第5話 硬すぎるお肉は、時間で美味しくします
硬すぎて、半年間、誰も食べられなかった魔物のお肉。
倒すのはレンの仕事ではありません。でも、美味しくするのは――料理人の意地にかけて。
鋼牙イノシシ、というらしい。
ギルドの掲示板に、討伐依頼が、もう半年も貼りっぱなしになっている魔物だ。街外れの森に棲む、巨大な猪。全身が鋼のように硬く、牙は鉄板をも貫く。厄介なのは、その頑丈さで、討伐しても、肉が硬すぎて食べられないこと。
「どんな鍋で煮ても、岩を煮てるみたいになる」「歯が立たん、文字どおりな」――そう酒場で聞いた。だから誰も、好んで狩ろうとしない。討伐報酬は、そこそこ良いのに。
私は、それを聞いて、むくむくと、料理人の血が騒ぐのを感じた。
誰も食べられない、硬すぎる肉。
結構。上等だ。
硬いなら、柔らかくすればいい。誰も方法を知らないなら、私が見つければいい。毒を出汁に変えたときと、同じ話だ。
「ティル。ちょっと、狩りに行こうと思うんだけど」
朝ごはんのあと、私がそう言うと、ティルは、ぴくっと反応した。
「かり……ぼくも、いく」
「んー。危ないと思うけど」
「いく。……レンを、まもる」
まっすぐな目で、そう言われた。
この前まで「ぼくなんて」と俯いていた子が、「守る」なんて言葉を口にする。三日で、ずいぶん、変わったものだ。
……まあ、危なくなったら、私が繭を張ればいい。何があっても、私もティルも、傷ひとつつかない。それだけは、絶対の保証がある。
「わかった。じゃあ、一緒に行こう。その代わり、無理はしないこと。約束」
「うんっ」
◇
森の奥で、そいつは、あっさり見つかった。
鋼牙イノシシは、噂どおりの、とんでもない巨体だった。私の背の、三倍はある。鋼色の剛毛は日の光を鈍く弾き、地面を掻く蹄の一撃で、太い木がへし折れた。牙は、確かに、鉄板でも貫きそうだ。
ティルが、ごくり、と喉を鳴らす。
「……おおきい」
「うん、大きいね。お肉、いっぱい取れそう」
「そっち!?」
ティルのツッコミが、なかなか様になってきた。いいことだ。
……というのは、半分は、強がりだった。
正直に言えば、あの巨体を前にして、私の中の"元・普通の社会人"の部分は、しっかり怯えていた。あんなものに突進されたら、痛いに決まっている。痛いのは、嫌だ。世界で、いちばん、嫌だ。
でも、私には、【硝子の繭】がある。理屈では、絶対に、傷つかない。
問題は――その「理屈」を、体が、まだ、完全には信じきれていないことだった。頭でわかっていても、巨大なものが迫ってくれば、体は勝手にすくむ。前世で染みついた「危険には近づくな」という本能は、そう簡単には、消えてくれない。
だから、これは、ちょっとした、私自身の実験でもあった。
私の繭は、本当に、何があっても、私を守ってくれるのか。
それを、信じきれるかどうか。ティルに「守る」と言わせておいて、私自身が、自分の力を信じられないままでは、格好がつかない。
鋼牙イノシシが、こちらに気づいた。血走った目が、私たちを捉える。そして、地響きを立てて、突進してきた。あの巨体と速度。まともに受ければ、人間なんて、一瞬でミンチだ。
ティルが、真っ青になって、私の前に飛び出そうとする。薄い鱗の腕を、盾みたいに構えて。守ろうと、してくれている。
でも、その必要は、ない。
私は、ティルの肩を、そっと掴んで、後ろに下がらせた。
「大丈夫。見てて」
そして、一歩、前に出る。
迫りくる鋼の巨体に向かって、私は、退屈そうに、手をかざした。
「【硝子の繭】」
