第6話 伝説のお肉、売り出します(大騒ぎ)
半年間、誰も食べられなかった“硬すぎる魔物肉”。
ティルの鱗と、レンの手にかかれば、蕩けるごちそうに。……それを、うっかりギルドで売ったら?
翌朝、私は、蕩けるまで熟成させた鋼牙イノシシの肉を、少しだけ切り分けて、ギルドの隅っこの、いつもの場所に並べた。
余り物を、無駄にしたくない。ただ、それだけの気持ちだった。せっかくの良い肉だ。腐らせるより、食べてくれる人がいたほうがいい。
値段は、控えめに。銅貨、数枚。
「鋼牙イノシシの、煮込みです。柔らかいですよ」
私が、小さな声でそう言うと。
最初は、誰も、見向きも、しなかった。「鋼牙イノシシの煮込み」なんて、この街の人間からすれば、「岩の煮込み」と、同じ意味だ。食えたものじゃない。そういう、常識だった。
でも、匂いは、嘘を、つかない。
鍋から、ふわりと立ちのぼる、香ばしくて、まろやかな匂い。その匂いが、通りを、ゆっくりと、満たしていく。
通りかかった冒険者が、けげんな顔で、足を止めた。
「……嬢ちゃん、今、なんつった? 鋼牙イノシシ、だと?」
「はい」
「あれは、討伐しても食えねえ肉の代名詞だぞ。岩みてえに硬くて、どんな名人でも――」
言いながら、彼は、私の鍋を覗き込んで――固まった。
鍋の中で、ほろほろと崩れるほど柔らかく煮えた、鋼牙イノシシの肉。つやつやと照りを帯びて、湯気を立てている。硬いどころか、見るからに、蕩けそうだ。
「……は?」
彼は、震える手で銅貨を置いて、ひと切れ、口に運んだ。
そして。
「うっ、まぁぁぁぁっ!?」
ギルド中に、その叫びが、響き渡った。
◇
そこからは、もう、あっという間だった。
「あの鋼牙イノシシが、食えるだと!?」「柔らかいってどういうことだ!」「隅っこの聖女様が、また、とんでもねえことを……!」
昨日のスープの一件も記憶に新しい冒険者たちが、われもわれもと、私の鍋に殺到した。あっという間に、長蛇の列。
いや、列、というより、もはや、争奪戦だった。
「おい、抜かすな! 俺が先だ!」「一杯、銀貨一枚で買う!」「馬鹿を言え、俺は二枚だ!」
……あの。値段、銅貨、数枚なんですけど。
勝手に、競りが、始まっていた。誰も食べられなかった伝説の魔物肉が、蕩けるごちそうになって、目の前にある。冒険者たちの目は、完全に、血走っていた。
「みなさん、落ち着いて。並べば、みんな、買えますから」
私が、のんびり、そう言っても、興奮は、収まらない。むしろ、「聖女様が、平等に分け与えてくださる……!」と、感涙する者まで、出る始末。
……なんで。私は、ただ、余り物を、処分したいだけなのに。
用意した肉は、結局、瞬く間に、売り切れた。それでも、列は、まだ、続いていた。「明日も、あるのか!?」「聖女様、次は、いつだ!」と、口々に。
私は、遠い目をして、空になった鍋を、見つめた。……常連が、また、増えてしまった。
しかも。
例によって、私の【秘密の隠し味】のバフは、この肉にも、しっかり乗っている。食べた冒険者たちは、次々と、みなぎる力に目を見張り、いつもより格上の依頼を、軽々とこなして帰ってきた。
「あの肉を食うと、力が湧く……!」
「鋼牙イノシシを喰らう者は、鋼の力を得る……そういうことか……!」
いや、そういうことじゃないです。ただのバフです。
私は、隅っこで、こっそり頭を抱えた。目立ちたくない。静かに暮らしたい。それなのに、どうして、私のやることは、いちいち、こう、騒ぎになるんだろう。
ちなみに、この日、ティルは、私の隣で、売り子を、手伝ってくれた。
「いらっしゃい、ませ。……おにく、おいしい、です」
たどたどしい呼び込みだったけれど、その一生懸命さが、逆に、評判を呼んだ。「聖獣様が、直々に、接客を……!」と、また、勝手な尾ひれが、つく。ティルは、お客さんに「ありがとう」と言われるたびに、はにかんで、嬉しそうに、しっぽを、ぱたぱた、させていた。
