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痛いのも苦労するのも嫌なので、お家で美味しいご飯を作って静かに暮らしたい(※ただしダンジョン最深部)  作者: 翠碧ノ人


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第27話 噂は、旅人が運ぶ

レンのスープに、料理の“いちばん大事な隠し味”を見抜いた、旅の吟遊詩人。

彼は、この物語を、行く先々で歌うと言いますが――。

 ある日、露店に旅の吟遊詩人が立ち寄った。


 あちこちの街を渡り歩いて、歌や物語を届けて回る旅人だ。使い込まれた竪琴を背負って、人の好さそうな笑顔をしている。


「やあ、お嬢さん。噂を聞いてね。この街に“食べると力が湧く、聖女様のスープ”があると。……ぜひ一杯いただきたい」


「はい、どうぞ。……ただの料理ですけど」


 私はいつものように、スープをよそって出した。


 詩人はひと口すすって――目を見開いた。


「……これは。……ああ、なんてあたたかい。……久しく忘れていた味だ」


 彼はしみじみとスープを味わった。ひと口、ひと口、まるでその味を記憶に刻みつけるみたいに、目を閉じて、ゆっくりと。


 その姿を見て、私は思った。この人はきっと、“あたたかいごはん”に飢えている人だ、と。お腹が空いているというのとは違う。心が、あたたかいものを求めている。


 旅暮らしは、あたたかい食事とは縁遠い。冷えた携行食をかじりながら、一人、街から街へ。宿に泊まれない夜は、星空の下で丸くなって眠る。……華やかに見える吟遊詩人の旅も、その実、寂しさと隣り合わせなのだ。


 その寂しさを、私は少し知っている。前世の私もそうだった。忙しさの中で、あたたかいものをあたたかいうちに食べる余裕なんてなかった。心が、ずっと乾いていた。


 だからこそ、私はこの詩人に、いちばんあたたかい一杯を出したかった。湯気をちょうどいい温度に整えて、心まであたたまるように。


「お嬢さん。……私はね、たくさんの街でたくさんの“美味い料理”を食べてきた。王侯貴族の宴の料理も口にしたことがある。でも……このスープはそれとは違う」


「違う、ですか?」


「ああ。……これには“作った人の優しさ”が入っている。食べる者を思うあたたかさが。……そういう料理は、めったにない。腕だけじゃ出せない味だ」


 その言葉に、私は少し照れて、それから嬉しくなった。


 ……この人はわかる人だ。料理のいちばん大事な“隠し味”を、ちゃんと味わってくれる。


 詩人は二杯目、三杯目とおかわりをして、すっかり機嫌が良くなった。それから、ぽつり、ぽつりと自分の旅の話をしてくれた。


 若い頃、故郷を飛び出して、歌ひとつを頼りに諸国を巡って。楽しいこともあったけれど、寂しい夜のほうがずっと多かった、と。


「……こうしてあたたかいものを食べさせてもらうと、ふと思うんだ。私もどこかに“帰る場所”が欲しかったのかもしれないって。……いや、年寄りの繰り言だがね」


 その言葉が、少し胸に刺さった。


 帰る場所。あたたかい食卓。……前世の私がいちばん欲しかったもの。この陽気な詩人も、本当はそれを探しながら旅を続けているのかもしれない。


「……よかったら、この街にいる間は、いつでも食べに来てください。あたたかいものを作りますから」


 私がそう言うと、詩人は少し驚いた顔をして、それからくしゃっと笑った。


「……ありがとう。お嬢さんは本当に優しいね。……その優しさが、スープの味に出てるんだな」


    ◇


 詩人はおかわりをしながら、私の料理をあれこれと褒めてくれた。「この発酵調味料の深みはなんだ」「この蒸し野菜の火の通り方は只事じゃない」と。……料理を本当にわかっている人に褒められるのは、何より嬉しい。


 私はつい乗せられて、深層で採れた珍しい食材の話や、発酵蔵の話まで、楽しく語ってしまった。詩人は目を輝かせて聞いていた。


「……お嬢さん。あなたは料理を心から愛しているんだね。その情熱が、そのまま味に出ている。……いやあ、いい店に巡り合えた」


「店、というほどのものじゃないですけど。……ただの露店です」


「露店でも屋台でも、あたたかい料理とあたたかい人がいれば、そこは立派な“人の集まる場所”さ。……この街があなたのおかげであたたかいのが、私にもよくわかるよ」


    ◇


 詩人はその日、街に泊まって、夜、酒場で一曲歌った。


 それは――“隅っこの聖女様”の歌だった。


 毒の水を出汁に変え、誰も食べられない肉を蕩けさせ、飢えた者にそっと一杯を差し出す。あたたかい料理で街を救った、小さな聖女の物語。


 詩人の澄んだ歌声と、竪琴の優しい調べが、酒場いっぱいに響き渡る。歌の中の“聖女様”は、実物よりずっと立派で美しくて、私はこそばゆくて仕方なかった。


 ……いや、あの。私、そんな大層なことしてないんですけど。ただ余り物でスープ煮てただけで。……なんて心の中でツッコんでも、歌はどんどん盛り上がっていく。


 酒場は大盛り上がりだった。みんな、「そうだそうだ」「聖女様はすごいんだ」と大喜び。ジオじいさんは涙ぐんで、ガーゴさんは「オレの聖女様だ!」となぜか自慢げだ。(あなたのじゃないですけど。)……私は隅っこで、いたたまれない気持ちでそれを聞いていた。


