第10話 はじめての、みんなのいただきます
第一章、ひとつめの山場。
一人で食べる一杯より、みんなで囲む食卓のほうが、ずっと、あたたかい。
それを、レンが――たぶん、いちばん、思い知らされる夜のお話です。
きっかけは、ほんの、思いつきだった。
その日は、ちょうど、鋼牙イノシシの、良い部位が、たっぷり余っていた。氷霧クラゲの一件も、無事に片付いた。ティルの狩りも、板についてきた。なんとなく、めでたい気分だった。
「ねえ、ティル。今日は、ちょっと、豪華に、いってみようか」
「ごうか?」
「うん。……せっかくだから、何人か、呼ぼうか。あの、痩せたお爺さんとか。ネルさんとか。ガーゴさんとか」
言ってから、自分でも、少し、驚いた。
人を、家に呼ぶ。誰かと、囲んで、食べる。そんなこと、前世でも、今世でも、私は、一度も、したことがなかった。ずっと、一人だった。一人が、気楽で、面倒がなくて、いいと、思っていた。
でも、なぜだろう。今日は、そうしたい気分だった。
ティルが、ぱあっと、顔を輝かせた。
「する! みんなで、ごはん、する!」
その顔を見たら、もう、後には引けなかった。
……まあ、いいか。たまには、こういうのも。
◇
その夜。
箱庭に、お客さんが、集まった。
露店の常連の、痩せた老人。名前を、ジオじいさん、というらしい。「わしなんかが、お邪魔して、いいのかね」と、何度も、遠慮していた。
ネルさん。「私、呼ばれるほど、あなたと仲良かったっけ?」と言いながら、しっかり、手土産の果実酒を持って、来てくれた。
ガーゴさん。「聖女様の家に招かれるなんて、光栄だ!」と、大真面目に正装してきて、その場違いっぷりに、みんなで、笑った。
小さな箱庭が、ぎゅうぎゅうに、賑やかになった。
テーブルには、私が腕によりをかけた料理が、並んだ。蕩ける鋼牙イノシシの煮込み。琥珀色の出汁のスープ。ティルの鱗で、ふっくら蒸した野菜。氷霧クラゲの、ひんやり冷たい、清涼スープ。保存していた素材を、全部、使いきった、ごちそうだった。
実を言うと、私は、料理を作っている間、ずっと、そわそわしていた。人を招くのは、初めてだ。喜んで、もらえるだろうか。口に、合うだろうか。柄にもなく、緊張していた。
でも、包丁を握れば、その緊張も、どこかへ、消えていく。刻んで、煮込んで、味を、ととのえる。その、いつもの手順を、繰り返すうちに、心が、静かに、凪いでいく。私にとって、料理は、そういう時間だった。前世の、荒れた心を、いつも、静めてくれた、唯一の、時間。
だから、今日の料理は、いつにも増して、丁寧に、作った。この、あたたかい時間を、来てくれる人たちに、まるごと、味わってほしくて。
湯気が、立つ。あたたかい匂いが、狭い部屋に、満ちる。
みんなの顔が、その湯気の向こうで、ゆるんでいく。ジオじいさんも、ネルさんも、ガーゴさんも、ティルも。今日一日の疲れが、その一瞬だけ、どこかへ、溶けていくみたいに。
「じゃあ……えっと」
私は、なんだか、柄にもなく、緊張していた。人を招いて、食卓を囲むなんて、初めてだから。
でも、言うべき言葉は、決まっていた。
「みなさん。……いただきましょうか」
みんなが、手を合わせた。
ジオじいさんも、ネルさんも、ガーゴさんも、ティルも。そして、私も。
「「「いただきます」」」
小さな箱庭に、いくつもの「いただきます」が、重なった。
◇
それは、賑やかな、夜だった。
ガーゴさんは、豪快に食べて、豪快に笑った。ネルさんは、果実酒を片手に、日頃の愚痴を、面白おかしく、こぼした。ジオじいさんは、蕩ける肉を、一口ずつ、大事そうに、味わった。ティルは、みんなに囲まれて、少し戸惑いながら、でも、ずっと、嬉しそうだった。