里で「使えない子」と言われ、誰の役にも立てないと、信じ込まされていた子が。今、こうして、人の役に立って、感謝されて、誇らしそうにしている。
その姿を見ているだけで、私は、なんだか、胸が、いっぱいになった。
……いけない。私まで、涙腺が、ゆるむ。大人なのに。
隣で、ティルが、きらきらした目で私を見上げていた。
「レン、すごい。みんな、レンのごはん、だいすき」
「……うん。まあ、それは、嬉しいんだけどね」
嬉しくないと言えば、嘘になる。自分の作ったものを、こんなに喜んで食べてもらえるのは、料理人として、素直に、嬉しい。
ただ、その喜びと、目立ちたくないという願いは、どうにも、両立が難しいのだった。
行列の中には、腕を組んで、疑わしげにこちらを見ている、初老の男もいた。街で、そこそこ名の知れた、料理屋の親父らしい。
「ふん。子どもの、まぐれ当たりだろう。鋼牙イノシシが、そう簡単に、柔らかくなるものか」
そう吐き捨てて、彼は、一杯、買っていった。腕試し、というやつだろう。プロの舌で、粗を、探すつもりだ。
彼は、ひと口、口に運んで――そのまま、動きを、止めた。
スプーンを持つ手が、震えている。しばらく、無言で、肉を、噛みしめて。それから、彼は、がばっと、私に、頭を下げた。
「……参った。嬢ちゃん、あんた、どんな手品を使った。この硬さの肉を、ここまで……いや、聞くだけ、野暮か。長年、包丁を握ってきたが、こんな肉は、食ったことがねえ」
「低温で、じっくり、寝かせただけですよ。時間をかければ、誰でも」
「その『時間をかける』が、いちばん、難しいんだよ。誰も、そこまで、手間をかけようとしねえ。……あんた、大した、料理人だ」
プロに、そう言われるのは、正直、悪い気は、しなかった。
目立ちたくない。それは、本当だ。でも、料理の腕を、本物の料理人に、認めてもらえる。その一点だけは、どうしても、嬉しさが、隠せなかった。
……料理人としての、私は、たぶん、思っているより、ずっと、負けず嫌いなのかもしれない。
◇
その日の売上を数えていると、あの、受付嬢のネルさんが、こめかみを押さえながら、やってきた。
「レンちゃん。……ちょっと、いい?」
「はい、なんでしょう」
「あなたが売った鋼牙イノシシの煮込み。あれを食べた冒険者が、今日一日で、討伐依頼の達成数、いつもの三倍を叩き出したんだけど」
「へえ。みなさん、頑張り屋さんですね」
「……頑張り屋さん、で済ませようとしないでくれる?」
ネルさんは、じとーっと、私を見た。有能な人の目だ。数字の合わなさを、決して見逃さない目。
でも、私は、にっこり笑って、いちばん無害な顔を作る。
「私は、ただ、美味しいお肉を、お安く売っただけですよ。あとのことは、みなさんの実力です」
ネルさんは、しばらく、私を見つめて――それから、盛大な、ため息をついた。
「……わかった。もう、聞かない。聞いたら、負けな気がする」
「賢明なご判断です」
「その言い方が、いちばん、腹立つのよねえ……」
ぶつぶつ言いながら、ネルさんは、それでも、私の売上の計算を、手伝ってくれた。面倒見のいい人なのだ。口では文句を言いながら、結局、放っておけない。
……あ。この感じ、なんだか、私と、似ている。
「ねえ、レンちゃん」
銅貨を数えながら、ネルさんが、ふと、言った。
「あなた、こんなに稼いで、何に使うの? いい服でも、買う? 大きな家でも、建てる?」
私は、少し、考えた。
「んー。……美味しい食材と、良い調味料が、買えれば、それで。あとは、ティルに、あったかい布団と、お腹いっぱいのごはんが、あれば」
「それだけ?」
「それだけです。私、欲が、ないので。……というか、たくさん持つと、たくさん働かなきゃいけなくなるでしょ。それが、いちばん、嫌なんです」
ネルさんは、あきれたように、でも、どこか、羨ましそうに、笑った。
「……ほんと、変わった子。でも、そういうの、嫌いじゃないわ」
