第9話 痛いのは嫌なので、痛み止めを作ります
【硝子の繭】があっても、うっかり指はぶつけます。
指をぶつけて悶絶する少女が、本気で「痛くない暮らし」を目指して、沼へ向かいます。
事件は、些細なことから、起きた。
箱庭で、薪を割ろうとして――私は、思いっきり、指を、かまどの角に、ぶつけたのだ。
「――っっっ!! いっ……痛ぁぁぁいっ!!」
私は、その場に、うずくまった。じんじんと痺れる指を抱えて、しばらく、動けなかった。
……そう。ここが、私の、最大の弱点だ。
【硝子の繭】は、あらゆる攻撃を、百パーセント、防ぐ。魔物の牙も、剣も、魔法も、まったく効かない。でも、それは、「繭を、張っているとき」の話だ。
日常の、ふとした、うっかり。指をぶつけるとか、熱いものに触るとか。そういう、不意打ちの痛みには、繭は、間に合わない。というか、いちいち日常で繭を張っていたら、料理も、掃除も、何もできない。
つまり、私は――「魔王の攻撃には無敵だが、家事でうっかり怪我する」という、なんとも、締まらない存在なのだった。
「レン、だいじょうぶ!?」
ティルが、慌てて駆け寄ってくる。
「……だいじょうぶ、じゃ、ない。痛い。世界で、いちばん、痛いのが、嫌なのに……」
私は、涙目で、指をさすった。
痛いのは、嫌だ。断固として、嫌だ。魔物が怖いんじゃない。痛いのが、嫌なのだ。
――よし。決めた。
「ティル。私、痛み止めを、作る。二度と、こんな思いは、しない」
ティルは、私の、あまりの気迫に、こくこくと、頷いた。
思えば、私という人間の、行動原理は、ほとんど、この一点に、集約される。「痛いのが、嫌」。
魔物と戦わないのも、痛いから。目立ちたくないのも、面倒事に巻き込まれて、心が痛むのが、嫌だから。あったかいごはんを作るのも、冷たくて味のない、あの、心の痛くなる食事を、二度と、したくないから。
私の伝説級のスキル、【硝子の繭】だって、そうだ。あれは、たぶん、私の「絶対に傷つきたくない」という、切実すぎる願いが、形になったものなんじゃないかと、時々、思う。
痛いのが、嫌。ただ、それだけ。それが、私の、すべての、原動力だった。
だから、この痛み止め作りにも、私は、本気だった。料理より、真剣だったかもしれない。
◇
痛みを、和らげる。そのための、素材。
私には、心当たりが、あった。
ギルドで、小耳に挟んだ話だ。街外れの、じめじめした沼に、「氷霧クラゲ」という魔物が棲んでいる。ふわふわと宙に漂う、透明なクラゲ。厄介なのは、その体から漂う霧で、これに触れると、体の感覚が、鈍くなる。痛みも、寒さも、感じにくくなるのだという。
冒険者にとっては、「感覚が鈍って戦えなくなる」ので、厄介な魔物。誰も、近づかない。
でも――私の目から見れば。
「痛みを、鈍らせる霧」なんて、これはもう、最高の、鎮痛剤の原料じゃないか。
「行こう、ティル。クラゲ狩りだ。……といっても、私は、狩らないけど」
「レンは、まもる、だけ?」
「そう。私は、繭を張って、突っ立ってるだけ。あなたが、頼りだよ」
ティルは、ぐっと、拳を握った。この前の、鋼牙イノシシで、少し、自信がついたらしい。「まかせて」と、たどたどしく、けれど、頼もしく、頷いた。
◇
沼は、噂どおり、じめじめして、薄気味悪い場所だった。
足元は、ぬかるみ、空気は、じっとりと重い。冒険者が寄りつかないのも、うなずける。
白い霧が、ふわふわと、いくつも漂っている。あれが、氷霧クラゲだ。近づくと、確かに、指先の感覚が、すうっと、遠のいていくのがわかる。
ふいに、沼の泥の中から、何かが、飛び出した。牙をむいた、沼のトカゲ。私たちを、獲物と見て、襲ってきたのだ。
ティルが、びくっと、身を固くする。でも――もう、この子は、逃げなかった。
「レンは、さがってて」
小さな声で、そう言って、ティルは、前に、出た。薄い鱗の腕を、構えて。この前とは、違う。守られるのを待つんじゃない。自分から、守ろうとしている。