「しかしよ、聖女様」と、ガーゴさんが、肉を頬張りながら、言った。「オレは、ずっと、強くなりてえって、そればっかり考えて、生きてきた。でもよ、こうして、うまい飯を、仲間と食ってると……なんつうか、これで、いいんじゃねえかって、思えてくるな」
「あら、ガーゴ。あんた、意外と、いいこと言うじゃない」と、ネルさん。
「うるせえ。オレだって、たまには、しみじみするんだよ」
ジオじいさんが、くっくっと、笑った。
「若いの。それは、大事なことだよ。わしは、この歳になって、やっと、わかった。強さも、金も、あの世には、持っていけん。でも、こうして、誰かと囲んだ、あたたかい食卓の記憶は……最期まで、心を、あたためてくれる」
その言葉に、テーブルが、しん、と、静かになった。
みんな、それぞれの人生で、それぞれの寂しさを、抱えてきた人たちだ。ジオじいさんの言葉は、たぶん、全員の、胸の、どこかに、届いていた。
「……なんか、しんみりしちゃったわね」と、ネルさんが、照れ隠しみたいに、果実酒を、あおる。「ほら、レンちゃん。おかわり。こんな美味しいもの、しんみりしながら食べたら、もったいないでしょ」
「はい、ただいま」
私は、笑って、鍋に、おたまを、入れた。
私は、その真ん中で、みんなの器が空くたびに、おかわりをよそった。
「いやあ、聖女様の家が、まさか、こんな不思議な場所とはな!」
ガーゴさんが、箱庭の、あり得ない夕暮れの景色を見て、豪快に笑った。亜空間の家、なんていう、とんでもないものを見ても、この人は、細かいことを気にしない。「美味い飯が食えりゃ、なんでもいい!」の一点張りだ。ある意味、いちばん、付き合いやすい。
ネルさんは、果実酒で、少し、頬を赤くしていた。
「……ねえ、レンちゃん。私ね、ほんとは、こういうの、憧れてたのよ。仕事帰りに、気の置けない人と、あったかいごはん、食べるの。……でも、いつも、書類に追われて、気づいたら、一人で、冷めたパン、かじってて」
ぽつり、と、こぼれた本音に、私は、どきり、とした。それ、前世の、私だ。
「じゃあ、これからは、うちに、来てください。冷めたパンより、あったかいスープのほうが、絶対、いいですから」
「……もう。そういうこと、さらっと言うの、ずるいわよ」
ネルさんは、赤い顔で、そっぽを向いて、それから、ちょっと、笑った。
……ああ、そうか。
ふと、気づいた。
ここにいる人たちは、みんな、どこか、私と、似ている。
ジオじいさんは、一人暮らしで、長いこと、誰とも食卓を囲んでいなかった。ネルさんは、有能すぎて、頼られすぎて、疲れきっていた。ガーゴさんは、強面のせいで、案外、友達が少ないらしい。ティルは、言うまでもない。
みんな、それぞれの理由で、一人で、ごはんを食べてきた人たちだ。
その人たちが、今、ここで、同じ鍋を、囲んでいる。笑って、食べて、あたたかい湯気の中に、いる。
私が、前世で、いちばん、欲しかったもの。
「ちゃんと食べてる?」と、聞いてくれる誰か。あたたかいものを、あたたかいうちに、一緒に食べてくれる、誰か。
それが――今、ここに、あった。
私が、作った。この、小さな、あたたかい食卓を。
鼻の奥が、つんと、痛くなった。
「……レン?」
ティルが、私の顔を、心配そうに、覗き込んだ。
「どうしたの。ないてる?」
「……泣いてないよ。ただ、ちょっと」
私は、笑って、目元を、ぬぐった。今日は、もう、ごまかさなかった。
「……美味しいなあ、って、思っただけ。みんなで食べると、こんなに、美味しいんだね」
一人で食べる一杯も、あたたかい。でも、みんなで囲む食卓は、それとは、比べものにならないくらい、あたたかかった。
こんなことなら、もっと、早く、知りたかった。前世の、あの、味のしない孤独な夜に。
でも――今、知れて、よかった。心から、そう、思った。
◇
