第4話 「使えない子」なんかじゃない
この世界に、役に立たないものなんて、ひとつもありません。
役に立つ使い方が、まだ見つかっていないだけ――それを、レンが証明します。
箱庭での暮らしが、三日ほど続いた頃だった。
ティルは、少しずつ、この家に慣れてきていた。正座はしなくなったし、お腹が空けば「すいた」と言えるようにもなった。小さな進歩だけれど、私は、それを見るのが、思いのほか、楽しかった。
その日、私が保存棚を整理していると、ティルが、自分の腕の鱗を、じっと見つめているのに気づいた。
例の、薄い鱗だ。
「どうしたの、それ」
私が聞くと、ティルは、びくりとして、慌てて鱗を隠すように腕を引っ込めた。
「……なんでも、ない」
嘘が下手な子だ。前世の私の後輩に、こういうのがいた。抱え込むだけ抱え込んで、限界まで「なんでもない」と言い張るタイプ。ああいう子ほど、あとで、ぽきりと折れる。
私は、棚の整理をやめて、ティルの隣に、腰を下ろした。
「話したくないなら、いい。でも、聞くだけなら、聞くよ。私、暇だし」
嘘だ。暇じゃない。夕飯の仕込みがある。でも、こういう嘘も、ついていい嘘だ。
ティルは、しばらく黙っていた。それから、ぽつり、ぽつりと、話し始めた。
◇
竜鱗族は、鱗の厚さが、そのまま強さを意味する種族なのだという。
厚く、硬く、色の濃い鱗を持つ者ほど、防御力が高く、戦士として尊ばれる。里の序列は、鱗で決まる。生まれた瞬間に、鱗を見られ、その子の一生が、だいたい決まってしまう。
ティルの鱗は、里の歴史でも、類を見ないほど、薄かった。
「ぼくの鱗、やわらかくて、うすくて。……戦えない。的にも、ならない。だから、みんな、言った。『こいつは、竜鱗族の、出来損ないだ』って」
餌を減らされ、朝ごはんを抜かれ、雑用を押しつけられ、失敗すれば殴られた。名前の代わりに「出来損ない」と呼ばれ、誰の目にも留まらないように、息を潜めて生きてきた。
ひとつだけ、優しくしてくれた人がいた、とティルは言った。
里の、年老いた竜鱗族の女性。目が悪くて、もう戦えない、里では"用済み"とされていたお婆さんだ。彼女だけは、こっそり、ティルに自分の食事を分けてくれた。「鱗の厚さで、生きる値打ちが決まるなんて、誰が決めたんだろうねえ」と、そう言って、笑ってくれたという。
「でも、ばあちゃん、ふゆに、しんじゃった。……ぼくに、ごはん、わけてたから、かも、しれない」
ティルは、膝を抱えて、小さくなった。
「ぼくのせいで、ばあちゃん、しんだ。ぼくが、たべなきゃ、よかった」
それは、違う。断じて、違う。
でも、幼い子どもの罪悪感というのは、理屈で、簡単にほどけるものじゃない。私は、それを、知っている。だから、今は、否定を、ぐっと飲み込んだ。かける言葉は、あとで、ちゃんと選ぶ。
そして、つい先日。里が、上位のダンジョンへ移り住むことになったとき。
ティルは、置いていかれた。
「『足手まといは、いらない』って。……ぼく、追いかけたけど、追いつけなくて。気づいたら、知らない街に、いて」
そこで、私のスープの匂いを、嗅いだ。それが、あの夜だった。
ティルは、話し終えると、へへ、と、力なく笑った。
「だから、ぼく、ほんとに、使えない子、なんだ。レンに拾ってもらったけど、たぶん、なんの役にも、立てない。……ごめんなさい」
最後の「ごめんなさい」で、また、目に涙が滲む。
私は、その話を、最後まで、黙って聞いていた。
そして、聞き終えて――静かに、こう言った。
「ティル。ひとつ、訂正していい?」
◇
「あなたは、『使えない子』じゃない」
ティルが、顔を上げる。
「あなたの鱗が『戦うのに向いてない』のは、たぶん、本当。でも、それは『使えない』とは、まったく別の話」
私は、棚から、乾いた葉っぱを一枚、取ってきた。昨日、ティルが割った皿の破片を、包むのに使ったものだ。
「世の中の道具はね、みんな、『向き・不向き』があるだけなの。包丁は、殴るのには向かない。でも、切るのには最高でしょ。じゃあ、包丁は『使えない』? 違う。使い道が、殴ることじゃない、ってだけ」
「……」
「スキルも、鱗も、同じ。この世界には、たぶん、数え切れないくらいのスキルがあって、その多くが『地味だ』『役に立たない』って言われて、誰にも使われないまま眠ってる。でもね、私、思うの」
私は、ティルの薄い鱗を、指先で、そっと撫でた。
「役に立たないものなんて、ない。役に立つ使い方が、まだ、見つかってないだけ」
これは、私が、この世界で一番、信じていることだった。
毒だって、寝かせれば世界一の出汁になる。「最弱」と笑われる私のスキルだって、使い方次第で、こうして誰かを救える。だったら、ティルの鱗にだって、まだ誰も知らない使い道が、きっとある。
「証明してあげる」
私は、にやりと笑った。
「あなたのその鱗が、どれだけ役に立つか。私が、絶対、見つけ出してあげる。……料理人の意地にかけて」
◇
実を言うと、私には、少し、心当たりがあった。
ティルの鱗は、薄くて柔らかい。戦士の基準では「欠陥」だ。でも、料理人の目で見ると、その「薄くて、熱を優しく通す」性質は――なんだか、とても、いい鍋敷きや、蒸し料理の"落とし蓋"に、なりそうだった。
