第35話 責任って、いちばん重いですよね
国の兵を退けた噂が広まり、街の人々は、レンを“守り神”に祭り上げようとします。
すがるような目、期待という名の鎖。……それは、前世のレンを壊した、いちばん重い荷物でした。
斥候を路地で追い払った、その翌々日。
街の様子が、少しだけ変わっていた。
露店に並ぶ人たちの目に、これまでとは違う色が混じっている。感謝でも、憧れでもない。もっと切実な――すがるような色だ。
「聖女様。……聞きましたよ。国の兵を、たった一人で追い返したそうじゃないですか」
最初にそう切り出したのは、常連の職人だった。
「剣で斬りかかられても、かすり傷ひとつつかなかったって。……ねえ、聖女様。あなたがいてくれれば、もし帝国が攻めてきても、この街は安全なんじゃないですか」
――ああ。
私は、おたまを持つ手を止めそうになった。かろうじて、いつもの間の抜けた笑顔を顔に貼りつける。
「はは。……買いかぶりすぎですよ。私、ただの料理人ですから」
「またまた。ご謙遜を」
職人は笑った。悪気なんて、これっぽっちもない笑顔で。
でも、その後ろに並んだ人たちも、みんな、同じ目をしていた。「聖女様なら」「聖女様さえいれば」。その言葉が、列のあちこちで、さざなみみたいに広がっていく。
……この感じ。
私は知っている。痛いほど、知っている。
◇
その日を境に、街の空気は、はっきりと動き出した。
もともと、帝国の影に怯えていた街だ。斥候がうろつき、不穏な噂が流れて、みんな、どこかで身構えていた。そこへ、「聖女様が国の兵を退けた」という話が転がり込んだ。
溺れかけた人が、藁をつかむみたいに。街の人たちは、私にすがり始めた。
「どうか、この街の守り神に」
「聖女様がいてくれるだけで、みんな、安心なんです」
自警団をまとめている顔役の男が、わざわざ露店まで、頭を下げに来たりもした。
「聖女様。厚かましいお願いだが……いざというとき、この街を守ってはもらえんだろうか。あんたの、あの力があれば。帝国が来ても、わしらは戦える」
その、まっすぐな目を見て、私は言葉に詰まった。
断れば、この人たちを突き放すことになる。冬を支え合った、大切な街の人たちを。
でも――頷けば。
私はまた、"みんなの期待"を背負うことになる。
「……少し、考えさせてください」
やっとのことで、私はそう返した。顔役は「もちろんだ。無理は言わん」と、恐縮しながら帰っていった。いい人だ。みんな、いい人なのだ。だからこそ、たちが悪い。
露店を片付けながら、私はこっそり、ため息をついた。
冷害の冬を、一緒に乗り越えた。だからこそ、みんな、私を頼ってくれる。それは、嬉しいことのはずだった。なのに、その"頼られる"が、こんなにも、重い。
◇
その夜。箱庭で、私は一人、かまどの火を見つめていた。
ティルもヒノも、もう眠っている。あたたかい寝息が、部屋に二つ重なっている。それを聞いていても、今夜は、胸の奥がざわついて、静まらなかった。
守り神。
街を、守ってほしい。
……その言葉を聞くたびに、前世の記憶が、じくじくとうずく。
「君ならできるよね」。「君に任せれば、安心だ」。「君がいないと、回らないんだ」。
あの頃の私も、そう言われた。最初は嬉しかった。頼られるのが。必要とされるのが。だから、断れなかった。断ったら、みんなが困る。私が、なんとかしなきゃ。そうやって、一つ、また一つと荷物を背負い込んで。
気づいたときには、もう、下ろし方がわからなくなっていた。
そして、あの深夜の非常階段で。冷えたおにぎりを片手に、私の電池は、ぷつりと切れた。
……また、同じことをしようとしている。
私は、そのことに気づいていた。気づいていて、なお、断り切れずにいる自分にも。
だって、放っておけない。目の前で、誰かが怯えている。私には繭がある。守れる力が、ある。それなら――背負えばいい。私一人が我慢すれば、みんなが安心できるなら。
……そういう考え方が、私を殺したのに。
火の粉が、ぱち、と爆ぜた。その小さな音が、やけに大きく、部屋に響いた。
◇
翌日。こっそり、ネルさんが箱庭を訪ねてきた。
私の顔をひと目見るなり、ネルさんは眉をひそめた。
「……レンちゃん。あなた、ひどい顔してるわよ」
「そうですか? ……ちゃんと、寝たつもりなんですけど」
「嘘。目の下、まっくろ。……街のこと、でしょ。守り神になれって話」
さすが、耳が早い。私は苦笑して、あたたかいお茶をネルさんの前に置いた。
「……参りましたよ。断りたいのに、断れなくて。みんな、悪気がないから、余計に」
「で。どうするの」
「……たぶん、引き受けます。私が街の前に立てば、みんな、安心する。繭があれば、私は傷つかない。だったら――私が、なんとかすればいいのかなって」
