↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
底辺薬草配信者、怪我した激カワネッコを拾ったらダンジョン配信が大変なことになりました  作者: 水源


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/12

朝起きたら、ネッコが布団を占領していました

 朝、右腕が動かなかった。


 重いわけじゃない。ただ、腕のあたりだけがじんわりと温かい。


 布団をめくると、砂色の毛玉がいた。


 ルゥだ。私の右腕を、怪我をしていないほうの前足で抱え込み、胸元に顔を埋めている。後ろ足は伸びきって、小さな翼は毛布の上にぺたりと広がっていた。布団の七割は、完全にこの子のものになっている。


 どうやら、私の腕を枕代わりにしているらしい。


 黒い耳の先が、ときどき小さく動く。寝息に合わせて背中がゆっくり上下し、頬に触れている柔らかな毛からは、かすかな体温が伝わってきた。


「……ルゥ?」


「みゅぅ……」


 黒い耳がぴくんと動いた。けれど目は閉じたまま、小さな肉球が私の袖をふみふみ、ふみふみ。喉の奥からは、ごろごろと低い音がする。


 起きているのか、寝ぼけているのか。少しだけ前足に力がこもり、私の腕をぎゅっと抱き直した。


「ルゥ、そろそろ起きたいんだけどな」


「みゅ……」


 返事らしき声は聞こえたけれど、腕を離してくれる気配はない。それどころか、鼻先を私の服にすり寄せ、また気持ちよさそうに喉を鳴らし始めた。


 ……これは、完全に二度寝するつもりだ。


 起きなきゃ。傷の手当てもあるし、午後には配信もある。


 そう思っているのに、腕に伝わる温かさと規則正しい喉の音が、なかなか私を布団から解放してくれない。


「……こんなの、起きられないよ」


 結局、予定より三十分も遅れて布団を出た。寝坊したことは、ルゥには内緒だ。


 * * *


 ルゥを抱いてリビングへ向かい、ソファのクッションの上に下ろす。


 寝起きのルゥは、いつもより少しぼんやりしていた。クッションに乗せると、前足で何度か表面を押して寝心地を確かめ、それからくるりと体の向きを変える。最後に小さな翼をぱたんと畳み、丸くなった。


