第7話 聖女様は、今日もスープを配るだけ
スープを配れば伝説になり、肉を売れば神格化される。
レンは、ただ静かに商売がしたいだけ。なのに、街の“誤解”は、もう、止まりません。
鋼牙イノシシの一件から、数日。
私の「隅っこの露店」は、もはや、ギルドの名物になってしまっていた。
目立ちたくない、という私の願いは、もはや、風前の灯火だった。というか、とっくに、消えていた。むしろ、街いちばんの、注目株、である。どうして、こうなった。
いや、わかっている。原因は、全部、私だ。毒を出汁に変えたり、硬い肉を蕩けさせたり、余ったからと、伝説の魔物肉を、安売りしたり。……そんなことをすれば、そりゃあ、目立つ。冷静に考えれば、当たり前だった。
でも、その時々の私は、いつも「もったいないから」「美味しいから」という、目先の理由で、動いてしまう。料理のことになると、私の「目立ちたくない」は、あっさり、後回しになる。困った性分だ。
朝、鍋をかけると、もう列ができている。冒険者だけじゃない。近所の職人、荷運びの人夫、宿屋のおかみ。みんな、私のスープや煮込みを、目当てにやってくる。
「聖女様、今日もよろしく頼むよ」
「聖女様のごはんを食べると、一日、調子がいいんだ」
……聖女様。
もう、何度、否定しただろう。「ただの料理好きな子です」と。でも、否定すればするほど、なぜか、「謙虚だ」「お優しい」と、崇拝は厚みを増していく。もはや、否定という行為が、逆効果でしかない領域に、突入していた。
私は、諦めた。
人は、信じたいものを、信じる。私が何を言おうと、彼らの中の「聖女様」は、勝手に育っていく。だったら、いちいち抗うだけ、体力の無駄だ。前世で学んだ。無駄な抵抗は、しない。
「はい、スープです。銅貨一枚」
「ありがとうございます、聖女様!」
「……どういたしまして」
もう、訂正もしない。魂が、少し、遠い目をしているだけだ。
◇
困ったことは、もうひとつあった。
私を崇める波は、私の隣にいるティルにも、しっかり及んでいたのだ。
「聖女様が連れている、竜鱗族の御子……あれは、きっと、聖獣様に違いない」
「見ろ、あの神々しい鱗を……!」
いや、その鱗、この前まで「出来損ない」って言われてたやつです。
当のティルは、「せいじゅう?」と、きょとんとしている。自分が崇められている、という状況が、まるで飲み込めていない。ずっと蔑まれてきた子だ。急に拝まれても、どう反応していいか、わからないのだろう。
私は、ティルの頭を、ぽんと撫でた。
「気にしないでいいよ。みんな、勝手に言ってるだけだから」
「でも、ぼく、せいじゅう、じゃない。……ただの、トカゲ」
「うん、知ってる。私にとっては、ただの、うちのティルだよ」
その言葉に、ティルは、へへ、と、照れくさそうに笑った。
崇められるより、その一言のほうが、この子には、ずっと、嬉しいらしい。……わかる。私も、聖女様なんて呼ばれるより、「美味しかった」の一言のほうが、百倍、嬉しい。
もっとも、ティルの「聖獣様」扱いには、思わぬ余波もあった。
崇拝者の一人が、「聖獣様の鱗には、きっと、ご利益がある」と言い出したのだ。すると、抜け落ちたティルの鱗を、「お守りに、ぜひ!」と、譲ってほしがる者が、現れ始めた。
……ちょっと待ってほしい。あの鱗は、うちの、大事な調理器具だ。落とし蓋であり、鍋敷きであり、保温具だ。売り物にする気は、さらさら、ない。
「すみません。あの鱗は、非売品です」
私が、きっぱり断ると、崇拝者たちは、「なんと、欲のない……!」と、また、勝手に感動していた。
もう、何を言っても、良い方向に、解釈される。私は、聖女という役から、どうやっても、降りられないらしい。……解せぬ。
噂を聞きつけて、身なりのいい商人が、私を、勧誘に来たことも、あった。
