第七章 空の風鈴
家に帰って奈津は祖母の部屋の引き出しを開けた。
四十九日のあと、母は少しずつ中を片付けている。上の段はもう空になって、下の段にだけ、古い封筒や、漢方の箱や、使いかけの回数券が残っていた。
封筒の一つに写真が入っていた。
白黒で紙の端がギザギザになっている。細い道を背に子どもが二人並んで立っている。左は祖母だと、顔の造りですぐに分かった。右は、奈津の知らない子どもだった。けれど目の細め方が、喫茶店でカップを拭いていた人に似ていた。同じくらいの背で、手を繋いではいないけれど、肩が触れている。
写真の背には何も書いてなかった。日付も、名前も。
奈津は写真をしばらく見て、それから背景に目を移した。子どもの背後に店先の白い布が写っている。上のほうに黒い小さな影が一つ下がっていた。鉄の風鈴だと、今なら分かる。
台所で母に写真を見せた。
母は手を拭いてから受け取って少し遠くに離して見た。
「おばあちゃんだね」
「この、隣の子は」
「知らない」
母は写真を返してシンクの水を止めた。
「……ああ、でも。一度だけ、小さいときに聞いたことがある。子供のときの友達が、引っ越しの前にいなくなったって。病気だとは言ってなかったと思う。こちらが聞くと、もう古い話だからって笑って、それで終わり」
「商店街、なくなった日、知ってる」
「なんでそんなこと」
「自由研究だから」
母は少し笑ってさあと言った。
部屋に戻って奈津はノートを開いた。
帳面の日付。写真の中の、肩の触れた二人。洗濯屋の娘と、祖母。
こういうことだと思った。
祖母はいなくなった友達のために、毎年その日にあの風鈴を掛けていた。
取り壊しの日まで同じになっている理由だけは、いくら考えても分からなかった。
だが、願いは一度も入れなかった。
奈津は自分でその理由を考えてみようとして、考える必要がないことに気づいた。
願うとしたら、願いの形は一つしかない。もう一度会いたい、戻ってきてほしい。
それを頭の中で一回でも言ってしまえば、相手がもうここにいないことを、自分の声で認めることになる。
願わなければ、まだ認めていない。
だから祖母は両手で風鈴を持って、何も入れないまま鉤に掛けて、帰ってきたのだ。帳面でたどれたのは十年分と、ずっと古い何冊かだけだったけれど、その間の年も同じだったはずだと思った。
奈津はしばらく天井を見ていた。
似ていると思った。
自分が風鈴に何も入れられなかったのと、同じかたちだった。叶わないと分かっている願いを、形にする前に畳んでしまう。
もう何年も、自分はそうやってきた。何も願わない人間だと思っていたけれど、違った。
このクセは自分で覚えたのではない。両手でものを渡すのと同じで、いつの間にか渡されていた。
部屋の窓を開けると、湿った風が入ってきた。南東から吹くこの風を、祖母はいなさと呼んでいた。
遠くで風鈴の音がした。
神社までは歩いて十分ある。聞こえるはずのない距離だった。それでも、ひとつひとつちがう高さで、何十となく鳴っていた。
その中に、ない音が二つある。一つは手前から四つ目。もう一つの空白が誰のものなのか、奈津にはもう分かっていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
口にできない願いは、なかったことと同じなのか。そんな問いから生まれた物語です。
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