ふわり、と、私の体を、儚げな光の膜が包んだ。
◇
次の瞬間、鋼牙イノシシの突進が、私に激突した。
地面が揺れ、木々の葉がざわめく。凄まじい衝撃――のはずだった。
でも、私は、その場から、一歩も動かなかった。
鋼の牙も、鉄の巨体も、私を包む光の膜に触れた瞬間、ぴたりと止まった。まるで、見えない壁にぶつかったみたいに。痛くも、痒くもない。むしろ、そよ風程度の感触すら、ない。
鋼牙イノシシが、ぽかん、とした顔をした。魔物でも、そういう顔をするらしい。渾身の突進を、小さな子どもに、完全に受け止められたのだ。無理もない。
「これ、いくら攻撃しても、無駄なんだよね」
私は、あくび混じりに言った。
【硝子の繭】は、あらゆる物理・魔法ダメージを、百パーセント、カットする。神様の攻撃だって通さないと言われる、伝説級のスキルだ。鋼牙イノシシの突進くらいで、どうにかなるはずがない。
問題は、この繭は「守る」ことしかできない、ということだ。攻撃力は、ゼロ。だから、私一人では、この猪を倒せない。
でも――倒すのは、私の仕事じゃない。
「ティル」
私は、後ろで固まっているティルを、振り返った。
「今から、この子の動きを、私が止める。あなたは、私が『今だ』って言ったら、思いっきり、鼻先を殴って。あなたの鱗なら、大丈夫。守りは、私が全部する」
ティルの目が、揺れた。
「で、でも、ぼく、よわいから」
「弱くていい。守りは要らないの、私がいるから。あなたは、ただ、一発、当てるだけでいい。……信じて。私が、絶対、痛い思いはさせない」
◇
それは、奇妙な戦いだった。
鋼牙イノシシが、何度突進しても、私の繭に阻まれる。私は、繭を張ったまま、猪の進路に、のんびりと立ちはだかり続けた。壁になるだけ。ただ、それだけ。
やがて、猪の動きが、苛立ちで、単調になってきた。頭に血が上って、まっすぐ突っ込んでくるだけになる。
「――ティル、今だっ」
私の合図で、ティルが、飛び出した。
薄い鱗の、小さな拳。里で「出来損ない」と嗤われた、その腕が、鋼牙イノシシの鼻先に、渾身の力で叩き込まれた。
ごつっ、と、鈍い音。
急所に一撃をもらった鋼牙イノシシは、ぐらり、と傾いで――どしん、と、地面に倒れ伏した。
静寂。
ティルが、自分の拳を、信じられないものを見るように、見つめていた。
「……たおした? ぼくが……?」
「うん。あなたが、倒したの」
私は、ぱちぱちと、手を叩いた。
厳密には、私が動きを完全に封じたから当てられた一撃だ。でも、最後に急所を打ち抜いたのは、間違いなく、ティルだ。守られる子から、獲物を仕留める子へ。この一発の意味は、きっと、この子の中で、とても大きい。
ティルは、わなわなと震えて、それから、ぱあっと、破顔した。
「たおした……! レン、ぼく、たおしたよっ!」
「見てた見てた。かっこよかったよ。……さて」
私は、倒れた鋼牙イノシシの、立派な巨体を見下ろして、にんまりと笑った。
「じゃあ、こっからが、本番ね。このお肉を――世界一美味しくします」
◇
倒した鋼牙イノシシは、あまりに巨大で、とても運べる大きさではなかった。
でも、そこは【箱庭のおままごと】の出番だ。私は、猪の巨体に手を触れ、そのまま亜空間の収納へ、まるっと仕舞い込んだ。ティルが、また「まほうみたい」と目を丸くする。
「あなたの鱗も、私のこの家も、火をぬるくするのも――ぜんぶ、みんなが『そんな使い方、思いつかなかった』ってだけの話なの」
森を歩いて帰りながら、私は、なんとなく、そう言った。