「ここで待っていてね。朝ご飯を用意するから」


 そう言って台所へ向かうと、とことこ、と足音がついてきた。


 振り返ると、クッションの上にいたはずのルゥが、私の後ろを歩いている。小さな体で、床をぽてぽてと歩いてくる。怪我をしているからか、少しだけ歩き方がぎこちない。


 それでも、私から離れるのは嫌らしい。


「ルゥ、まだ無理しちゃ駄目だよ」


「みゃっ!」


 ぴたり、と足元で止まり、金色の瞳でじーっと見上げてくる。


 まるで、ちゃんと歩けるよ、と言いたげだ。


 けれど、前足を一歩踏み出したところで、体がほんの少しだけ傾いた。ルゥ自身もそれに気づいたのか、何事もなかったように座り直す。


 ……今のは、見なかったことにしておこう。


 私は負けた。


「……台所の入り口で待っていてね。危ないものがあるから、中には入らないこと」


 ルゥは入り口にちょこんと座り、私が動くたびに耳をぴこぴこと動かした。


 私が冷蔵庫を開ければ、右の耳がぴこっ。食器棚から器を出せば、左の耳がぴこっ。包丁を使い始めると、今度は両方の耳がこちらを向く。


 目で追いかける代わりに、耳で私の動きを追っているみたいだ。


「そんなに見ていても、まだできないよ?」


「みゅぅ」


 返事をするように鳴いたあと、ルゥは前足をそろえた。けれど、私が少し離れた場所に移動すると、首がそちらへ向いてしまう。


 どうやら、待っている間も私のことが気になるらしい。


 自分の朝食と、ルゥの保存食を用意して、床に器を置く。ルゥは匂いを嗅いでから私の顔を見て、ぱくっと食べ始めた。


 もぐもぐ。一口食べては、私を見る。


 また一口食べて、ちらり。


 器に顔を近づけたまま、金色の瞳だけをこちらに向けてくるのが、なんとも可愛らしい。


「私が見ていないと、食べられないの?」


 試しに、あえて目をそらしてみた。


「あー、お茶がおいしいなー」


 器のふちを、かりかりと爪で叩く音がした。


 振り向くと、ルゥが器の前に座り直して、まっすぐ私を見ている。ここで見ていて、と言わんばかりに。


 しかも、器の中にはまだ食べ物が残っているのに、こちらを見つめたまま動かない。


 見ていないと食べられないのではなく、見ていてほしいだけらしい。


「はいはい。見てますよ」


 そばに座って、自分の朝食を食べることにした。


 ルゥは満足そうに食事を再開した。私が一口食べると、ルゥも一口。私がお茶を飲むと、ルゥも顔を上げてこちらを見る。


 まるで、同じ食卓で食事をしているつもりなのかもしれない。


 ただ、半分ほど減ったところで、器を鼻先でそっと押しやった。


「もうおしまい?」


 ルゥは器を見て、それから私を見た。もう一度だけ鼻先で器を押す。


 食べたくない、ということなのだろうか。それとも、何か別のものが欲しいのかな。


 無理に食べさせるわけにもいかないので、器はそのままにしておくことにした。


 これまでの朝は、私ひとりだった。誰かと食卓を囲むのが、こんなに楽しいなんて。相手は人間ではなく、羽の生えた小さなネッコだけれど。


 食べ終わったルゥは、私の足元にやってきて、前足をちょこんと乗せた。


「どうしたの?」


「みゅぅ」


 見上げてくる金色の瞳に、つい頬が緩む。


 食事の続きを要求しているのかと思ったけれど、そうではないらしい。私が手を伸ばすと、ルゥはその手に額をすり寄せた。


 ……食事が終わったから、今度は撫でてほしいのかな。


 朝からずいぶん忙しい子だ。


 * * *


 朝食のあと、傷の手当てをする。


 膝に乗せると、昨日より少し重い。ちゃんと食べたからだろう。毛をかき分けて、前足と脇腹の傷を見る。出血は止まっていて、腫れも熱もない。ただ、翼の付け根だけは、触れると小さく震える。


 ルゥは私の膝の上で、じっとしていた。


 最初は私の手元を追っていた金色の瞳も、傷の辺りを確認しているうちに、少しずつ細くなっていく。眠いのかと思ったけれど、翼の付け根に触れると、耳がぴくりと動いた。


 やっぱり、まだ痛むのだろう。


 ダンジョン生物の体は魔力を帯びている。人間用に白露草をそのまま揉んで貼ると、刺激が強すぎるかもしれない。煎じて、薄めて、人肌まで冷ます。


 小鍋から青い草の匂いが立ちのぼった瞬間、ルゥがぷいっと顔を背けた。耳がぺたんと伏せられる。


 さっきまで大人しくしていたのに、鼻先をひくひくさせたあと、私とは反対側を向いてしまった。


「においが苦手? ちょっとだけ我慢できる?」


 金色の瞳が、一度だけゆっくりと閉じた。


 それから前足をそろえて、ぴたりと動かなくなる。


 ただし、耳だけは少し横に倒れたままだ。苦手な匂いを我慢しているのが、見ているだけで伝わってくる。


 薬湯を含ませた布を翼の付け根に当てても、身じろぎひとつしない。震えているのは、尻尾の先だけだった。


 尻尾の先が、ぴく、ぴく、と小さく動く。


 逃げ出したいのを我慢しているのかもしれない。それでも、私の手を振り払おうとはしなかった。


「……え、すごい。えらいね、ルゥ」


 そう声をかけると、伏せていた耳がほんの少しだけ戻った。


 褒められたことが分かったのだろうか。ルゥは目を開けて、私の顔を見上げた。


 処置が終わると、ルゥは得意げに顔を上げた。ところがその鼻先は、すぐテーブルの端へ向いた。白露草の乾燥葉の束だ。


 さっきまで薬湯の匂いを嫌がっていたのに、今度は乾燥葉が気になるらしい。


「それは薬だから駄目」


 取り上げようとした私の手を、ルゥがじっと見つめる。


 視線は私の顔から手元へ、手元から乾燥葉へ。前足が少しだけ持ち上がったけれど、触れてはいけないと思ったのか、途中で止まった。


 煎じた匂いは嫌がったのに、乾燥葉には興味がある。薬の匂いが苦手なら、乾燥葉はもっと嫌がりそうなのに。そういえば、朝の保存食も半分しか食べなかった。この子の「食べたいもの」は、別にあるのかもしれない。