宴が、お開きになる頃。
ジオじいさんが、帰り際、私の手を、両手で、そっと、握った。
「聖女様。……いや、レンちゃん。わしは、今日のことを、死ぬまで、忘れんよ。こんなに、あたたかい夜は、女房が死んでから、初めてだ」
その、皺だらけの手が、震えていた。
「また、来てくださいね。ジオじいさん。うちの食卓、椅子は、まだ、たくさん、空いてますから」
私が言うと、ジオじいさんは、くしゃくしゃの笑顔で、何度も、頷いた。
ネルさんは、帰り際、少しだけ、真面目な顔で、私に言った。
「レンちゃん。……今日、ありがとね。私、久しぶりに、仕事のこと、忘れて、笑った気がする」
「また、いつでも、来てください。まかない、作りますから」
「うん。……ねえ、ひとつだけ、いい?」
ネルさんは、少し、ためらってから、言った。
「あなた、たぶん、これから、もっと、有名になる。もっと、いろんな人が、あなたに、群がってくる。……その中には、良くない奴も、いると思う。国とか、そういう、大きなやつが。だから、気をつけて。何かあったら、私を、頼りなさい」
その言葉に、私は、少し、驚いた。この前の、貴族。今日の噂。ネルさんは、有能だから、私より、ずっと、先の危険が、見えているのだろう。
「……はい。ありがとうございます、ネルさん」
「ん。……じゃ、また明日。仕事、行きたくないなあ」
ぼやきながら、ネルさんは、帰っていった。ほんと、いい人だ。
みんなを見送って、箱庭に、私とティルだけが、残った。
散らかった食器。空になった鍋。でも、部屋には、まだ、あたたかい空気と、みんなの笑い声の、余韻が、残っていた。
「……たのしかった」
ティルが、ぽつりと言った。
「うん。楽しかったね」
私は、頷いた。
静かに暮らしたい。目立ちたくない。その願いは、もう、完全に、崩れてしまった。
でも――もう、いいや、と思った。
静かすぎる暮らしは、たぶん、寂しい。私は、それを、前世で、嫌というほど、知っている。
だったら、少しくらい、賑やかでも、いい。あたたかい食卓が、ここに、あるのなら。
私は、散らかった食器を、片付けながら、ふと、テーブルの、椅子の数を、数えた。
私と、ティルの、二脚。それに、今日、ジオじいさん、ネルさん、ガーゴさんが、座った、三脚。
最初は、私、一人ぶんの、椅子しか、なかった。前世でも、今世でも、ずっと、一人ぶんだった。
それが、今は、五脚。
「……椅子、もっと、増やそうかな」
ぽつり、と、私は、呟いた。
「いす?」
「うん。うちの食卓の、椅子。……なんだか、これから、もっと、増える気が、するの」
根拠は、ない。ただ、そんな、予感がした。あたたかい食卓は、たぶん、人を、呼ぶ。腹を空かせた人、心の寒い人が、この、あたたかい湯気を、嗅ぎつけて、集まってくる。ちょうど、ティルが、そうだったように。
それは、私の「静かに暮らしたい」という願いとは、正反対の、未来かもしれない。
でも、不思議と、嫌な気は、しなかった。むしろ、その、賑やかな食卓を、少しだけ、楽しみに、思っている自分が、いた。
「ティル。また、みんなで、ごはん、しようね」
「うん! する!」
小さな箱庭に、二人の声が、あたたかく、響いた。
――こうして、私の食卓は、少しずつ、賑やかになっていく。
この食卓が、いつか、この世界を、変えてしまうなんて。
このときの私は、まだ、これっぽっちも、知らなかったのだけれど。
次話からは、レンの"暮らし"が、もっと豊かになっていきます。外でもあったかいごはんが作りたくて――レンはなんと、街のみんなが恐れる"火竜"を、飼い慣らしに行くことに。ほのぼの拠点強化編、始まります。
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