「世界は、たぶん、便利な道具で、あふれてる。ただ、使い方が、まだ見つかってないだけ。……宝探しみたいで、けっこう、楽しいよ」
ティルは、隣を歩きながら、うんうん、と頷いていた。倒した猪の余韻で、その足取りは、来た時より、ずっと、しっかりしていた。
箱庭に持ち帰った鋼牙イノシシの肉は、確かに、岩みたいに硬かった。生のまま切ろうとしても、包丁が弾かれる。噂は本当だ。
でも、私には、勝算があった。
硬い肉が硬いのは、繊維が詰まっていて、火を通すと縮んで、さらに硬くなるからだ。だったら――縮ませなければいい。低い温度で、時間をかけて、ゆっくり、ゆっくり、火を通せばいい。
私は、肉を、【箱庭】の涼しい一角で、まず数日、寝かせた。熟成させて、繊維を、じっくりとほぐしていく。それから、ぬるいと感じるくらいの、ごく低い温度の湯に沈めて、半日、放っておいた。ティルの鱗を落とし蓋に使えば、熱は、驚くほど均一に、優しく伝わる。
急がない。待つ。ただ、待つ。
この「待つ」が、ティルには、いちばん難しかったらしい。
寝かせている間、ティルは、何度も何度も、肉の様子を見に来た。「まだ?」「まだ、かたい?」と、そわそわしながら。早く食べたくて、たまらないのだ。
「ティル。美味しいものはね、待った時間の分だけ、美味しくなるの」
私は、笑いながら言った。
「すぐに手に入るものは、それなりの味。じっくり待ったものは、とんでもない味になる。……人も、たぶん、同じ。焦らなくて、いいの」
「……ぼくも、まてば、つよくなる?」
「なるなる。あなたは、もう、ちゃんと強くなってるよ。今日、あの猪、倒したでしょ」
ティルは、えへへ、と、照れくさそうに笑った。それから、肉の番を、大真面目にやり始めた。落とし蓋の鱗の位置を、まっすぐに直して。火加減を、じっと見つめて。「待つ」ことを、覚えようとしていた。
その横顔が、なんだか、いっぱしの料理人みたいで、私は、こっそり、笑った。
――そして、その晩。
できあがった肉を、ひと切れ、口に運んだティルが、絶句した。
「…………とろ、とろ」
岩みたいだった肉は、ほろりと、箸で切れるほど柔らかく、蕩けていた。噛むと、旨味が、じゅわりと溢れる。半年間、誰も食べられなかった肉が、今、世界一のごちそうに、化けていた。
「硬すぎるお肉はね」と、私は、自分のぶんを頬張りながら言った。「時間で、美味しくするの。急がず、諦めず、ただ、待てばいい」
ティルは、蕩ける肉を噛みしめながら、また、ちょっと泣いていた。
二人ぶんの「いただきます」が、今夜も、あたたかい湯気の中に、そっと重なった。
鋼牙イノシシは、大きい。二人では、とても食べきれない量の肉が、まだ、たっぷり残っている。
「これだけあると、余っちゃうね。……ティルの鱗があれば、いくらでも美味しくできるし。少し、ギルドで、売ろうか」
半年間、誰にも食べられなかった伝説の魔物肉が、蕩けるごちそうに化けて、ギルドに並ぶ。
――それが、翌日、どれだけの騒ぎを起こすことになるのか。
このときの私は、まだ、ちっとも、わかっていなかった。
ただ「余り物を、無駄にしたくないな」と、それだけを考えていたのだ。相変わらず、静かな暮らしから、少しずつ、遠ざかりながら。
お読みいただきありがとうございます。
「美味しいものは、待った時間の分だけ美味しくなる」。人も、たぶん、同じですね。
次話――余ったお肉をギルドで売ったら、街がとんでもない騒ぎに……?(勘違い無双、本格始動です)
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