 試しに一枚だけ手のひらに載せて差し出すと、ルゥはくんくんと嗅いだだけで食べず、前足でそっと私の手を押し返した。


 爪を立てないように、肉球でちょん、と押す。


 いらない、という意思表示らしい。


「食べないんだ?」


 もう一度匂いを確かめるように鼻先を近づけてから、ルゥは私の手のひらから顔を離した。


 どうやら、食べるために興味を持っていたわけではないようだ。


 乾燥させると、香りは強く出る。薬臭いのが、やっぱり苦手なのかもしれない。


「……食べない。でも、気にはなる」


 メモ帳に書き込む。


『白露草:煎じた匂いは苦手。乾燥葉は気にするが、食べはしない(匂いが強いから?)。薬湯の処置中は微動だにせず』


 最後の一行を書いたところで、ペンが止まった。


 痛くないはずがないのに。


 ……偶然、かな。


 メモ帳を閉じようとすると、ルゥが私の膝の上で身じろぎした。小さな前足が、メモ帳の端にちょこんと乗る。


「どうしたの?」


「みゅぅ」


 答えるように鳴いて、ルゥはそのまま私の手に頬を寄せた。


 もしかして、褒めてほしいのだろうか。


「今日は頑張ったね。えらかったよ」


 頭を撫でてあげると、ルゥは目を細めた。喉の奥から、ごろごろと音が聞こえてくる。


 ……やっぱり、褒めてほしかったのかな。


 * * *


 昼食のあと、ルゥはクッションの上で丸くなった。小さな翼が、ときどきぴくりと動く。


 私は机に薬草を広げ、午後の配信の準備に取りかかった。今日は家から、薬草の保存方法の回だ。黒甲獣の救助から、協会での聞き取りと能力測定まで続いて、ここ数日は採取した薬草の整理がほとんど進んでいなかった。


 まず、傷んだ葉を取り除く。それから種類ごとに分けて、乾燥させるものと、湿度を保つものを並べていく。止血に使う葉、熱を取る根、傷の化膿を防ぐ白露草。どれも、採った直後の扱いで薬効が変わる。配信で一番伝えたいのは、そこだった。


 作業を始めてしばらくすると、クッションの上から小さな寝息が聞こえてきた。


 ルゥは前足を顔の下にしまい込み、尻尾を体に巻きつけている。翼は左右で少しだけ形が違っていて、怪我をしているほうは、無理に畳まないようにしているようだった。


 ときどき、耳だけがぴくりと動く。


 私が薬草を仕分ける音に反応しているのかもしれない。


 白露草の乾燥葉の束を手に取ったところで、視線を感じた。


 ルゥが、薄く目を開けていた。


「……起きてる?」


 返事はない。金色の瞳は、私の手の中の乾燥葉だけを見ている。


 耳が前を向き、鼻先がほんの少し持ち上がる。さっきと同じように、匂いを確かめているのだろうか。


 それから、ゆっくりと閉じた。


 眠いのを我慢してまで見ていたのかもしれない。


 私は束を密閉容器にしまって、ルゥのそばへ戻った。毛布をかけ直すとき、そっと翼の付け根に触れる。


 ……あれ。


 朝は、触れると震えていた場所だ。今は、震えていない。ただ、ほんのりと温かい。


 薬湯が効いたにしては、早すぎる。……ダンジョン生物には、人間より強く効くのかもしれない。


 ルゥの寝顔を覗き込む。


 口元はわずかに緩み、耳は力が抜けたように横へ倒れていた。私が毛布を直しても起きる様子はない。前足だけが、毛布の端をつかむように丸まっている。


 気持ちよさそうに眠っている。


 メモ帳の朝の一行の下に、書き足した。


『翼の付け根:震えが止まった。薬湯の効き目? ただし、早すぎる』


 時計を見ると、午後一時五十分。配信まで、あと十分。


 カメラの位置を確かめようと立ち上がったとき、足元で、こつん、と小さな音がした。


 振り向くと、ルゥが目を閉じたまま、前足をいっぱいに伸ばしていた。その先にあるのは、さっき私がしまった、密閉容器。


 肉球が、容器にちょこんと乗っている。まるで、そこにあるのを確かめるみたいに。


 寝たまま前足だけを伸ばしている姿は、見ていてなんとも不思議だった。容器の場所を覚えていたのだろうか。


 もう少しだけ前足を伸ばす。


 けれど、容器には届かない。


 ルゥの耳が、ぴくりと動いた。前足が一度だけ、ふにふにと空をかく。


「みゅぅ……」


 寝言のような声がして、前足がふにゃりと下がった。


 ルゥはそのまま、すうすうと寝息を立てている。


「……そんなに気になるの?」


 小声で尋ねてみたけれど、当然返事はない。


 私はルゥの頭をそっと撫でた。指先に柔らかな毛が触れる。すると、眠ったままのルゥが、ほんの少しだけ頭をこちらに寄せてきた。


 撫でられていることは分かるらしい。


 そのまま、もう一度喉が小さく鳴った。


 私はメモ帳を開いて、もう一行だけ書き足した。


『寝ていても、薬草のそばが好き?』


 配信まで、あと九分。ルゥと話ができたらいいのに、と思った。聞いてみたいことが、また一つ増えてしまった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。