「聖女様。どうです、私の店で、専属の料理人に。破格の給金を、お約束しますよ。あなたほどの腕、こんな路地裏で、腐らせるのは、もったいない」
破格の給金。専属。……つまり、毎日、決まった時間に、決まった場所で、たくさんの料理を、作り続ける、ということだ。
私は、間髪入れず、答えた。
「お断りします」
「なっ……ど、どうして。給金なら、もっと――」
「お金の問題じゃ、ないんです。私、働きたくないので」
商人は、ぽかんと、口を開けた。「働きたくない」という言葉が、まるで、異国の言葉みたいに、通じていない顔だ。
でも、これが、私の、譲れない一線だった。
私は、誰かに雇われて、ノルマを課されて、決まった量を、こなし続ける。そういう働き方で、前世、死んだのだ。二度と、ごめんだ。私は、私の作りたいものを、作りたいときに、作りたいぶんだけ、作る。それだけが、いい。
「私は、気が向いたときに、余ったもので、スープを煮る。それが、いちばん、幸せなんです。だから、ごめんなさい」
商人は、しばらく、食い下がったが、やがて、諦めて、帰っていった。「変わったお嬢さんだ」と、首をひねりながら。
変わっている、で、けっこう。私は、私の、静かで、気ままな暮らしを、何より、大事にしたいのだから。
もっとも、中には、面白いお客も、いた。
ある日、身なりのいい、若い貴族が、供を連れて、やってきた。「聖女の飯とやらが、そんなに美味いものか、私が、確かめてやろう」と、いかにも、偉そうに。彼は、椅子もないのに、供の者に椅子を運ばせ、優雅に腰かけて、スープを、注文した。
「ふん。しょせん、庶民の食べ物だろう。私の舌が、満足するとは――」
ひと口すすって、彼は、黙った。
二口目を、すすって、目を、見開いた。
三口目からは、もう、なりふり構わず、貴族らしからぬ勢いで、器を、傾けていた。供の者が、「わ、若様、はしたのうございます」と、慌てるのも、お構いなしに。
完食して、彼は、しばらく、放心していた。それから、ぽつりと、言った。
「……なんだ、これは。うちの、お抱え料理長の、どんな高級料理より……美味い、ではないか」
「お粗末さまでした」
「き、貴様、これを、毎日、こんな路地で……ええい、明日も来る! 毎日、来るからな!」
顔を真っ赤にして、そう言い捨てて、貴族は、帰っていった。
……なんだか、可愛い人だな、と思った。偉そうにしていても、美味しいものを前にすると、素直になる。人間、みんな、そんなものだ。身分も、種族も、関係ない。あたたかくて美味しいものの前では、誰もが、ただの、腹を空かせた一人に、なる。
それが、料理の、いちばん、いいところだと、私は思う。
◇
その日、行列の中に、ひとり、ずいぶんと痩せた老人が並んでいた。
身なりは、みすぼらしい。手には、握りしめた、ほんの数枚の銅貨。順番が来ると、彼は、申し訳なさそうに、俯いた。
「あの……スープを、ひとつ。……いや、やっぱり、いい。もっと、必要な人が……」
言いかけて、老人は、列を離れようとした。持っている銅貨で、スープを買ってしまえば、たぶん、その日の他の何かが、買えなくなる。そういう、ぎりぎりの暮らしの人だと、ひと目でわかった。
私は、その背中に、声をかけた。
「おじいさん。ちょっと待って」
私は、いちばん大きな器に、たっぷりとスープをよそって、具も多めに入れて、差し出した。
「これ、味見の、残りなんです。売り物にできないから、もらってくれると、助かります。……お代は、いりません」
嘘だ。味見の残りなんかじゃない。ちゃんとした、一杯だ。でも、こういう嘘は、ついていい嘘だ。
老人は、目を、大きく見開いた。それから、震える手で器を受け取って、ひと口すすって――ぽろぽろと、涙をこぼした。
「……あったかい。あったかい、なあ……」
しばらく、誰も食べさせてくれる人が、いなかったのだろう。
