ルゥとチィの正体を調べたら、深層の魔獣が逃げ出していました
数日前、ダンジョンの深層で、ある異変が起きていた。
暗闇の中で、魔獣の一匹がぴたりと足を止める。耳を伏せ、鼻先を震わせながら、闇の奥を見つめていた。
やがて、暗がりの向こうに二つの光が浮かび上がった。
その瞬間、魔獣は身を翻して逃げ出した。
周囲にいたほかの魔獣も、何かに追われているかのように動き始める。巣穴へ潜り込むもの、岩陰に身を伏せるもの、奥へ向かって全速力で走り去るもの。普段なら互いに争うはずの魔獣たちが、そんなことも忘れたように、その場から遠ざかっていく。
暗闇の奥で、二つの光がゆっくりと瞬いた。
低い唸り声が響く。
そして、あたりは再び静まり返った。
* * *
翌朝。
「……うそでしょ?」
私は、スマートフォンの画面を見つめたまま固まっていた。
昨日の配信の再生数が、またしても大変なことになっている。
天城レナさんを助けた一件以来、私の配信を見てくれる人はずいぶん増えた。薬草の解説を目的に始めたチャンネルは、いつの間にか激カワネッコのチャンネルとしても注目されるようになっていた。
「ふふっ。二人とも、人気者だねえ」
寝床で丸くなっているチィと、私の枕を占領しているルゥを交互に見る。チィはまだ我が家に来て日が浅いのに、こんなに早く大勢の人に気にかけてもらえるなんて。
そういえば、昨日は配信のあと、疲れて忘れていたことがある。
「あ、そうだ。職人さんにも連絡しなきゃ」
工房の連絡先を開き、昨日の配信で首輪が好評だったことを伝える。問い合わせ先を勝手に公開するわけにはいかないけれど、喜んでもらえたことくらいは知らせておきたい。
送信を済ませてスクロールを続けると、先日の蜘蛛との戦いが、切り抜き動画になって広まっていた。
『【衝撃】薬草配信者、蜘蛛型モンスターを飛び蹴り一発で撃破! その直後、臆病な子猫を優しく撫で始める』
「飛び蹴りって、大げさだなあ。ちょっと足が出ただけなのに」
〈蜘蛛を倒した直後に子猫を撫でるの、温度差がすごいw〉
〈チィちゃん、早く脚が治るといいね〉
〈二匹の普段の生活ももっと見たい!〉
「あ、チィのことも気にしてくれてる」
嬉しくなって、寝床のそばへ移動した。
「チィ、脚はどう?」
「みゃう……」
チィは耳を少しだけ動かして、こちらを見上げた。まだ後ろ脚をかばっているけれど、ひどく痛がる様子はない。ご飯もちゃんと食べている。頭を撫でようと手を伸ばしかけると、少し身を縮めたので、そっと引っ込めた。
焦る必要はない。昨日、自分から手に額を押しつけてくれただけでも、大きな進歩なのだから。
部屋の中央へ戻ると、ルゥが私の枕の上で、小さな翼を身体に巻きつけて丸くなっていた。
「ルゥ、そこ、私の枕なんだけど……」
「みゃう?」
金色の瞳が、不思議そうにこちらを見る。
……まあ、いいか。どうせ、甘えられたら負けるのだ。
そこで、昨夜の通知を思い出した。探索者協会の、「ご相談したいことがあります」というメッセージだ。
私は協会に返信を送った。連絡をもらったこと、ただチィの脚が落ち着くまでは動かしたくないので、日程は少し先にしてほしいということ。
「相談って、何だろう。……行く前に、私も二匹のこと、もう少し調べておこうかな」
ルゥは翼を持つカラカルのような姿をしていて、チィはチーターのような姿をしている。どちらも普通の動物ではないはずなのに、種族名さえわからない。
「よし。今日は二匹のことを調べてみよう!」
「みゃっ!」
ルゥが元気よく鳴いて、私の膝へよじ登ってきた。そして、当然のように丸くなる。
「いやいや、今日は調査するんだからね?」
「ごろごろごろ……」
「……うん。まずはルゥを撫でてからにしようか」
こうして、調査を始める前から、予定が少しずつ狂い始めた。
* * *
【まずはルゥの正体を調べよう】
朝食を済ませて、パソコンを立ち上げた。ルゥは隣のクッションに座り、キーボードを打つ私を不思議そうに眺めている。
砂色の毛並み、黒い房毛のある耳、金色の瞳、背中の二枚の翼。特徴を組み合わせて検索してみたけれど、ぴったり当てはまる情報は出てこない。探索者向けのモンスター図鑑にも、猫に似た種はいくつも載っているのに、ルゥだけがいなかった。
協会の能力測定でも、通常の分類では判断できない反応が出ていた。見た目だけでなく、魔力や能力の面でも、既存の分類に収まらないらしい。
