第8話 受付嬢は、見なかったことにした
数字の合わない“聖女様”。有能な受付嬢ネルは、とっくに気づいています。
──気づいたうえで、彼女が選んだのは。
その日、ギルドの受付嬢・ネルさんは、明らかに、様子がおかしかった。
朝から、私の露店を、遠くから、じーっと見ている。手元の帳簿と、私の鍋を、何度も見比べては、眉間の皺を深くしている。
この人が、こういう顔をするのは、初めてじゃない。というより、私を見るとき、いつも、少しだけ、こういう顔を、していた。有能な人特有の、「計算が、合わない」という顔。数字の合わなさを、放っておけない、職業病みたいなものだ。
でも、今日は、いつもより、その顔が、深刻だった。とうとう、腹をくくったな、と、私には、わかった。
こういうときの、有能な人は、面倒だ。前世でも、鋭い先輩ほど、私の「大丈夫です」の嘘を、見抜いてきた。誤魔化しきれない相手、というのが、世の中には、いる。
……ああ。これは、いよいよ、だな。
私には、なんとなく、わかった。有能な人が、答えの出ない計算式を前にして、腹をくくる、その直前の顔だ。前世で、何度も見た。
案の定。昼の混雑が引けた頃、ネルさんは、意を決したように、私のところへ、やってきた。
「レンちゃん。……少し、二人で、話せる?」
「はい。どうぞ」
私たちは、ギルドの裏手の、人気のない一角に移動した。ネルさんは、帳簿を抱えたまま、しばらく、言葉を選ぶように、黙っていた。それから、意を決して、口を開いた。
「単刀直入に、聞くわ。……あなた、何者?」
◇
「あなたのスープを飲んだ冒険者は、格上の魔物を倒す。誰も食べられなかった鋼牙イノシシを、あなたは蕩けさせる。あなたの露店に並んだ人は、みんな、翌日、調子がいいって言う」
ネルさんは、指を折りながら、数え上げていく。
「私、受付嬢を、長くやってるの。だから、わかる。これは、偶然じゃない。あなたの、何かのスキルの、効果でしょう」
鋭い。さすが、有能な人だ。
「それなのに」と、ネルさんは、帳簿を開いて、あるページを、私に見せた。私が、ギルドに登録したときの、記録だ。
「あなたのスキル鑑定の記録は、『ランク1・調理』。たったそれだけ。……ランク1が、こんなこと、できるはずが、ないのよ」
私は、その帳簿を、じっと見た。そこには、確かに、「ランク1・調理」とだけ、記されている。
嘘じゃない。これは、本当のことだ。私が鑑定を受けたとき、私は、料理のスキルしか、起動していなかった。だから、鑑定水晶には、それしか、映らなかった。
この街に来て、最初にギルドで登録したとき。私は、慎重に、慎重に、料理のスキルだけを、表に出した。他の三つ――痛みを防ぐ膜も、亜空間の家も、視界を操る力も、ぜんぶ、器の奥に、そっと、沈めて。
鑑定官は、水晶を覗いて、退屈そうに言った。「ランク1、調理。……はい、次」と。それで、終わり。誰も、私を、気に留めなかった。私は、その瞬間、心の中で、盛大に、ガッツポーズをした。作戦、成功、と。
目立たない。期待されない。使い潰されない。それが、私の、今世の、最重要目標だったから。
この世界の鑑定は、「今、起動しているスキル」しか、映さない。使っていないスキルは、器の奥に沈んで、見えない。だから私は、人前では、料理しかしない。そうすれば、私は、永遠に「ランク1の料理好き」でいられる。
嘘は、ひとつも、ついていない。ただ、見せる手札を、選んでいるだけ。
でも――それを、ネルさんに、説明する気は、なかった。
私は、いちばん、のんびりした声で、言った。
「ネルさん。世の中には、知らないほうが、幸せなことも、あると思うんです」
◇
ネルさんは、私の顔を、じっと見た。
私も、見つめ返した。にっこりと。いちばん、無害に見えるように。
沈黙が、しばらく、続いた。
