わせることなく部屋から出ていった。


 この部屋にお父様もお母様も来ることはない。

 来るのは屋敷のメイドか、たまにやって来る家庭教師ぐらいだ。

 両親と顔を合わせるのも食事の時ぐらいで、ほとんど会わない。

 その割には部屋の外に出るなとか言いつけは多い。


「今日のお勉強はここまでにしましょう。それでは(わたくし)はこれにて」


 マナーを教えに来た先生は、美しいほどお手本通りの動きで、スッと伸ばした背筋を綺麗に折り曲げたお辞儀をして去っていった。

 しかしその足取りはまるで逃げるようだった。


 先生が来る日は半日ほど勉強にあてられ、それ以外は特に何もやることはない。

 授業の復習をすることもあれば、本を読んだり、窓から外を眺めたりと限られた中で好きなように一日を過ごした。


「今日も一日退屈だったわ。あなたもそう思うでしょ?」


 部屋の外に出ることが少ない私の唯一の友達は、夜な夜な現れる色とりどりの光だけだった。


 光が喋ることはないけれど、私の言葉に頷いたり、否定したりしていることはなんとなくわかる。

 それに最近はその動きで何を言おうとしているのかわかるようになってきた。


 光は私の問いかけにフワフワと浮かぶ動きで答えてくれた。多分同意してくれたのだと思う。


「一体いつになったらお外に出させてもらえるのかしら。早くあそこに行ってみたいわ」


 思い浮かべるのは、時々聞こえてくる子どもたちの声。

 そして〝お化け洞窟〟という単語。

 大人たちは教えてくれないが、光が屋敷から見える大きな木のことだと教えてくれた。

 月明かりに照らされた、遠くに見えるそれを眺めながら、いつか訪れるであろうその時を夢見る。

 お化けとはなんだろう。どんなところなんだろう。

 そんなことを思う時間が一番楽しかった。


 そうやって窓を開けて光と戯れていると、空気を切り裂くような鋭い音が響いて来た。

 何事かと身を乗り出せば、お父様とメイドの姿が見えた。

 お父様の足元でメイドがうずくまっているように見える。


「申し訳ございません! どうかお許しを!」


 メイドの叫びを両断するように再び鋭い音が響く。

 メイドの叫びは悲鳴に変わった。


「なぜ高貴な私たちがこんな下賤なことをしなければならない! これは下賤なお前たちの仕事であろうが!」


 お父様の怒鳴り声と共に鋭い音が何度も、何度も何度も響き渡る。

 その度にメイドの悲鳴が聞こえ、どんどん泣き声に変化していった。

 そして聞こえるのはメイドの泣き声だけになっていた。


 この時初めてメイドの手が震えていたのか、先生が逃げるように帰っていったのかも、その理由を知った。

 皆お父様を怖がっているのだ。


 この日を境に生活は一変した。


 滅多に会えないお父様もお母様も私に関心がなく、私から逃げるように去っていく使用人や先生たちは皆私に怯えているように見えるようになった。


 退屈な日々は音を立てて崩れ去り、まるで奈落の底であることを覆い隠した籠の中に閉じ込められているように感じる。

 私が一層屋敷の外に恋焦がれるようになったのは必然だった。


 空き時間は常に屋敷の外を眺め、領民たちと同じ場所に立つことを夢見る。

 いつ来るのかわからないそんな日を待ちきれずに、両親の目を盗んで屋敷から抜け出すようになった。

 もともと私に関わることがなかったので、抜け出すのは案外簡単なことだった。

 使用人たちが部屋に来ることも食事前ぐらいだ。

 それまで気づかれることもないだろう。


 最初はただ屋敷の外に出て、屋敷を見上げるだけだった。

 次第に出かける範囲は広がり、ついに夢見たお化け洞窟まで辿り着いたのは、抜け出すようになって二ヶ月経った頃だった。


 初めてやって来たそこは、ぽっかりと空いた木の穴なのに中が見えないほどに真っ暗だ。

 今は誰も来ていないようで、子供の声すらしない。

 洞窟からはひんやりとした空気が流れて来て、少し離れていても近寄りがたい、そんな印象を抱いた。

 それでも中がどうなっているのか気になって、足を震わせながらも、穴の中に顔だけ突っ込んだ。


「……何も見えない……」


 洞窟の中に少し入り込んだだけで真っ暗になってしまうそこは、本当に何も見えない。

 どれぐらいの広さなのか、どんな見た目なのか、少しの明かりがあればわかるようなことすらわからない。


 なんとか何か見ることができないか、とさらに奥へ行こうとしたところで体が持ち上がった。


「こんなところで何をしている」


 私は見知らぬ男の人に持ち上げられていた。

 褐色の肌に緑がかった銀髪が特徴的な人だ。


「離して!」

「もうここには来ないと誓ったら離してやる」

「わかりました! もう来ませんから離してください!」


 ジタバタともがいたところでびくともしなかったので、諦めて早々に知らない男性に約束した。

 成人した男性に六歳の子どもが敵うはずがないのだから。


 値踏みするように男は私を見て、大きなため息と共に降ろしてくれた。


「もう来るんじゃないぞ」