試しに、一枚、自然に抜け落ちた鱗を借りて、蒸し野菜の落とし蓋にしてみた。
結果は、驚くほど、よかった。
鱗は、熱をやわらかく、均一に伝える。おかげで、野菜は焦げず、芯までふっくらと蒸し上がった。硬い根菜が、とろけるみたいに甘くなる。こんなに綺麗に火が通ったのは、初めてだった。
「……ティル。あなたの鱗、すごいよ」
「え?」
「熱を、こんなに優しく伝える素材、私、見たことない。これ、料理の腕が、二段は上がる。あなた、料理の天才の相棒かもしれない」
ティルは、きょとん、とした。それから、じわじわと、その言葉の意味を理解していって――
「ぼくの、鱗が……やくに、たった……?」
「立ったどころじゃない。大活躍。ほら、このお野菜、食べてみて」
私は、ふっくら蒸し上がった根菜に、少しだけ塩を振って、ティルに差し出した。
ティルは、それを、おそるおそる口に運んで――目を、まんまるにした。
「……あまい。やわらかくて、あまい……!」
「でしょ。あなたの鱗のおかげ」
その瞬間の、ティルの顔を、私は、たぶん、ずっと忘れないと思う。
生まれて初めて、「出来損ない」と呼ばれ続けたその体の一部が、誰かの役に立って、しかも、こんなに美味しいものを作った。その事実に、ティルの顔は、くしゃくしゃに歪んで、そして、今日いちばんの笑顔になった。
「ぼく……使えない子、じゃ、ない……?」
「当たり前でしょ。何度でも言う。あなたは、使えない子なんかじゃない」
ティルは、蒸し野菜を頬張りながら、声をあげて、泣いて、笑った。
……まったく。よく泣く子だ。でも、こういう涙なら、いくらでも見ていられる。
「それにね、ティル。あなたの鱗の使い道、これだけじゃ、たぶん、ないよ」
私は、もう一枚の鱗を、水を張った器に浮かべてみた。すると、鱗は、水の温度を、いつまでも、ぬるく、一定に保った。まるで、小さな保温装置みたいに。
「ほら。これ、水を、ちょうどいい温度に保つの。……発酵にも、使えるかも。畑に敷けば、土もあったかく保てる。冬でも、野菜が育てられるかもしれない」
言いながら、私は、だんだん、わくわくしてきた。
ティルの鱗は、「熱を、優しく、均一に、長く保つ」。戦いの物差しでは、なんの意味もない。でも、暮らしの物差しで見れば、これは、とんでもない優れものだ。落とし蓋。鍋敷き。保温。育苗。――使い道は、考えれば考えるほど、いくらでも出てくる。
「あなたの鱗はね、『守る』ためのものじゃ、なかったの。『あたためる』ための、ものだったんだよ」
私の言葉に、ティルは、自分の腕の鱗を、そっと、撫でた。
もう、忌々しげにでも、隠すようにでもなく。まるで、大切な宝物に触れるみたいに。
「あたためる……ぼくの、鱗が……」
「うん。ぴったりでしょ。あなた、あったかい子だもん」
◇
その夜。
ティルは、抜け落ちた自分の鱗を、宝物みたいに、大事そうに握って眠った。
私は、その寝顔を眺めながら、なんとなく、思う。
この子の鱗の使い道は、たぶん、料理だけじゃない。熱を優しく通す性質は、他にも、いろんなことに応用できるはずだ。畑に敷けば土の保温になるかもしれないし、うまくすれば、もっと大きなことにも。
考えるだけで、ちょっと、わくわくする。
「役に立たないものなんて、ない、か……」
自分で言った言葉を、口の中で転がす。
それは、ティルに言った言葉であると同時に――たぶん、前世で使い潰されて、自分を「替えのきく歯車」だと思い込んでいた、あの頃の私自身に、言ってやりたかった言葉でもあった。
それから、もうひとつ。
寝る前に、私は、ティルに、ちゃんと言っておいた。ずっと、飲み込んでいた言葉を。
「ティル。お婆さんが死んだのは、あなたのせいじゃない。あの人はね、たぶん、あなたにごはんを分けてる時間が、いちばん、幸せだったんだと思う」
ティルの肩が、ぴくりと震えた。
「誰かにごはんを食べさせるのって、すごく、幸せなことなの。私、最近、わかったんだ。……だから、お婆さんは、あなたに食べさせて、後悔なんて、してない。絶対に」
ティルは、しばらく、毛布の中で、じっとしていた。それから、くぐもった声で、「……うん」と、ひとつ、返事をした。
その夜、ティルは、少しだけ、穏やかな顔で眠っていた気がした。うなされる寝言も、聞こえなかった。
まあ、それはそれとして。
「明日は、あの硬いお肉に、挑戦してみようかな」
ギルドで小耳に挟んだ話を、私は思い出していた。硬すぎて、どんな料理人も匙を投げるという、伝説の魔物肉。鋼牙イノシシ。
誰も食べられないと言うのなら――なおさら、食べてみたくなるのが、料理人の性というものだった。
お読みいただきありがとうございます。
「戦えない鱗」は、「あたためる鱗」でした。物の値打ちは、物差し次第で、いくらでも変わります。
次話は、いよいよ調理回。誰も食べられない“伝説の硬い肉”に、レンが挑みます。
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