ネルさんの目が、私の、四つのスキルの、いちばん奥まで、見透かそうとするみたいに、細められる。有能な人特有の、答えに辿り着く直前の、鋭い目。
私は、その視線を、平然と、受け止めた。焦らない。動じない。顔色ひとつ、変えない。
だって、私は、嘘を、ついていないのだ。鑑定の記録は「ランク1・調理」。それは、本当のこと。私は、ただ、その本当のことの、外側を、見せていないだけ。嘘をついていない人間は、強い。追及されても、揺らがない。前世で、嘘のプロジェクト報告に、胃を痛め続けた私は、それを、痛いほど、知っていた。
やがて――ネルさんが、先に、目を逸らした。そして、盛大な、盛大な、ため息をついた。天を仰いで、両手で顔を覆って、それはもう、魂の抜けたような、ため息を。
「…………はぁぁぁぁ」
「ネルさん?」
「わかった。わかったわよ。……うん。私は、なにも、見てない。なにも、聞いてない。あなたは、ただの、料理が得意な、ランク1の女の子。それで、いい。それで、いきましょう」
「……いいんですか?」
「よくない。よくないけど!」
ネルさんは、ばっと、顔を上げた。その目には、諦めと、覚悟と、それから、なぜか、少しの、親しみが、滲んでいた。
「私、長年の勘で、わかるの。あなたに、深入りしたら、絶対、とんでもなく面倒なことに、巻き込まれる。国とか、そういう、大きくて、厄介なやつに。……違う?」
「……否定は、しません」
「でしょうね!」
ネルさんは、がっくりと、肩を落とした。それから、ふ、と、力を抜いて、笑った。
「でも、まあ。あなたの作るものが、美味しいのは、本当だし。あなたが、あの痩せたお爺さんに、タダでスープをあげてたのも、見てたし。……悪い子じゃ、ないのよね。むしろ、お人好しすぎる」
「お人好し、ではないですよ。ただの、めんどくさがりです」
「はいはい。そういうことに、しておきましょう」
それから、ネルさんは、少しだけ、声のトーンを、落とした。
「……あのね、レンちゃん。私が、なんで、深入りしないか、教えてあげる」
彼女は、遠くを見るような目で、話し始めた。
「私、昔、才能があるって、言われてたの。鑑定の腕が、立つって。だから、ギルドに引き抜かれて、期待されて、どんどん、仕事を、任された。……最初は、嬉しかった。頼られるのが。役に立てるのが」
その口ぶりに、私は、どきりとした。前世の、私だ。
「でも、気づいたら、私にしかできない仕事が、山ほど積まれてて。断れなくて。倒れるまで、働いて。……ある日、ぷつん、て、糸が切れたみたいに、なった。それで、こう、思ったの。『ああ、私、便利な道具に、なってたんだ』って」
ネルさんは、自嘲するように、笑った。
「だから、今は、受付嬢。目立たず、深入りせず、定時で帰る。それが、いちばん。……あなたを見てると、なんだか、昔の自分と、逆のことを、上手にやってる気がして。悔しいような、羨ましいような、ね」
私は、しばらく、黙って、聞いていた。
それから、そっと、言った。
「……ネルさん。それ、私が、いちばん、わかる話です」
「え?」
「私も、便利な道具に、なって、壊れたクチなので。だから、今世は、絶対、働かないって、決めてるんです」
ネルさんは、目を、丸くした。それから――ぷっと、噴き出した。
「なにそれ。子どものくせに、達観しすぎでしょ」
「よく、言われます」
二人で、顔を見合わせて、笑った。なんだか、長年の、戦友みたいな、笑いだった。
◇
その日から、ネルさんは、私の「共犯者」になった。
私のスキルのことは、決して、口にしない。誰かが私を怪しんでも、「ただのランク1よ、公式記録がそう言ってるでしょ」と、素知らぬ顔で、受付の権威をもって、封じてくれる。
それだけじゃない。ネルさんは、私の「静かに暮らしたい」を守るために、いろいろと、裏で、手を回してくれるようにも、なった。
