第34話 繭の中は、いつでも安全地帯
人気のない路地で、斥候たちがレンを取り囲みます。
剣も、棒も、投げ縄も――【硝子の繭】の前では、そよ風ほどの意味もありません。
斥候が鑑定をしかけてきた、翌日。
やはり、というべきか。向こうは次の手に出てきた。
もっと直接的で、もっと乱暴な手に。
◇
その日、私とティルが買い出しの帰りに、人気のない路地を通りかかったときだった。
ティルがふいに足を止めて、鼻をひくつかせた。
「レン……におい。あの、こわい人たちの、におい。……たくさん」
次の瞬間。
路地の両側から、数人の男がぬっと姿を現した。あの斥候たちだ。腰には剣。目には、“獲物を追い詰めた”という冷たい光。
……なるほど。囲んできたか。
「聖女様。……少し、お時間をいただこう。抵抗しなければ、手荒にはしない」
男の一人がそう言って、じり、と距離を詰めてくる。
……なるほど。人気のない路地を狙ったのは、街の人に見られないためか。ここでなら多少手荒にしても、誰にも咎められない。
いやなやり口だ。でも――冷静に考えれば、向こうにとってもこれは“賭け”だ。私が本当に規格外の力を持っているのか。それを確かめるために、あえて攻撃を仕掛けてくる。私の反応を見るために。
……つまり、これは試験だ。私が“ただの子ども”か、“それ以上か”を見極めるための。
ティルが真っ青になって、私の背中にしがみついた。その震える手を、私はそっと握った。
私はそっとティルを自分の後ろへ庇った。そして――いつもの退屈そうな声で呟いた。
「【硝子の繭】」
ふわり、と。私の体を、儚げな光の膜が包んだ。
◇
「……なんだ、その光は」
男たちが一瞬、警戒する。でも、すぐに「はったりだ」と判断したらしい。一人が剣の柄に手をかけて。
「馬鹿な子どもだ。……大人しくしていればいいものを」
男が剣を抜いて、その峰で、私の肩を打ち据えようとした。(さすがに子ども相手に刃は向けないらしい。良心があるのか、ないのか。)
鋼の刃が、私の肩に振り下ろされる。
――かきん。
乾いた音がした。
剣は、私を包む光の膜に触れた瞬間、まるで鋼鉄の壁を打ったみたいに跳ね返された。
男の顔が、ぽかん、とした。
私は一歩も動かず、髪の毛一本乱れることもなく、ただ退屈そうに立っていた。
「……あの。痛くないので、何度やっても無駄ですよ」
◇
男たちは色めき立った。
「な、なんだ、今のは!」
「くそっ、まぐれだ! もう一度!」
次々と、斥候たちが私に襲いかかる。剣で打つ。棒で殴る。投げ縄をかけようとする。
でも――どれも、私を包む繭に触れた瞬間、ぜんぶ弾かれた。
【硝子の繭】は、あらゆる物理・魔法の攻撃を百パーセント無効化する。神様の攻撃だって通さないと言われる、伝説級の盾。斥候の剣くらいで、どうにかなるはずがない。
私はその嵐のような攻撃の真ん中で、ただ静かに立ち続けていた。まるでそよ風の中にいるみたいに。退屈で、あくびが出そうだった。
困ったのは、私が“反撃”をしないことだった。
私の【硝子の繭】は、守ることしかできない。攻撃力はゼロ。だから私には、この男たちを倒すことはできない。(まあ、倒す気もないけれど。)
でも、逆に言えば、私はただ立っているだけで無敵なのだ。何をされても効かない。だったら、慌てる必要も、反撃する必要もない。ただ相手が疲れて諦めるのを、のんびり待てばいい。
私はティルをしっかり繭の中に庇いながら、攻撃の嵐の中を、すたすたと路地の出口へ歩き始めた。
男たちが慌てて道を塞ごうとする。でも、私が繭を張ったまま進めば、ぶつかった男のほうが逆に弾かれて、尻もちをつく。まるで動く鉄壁だ。
「ど、退け……くそっ、なんなんだ、こいつは!」
「……あの。もう終わりですか? 私、買ったお肉、早く冷蔵しないと傷んじゃうんですけど」
私がのんびりそう言うと、男たちはぞっとした顔で後ずさった。
全力の攻撃を何十発も浴びせて、かすり傷ひとつつかない子ども。それが退屈そうに、買い物の心配をしている。……人間業とは思えない光景だ。
◇
「ひ、退け……退けっ!」
斥候たちは恐慌をきたして逃げていった。剣を取り落とす者すらいた。
あとには、困惑と恐怖の余韻だけが残った。
……ふう。私は繭を解いて、小さく息を吐いた。
正直に言えば、少しだけ心臓がどきどきしていた。攻撃は効かない。それは頭ではわかっている。でも、大の男が数人がかりで剣を振り下ろしてくれば、やっぱり体は少し身構える。……前世で染みついた“危険には近づくな”という本能は、そう簡単には消えない。
でも――繭は、今日も完璧に私を守ってくれた。かすり傷ひとつない。その確かな事実が、私の震えをすぐに鎮めてくれた。
「……レン。すごい。ぜんぜん、へいき、だった」
ティルが私の背中からそっと顔を出して、目をまんまるにしていた。
「うん。……私、絶対に傷つかないから。何が来ても平気なの。……だからね、あなたは私の後ろにいれば、絶対安全。この繭の中は、いつでもどこでも、世界でいちばん安全な場所なんだ」
