月光草の採取配信、逃げ足の速い子猫を見つけました
ルゥの翼の怪我がすっかり治ってから、数日が経った。
「よし。今日はお出かけしようね!」
「みゃっ!」
私が声をかけると、ルゥは元気よく返事をした。
以前は片方の翼を垂らしていたルゥも、今では部屋の中を走り回り、低い場所なら軽く飛び乗れるようになっている。
ただし、調子に乗って飛び回りすぎると、私に止められることになるのだけれど。
「無理はしないこと。今日はダンジョンに行くけど、ちゃんと私の近くにいてね」
「みゃう!」
返事だけは立派だった。
私は苦笑しながら、ルゥをキャリーに入れた。
今日向かうのは、探索者協会から紹介された新しい採取区域だ。珍しい薬草が自生していて、月光草も見つかる可能性があるらしい。
もちろん、配信もするつもりだった。
最近は、天城レナさんを救出した動画のおかげで、私のチャンネルを見に来てくれる人が増えている。
相変わらず薬草の解説が中心だけれど、以前より質問やコメントが増えたのは素直に嬉しい。
「それじゃあ、行ってきます!」
「みゃっ!」
私はキャリーを持ち上げ、家を出た。
今日もいつもどおり、薬草を採取して解説する。
そのつもりだった。
協会の資料には、小型の未確認生物の目撃情報があった。けれど、まさかあんなに足の速いネッコだとは、思ってもいなかったのだ。
* * *
街の郊外にある中層ダンジョン。
その入口で手続きを済ませた私は、協会から教えてもらった採取区域へ向かっていた。
普段訪れる場所より少し奥にあるものの、通路が広く、見通しもいい。危険なモンスターが頻繁に出る区域ではないらしい。
「こんにちは、小鳥遊ひよりです。今日は探索者協会から教えてもらった採取区域で、月光草を探してみますね」
配信を開始すると、ほどなくしてコメントが流れ始めた。
〈ひよりさん、こんにちは!〉
〈今日はダンジョン配信だ!〉
〈ルゥちゃんも一緒?〉
「はい。今日はルゥも一緒です。翼の怪我も治ったので、少しずつお出かけにも慣れてもらおうと思って」
私はキャリーを地面に置き、メッシュ越しに中を覗いた。
「ルゥ、着いたよ」
「みゃっ!」
ルゥは元気よく鳴き、キャリーの中から周囲を見回した。
まずは周辺に危険がないか確認する。問題なさそうだったので、私はキャリーの扉を開けた。
「どうぞ。ただし、遠くへ行っちゃ駄目だからね」
「みゃっ!」
ルゥは軽く地面へ飛び降り、私の足元へすり寄った。
それから、ぴょんと小さな岩に飛び乗る。
砂色の毛並みが、ダンジョンの岩場によく馴染んでいた。
「ふふっ。楽しそうだね」
〈元気になってよかった!〉
〈ルゥちゃん、前より動けるようになってる!〉
〈この子、ほんとに可愛いなあ〉
コメントを読みながら、私は薬草の採取を始めた。
「さて、まずは月光草を探しましょう。月光草は葉の表面に淡い光沢があるのが特徴です。ただし、似た植物の中には、触れるとかぶれを引き起こすものもあるので、見た目だけで判断しないようにしてくださいね」
私は足元の植物を確認しながら、ゆっくりと歩いた。
しばらく進むと、岩場の陰に淡い銀色の葉が見えた。
「あっ、もしかして……」
近づいて確認すると、葉の表面に月明かりを閉じ込めたような光沢が浮かんでいた。
「見つけました! これが月光草です!」
〈おお!〉
〈本当にあった!〉
〈初めて見た〉
「採取するときは、葉を傷つけないように注意してくださいね。根元から無理に引き抜くのではなく、必要な部分を切り取ります」
私は採取用のハサミを取り出し、丁寧に葉を切り取った。
そのとき。
視界の端を、何か黄色いものが横切った。
「……ん?」
私は手を止めた。
今のは何だろう。
砂色に近い黄色。黒い斑点があって、細長い尻尾が見えたような気がする。
「ルゥ、今、何か通らなかった?」
「みゃう?」
ルゥは岩の上で首を傾げた。
気のせいだったのだろうか。
私はもう一度、周囲を見回した。
……いや、やっぱり何かいる。
岩の陰から、小さな耳がちらりと覗いていた。
大きな丸い耳。
その下には、金色がかった瞳が二つ。
けれど、私と目が合った瞬間。
シュバッ!