 そう言って男は追い払うように手を振った。


 少し離れたところから見た男は、なぜかそのまま私を一口で食べてしまえるのではないか、と思わせた。

 その恐ろしさにぶるりと体が震えた。




■■■




 それから一度もお化け洞窟に行くこともなく夏が来た。


 この時期は領民たち総出で作物の収穫をする。

 両親はそこから三分の一の作物をもらい、残りは全て引き取りに来た商人に売る。

 もちろんその代金の半分は両親が受け取り、残った分が実際に働いた領民たちに与えられる。

 この仕組みは先生たちは一言も教えてくれなかった。

 これを知ったのもやはり屋敷を抜け出すようになってからだ。


 ある晴れた日だ。

 部屋から収穫する領民の姿が見えたので、その姿を見ていた。


 夏の日差しはとても熱い。

 そんな中必死に収穫する領民は、ろくに対価をもらえない。

 そんなめちゃくちゃな話があるだろうか、と私はいつものように屋敷を抜け出した。


 部屋から見えた場所まで来ると、そこはやはり日差しと気温で気が遠のくほど暑かった。

 そんなところで作業する彼らに混ざって私も収穫を手伝うことにした。


「あなた見たことないね。名前は?」


 どうやれば良いのだろうか、と困っていたところで声をかけられた。

 声の主は私とそれほど変わらない茶髪のおさげの女の子。


「──リーゼよ」


 咄嗟に嘘をついていた。

 きっと私が領主の娘だと知れば、この子も使用人たちと同じように逃げていってしまうだろう。

 それでは手伝いに来た意味がないどころか邪魔でしかない。


「ふーん……聞いたことない名前ね! 私はメリア。今日は量が多いから手伝いに来てくれたの?」

「は、はい……」

「じゃあ、やり方はわかる?」


 わからないと答えれば、メリアは一つ一つ教えてくれた。

 全員の作業が終わる頃には私もそれなりにできるようになっていた、──と思う。


 そのままメリアと手を振りながら別れて屋敷に戻った。

 初めてできた友達じゃないだろうか。

 そんな足取りも軽くなるような気持ちだった。


 その翌日のことだ。

 作業をする人の姿がないので、屋敷から抜け出して探してみた。


 しばらく街の中を歩き回ったら、領民たちは全員広場に集められていた。

 その中心の台にはお父様が立っている。


「愚かにも、我が娘に労働をさせた下賎な輩がいた! 二度とこのようなことがないよう、ここでその輩を断罪する!」


 お父様がそう叫ぶと共に、立派な甲冑を着た人が台に登った。

 その人は大きな手で茶髪の女の子の頭を鷲掴みにしていた。

 その姿を見た時、私はこれ以上にないほど目を見開いていた。

 その子は昨日出会ったメリアだったのだ。


 甲冑の人は乱暴にメリアを大きな機械に突き飛ばし、機械で動けなくした。

 うつ伏せにされたメリアの真上には大きな刃。

 その後起こることは簡単に想像できた。


「貴族に労働させるなど言語道断! 死して詫びよ!」


 お父様は近くに取り付けられていた綱を迷うことなく断ち切った。

 その時の父の表情は見たこともないほどに嬉しそうな、楽しそうなように見えた。


 落ちる刃、領民たちの悲鳴。

 全てが遠いどこかの出来事のように感じた。

 そして気づいた時には、私は街の外に向かって走っていた。


 私が屋敷から抜け出さなければ、あの光景を見ることはなかった。

 私が屋敷から抜け出さなければ、メリアが殺されることはなかった。

 私が屋敷から抜け出さなければ、メリアに出会うことはなかった。

 私が屋敷から抜け出さなければ──。


 真夏の熱い日差しの中立ちすくみ、その場にしゃがみ込んだ。

 肌が焼けるように痛い。

 必死に走ったせいで息が苦しい。喉もカラカラだ。

 そのまま意識が遠のいて、私はその場に倒れた。




■■■




 そこまで話して私は一度言葉を切った。

 向かいに座るユーリスの様子を見れば、真剣に話を聞いてくれていることが伝わってきた。

 彼は目を大きく見開いて、こぼすまいと涙を堪えていた。




 丘での告白のあと、話が長くなるから、と私たちは街中の小さな宿に入った。

 一階が酒場になっているこの宿は、常に酒場の喧騒が響いてきて休む場所であるはずなのになかなか賑やかだ。

 こういった場所のほうが聞かれにくいだろうというユーリスの提案だった。

 彼もあまり聞かれたくない話をする時に使うらしい。


 彼は一度瞑目したのち、自身を落ち着かせるように息をついた。

 きっと隠したつもりだったのだろうが、拳を固く握りしめたのが見えた。


「初めてお会いした時にもしかして、とは思いました。でもご令嬢らしくない……と言いますか、レイノール辺境伯と結びつかなかったんです。……きっとその後も大変なことがあったんですよね?」


 ユーリスの問いに頷いた私は、部屋に用意されていた水を少しだけ飲んで、再び話し始めた。

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