私は、少しだけ、口出しを、我慢した。もちろん、いざとなれば、繭で守る。でも、それまでは、この子の成長を、信じたい。
沼トカゲが、飛びかかる。ティルは、ぐっと、踏みとどまり――狙いすまして、その顎に、拳を、叩き込んだ。ごつっ、と、鈍い音。沼トカゲは、ひっくり返って、泥の中へ、逃げていった。
「……やった。おいはらった」
ティルが、自分の拳を、見つめて、ぱっと、笑う。
「うん。かっこよかったよ。もう、いっぱしの、狩人だね」
私が褒めると、ティルは、照れて、鼻の下を、こすった。その顔が、なんだか、少し、たくましく見えて、私も、つられて、笑った。
「なるほど。これは、確かに、痛みが、鈍る」
私は、試しに、霧に手をかざした。さっきぶつけた指の、じんじんした痛みが、すうっと、引いていく。おお。効果てきめんだ。
問題は、この霧を、どうやって、持ち帰るか。そして、どうやって、"痛みだけ鈍らせて、他の感覚は残す"よう、調整するか。感覚が全部鈍ったら、それはそれで、困る。料理の味が、わからなくなる。
私は、氷霧クラゲを、ティルに、そっと捕まえてもらった(もちろん、私が繭で守りながら)。そして、箱庭に持ち帰って、じっくりと、研究にとりかかった。
クラゲの霧の成分を、冷やして、固める。濃さを、少しずつ、変えながら、試していく。濃すぎれば、感覚が全部消える。薄すぎれば、効かない。ちょうどいい、塩梅を、探る。
一回目は、濃すぎた。味見をしたら、舌の感覚まで、なくなって、しばらく、何を食べても、味がしなかった。これは、料理人として、いちばん、避けたい事態だ。全力で、やり直した。
二回目は、薄すぎた。痛みが、ちっとも、和らがない。
三回目、四回目、五回目。ティルが、隣で、心配そうに、見ている。「レン、むりしないで」と。
「大丈夫。これは、私の、いちばん、大事な仕事だから」
痛くない暮らしのためなら、私は、いくらでも、粘れる。料理と、同じだ。素材の、いちばんいい使い方を、探り当てるまで、諦めない。面倒くさがりのくせに、こういうときだけは、しつこい。我ながら。
――そして、三日後。
私は、ついに、完成させた。
「痛み止めゼリー」。ぷるぷると透明な、涼しげなゼリー。ひと口食べると、痛みや、不快な感覚だけが、すうっと、やわらぐ。でも、味覚や、他の感覚は、ちゃんと残る。我ながら、完璧な出来だった。
しかも、ほんのり、はっか(薄荷)のような、清涼感がある。ただの薬じゃなくて、ちゃんと、美味しい。ここは、料理人としての、こだわりだ。良薬は口に苦し、なんて、私は認めない。良い薬ほど、美味しくあるべきだ。そのほうが、みんな、続けて食べてくれる。
試しに、氷霧クラゲの霧を、ほんの少し、料理にも、使ってみた。すると、暑い日にぴったりの、体の火照りを、すっと引かせる、冷たいスープが、できた。素材は、使い方次第。痛みを鈍らせる霧が、真夏の、ごちそうになる。……やっぱり、役に立たない素材なんて、この世に、ひとつも、ない。
◇
さっそく、私は、自分で、効果を、確かめてみることにした。
ゼリーを、ひと口。それから、おそるおそる、さっき指をぶつけた、かまどの角に――今度は、わざと、軽く、指を、こつん、と、当ててみる。
……痛くない。
じんじんする、あの、不快な感覚が、まるで、ない。
「おお……! すごい、ちゃんと効いてる……!」
私は、感動して、つい、調子に乗ってしまった。硬いものを、ぺしぺし、触ってみたり、熱い鍋の縁に、ちょん、と触れてみたり。うん、平気だ。痛くない。これは、素晴らしい。
「レン、それ、あぶない」
ティルが、じとっと、私を見た。
「痛くないからって、けが、してる。ゆびさき、あかくなってる」
「……あ」