私に「専属になれ」と迫る商人を、「あの子は、ギルドの専属協力者ですので」と、体よく、追い返してくれたり。私のことを、しつこく嗅ぎ回る者がいれば、「ただのランク1の子に、何の用です?」と、受付の権威で、牽制してくれたり。
「言っとくけど、あなたのためじゃ、ないからね」と、ネルさんは、つんとして言う。「あなたに、変な奴が群がって、この街が、騒がしくなるのが、嫌なだけ。私は、平穏に、定時で、帰りたいの」
「はい。ありがとうございます」
「お礼は、いいから。……その代わり、たまに、美味しいまかない、ちょうだい」
「もちろん。いくらでも」
こういう、口では素っ気ないのに、行動は優しい人を、私は、前世でも、何人か、知っている。たいてい、そういう人が、いちばん、信頼できる。
その代わり――というわけでもないけれど。ネルさんは、時々、私の露店に来て、こっそり、ため息をつきながら、スープを飲んでいくようになった。
「……はあ。今日も、面倒な冒険者ばっかり。書類は溜まるし、上はうるさいし」
「お疲れさまです。はい、スープ。今日は、少し、濃いめにしときました」
「……なんで、私が疲れてるの、わかるのよ」
「顔に、書いてありますよ。『働きたくない』って」
「……それ、あなたが言う?」
ネルさんは、呆れたように笑って、それから、あたたかいスープを、ずずっ、とすすった。
働きたくない者、同士。目立ちたくない者、同士。
私たちは、なんだか、とても、気が合った。
その、共犯関係が、さっそく、役に立つ日が、来た。
数日後。ギルドに、身なりのいい、役人風の男が、やってきて、受付で、こう、尋ねたのだ。
「この街に、"食事で人を強くする"聖女がいる、と聞いた。そのスキルの、正式な登録記録を、見せてもらいたい。……国の、調査だ」
国。その言葉に、私は、露店の陰で、そっと、身を、固くした。前世の勘が、警鐘を、鳴らす。いちばん、関わりたくない、大きくて、厄介なやつ。
でも、ネルさんは、眉ひとつ動かさず、帳簿を、めくって、澄まし顔で、答えた。
「ああ、あの子ですか。記録なら、ここに。……『ランク1・調理』。ええ、正真正銘の、ランク1です。料理が、ちょっと、上手なだけの、そこらの子ですよ。冒険者が強くなったのは、まあ、景気づけの、気の持ちよう、ってやつでしょう」
役人は、帳簿を、じろじろと、確かめた。でも、そこに書かれているのは、まぎれもない、公式の、鑑定記録。「ランク1・調理」。それ以上でも、以下でもない。
「……ふん。噂は、しょせん、噂か」
役人は、つまらなそうに、帰っていった。
その背中を見送って、私は、ほうっと、息を吐いた。ネルさんが、こっそり、私に、目配せする。「借り、一つね」とでも、言いたげに。
……助かった。本当に。
嘘の記録じゃない。本物の記録が、そのまま、私を、守ってくれた。そして、その記録を、盾にしてくれる、共犯者が、いてくれた。
こうして、私の「静かな暮らし」には、また一人、賑やかで、面倒見のいい、共犯者が、加わったのだった。
……本当に、静かな暮らしは、どこへ行ったんだろう。まあ、いいか。今日のスープも、美味しくできたし。
もっとも――"国"が、私に、目をつけ始めた、という事実は。じわじわと、これから、私の平穏を、脅かしていくのだけれど。それは、もう少し、先の話だ。
お読みいただきありがとうございます。
「見なかったことにする」――それが、有能な大人の、いちばん賢い選択だったりします。ネルさん、書いていて楽しいキャラです。
次話――「痛いのは絶対に嫌」なレンが、本気で“痛くない暮らし”のための発明に乗り出します。
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