私にとって、お金は、目的じゃない。あたたかい暮らしを、続けるための、手段でしかない。たくさん稼いで、たくさん抱えて、その分、たくさん働く。前世で、そうやって、すり減った。だから、今世は、小さく、あたたかく。それが、いい。
◇
その夜。
箱庭に帰った私は、残しておいた鋼牙イノシシの肉で、ティルと二人、遅い夕飯を食べた。
売り物にした分より、ずっと良い部位を、二人ぶん、こっそり取っておいたのだ。こういうところは、抜け目がない。自分と、家族のぶんは、いちばん美味しいところを食べる。これは、料理人の、正当な役得だと思う。
「……とろとろ」
ひと口食べて、ティルが、うっとりと目を細めた。
「うん。よく頑張って、待ったもんね。えらかったよ、ティル」
あの、そわそわしながら「まだ?」と何度も肉を見に来ていた子が、今日は、ちゃんと待てた。待った時間の分だけ、肉は美味しくなり、ティルも、少しだけ、大人になった。
「今日はね、ティル。あなたの鱗が、大活躍だったんだよ」
私は、肉を切り分けながら、言った。
「あの落とし蓋が、なかったら、こんなに均一には、火が通らなかった。あなたが、いなかったら、この肉は、こんなに美味しく、ならなかったの」
ティルは、自分の腕の、薄い鱗を、そっと、撫でた。
「ぼくの、鱗が……みんなを、よろこばせた……?」
「そう。あなたの鱗が作った肉で、街のみんなが、笑ってた。すごいことだよ、これは」
ティルの目が、じわりと、潤む。
里で「出来損ない」と呼ばれ、置き去りにされた、その鱗が。今日、街じゅうの人を、笑顔にした。その事実が、この子の中で、少しずつ、少しずつ、古い呪いを、溶かしていく。
「……ぼく、もっと、がんばる。レンの、やくに、たつ」
「うん。でも、無理は、しないでね。あなたは、いてくれるだけで、もう、十分、役に立ってるから」
「いてくれる、だけで……?」
「そう。一人で食べるごはんより、あなたと食べるごはんのほうが、ずっと、美味しいの。それだけで、あなたは、大手柄」
ティルは、しばらく、きょとんとして――それから、へにゃり、と、笑った。
「ねえ、レン」
肉を頬張りながら、ティルが、ぽつりと言った。
「ぼく、しあわせ、かも」
「……そう?」
「うん。おなか、いっぱいで。あったかくて。……となりに、レンが、いて」
なんてことない口調で、そんな、とんでもなく大事なことを言う。
私は、肉を噛みしめながら、天井を見上げた。目の奥が、ちょっと、熱い。大人だから、泣かないけど。
「……そっか。よかった」
それだけ、返した。
思えば、前世の私は、「幸せ」なんて言葉を、ずいぶん、長いこと、使っていなかった。忙しくて、疲れて、幸せかどうかなんて、考える暇も、なかった。ただ、目の前の締め切りを、こなして、こなして、こなし続けて、気づいたら、電池が、切れていた。
この子は、まだ、こんなに小さいのに。「しあわせ、かも」なんて、当たり前みたいに、言う。
その言葉に、私は、たぶん、救われている。
幸せは、遠くにある、大きな何かじゃない。あったかい肉と、隣にいる誰かと、「美味しいね」と言い合える、この、なんてことない夜のこと。それを、この子は、思い出させてくれる。
……拾ったのは、私のほうだと思っていたけれど。
案外、拾われたのは、私のほうなのかもしれない。
静かに暮らしたい。目立ちたくない。その願いは、今日も、盛大に、崩れた。
でも――こういう夜が、その代償なら。
まあ、悪くないか、と。ほんの少しだけ、そう思ってしまう、私だった。
お読みいただきありがとうございます。
「余り物を無駄にしたくない」だけで、また街を騒がせるレン。本人にまるで自覚がないのが、いちばんの困りものですね。
次話――増えすぎたお客と、加速する“聖女様”伝説。レンの平穏は、どこへ……?
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