 ……嬉しいような、恥ずかしいような。


 歌が終わって、詩人は私のところに来て言った。


「お嬢さん。この歌、私が行く先々で歌わせてもらうよ。……こんなにあたたかい話、埋もれさせるのはもったいない。もっとたくさんの人に聞かせたい」


「え……そ、それはちょっと」


 目立つのは苦手だ。断ろうとしたけれど、詩人のそのキラキラした目を見たら断れなかった。彼は心から、この物語をいいものだと思ってくれている。


「……はい。あの、ほどほどにお願いします」


「はは、任せておいで。……ありがとう、聖女様。あなたのスープは、私の旅のいい思い出になるよ」


 翌朝、旅立つ詩人に、私はたっぷりの携行食を持たせた。日持ちする干し肉と、あたたかいスープの素になる発酵調味料と、それから、道中で疲れたときに食べる甘い焼き菓子を。


「これ、旅のお供に。……あたたかいものが食べたくなったら、このお湯にこれを溶かすだけでスープができますから」


 詩人はその荷物を受け取って、少し目を潤ませた。


「……お嬢さん。あなたは本当に。……いや、なんでもない。ありがとう。この恩は歌で返すよ。あなたのあたたかさが、行く先々の寂しい誰かの心をあたためられるように」


 そう言って、詩人は竪琴を背負い直し、朝の光の中へと旅立っていった。その足取りは、来たときよりずっと軽やかだった。


 ……旅は寂しい。でも、どこかにあたたかい一杯が待っていると思えば、人はまた歩き出せる。あの詩人にとって、この街がほんの少しでも“帰りたい場所”になれたなら。……それは、素敵なことだ。


    ◇


「……これで、また噂が広がっちゃいますね」


 見送ったあと、ネルさんが少し心配そうに言った。


「まあ、いい話だからいいんですけど。……でも、レンちゃん。噂が広がるってことは、良くない人の耳にも届くってことよ。……気をつけてね」


「はい……」


 その言葉に、私はちくり、と胸の奥が痛んだ。


 ……そういえば、少し前に、帝国の密偵らしき男が来た。あのときの冷たい視線を思い出す。


「……そうですね。気をつけます」


「あなたのことを悪く言うつもりはないのよ。あの吟遊詩人さんも、あなたも、何も悪くない。……ただ、いい話ほど遠くまで飛ぶ。そして遠くには、あたたかい人ばかりじゃないってだけ」


 ネルさんは少し寂しそうに笑った。


 あたたかい話が広がるのは嬉しい。困っている人に届けば、その人の救いになるかもしれない。私の料理を必要としている遠くの誰かに、この歌が届くのなら、それはいいことだ。


 でも――同時に、私の名が広がることでもある。いつか、それが私の静かな暮らしを脅かす何かを引き寄せるかもしれない。


 あたたかさと危うさは、いつも背中合わせ。……それが、私の抱えている“お値段”だった。


 ……考えすぎ、かな。


 私はその小さな不安を、そっと胸の隅にしまった。今は目の前のあたたかい日々を大事にしよう。心配事は、そのとき考えればいい。


    ◇


 その夜。箱庭であたたかい夕食を囲みながら、私はティルとヒノに、詩人の歌の話をした。


「レンの、うた、できたの!? すごい!」


 ティルは大はしゃぎだった。ヒノも面白そうに、ぐるる、と鳴く。


「まあ、恥ずかしいけどね。……でも、あの詩人さん、いい人だったな。私のスープのいちばん大事なところ、ちゃんとわかってくれた」


「いちばん、だいじな、ところ?」


「うん。……“食べる人を思う気持ち”。それがいちばんの隠し味だって、あなたにも教えたでしょ」


 ティルは、こくこく、と頷いた。


「ぼくの、りょうりにも、はいってる? その、かくしあじ」


「もちろん。ばっちり入ってるよ。……あなたがジオじいさんのために作ったおかゆ。あれ、すごくあったかかったもん」


 ティルは嬉しそうに笑った。ヒノも、「自分にもあの匂いはわかる」とでも言うように、ぐるる、と鳴く。


「ぼくも、いつか、うたになるくらい、すごい、りょうりにん、なりたい」


「なれるよ、きっと。……でも、うたになるより、目の前の大切な人をあたためられる料理人のほうが、ずっとすごいと思うけどね。私は」


「……そっか。じゃあ、ぼく、そっちの、りょうりにん、なる」


 そのまっすぐな言葉に、私は微笑んだ。


 旅の詩人が運んでいく、あたたかい物語。それが遠い街の誰かの心をあたためられたら。……それは、素敵なことだ。


 でも、その物語が、同じくらい遠い場所の、あたたかくない誰かの耳にも届こうとしていることを。


 このときの私は、まだ深くは考えていなかった。あたたかい湯気の向こうのティルとヒノの笑顔に、ただ幸せを感じながら。……静かに迫る影に、気づかないまま。


お読みいただきありがとうございます。

あたたかい物語が、遠くの誰かの心をあたためる――それは素敵なこと。でも同時に、その噂は、“あたたかくない誰か”の耳にも届こうとしています。静かに迫る影に、どうかご注目を。

次話――帝国が、ついに動き出します。


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