第33話 わたし、嘘はついていません
帝国の斥候が、ついにレンを鑑定にかけます。
映るのは「ランク1・調理」だけ――でも、ティルを庇った一瞬、正体がちらりと綻びます。
監視の気配が濃くなって、数日。
とうとう向こうから、しびれを切らしたらしい。
その日、露店の前に、あの斥候の一人がふらりと立った。旅装の男。感情の読めない目。前に密偵が見せたのと同じ、あの目だ。
「……スープを一杯、もらおう」
男はそう言って、じっと私を見た。
……来た。
この数日、ずっと遠くから感じていた視線。それがとうとう、目の前に立った。
周りの行列の常連たちは、まだ気づいていない。いつも通り和やかに、スープを待っている。この穏やかな日常の中に、冷たい刃みたいな男が一人、混じっている。
私はいつも通りの無害な笑顔を作った。心臓は少し嫌な音を立てていたけれど、表には出さない。前世でいちばん鍛えられた技だ。理不尽な上司の前で平然と笑ってみせる、あのスキル。
こういうときの鉄則は決まっている。慌てない。動じない。いつも通りに振る舞う。……“やましいことは何もない”という顔で。実際、私は嘘をついていないのだから、堂々としていればいい。
「はい、スープです。銅貨一枚。……ただの料理ですけど」
男は器を受け取った。でも、飲まない。じっと匂いを嗅いで、それから懐から、小さな水晶のようなものを取り出した。
……鑑定用の道具だ。
男はそれを私に向けた。私のスキルを、その場で鑑定するつもりだ。
◇
私は内心で、すっと意識を集中した。
落ち着け、私。……鑑定は今、“起動しているスキル”しか映さない。だから私は、料理以外のスキルを絶対に使わない。指一本、動かさない。
【硝子の繭】は常時発動だけど、あれは鑑定には“エラー”としか出ない。伝説級すぎて、水晶が処理落ちする。だから映るのは「ランク1・調理」だけ。
水晶が私に向けられる。
……この瞬間が、いちばんの正念場だ。
私は心の中で、四つのスキルをぜんぶ器の奥に沈めた。料理の【秘密の隠し味】だけを表に残して。他の三つは息を殺すように、じっと動かさない。
特に【硝子の繭】。あれは常時発動している。消せない。でも――伝説級すぎて、鑑定水晶では“読めない”。処理落ちして、「エラー」か「ランク1」としか表示されない。……それが逆に、私を守ってくれる。
こういうときの私は、前世の経験が活きる。査察。監査。抜き打ちチェック。……そういう“疑いの目”の前で平然としていること。それは社畜時代に、嫌というほど鍛えられた。やましいことがなくても、疑われれば心臓は跳ねる。でも顔には出さない。淡々と、事実だけを差し出す。
男の水晶が、淡く光った。
男はその表示をじっと見て――眉をひそめた。
「……ランク1。調理。……ふん。噂の聖女が、こんなはずはない」
「あら。何か期待、されてました?」
私はあくまでのんびりと答えた。
「私はただの、料理が得意なだけの子ですよ。ギルドにもそう登録されています。……疑うなら、受付で記録を確認なさってください」
「……鑑定の記録がどうであれ、あのみなぎる力は、説明がつかん」
「さあ。……美味しいものを食べると元気が出る。それは当たり前の話じゃないですか?」
私は嘘をひとつもついていない。ただ、本当のことの外側だけを見せている。鑑定は「ランク1・調理」。それは揺るがない事実。この事実がある限り、私はどんなに疑われても崩れない。
嘘をついていない人間は強い。追及されても揺らがない。……前世で嘘の報告書に胃を痛め続けた私だからこそ、それが痛いほどわかる。
◇
男はしばらく、私を睨んでいた。
私が少しも動じないのを見て、探るように、次の手を考えている。
やがて男は、ちらり、と視線を私の後ろへ移した。
――ティルだ。
露店の片付けを手伝っていたティルに、男の冷たい視線が向く。
「……そこの竜鱗族の子ども。ずいぶんと珍しい。……鑑定させてもらおうか」
男が水晶を、ティルに向けようとした。
その瞬間だった。
私の中で何かが、ひやり、と冷たくなった。
この子を値踏みされる。この子を“商品”として測られる。……それだけは、だめだ。
思わず私は、ティルを庇おうと身を乗り出した。そして――ほんの一瞬。ほんのコンマ数秒。
【特等席のお嬢様】が、反射的に起動しかけた。
男とティルの間に、私の意識が割り込む。その視界を支配しかける、力の片鱗。
――しまった。
私は慌てて、それを引っ込めた。でも。
男の水晶が、ほんの一瞬。ちかっ、と、別の色に瞬いた。
◇
男の目が、すっと細くなった。
「……今のは」
「……? どうかしましたか?」
私は必死で、何食わぬ顔を作った。心臓が口から飛び出そうだった。
……見られた。ほんの一瞬だけど、私が別のスキルを起動しかけた、その片鱗を。
でも――男は確信は持てないでいる。あまりに一瞬すぎた。水晶の瞬きも、彼が見間違えた可能性もある。断定するには、証拠が弱すぎる。
私はその隙を突いた。
「あの。……お客さん。スープ、冷めちゃいますよ。飲まないなら、次の方に譲っていただけます? 行列、できてるので」
私はあくまで“営業中の料理人”を演じた。動揺なんてしていない、というふうに。むしろ少し、迷惑そうに。