「えっ!?」
黄色い影が、一瞬で消えた。
風が吹いたのかと思うほどの速さだった。
残されたのは、岩の陰から転がり出てきた小さな石ころだけ。
「……今の、ネッコ?」
資料の隅にあった、小型の未確認生物。もしかして、あの子のことだろうか。
〈何かいた!?〉
〈黄色いのが一瞬見えた!〉
〈速すぎて全然わからなかったんだけどw〉
〈ルゥちゃんの仲間?〉
私は目を丸くした。
確かに、猫のような姿だった。
けれど、あんな速さで走る子猫なんて、見たことがない。
「うーん……。気になるけど、まずは周りを確認しようか」
私は採取した月光草をケースへしまった。
その間も、時々、黄色い影が視界を横切る。
岩の向こう。
通路の端。
少し離れた茂みの陰。
こちらが気づくたびに、あっという間に逃げてしまう。
「……もしかして、こっちを見ているのかな?」
「みゃっ」
ルゥが耳をぴんと立てた。
そして、黄色い影が消えた方向をじっと見つめた。
* * *
それから数分後。
私たちは、岩場の開けた場所へ出た。
そこには、月光草の群生地が広がっていた。
「わあ……! こんなにたくさん!」
淡い銀色の葉が、岩の間にびっしりと生えている。
月光草は、一度に採りすぎると翌年の生育に影響する。必要な分だけ採取して、残りは残しておこう。
私はカメラへ説明しながら、採取場所を確認した。
そのときだった。
『ギャウッ!』
少し離れたところから、獣の唸り声が聞こえた。
「……ん?」
振り返ると、二匹の牙ネズミが岩の隙間から飛び出してきた。
大きさは中型犬ほど。鋭い前歯と強靭な脚を持ち、群れで小型モンスターを襲うことで知られている。
その二匹が、何かを追いかけていた。
黄色い影だ。
「さっきの子!」
黒い斑点のある、小さなチーターのような子猫モンスター。
長い脚と細い胴体。大きな耳に、ふさふさした尻尾。目元から口元へ伸びる黒い模様が、涙の筋のように見える。
間違いない。
さっきから私たちの様子を窺っていた子だ。
そして、その子は――。
「……わわっ!?」
速かった。
とにかく速かった。
牙ネズミが飛びかかると、黄色い子猫は地面を蹴って一瞬で横へ移動する。攻撃を避け、そのまま岩の上を駆け上がり、反対側へ飛び降りる。
その動きは、まるで黄色い風のようだった。
けれど、子猫は反撃しようとしない。
牙ネズミが近づくたびに、びくっと体を震わせ、逃げることばかり考えているようだった。
「……あの子、怖がってる?」
子猫は岩場を駆け回り、牙ネズミの攻撃を次々と避けている。
でも、二匹に追い詰められ、逃げ道が狭くなってきていた。
小さな体が、ぶるぶると震えている。
それでも、牙ネズミが近づくと、驚くほどの速さで逃げる。
速い。
速いのだけれど、逃げることに精いっぱいで、相手を追い払う余裕はないらしい。
「……よし。ちょっと待っててね」
私は採取道具を置き、牙ネズミたちの前へ出た。
すると、二匹はこちらを振り向いた。
『ギャウッ!』
「はいはい。今はその子に用事があるんでしょうけど、ちょっと離れてくださいね」
牙ネズミの一匹が、こちらへ飛びかかってきた。
私は半歩だけ踏み込み、相手の動きをかわしてから、胴へ短く拳を打ち込んだ。
ドンッ。
牙ネズミが地面を転がり、岩の前で動きを止める。
もう一匹は仲間が倒れたのを見て、慌てて方向を変えた。
逃がさないつもりはない。
私は相手がこちらへ近づかないことを確認し、黄色い子猫のほうへ向き直った。
「大丈夫? 怪我してない?」
「……っ!」
子猫は、ぴょんと跳ねるように身をすくめた。
そして。
シュバッ!
「あっ!」
また逃げた。
今度は、先ほどよりもずっと速かった。
岩場の向こうへ走り去り、あっという間に見えなくなる。
私は、その場に立ち尽くした。
「…………」
助けたつもりだったのだけれど。
〈速すぎるwww〉
〈ひよりさんが近づいた瞬間に逃げたぞ!〉
〈助けてもらったのにw〉
〈この子、めちゃくちゃ臆病なんだな〉
〈でも、牙ネズミ二匹を相手にあそこまで逃げ切れるの、普通にすごくない?〉
〈ひよりさん、牙ネズミを一撃でさらっと倒してるw〉
〈強いのに怖がらせちゃう人〉
「うーん……。怖がらせちゃったかな」
私は頬をかいた。
相手からすれば、知らない人が突然現れて、目の前のモンスターを倒したのだ。
怖くても仕方がない。
「追いかけないほうがよさそうですね」
私はカメラへ向かって説明した。
「怖がっている生き物を無理に追いかけると、かえって危険な場所へ逃げ込んでしまうことがあります。少し離れて、落ち着くのを待ってみますね」
コメント欄にも、納得したような反応が流れた。
〈確かに〉
〈あの速度で追いかけたら、余計に逃げそう〉
〈まずは安心させてあげたいね〉
私は倒れた牙ネズミの様子を確認し、必要な記録を残してから、採取場所へ戻った。
ただし、完全に諦めたわけではない。
あの子は、怪我をしている様子こそなかったものの、ひどく怯えていた。
それに、あれほど速く動けるなら、どこかにぶつかったり、無理に逃げて怪我をしたりする可能性もある。
できるなら、もう少し落ち着いて話しかけてみたい。
……話が通じるかどうかは、わからないけれど。
* * *
私は月光草の採取を再開した。
黄色い子猫の姿は見えなくなったものの、ときどき、岩の向こうからこちらを覗いているような気配がある。
そこで、私はひとつ試してみることにした。
鞄から探索者用の保存食を取り出し、食べやすい大きさにちぎる。
そして、採取場所から少し離れた、見通しのいい岩のそばに置いた。
「ここに食べ物を置いておくね。食べたかったら、食べていいよ」
私はそう言って、その場から少し離れた。
もちろん、すぐに近づくつもりはない。
怖がっているなら、距離を取ったほうがいい。
私は少し離れた場所で、月光草の採取を続けることにした。
しばらくして。
シュバッ!