言い終わる前に、ネルさんが湯呑みを、こつん、と置いた。
その音が、やけに響いた。
「……ねえ。それ、昔の私と、そっくり」
ネルさんは、じっと私を見た。いつもの軽口じゃない。真剣な目だった。
「『私が、なんとかすればいい』。『私が、我慢すればいい』。……その顔よ。倒れる直前の、私がしていた顔」
どきり、とした。
「あなた、前に言ったわよね。前世で、便利な道具になって、壊れたって。……なのに、また、同じことしようとしてる。一人でぜんぶ背負って、誰にも頼らないで」
「……でも。私には、力があるから」
「力があるから、って、なんでも一人で背負っていい理由には、ならないでしょ」
ネルさんの声が、少しだけやわらかくなった。
「あのね、レンちゃん。守るとか、守られるとか。そういうの、一人で決めなくていいの。……あなたがこの街を大事に思うのと、同じくらい。この街も、あなたを大事に思ってる。それ、忘れないで」
私は、何も言えなかった。ただ、あたたかいお茶の湯気を、ぼんやりと見つめていた。頭では、ネルさんの言うことが、正しいと、わかっている。わかっているのに、私の手は、どうしても、荷物を下ろせなかった。
◇
ネルさんが帰ったあとも、私はしばらく、その言葉を噛みしめていた。
一人で、背負わなくていい。
……頭では、わかる。わかるのに。
なぜだろう、と考えて、ふと気づいた。
私はたぶん、怖いのだ。
誰かに頼ること。背負ってもらうこと。それは、その人に"迷惑をかける"ことだと、前世の私は、そう刷り込まれていた。だから、いつも一人で抱えた。誰にも寄りかからずに。そのほうが楽だと思っていた。……本当は、いちばんしんどいやり方だったのに。
そして、もうひとつ。もっと、根の深い問題があった。
仮に、私が街の守り神になったとして。
帝国は、どうするだろう。
……決まっている。この街を、狙う。「聖女は、この街を守っている」とわかれば、帝国は、街ごと私を手に入れようとする。私を守り神にすることは――この街を、標的のど真ん中に据えることに、ほかならない。
守るつもりが、危険に晒す。
なんて、皮肉な話だろう。
私がこの街にいればいるほど、この街は、危なくなる。それが、"守り神"の正体だ。
……その考えに行き着いたとき、私の胸に、冷たい石が一つ、落ちた。
◇
その夜も、私はなかなか寝つけなかった。
寝床では、ティルがヒノの背中にもたれて、すやすやと眠っている。この子たちの、穏やかな寝顔。この、あたたかい食卓。それを守りたい。ただ、それだけなのに。
守ろうとすればするほど、答えは、私を望まない方向へ押していく。
「……責任って。いちばん、重いなあ」
私は、暗闇の中で、ぽつりと呟いた。
前世でも、いちばん嫌いだったものだ。責任。期待。「あなたなら」の一言で、背中に積み上げられていく、見えない荷物。それに押し潰されて、私は死んだ。
なのに、この世界でも、また。私は、その、いちばん重い荷物を背負おうとしている。しかも今度は――背負えば、大切な人を危険に晒す、という、おまけつきで。
答えは、たぶん、もう出かかっている。
私は、この街の守り神になっては、いけない。むしろ、逆だ。この街を守るためには――私が、この街から消えるしかない。
そうすれば、帝国は、この街に用がなくなる。追うのは、私だけ。街の人たちは、平穏な日々に戻れる。
……わかっている。頭では、ちゃんとわかっている。
でも。
私はまだ、その答えを、口に出せずにいた。この、あたたかい暮らしを手放す決心が、どうしてもつかなかった。
ティルの、小さな寝息。ヒノの、あたたかい体温。ネルさんの、心配そうな顔。ジオじいさんの、皺だらけの笑顔。ガーゴさんの、豪快な声。……ようやく、手に入れた、ぜんぶ。
それを、自分から手放すなんて。
「……もう少し。もう少しだけ」
私は、自分に言い聞かせるように呟いて、目を閉じた。
一人で背負う癖は、そう簡単には抜けない。誰かに寄りかかる勇気も、まだ、持てない。
だから私は、今夜も。この重すぎる荷物を、一人で抱えたまま。浅い眠りに落ちていった。
……その頑なな、"一人で背負う癖"が、いつか、私自身を、いちばん苦しめることになるなんて。このときの私は、まだ気づいていなかったのだ。
お読みいただきありがとうございます。
「私が、なんとかすればいい」――その、一人で背負う癖こそ、レンのいちばん深い傷であり、この物語の“真ん中のテーマ”です。守ろうとするほど、街を危険に晒してしまう。その皮肉に、レンは静かに追い詰められていきます。
次話――守られるだけだった、あの子が。「荷物を、持たせて」と、まっすぐに手を差し出します。
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