私はそう言って、ティルの頭を撫でた。
繭の中は安全地帯。……たとえ国の兵に囲まれても、たとえ剣を向けられても、私と、私が守ると決めた者は、絶対に傷つかない。
それは、私がこの世界で授かった、いちばん頼もしい力だった。「痛いのは嫌」。その切実すぎる願いが形になった、伝説の盾。
「レン、かっこよかった。……ぜんぜんこわがらなくて。まるで、おとぎばなしの、まもりの、けんし、みたい」
ティルが興奮気味に言った。さっきまで震えていたのに、もうけろっとしている。……子どもの切り替えの早さは、羨ましい。
「剣士じゃないよ。だって私、剣、持ってないもん。……ただ、“殴られても痛くない人”なだけ」
「でも、それって、せかいでいちばんつよいんじゃない?」
ティルの無邪気な言葉に、私は少し考えて、それから笑った。
「……どうかな。強い、とはちょっと違う気がする。私、誰かを倒すことはできないから。……ただ、“守る”ことだけは、世界一得意かもね」
守ることしかできない。攻撃はゼロ。……でも、それでいいと思う。私は誰かを傷つけたいわけじゃない。ただ、大切なものを傷つけさせたくない。それだけなのだから。
攻撃力ゼロの絶対防御。……なんて私らしい力だろう。痛いのが嫌で、誰かが傷つくのも嫌で、だから“ただ守るだけ”の力を授かった。神様もなかなか、私のことをわかっている。
◇
でも、手放しで喜べる状況ではなかった。
「……まずいな」
逃げていく斥候の背中を見ながら、私は呟いた。
あんなに派手に、攻撃が効かないところを見せてしまった。……これで向こうは確信するだろう。「あの聖女は“ただの子ども”じゃない」と。何か規格外の力を持っている、と。
鑑定では「ランク1」としか出ない。でも実際には、剣も魔法も通さない。……この矛盾こそが、帝国がいちばん欲しがる“証拠”だ。
逃げていった斥候たちは、震える手でこの光景を報告するだろう。「あの聖女はあらゆる攻撃を無効化する。鑑定は“ランク1”なのに、剣も魔法も効かない」と。
それは帝国にとって、喉から手が出るほど欲しい“力”だ。一軍の兵に傷ひとつ負わせない、絶対防御。……それを“国家資源”として囲い込みたいはずだ。
「これで帝国は本気で動く。……“回収する価値がある”って判断される」
私は静かにそう悟った。
のらりくらり、とぼける作戦はもう通用しない。攻撃が効かないところをこれだけはっきり見せてしまえば、「まぐれ」では押し通せない。
……潮時が近い。そう思った。
◇
その夜。箱庭で、私は一人、かまどの火を眺めながら考え込んでいた。
今日のことで、帝国は確信するだろう。「あの聖女は“ただの子ども”じゃない」と。……もう、“のらりくらり”では済まない。近いうちに、もっと大きな力が、この街に押し寄せてくる。
繭があれば、私は傷つかない。捕まらない。それは確かだ。
でも――問題はそこじゃない。
私がこの街にいる限り、帝国はこの街を狙う。私を探して、街の人を脅したり、乱暴を働いたり。……最悪、街ごと囲まれるかもしれない。ネルさんが言っていた。帝国は“確実だ”と踏めば、容赦なく来る、と。
私は逃げられる。傷つかない。でも、ジオじいさんは。女将さんは。ガーゴさんは。……街のみんなは違う。普通の人間だ。
私のせいで、このあたたかい街が兵に踏み荒らされる。……それだけは、絶対に嫌だった。
だとしたら、答えはひとつしかない。
――私が、この街から消えること。
そうすれば、帝国はこの街に用がなくなる。追うのは私だけ。……皮肉な話だ。このあたたかい場所を守るために、私はここを去らなければならない。
……でも。
私はまだ、決心がつかなかった。
この街での暮らし。ティルと出会って、ヒノと家族になって、ネルさんやジオじいさんと笑い合って。……ようやく手に入れたあたたかい日々。それを手放すのは、あまりにつらかった。
「……まだ、大丈夫。まだ、ぎりぎりまではここにいられる」
私は自分に言い聞かせるように呟いた。
繭の中は安全地帯。でも、その繭は街のみんなまでは守れない。……その当たり前の事実が、じわじわと私の背中を“その日”へと押していく。
寝床ですやすやと眠るティルとヒノ。その穏やかな寝顔を見ながら、私は思った。
……この子たちと、もう少しだけ、このあたたかい街で過ごしていたい。
でも、その“もう少し”がそう長くは続かないことも、私は心のどこかでちゃんとわかっていた。
別れの足音は、もうすぐそこまで、静かに近づいていた。
お読みいただきありがとうございます。
「守ることしか、できない。攻撃はゼロ。……でも、それでいい」。誰かを倒す力ではなく、大切なものを傷つけさせない力。攻撃力ゼロの絶対防御こそ、いちばんレンらしい力です。
――でも、これで帝国は確信する。“回収する価値がある”と。あたたかい街との別れが、いよいよ近づきます。
次話――守護者に祭り上げられ、レンは“一人で背負う癖”と向き合います。
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