「……あっ」
黄色い影が走った。
岩のそばに置いた保存食が、一瞬で消えた。
いや、正確には、保存食をくわえた子猫が、すでに数メートル離れた場所にいた。
子猫は食べ物をくわえたまま、こちらを警戒している。
金色がかった瞳が、私と保存食を交互に見た。
そして、私が動かないことを確認すると、少しずつ食べ始めた。
「……ふふっ」
私は思わず笑みを浮かべた。
食べてくれた。
それだけでも、少し安心した。
子猫は一口食べるごとに、こちらをちらちらと確認している。私が少しでも体を動かすと、ぴんと耳を立て、今にも逃げ出しそうになる。
それでも、お腹は空いているのだろう。
最後まで食べ終えると、子猫は一度だけ小さく鳴いた。
「……みゃっ」
そして、また走り去った。
〈食べた!〉
〈よかったねえ〉
〈めっちゃ警戒しながら食べてるw〉
〈ひよりさん、距離の取り方がうまい〉
「食べてくれてよかったです。まだ警戒しているみたいなので、無理に近づかず、少しずつ慣れてもらえたらいいなと思います」
私はそう答え、残りの月光草を採取した。
結局、その日はそれ以上、子猫が近くまで来ることはなかった。
けれど、帰り道。
私は妙な気配に気づいた。
「……ん?」
背後の岩場。
ほんの一瞬だけ、黄色い尻尾が見えた。
振り返ると、誰もいない。
少し歩くと、また気配がした。
今度は、岩陰から丸い耳が覗いていた。
「……もしかして、ついてきてるの?」
「みゃう?」
ルゥがキャリーの中から鳴いた。
黄色い子猫は、その声にぴたりと動きを止める。
そして。
シュバッ!
また消えた。
「……あらら」
私は苦笑した。
どうやら、まだまだ仲良くなるには時間がかかりそうだ。
でも、逃げながらもこちらを気にしているのなら、少しずつ距離を縮めていけるかもしれない。
「また会えたらいいね」
私は、黄色い影が消えた岩場へ向かって小さく手を振った。
返事はなかった。
ただ、遠くの岩陰から、金色の瞳が一瞬だけこちらを覗いていた。
* * *
帰宅してから、私は配信のアーカイブを確認した。
今日の配信も、なかなか賑やかだった。
開始時点ですでに数千人の視聴者が集まり、月光草を見つけたときにはコメント欄が盛り上がった。
そして、黄色い子猫が初めて画面に映った場面は、何度も巻き戻して見られていた。
同時視聴者数も、子猫が牙ネズミから逃げ回る場面で大きく増えていた。
「……あの子、そんなに注目されていたんだ」
私は少し驚いた。
たしかに、あの足の速さはすごかった。
でも、私にとって印象に残っているのは、逃げる速さよりも、あの怯えた顔だった。
怖いのに、お腹が空いていて。
食べ物を見つけると、勇気を振り絞って近づいてくる。
そして、食べ終わったら、また一目散に逃げてしまう。
協会には、小型の未確認生物らしき子を見かけたと、あとで報告しておこう。
「……今度会えたら、もう少し安心してもらえるといいな」
「みゃっ」
足元でルゥが鳴いた。
「ルゥも、あの子が気になる?」
「みゃう」
ルゥは私の膝へよじ登り、丸くなった。
それから、窓のほうへ顔を向ける。
まるで、遠くのどこかにいる誰かを気にしているようだった。
私はルゥの頭を撫でた。
「また会いに行こうね。今度は、もう少し仲良くなれるといいね」
「みゃっ!」
ルゥは元気よく返事をした。
そのころ、ダンジョンの岩場では。
黄色い子猫が、ひよりの置いていった保存食の匂いを思い出すように、鼻をひくひく動かしていた。
そして、遠くに見えたひよりの姿を思い出し、小さく耳を伏せる。
怖かった。
けれど。
あの人は、自分を追いかけてこなかった。
食べ物を置いて、離れてくれた。
それが、ほんの少しだけ気になっていた。
――次に会ったときは、もう少しだけ近づいてみよう。
そんな気持ちが、ほんの小さな胸の中に芽生え始めていた。