言われて、見ると、確かに、指先が、少し、赤い。痛みは感じないけれど、無茶をすれば、体は、ちゃんと、傷ついている。痛みは、体を守るための、警報でもあるのだ。それを消したなら、自分で、気をつけないといけない。
「……ごめん。ちょっと、はしゃぎすぎた」
子どもに、たしなめられてしまった。中身は、大人なのに。まあ、痛くないのが、よほど、嬉しかったのだ。許してほしい。
「痛いの、なくなる? ほんとに?」
ティルが、興味津々で、ゼリーを覗き込む。
「うん。ほら、この前、あなた、狩りのとき、足、擦りむいてたでしょ。ちょっと、食べてみて」
ティルは、おそるおそる、ゼリーを、ひと口。すると、擦り傷の、ひりひりした痛みが、すっと引いたらしく、目を、まんまるにした。
「……いたく、ない! すごい、レン、すごいっ!」
「でしょ。これで、私も、もう、うっかり指をぶつけても、平気」
私は、満足げに、頷いた。
これで、私の「痛くない暮らし」は、また一歩、完成に近づいた。繭で防げない、日常の痛みも、このゼリーがあれば、怖くない。痛いのは、嫌だ。だから、あらゆる手を尽くして、痛くない環境を、作る。私の、人生の、最優先事項だ。
「あのね、レン」
ゼリーを食べ終えたティルが、ぽつりと言った。
「レン、いつも、みんなの『いたい』を、なくしてる。冒険者の、おなかの痛いのも。おじいさんの、さみしいのも。ぼくの、こころの、いたいのも」
「……そう、かな」
「うん。レンは、いたいのが、きらいだから。じぶんのも、ひとのも、なくしちゃう。……やさしいね」
不意打ちだった。
私は、痛み止めゼリーを、自分のために作ったつもりだった。でも、言われてみれば――私は、いつも、誰かの「痛い」を、なくそうとしている。自分が、痛いのが、いちばん嫌いだから。だから、他人が痛がっているのも、見ていられない。
なんてことだ。私の、筋金入りの「痛いの嫌」は、めぐりめぐって、誰かの痛みを、救っているらしい。
……まあ、それは、それで。悪くない、か。
「はいはい。優しくないよ、私は。ただの、痛がりなだけ。……さ、ゼリー、たくさん作ったから、ネルさんにも、分けてあげようか。あの人、肩こり、ひどそうだし」
私は、照れ隠しに、そう言って、透明なゼリーを、いくつも、器に取り分けた。
翌日、私は、そのゼリーを、何人かに、配ってみた。
まず、ネルさん。慢性的な肩こりと、頭痛に、悩まされていた彼女は、ひと口食べて、「……嘘。楽になった。何これ、こわい」と、目を丸くした。「売り物にしたら、絶対、儲かるわよ、これ」と言うので、「働きたくないので、やめときます」と、丁寧に、お断りした。
次に、露店の常連で、古傷の痛みに、顔をしかめていた、老いた冒険者。彼は、ゼリーを食べて、「何十年ぶりだ、痛みのない朝は……」と、涙ぐんだ。
ジオじいさんの、節々の痛みにも、効いた。
みんな、痛みが、和らぐと、ふっと、表情が、優しくなる。痛みは、人を、険しくする。それが、消えると、人は、本来の、穏やかな顔に、戻る。
……ああ、そうか、と、私は、思った。
私は、自分が痛いのが、嫌なだけ。でも、その「嫌」を、突き詰めた結果が、こうして、誰かの、長年の痛みを、和らげている。
痛いのが嫌いな私は、たぶん、この世界で、いちばん、他人の痛みにも、敏感なのだ。だって、痛いのが、どれだけ嫌か、誰よりも、知っているから。
痛くない暮らしは、まだ、道半ば。でも、今日も、私の家は――そして、私のまわりの、何人かの毎日は、少しだけ、快適になった。それで、十分だった。いや、十分すぎる、くらいだった。
お読みいただきありがとうございます。
「痛いの嫌」を突き詰めたら、いつのまにか人助けになっていた――レンの優しさは、いつも、こういう“うっかり”の形をしています。
次話――第一章、ひとつめの山場。ある“はじめて”を巡る、あたたかい食卓のお話です。
★ここまで読んでくださってありがとうございます。ブックマーク・☆評価が、次を書く力になります。




