第36話 ティルの、覚悟
「レンは、いつも、ぜんぶ一人でしょいこむ」
ティルは、レンの笑顔の裏の、しんどさに、気づいていました。守られる子が、初めて、“守りたい”と願います。
最初に、私の異変に気づいたのは、やっぱりティルだった。
朝ごはんの席。私がなんとなく、ぼんやりしていると、ティルが、じっと私の顔を覗き込んできた。
「レン。……げんき、ない」
「え? そんなことないよ。ほら、ちゃんと食べてる」
「うそ。……レン、わらってるけど。め、わらってない」
どきり、とした。
この子は、鼻がいいだけじゃない。人の心の機微にも恐ろしく敏感だ。里で大人たちの顔色をうかがって生きてきた子だ。「怒られないように」「見捨てられないように」。そうやって、人の表情を読む力を身につけてしまった。
……本当は、そんな力、身につけずに済んだほうが、よかったのに。
「ごめんね。ちょっと、考え事してただけ。……大丈夫だよ」
私は、ティルの頭を撫でて、笑ってみせた。今度は、ちゃんと目も笑うように。
でも、ティルは、こくり、とは頷かなかった。ただ、じっと私を見ていた。何か言いたそうに。でも、うまく言葉にできない、というふうに。
◇
その日、私は街に出なかった。
露店を開ければ、また、「守り神に」とすがる目に囲まれる。それが今日は、少しだけしんどかった。
だから、箱庭で、のんびり料理でもしようと思った。……いや。のんびり、なんて嘘だ。本当は、一人になって、あの、重すぎる答えと向き合う時間が欲しかっただけ。
ティルは、そんな私のそばを離れなかった。
いつもなら、ヒノと外を駆け回ったり、街の友達と遊びに行ったりする子が。今日は、ずっと私の近くで、手伝えることを探すみたいに、うろうろしていた。
「レン。……ぼく、なにか、てつだう?」
「んー。じゃあ、この豆、選り分けてくれる?」
「うん!」
ティルは真剣な顔で、豆を選り分け始めた。小さな手で、一粒ずつ、丁寧に。その横顔を見ていたら、なんだか少しだけ心があたたかくなった。
……この子がいてくれて、よかった。
でも、そのあたたかさが、かえって私の胸を締めつけた。
このあたたかさを守るために、私はたぶん、この街を出なきゃいけない。この子たちを連れて。ネルさんや、ジオじいさんと離れて。……そんな未来を、この子は、まだ知らない。
台所に、ことこと、と鍋の音が響く。いつもなら、心を凪がせてくれるその音が、今日は、なんだか遠く聞こえた。
◇
夕方。豆を選り分け終えたティルが、ふいに手を止めて言った。
「ねえ、レン。……ぼく、きいても、いい?」
「うん。なに?」
「レン、ちかごろ、まちのひとに。『まもってくれ』って、いわれてるでしょ」
……聞いていたのか。私は、少し驚いた。
「うん。まあ、そうだね」
「レン。……こまってる。ひとりで、かんがえこんでる。……ぼく、みてて、わかる」
ティルは、まっすぐに私を見た。金色の目に、いつものあどけなさとは違う、何かが宿っていた。
「レンは、いつも、そう。……ぜんぶ、ひとりで、しょいこむ。ぼくを、まもるときも。ヒノを、まもるときも。まちのひとを、まもるときも。……ぜんぶ、レン、ひとりで」
その言葉が、ぐさりと胸に刺さった。
子どもの、たどたどしい言葉のはずなのに。ネルさんに言われたことと同じ、いや、それ以上にまっすぐに、私のいちばん痛いところを突いてきた。
「ぼく、ずっと、まもられてた。レンに。……でも、ぼく、もう、ちいさくないよ」
ティルは、ぎゅっと拳を握った。
「ぼくも、レンを、まもりたい。レンの、にもつ。……ぼくにも、もたせて」
◇
私は、しばらく言葉が出なかった。
守られる子だった、ティル。里で殴られ、飢えさせられ、置き去りにされた、あの子。「出来損ない」と呼ばれ続けた、あの子が。
今、私に、「あなたを守りたい」と言っている。「荷物を、持たせて」と。
……いつのまに、こんなに大きくなったんだろう。
「……ティル」
私はしゃがんで、ティルと目線を合わせた。もう、あんまり屈まなくてもいい。この子も私も、少しずつ大きくなった。
「ありがとう。……あなたの、その気持ち。すごく、嬉しい」
「じゃあ」
「でも。……あなたには、まだ、背負わせたくないな」
言った瞬間。ティルの顔が、くしゃっと歪んだ。
「……なんで。ぼく、やくに、たたない? やっぱり、できそこない、だから……?」
「違う! 違うよ、ティル」
私は、慌てて、ティルの両肩を掴んだ。
しまった。この子は、すぐこう考える。「役に立てない自分は、いらない子だ」と。里で刻み込まれた呪いだ。私の言い方が、その古傷を抉ってしまった。