私には、その気持ちが、少し、わかった。前世の私も、そうだった。忙しさの中で、誰も、私に「ちゃんと食べてる?」なんて、聞いてくれなかった。あたたかいものを、あたたかいうちに、食べさせてくれる人なんて、いなかった。
だから。せめて、私にできることは、これくらいだ。
その日から、私は、こっそり、決めた。お金のある人からは、ちゃんと、代金をもらう。でも、本当に、困っている人には、「味見の残り」を、そっと、渡す。露店の売上で、その分は、十分、まかなえる。
施し、なんて、大層なものじゃない。ただ、目の前で、腹を空かせた人を、見て見ぬふりが、できないだけ。前世で、私が、いちばん、してほしかったことを、しているだけ。
「おかわりも、ありますからね。ゆっくり、食べてください」
ジオじいさん、というらしいその老人は、それから、毎日のように、私の露店に、来るようになった。もう、無理はさせない。私は、いつも、こっそり「味見の残り」を、たっぷり、彼に、渡した。
彼は、来るたびに、少しずつ、顔色が、良くなっていった。最初は、幽霊みたいに、青白かったのに。あたたかいものを、毎日、食べる。それだけで、人は、こんなにも、変わる。
……ごはんって、すごい。あらためて、そう思う。剣でも、魔法でもない。ただの、あたたかい一杯が、死にかけの人を、生き返らせる。
私が、この世界で、いちばん、信じている力だ。
◇
老人が、涙をぬぐいながらスープを飲む様子を、ティルが、じっと見ていた。
そして、ぽつりと、言った。
「レンは、やっぱり、せいじょさま、かも」
「え。ティルまで、それ言う?」
「だって。おなかすいてる人、ほうっておけないの、せいじょさま、みたいだもん」
まっすぐな目で、そう言われた。
私は、うーん、と、唸った。
聖女、なんて、大層なものじゃない。私はただ、腹を空かせた人を見ると、放っておけないだけだ。それは、優しさというより、むしろ――前世で、ずっと空腹を、心の空腹を、放っておかれた側だったから、かもしれない。
放っておかれるのが、どれだけ、寂しいか。知っているから。だから、目の前の誰かには、そうしたくない。
「……ま、聖女でも、なんでも、いいか」
私は、次のお客さんに、スープをよそいながら、小さく呟いた。
呼び名なんて、どうでもいい。ただ、あたたかいものを、あたたかいうちに、誰かに食べてもらえる。今は、それで、十分だった。
――ただ、その日。
列の、いちばん後ろに、見慣れない男が、一人、立っていた。
冒険者でも、街の住人でも、なさそうだった。旅装だが、身なりは、妙に、整っている。剣も、荷物も、上等なものだ。そして、彼は、スープを買おうともせず、ただ、じっと、私と、私の露店を――正確には、私が食べさせた冒険者たちが、次々と格上を狩って帰ってくる様子を、観察していた。
値踏みするような、冷たい目。品定めをする、商人のような、あるいは、獲物を探す、狩人のような。
私と、目が、合った。
男は、ふ、と、薄く笑って、静かに、列を離れ、人混みの中に、消えていった。
……なんだろう。今の。
背筋が、ほんの少し、ざわついた。前世で、嫌なプロジェクトの気配を、察したときの、あの感じに、少し、似ていた。
でも、私は、その違和感を、すぐに、忘れた。目の前の行列を、さばくのに、忙しかったから。
――この「聖女様」の噂が、そう遠くない未来に、とんでもなく厄介な連中の耳に届くことを。
そして、あの男が、その、最初の"きっかけ"であることを。
このときの私は、まだ、知る由も、なかったのだった。
お読みいただきありがとうございます。
否定するほど加速する“聖女様”伝説。もう諦めモードのレンですが、根っこは、やっぱり優しい子ですね。
次話――受付嬢ネルさんが、ついにレンの「秘密」の核心に、あと一歩まで迫ります。
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