男はしばらく私を見つめて、それから、ふ、と銅貨を置いて。
「……いや。失礼した。……美味いスープだった」
そう言って、彼は背を向けた。飲んでもいないのに、「美味かった」なんて。……嫌味な男だ。
でも、その背中には、明らかに“何かを掴んだ”という確信めいた気配が滲んでいた。
◇
男が去ったあと。
私はふう、と、詰めていた息を吐いた。膝が少し笑っていた。
「レン……だいじょうぶ? かおいろ、わるい」
ティルが心配そうに、私の顔を覗き込む。
「……うん。大丈夫。ちょっと、危なかったけどね」
私はティルの頭を撫でた。
……綱渡りだった。あと一歩間違えれば、私の正体がバレていた。ティルを庇おうとして、反射的に力を使いかけた。あれは、私の油断だ。
でも同時に、私は思い知った。
……ティルのことになると、私は冷静でいられなくなる。この子を守ろうとすると、頭より先に、体が力を使おうとする。
それは私のいちばんの弱点かもしれない。でも同時に、いちばん大事な“譲れないもの”の証でもあった。
「レン。……ぼくのせいで、あぶなくなった? ぼくがいるから、レン、ばれそうに……」
ティルの声が、少し震えていた。自分のせいで私が危険になったと、責任を感じているのだ。
私はティルの両肩を掴んで、まっすぐ目を見た。
「違うよ、ティル。あなたのせいじゃ、絶対にない。……私があなたを守りたくて動いた。それは私がそうしたかったから。あなたがいるから危なくなったんじゃなくて、あなたがいるから私は頑張れるの。……わかる?」
「……でも」
「でも、じゃない。……あなたは私の大事な家族。守るのは当たり前。あなたが責任を感じることなんて、ひとつもないの」
ティルの金色の目に、じわりと涙が滲んだ。それから、こくり、と小さく頷いた。
……この子はすぐ、こうやって自分を責めようとする。里でずっと「お前が悪い」と言われ続けた癖だ。だから私は何度でも言う。「あなたは悪くない」と。「あなたがいてくれてよかった」と。
◇
その夜、ネルさんがこっそり箱庭を訪ねてきた。
「レンちゃん。……昼間のあれ、見てたわ。斥候に鑑定されかけたでしょ」
「……はい。なんとか切り抜けましたけど。……ちょっと、綻びも見せちゃって」
「そう。……もう、時間の問題かもね」
ネルさんの顔は深刻だった。
「あいつら、確信を持てないでいる。でも“怪しい”とは思ってる。……このまま監視を続けて、決定的な証拠を掴もうとするはず。あるいは……もっと手荒な手段に出るか」
「手荒な手段?」
「あなたを直接“試す”のよ。攻撃したり、ティルちゃんを人質に取ったり。……あなたが“ただの子ども”じゃないと証明させるために」
その言葉に、私はぞっとした。
でも――同時に、少しだけ冷静にもなっていた。
「……ネルさん。もし向こうが手荒に来るなら、それは逆に、私のいちばん得意な“土俵”かもしれません」
「……どういうこと?」
「私、絶対に傷つかないので、どんな攻撃も効かない。……もし向こうが私を攻撃してきたら、それを“のらりくらり”といなして。『ただのまぐれ』『ただの幸運』だって、とぼけ続ければ……向こうは逆に困るはずです」
嘘はつかない。ただ、“何も起きていないふり”をし続ける。攻撃が効かないのを「たまたま」で押し通す。
それは確かに、私にしかできない綱渡りだった。
「……あなたって子は、ほんと規格外ね」
ネルさんはあきれたように笑って、それから少しだけ真面目な顔になった。
「でも……油断はしないで。相手は国よ。……いよいよあなたがこの街を離れる日が、近づいてる気がする」
その言葉に、私は静かに頷いた。
「……はい。覚悟はしています。……深層の隠れ家も、だいぶ住めるようになってきました。いざとなれば、いつでもあそこに移れます」
「そう。……準備があるなら、少しは安心ね。……でも、レンちゃん」
ネルさんは少し、寂しそうに言った。
「行っちゃう前に……ちゃんとお別れさせてよ。こそこそ消えるみたいな別れ方は嫌。あなたはこの街をあたためてくれた、大事な子なんだから。……ちゃんと笑って送り出させて」
その言葉が、じんと胸に染みた。
こそこそ逃げるんじゃない。ちゃんと別れを告げて、笑って旅立つ。……そういう別れを、この人は望んでくれている。
「……はい。約束します。そのときは、ちゃんとみなさんにご挨拶してから」
あたたかい、この街での暮らし。その終わりが、少しずつ近づいている。
……でも、まだだ。まだぎりぎりまで、私はここであたたかいごはんを作る。大切な人たちと笑う。それがなくなる、その日まで。
私はそう心に決めて、あたたかい箱庭の火を見つめた。窓の外は私が選んだ穏やかな夕暮れ。でも、その扉の向こうの現実の街には、冷たい影が着実に忍び寄っていた。
お読みいただきありがとうございます。
「嘘はつかず、見せる手札を選ぶ」。前世の“社畜の世渡り”が、疑いの目の前で家族を守る武器になります。でも、ティルのことになると冷静でいられない――それがレンの弱点であり、いちばん大事な“譲れないもの”。
次話――斥候が、もっと直接的な手段に。レンの【硝子の繭】が、真価を発揮します。
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