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痛いのも苦労するのも嫌なので、お家で美味しいご飯を作って静かに暮らしたい(※ただしダンジョン最深部)  作者: 翠碧ノ人


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第29話 静かな暮らしの、お値段

あたたかいものを作る。ただそれだけのことに、こんな“お値段”がついて回るなんて。

目立つことに、少しだけ弱気になったレンを、ティルとヒノが支えます。

 帝国の密偵が現れてから、私の心には、小さな、けれど消えない影が差していた。


 露店に立っていても、ふと視線を感じる。誰かが遠くから私を見ている気がする。……気のせいかもしれない。でも一度気になると、もう止まらなかった。


 あたたかいものを作って、誰かに食べてもらう。それだけのことだったのに。今はその一挙一動が、誰かに“監視”されているような、そんな心細さがあった。


 露店に立っていても、楽しくない。いつもなら、みんなの「美味しい」の一言で心があたたまるのに。今はその笑顔の向こうに、冷たい視線が隠れていないか、つい探してしまう。


 料理をするのが、私にとっていちばんの“癒し”だったはずなのに。その大好きな時間まで、監視の気配が濁らせていく。……それがいちばんつらかった。


 夜、眠るときも、ふと目が覚める。物音がするたびに、「帝国の兵が来たのでは」と心臓が跳ねる。


 もちろん、私には繭がある。何があっても傷つかない。理屈ではわかっている。でも――“また狙われる”という、その恐怖は、理屈じゃなかった。


 前世で擦り切れた心の傷が、うずくのだ。「できる奴」だと見つかって、国だの組織だのに目をつけられて、逃げられなくなって。……そういう恐怖を、私の心はまだ覚えている。


 あたたかい暮らしを手に入れた。大切な人もできた。……だからこそ、それを失うのが、前世よりもずっと怖かった。


    ◇


 その夜、箱庭で、私はぽつりと呟いた。


「……私が、ただの料理下手な、目立たない子だったら。こんなこと、なかったのかな」


 毒を出汁に変えなければ。硬い肉を蕩けさせなければ。飢えた人にスープを配らなければ。……私は目立たずに、静かに暮らせていたかもしれない。


 私の“料理の力”は、たくさんの人をあたためた。冬を越させた。笑顔にした。


 でも――その同じ力が、今、私を危険にさらしている。目立たなければ、狙われなかった。


 ……皮肉な話だ。


 人を幸せにする力。それがそのまま、自分を不幸にするかもしれない種になる。あたたかいものを作れば作るほど、私は狙われやすくなる。


 前世でもそうだった。「できる奴」は重宝される。頼られる。でも、その“できる”がそのまま、私を使い潰す理由になった。……有能さは、時に呪いだ。


 なら、いっそ、何もできない無能なふりをしていれば、楽だったのだろうか。あたたかいものなんて作らずに、誰にも関わらずに、息を潜めていれば。


 ……でも。そう考えて、私はすぐに首を横に振った。


 ……あたたかいものを作る、というだけのことに、こんな“お値段”がついて回るなんて。


 私は少し、ため息をついた。


    ◇


 昼間、露店を手伝いに来てくれたネルさんも、私の様子のおかしさに気づいた。


「レンちゃん。……なんか、元気ないわね。……例の監視の件、気にしてる?」


「……はい。少し」


「そうよね。……気にするな、って言っても無理よね。国に狙われてるんだもの」


 ネルさんは私の隣に腰を下ろして、少し考えてから言った。


「……あのね、レンちゃん。私、思うの。あなたは“目立ちすぎた”って後悔してるかもしれない。でも――もし、あなたが目立たずにいたら、この街はあの冷害の冬を越せなかった。ジオじいさんも、あの子も、今、生きてない。……あなたがあたたかいものを配ったから、この街は救われたのよ」


「……」


「だからね。……あなたの“目立った”ことは、失敗なんかじゃない。……たくさんの人を救った証よ。それだけは、忘れないで」


 その言葉が、少しだけ私の心を軽くした。……でもまだ、胸の奥の影は、完全には晴れなかった。


「レン、どうしたの? げんき、ない」


 夜、箱庭で、ティルが心配そうに私の顔を覗き込んだ。ヒノもそっと、あたたかい鼻先を私の手にすり寄せる。


 ……ああ。だめだ。この子たちに心配をかけて。


「ごめんね。……ちょっと、弱気になってた」


「レン、こわいの? ていこく」


「うん。……正直、怖い。……前世で私、“できる奴”だって目をつけられて、使い潰されて死んだから。……また、あんなふうになるのが怖いんだ」


 ティルにはたぶん、“前世”とか“使い潰される”とか、難しい言葉はわからない。でも、この子は、私の声の震えから何かを感じ取ったらしい。ぎゅっと私の手を握ってくれた。


 その小さな手のあたたかさが、少しだけ私の怯えを和らげる。


「……ぼく、むずかしいこと、わからない。でも、レンが、こわいのは、わかる。……ぼくも、さとを、おいだされたとき、すごく、こわかった。もう、どこにも、いばしょが、ないって」