探索者向けの掲示板も調べてみると、数日前に更新された記事が目に留まった。
『深層ダンジョンにおける未確認魔獣の目撃情報について』
上級探索者が深層で遭遇した、正体不明の魔獣についての記事だった。猫科の動物を思わせる体つきで、頭に長い房毛がある。ただ、目撃者によって細部の証言が違い、写真も映像も残っていない。
けれど、報告には共通点が二つあった。その魔獣が現れると、周囲の魔獣が一斉に逃げ出すこと。そして、目撃した探索者の一人が、こんな証言を残していたこと。
――暗がりの向こうに二つの金色の光が見えた瞬間、身体が動かなくなった。
「……金色の目?」
膝の上のルゥを見る。ルゥの瞳も、きれいな金色だ。
「ルゥと関係あるのかな?」
「みゃっ」
「ううん、まだわからないよ。似ているところがあるだけだもんね」
記事の房毛や尾の形は、ルゥとは一致していない。それでも、能力測定の結果と合わせて、協会に聞いてみる価値はありそうだ。私は記事の内容をメモに残した。
「ルゥの正体は、簡単にはわからなさそうだね」
「みゃっ」
ルゥが私の袖に前足をかけた。
「今度はチィのことを調べるから、ちょっと待っててね」
「みゃう……」
「わ、わかった。もう少しだけ撫でたらね」
* * *
【チィの足の速さには理由がある?】
黄色い毛並み、黒い斑点、目元から頬へ伸びる涙のような模様、長い脚。そして、驚くほどの俊敏さ。足の速さを中心に検索すると、中層ダンジョンで報告された小型魔獣の記事が見つかった。
黄色い体に黒い斑点があり、細長い脚を持つ。複数の探索者が捕獲を試みたものの、走り出すと目で追うのも難しく、全員が逃げられてしまったという。
「えっ、これ、ちょっと似てるかも?」
添えられた簡単なスケッチを拡大する。耳の形や目元の模様ははっきりしないけれど、黄色い体に黒い斑点という特徴は、チィによく似ていた。
さらに読み進めると、気になる記述があった。探索者が攻撃を仕掛けようとすると、動き出す直前に、何度も進路を変えたらしい。単に足が速いだけでなく、相手の動きを見ているかのような反応だったという。
「……あ」
振り返って、チィの寝床を見る。
蜘蛛に追われていたときのチィも、糸の隙間を縫うように走り、何度も攻撃をかわしていた。ただ速いだけなら、進路を塞がれたら逃げ場を失う。けれどチィは、周囲を見ながら、ぎりぎりのところで進路を変えていた。
「あれって、相手の動きを読むのが得意なのかな?」
同じ種族だという証拠はない。それでも、見た目と動き方の両方が重なるのは、気になった。
私はこの記事もメモに残した。チィの種族を特定できる情報は、それ以上見つからなかった。
メモ帳を開いて、協会で確認したいことを書き足す。
ルゥについては、能力測定の記録と、深層で目撃された魔獣の情報を照らし合わせてもらうこと。チィについては、攻撃を予測するような回避行動に、似た特徴を持つ魔獣がいないか尋ねること。
「うん。これなら、何を聞けばいいかもわかりやすいね」
調べても、まだ二匹の正体はわからない。でも、わからないことがわかっただけで、次にするべきことは見えてきた。
* * *
【家族が増えると、必要なものも増えます】
調査をひと区切りさせて、チィの様子を見に行く。水は少し減っていて、ご飯もいくらか食べていた。
「よかった。ちゃんと食べられたんだね」
新しい水を置いて、少し離れたところに腰を下ろす。チィは警戒するようにこちらを見ていたけれど、しばらくすると、安心したように寝床で体勢を変えた。
そういえば、チィの寝床は、とりあえず家にあったものを使ってもらっている。もう少し、安心して休める場所を整えてあげたい。
「……よし。明日は買い物に行こうかな」
メモ帳に、柔らかくて縁のあるベッド、食事用の容器、清潔なタオル、と書き足していく。
ルゥのことが気になって見ると、いつの間にか私のスマートフォンの画面をのぞき込んでいた。猫用おもちゃの写真に、前足を伸ばしている。
「えっ、これがいいの?」
「みゃっ!」
「まだ買うって決めたわけじゃないんだけどなあ」
そう言いつつ、私は羽根のついたおもちゃを、リストに追加してしまった。
……いけない。これでは予算がどんどん増えてしまう。
「……うん。買いすぎないように気をつけよう」
私は、そう心に決めた。
このときは、本気でそう思っていたのである。