「あなたは、役に立つ。すごく、立ってる。……ただ、私が、あなたにつらい思いをさせたくないだけ。あなたは、もう、じゅうぶん、しんどい思いをしてきたから」
「……でも。レンだって、しんどいでしょ」
ティルの目から、ぽろりと涙がこぼれた。
「レン、いつも、しんどいの、かくす。だいじょうぶって、いう。……でも、ぼく、しってる。レンも、まもられたいはず。だれかに、よりかかりたいはず。……ぼくじゃ、だめ?」
◇
――ずるい。
この子は、ときどき、こうやって。私のいちばん柔らかいところに、まっすぐ優しさを差し込んでくる。
私はたぶん、この子に教えてきた。「一人じゃない」と。「頼っていい」と。「あなたは、いてくれるだけでいい」と。
……その、ぜんぶが。今、そっくりそのまま、私に返ってきていた。
誰かに、頼っていい。一人で、背負わなくていい。
私が、この子にあげたかった言葉を。今、この子が、私にくれている。
「……ティル」
気づいたら、私は、この子をぎゅっと抱きしめていた。
あたたかい。小さいけれど、確かにたくましくなった体。私が拾った、あの寒い夜には、骨と皮ばかりで震えていた、この子が。今は、こんなにあたたかく。私を抱きしめ返してくれる。
「……ごめんね。私、ずっと、一人で抱えてた。あなたに、心配、かけてたね」
「うん。……かけてた」
「……うん。そうだね」
私は笑った。少しだけ、涙声で。
「じゃあ、これから。……少しずつ、あなたにも話すね。私が困ってること。悩んでること。……一人で抱え込まないように、するから」
「ほんと!?」
「うん。ほんと。……あなたが、私を守りたいって言ってくれたみたいに。私も、あなたに寄りかかる練習、してみる」
ティルの顔が、涙でぐしゃぐしゃのまま、ぱあっと輝いた。
その顔を見ていたら。私の胸の奥で、ずっと固く結ばれていた何かが、ほんの少し、ほどけた気がした。
◇
その夜。私たちは、いつもより少しだけ、あたたかい夕食を囲んだ。
ティルの好きなものを、たくさん作った。甘い木の実の煮込み。ふっくら蒸した野菜。ヒノの好きな上等なお肉も。
「いただきます」
二人と一匹の声が、重なる。
食べながら、私は、ティルに少しだけ話した。街の人に、守り神になってほしいと言われていること。それが、少し重たいこと。……この街にいることで、みんなを危ない目に遭わせるかもしれない、こと。
全部は、話さなかった。移住のことは、まだ言えなかった。でも、今まで一人で飲み込んでいたことを、少しだけ口に出せた。それだけで、胸の奥が、ほんの少し軽くなった気がした。
ティルは、真剣な顔で聞いていた。難しい話は、全部はわからなかっただろう。でも。
「……レン。なにが、あっても。ぼく、レンの、そばに、いるからね」
そう言って、私の手を、ぎゅっと握った。
その、小さな手のあたたかさが、今夜は、いつもよりずっと頼もしく感じられた。
◇
ティルとヒノが寝静まったあと。
私はまた、かまどの火を見つめた。でも、昨日ほど、胸はざわついていなかった。
答えは、まだ出ていない。街のことも。移住のことも。重たい荷物は、まだ、私の背中に乗ったままだ。
でも。
一人じゃ、ない。
そのたった一つの事実が、こんなにも心をあたためるなんて。……私は、ずっと知らなかった。前世でも。この世界に来てからも。ずっと、一人で抱えるのが当たり前だと思っていた。
ティルが、教えてくれた。守られるだけだった、あの子が。「荷物を、持たせて」と。
……私も。少しずつ、練習しよう。誰かに頼ること。背負ってもらうこと。
それはたぶん、繭を張ることよりも、ずっと難しくて、ずっと大事な力だ。
私は、寝床の二つの寝顔をそっと見つめて。今夜は、昨日より少しだけ深く眠れそうな気がした。
――もっとも。そのあたたかい決意が試される日は、もうすぐそこまで迫っていた。帝国が、いよいよ本格的に動き出す、その報せが。翌日、この街に届くことを。このときの私は、まだ知らなかったのだ。
お読みいただきありがとうございます。
「ぼくにも、もたせて」。レンがティルに贈ってきた言葉が、今度は、そっくりそのまま、レンに返ってきます。誰かに頼ること、背負ってもらうこと。それは、伝説の繭よりも、ずっと難しくて、ずっと大事な力なのかもしれません。
次話――帝国、本格始動の報せ。あたたかい日々に、いよいよ、決断の刻が近づきます。
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