 ティルは、ぽつり、ぽつりと続けた。


「でも、いま、ぼくには、レンが、いる。ヒノが、いる。おうちが、ある。……こわくても、ひとりじゃ、ないから。だいじょうぶ」


 ……この子は、私が教えたことを、ちゃんと自分のものにしていた。「一人じゃないから、大丈夫」。それは、私がこの子にあげたかった言葉。そして今、この子が、それを私に返してくれている。


 ティルはしばらく考えて、それからまっすぐ私を見て言った。


「でも、レン。……レンのごはんで、たくさんの人が、たすかった。ぼくも。ヒノも。ジオじいちゃんも。ネルねえちゃんも。……レンが、めだたなかったら。ぼくたち、みんな、いま、ここに、いないよ」


 その言葉に、私は、はっとした。


「レンの、りょうりの、ちからは、わるいものじゃ、ない。……たくさんの人を、しあわせにした、いいものだよ。それを、“めだつから、やめよう”なんて。……ぼくは、いやだ」


 まっすぐな、その言葉が、冷えかけていた私の心を、じんわりとあたためた。


 ……そうだ。この子は、私の料理で救われた一人だ。


 もし私が「目立ちたくない」からと、あの夜、ティルに二杯目をあげなかったら。この子はあの寒空の下で、飢えて死んでいたかもしれない。


 私の料理の力は、目立つ。狙われる。……でも、その力が、このあたたかい子を救った。


 だったら。……この力を恥じる必要はない。隠す必要もない。


「レン。……ぼくは、レンの、ごはんが、だいすき。レンが、めだっても、めだたなくても。ぼくは、レンの、みかた、だよ」


 ティルの金色の目が、まっすぐに私を見つめる。ヒノも、こくり、と頷いて、私の手にあたたかい鼻先を押しつけた。


 ……この子たちがいる。


 それだけで、私の心の冷たい影は、もうずいぶん薄れていた。


    ◇


 そうだ。私の料理の力は、悪いものじゃない。


 確かに、それは私を危険にさらす。目立たせる。狙われる。……“お値段”は高い。


 でも、その力で、私はティルを拾えた。ヒノを家族にできた。ジオじいさんを元気にして、ネルさんを救って、街の冬を越させた。


 もし目立たないために、この力を封印していたら。……このあたたかい繋がりは、ぜんぶ手に入らなかった。


 前世の私は「目立たないこと」を選んで、息を潜めて生きて、そして一人ぼっちで死んだ。冷たい静けさの中で、誰にも看取られずに。


 あれは“安全”だったのかもしれない。誰にも狙われず、誰にも傷つけられず。……でも同時に、誰にもあたためられもしなかった。


 私はもう、あんな暮らしには戻りたくない。狙われる危険を抱えてでも、あたたかい繋がりのある暮らしを選びたい。


 ……そう。私はもう選んでいるのだ。冷たい安全より、あたたかい危うさを。


 私はティルの頭を、そっと撫でた。


「……ありがとう、ティル。……そうだね。私の料理は、いいものだ。目立つのは怖いけど。……それでも私は、これからもあたたかいものを作る。誰かをあたためるために」


「うん!」


 ヒノも、そうだそうだ、と言うように、ぐるる、と鳴いた。


    ◇


 静かな暮らしには、“お値段”がある。目立てば、狙われる。あたためれば、羨まれる。……それはたぶん、変えられない。


 でも、その“お値段”を払ってでも、私はこのあたたかい暮らしを選ぶ。


 備えはする。用心もする。いざとなれば、あの地の底の隠れ家に逃げる。……でも、怯えて縮こまって、あたたかいものを作るのをやめたりはしない。


 それでは、前世と同じだ。誰にも関わらず、息を潜めて、冷たい静けさの中で擦り切れていく。……あんな暮らしには、二度と戻らない。


 私はあたたかい湯気の向こうの、ティルとヒノを見た。


 守るものがあるから、人は強くなれる。怖くても、前を向ける。


 一人ぼっちだった前世の私には、この強さはなかった。守るものがなかったから、だから簡単に折れた。……でも今は違う。守りたいものが、こんなにたくさんある。


 その夜、私は久しぶりに、ぐっすりと眠れた。


 監視の気配は、まだ消えていない。帝国の影も迫っている。何も解決していない。


 でも――心の持ちようが、変わっていた。


 怯えて縮こまるのをやめた。「目立ってしまった」と悔やむのをやめた。


 私はあたたかいものを作る。それはいいことだ。誰かを救うことだ。だから堂々と作る。……そして、もしその“いいこと”を奪いに来る者がいるのなら、ぜんぶ守り抜く。繭で。バフで。采配で。あたたかいごはんで。私にできるぜんぶで。


 静かな暮らしのお値段は高い。でも、それを守り抜くだけの理由が、今の私にはちゃんとあった。


 ……ティルと。ヒノと。ネルさんと。街のみんなと。このあたたかい食卓。


 それを守るためなら、私はいくらでも強くなれる。たとえ相手が国そのものだって。……怖くない。


 私はそう静かに心に誓って、あたたかい箱庭で目を閉じた。


お読みいただきありがとうございます。

「守るものがあるから、人は強くなれる」。一人ぼっちでは折れてしまったレンが、大切なもののために前を向く回でした。それでも彼女は、あたたかいものを作るのをやめません。

次話――不安な日々だからこそ。みんなで囲む、大きなお鍋の夜です。


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