第15話 銅貨一枚の、備え
冷害で、街に飢えの影が。買いだめ、いがみ合い、張り詰める空気。
でも、レンの箱庭には――こつこつ貯めた、たっぷりの蓄えがありました。
その年の、秋の、終わり。
街に、少しずつ、不穏な、噂が、流れ始めた。
「今年は、どうも、作物の、出来が、悪いらしい」
「北の、村じゃ、もう、蓄えが、底を、つきかけてるって」
「この冬は……厳しく、なるかも、しれんなあ」
冷害、というやつだった。夏が、短くて。秋が、早くに、冷え込んだせいで。あちこちの、畑が、不作に、なった。このままだと。冬を、越すための、食料が。街全体で、足りなくなる、かもしれない。
人々の顔に。じわじわと、不安の、影が、差し始めた。
市場では。日に日に、食べ物の、値段が、上がっていった。買いだめに、走る人。少ない食料を、めぐって、いがみ合う人。あたたかかった、街の空気が。少しずつ、ぴりぴりと、張り詰めていく。
ギルドでも。ネルさんが、頭を、抱えていた。
「困ったわ……。備蓄は、心もとないし。北から、食料を、運ぼうにも、どこも、不作で。……この冬、越せるか、微妙なところよ」
飢饉。その、恐ろしい言葉が。人々の、頭を、よぎり始める。
あたたかい食卓を、脅かすのは。帝国だけじゃ、ない。こういう、自然の、厳しさも。人から、笑顔を、奪っていく。
……でも。
◇
でも。私は、そう、慌てては、いなかった。
なぜなら――私の、箱庭には。たっぷりと、蓄えが、あったからだ。
毒霧スライムの、発酵調味料。じっくり熟成させた、干し肉。塩漬けの、野菜。乾燥させた、きのこや、山菜。深層で採れた、日持ちのする、食材。……この体になってから、私は、こつこつと、保存食を、貯め込んでいた。
前世で、身に染みた、教訓だ。備えは、大事。心の、備蓄が、底をついて、私は、一度、倒れたのだから。だから、今世は。食べ物も、心も、たっぷり、蓄えておく。
それが。今、街を、救う、ことに、なるとは。
「ネルさん。私の、保存食、街に、出しましょう」
私が、そう言うと。ネルさんは、目を、見開いた。
「え……いいの? あなたの、大事な、蓄えでしょう」
「はい。……でも、私一人が、抱えてても、仕方ないですから。困ってる人が、いるなら。使ってもらったほうが、いい」
ネルさんは、しばらく、私を、見つめて。それから、ふっと、笑った。
「……あなた、ほんとに。自分のことより、先に、人のこと、考えるのね」
「そんな、立派なもの、じゃないですよ。……ただ、腹を空かせた人が、いる街で。私だけ、蓄えを、抱えて、ぬくぬくしてたら。……ごはんが、美味しく、なくなりそうなので」
それは、本音だった。
目の前で、誰かが、飢えているのに。自分だけ、あたたかいものを、食べる。そんなの、味が、しない。前世で、味のしない飯を、さんざん、食べた私には。それが、いちばん、耐えられなかった。
みんなが、あたたかいものを、食べて、笑っている。その中で、食べるごはんが。いちばん、美味しいのだ。だから、これは、優しさというより。私の、"美味しく食べるための、わがまま"みたいなものだった。
「……ま。理由は、なんでもいいわ」ネルさんは、肩を、すくめた。「とにかく、助かる。ありがとう、レンちゃん。……この恩は、街のみんな、絶対、忘れないから」
「大げさですよ。……さ、善は急げ。さっそく、始めましょう」
◇
私は、箱庭の、保存食を。少しずつ、街に、放出した。
発酵調味料を、分ければ。少しの食材でも、深い味の、料理が、作れる。干し肉や、乾物を、分ければ。日持ちする、栄養が、行き渡る。
それだけじゃ、ない。私は、ヒノと、ティルを、連れて。深層へも、食材の、調達に、通った。
冷害は、地上の話。ダンジョンの、地底には、関係ない。深層には、相変わらず、地底きのこや、光る苔や、地下水の魚が。豊かに、実っていた。危険で、誰も、手を出さない、その、宝の山を。私は、繭で、身を守りながら、遠慮なく、収穫した。
地上が、飢える冬に。地の底から、食料を、運んでくる。……我ながら、とんでもない、食料庫を、持ったものだ。
「役に立たない場所なんて、ない、か」
誰も、近づかない、危険な深層が。今、街の、飢えを、救う、恵みの、大地に、なる。危ない、怖い、と、遠ざけられるものほど。ちゃんと、向き合えば。とびきりの、宝物に、なる。いつもの、私の、口癖どおりだった。
そして――ここで、活躍したのが。あの、"炊き出し"の、仕組みだった。
私が、始めた、あたたかい支え合いは。もう、この街に、根付いていた。パン屋も、八百屋も、冒険者も。みんなが、少しずつ、持ち寄って。困っている人に、分け合う。
私の、保存食は。その、"みんなの備え"の、中心に、なった。
「聖女様の、蓄えが、あるから。この冬は、なんとか、越せそうだ」
「あの、発酵調味料、ほんの少しで。びっくりするくらい、美味しい、スープが、できるんだよ」
私は、料理の、知恵も、一緒に、配った。
少ない食材を、いかに、美味しく、栄養たっぷりに、食べるか。くず野菜も、皮も、捨てずに、出汁にする方法。硬い豆を、柔らかく、煮る方法。発酵で、保存を、きかせる方法。……"飢えを、しのぐ料理"を。街の、おかみさんたちに、教えて、まわった。
食料を、配るだけじゃ、いつか、尽きる。でも、"知恵"を、配れば。それは、みんなの中に、残って、これからも、役に立つ。
おかげで。パニックに、なりかけていた、市場も。少しずつ、落ち着きを、取り戻していった。買いだめや、いがみ合いが、減って。「分け合えば、なんとかなる」という、空気が、戻ってくる。
人々の顔に。少しずつ、安堵が、戻っていく。
銅貨、一枚の、スープから、始まった、私の、"食"は。いつのまにか。街全体の、冬を、支える、"備え"に、なっていた。
◇
ある日。ジオじいさんが、しみじみと、言った。
「レンちゃん。……あんたの、蓄えは。金貨より、価値が、あるよ。金貨は、食えんが。あんたの、干し肉は、食える。この冬を、越させて、くれる」
「あはは。大げさですよ、ジオじいさん」
「大げさなもんか。……昔はな。飢饉が、来れば。街は、地獄に、なった。奪い合いで、人が、死んだ。……でも、今年は、違う。あんたの、蓄えと。あんたが、育てた、"分け合う心"が、あるからな」
その言葉に。私は、少し、胸が、あたたかく、なった。
保存食を、貯め込むのは。ただの、私の、心配性だった。誰かを、救おうなんて。これっぽっちも、思っていなかった。
でも――こつこつと、貯めた、小さな備えが。今、たくさんの人の、冬を、あたためている。
備えあれば、憂いなし。前世の、教訓が。こんな形で、誰かを、救うなんて。思っても、みなかった。
「じいさんはな。長く、生きてきて。わかったことが、ある」
ジオじいさんは、あたたかいスープを、すすりながら、続けた。
「ほんとうの、豊かさってのは。金貨を、山ほど、抱えることじゃ、ない。……いざってときに。あたたかいものを、分け合える、相手が。ちゃんと、いること。それが、いちばんの、豊かさだ」
その言葉が。じんと、胸に、染みた。
前世の私は。がむしゃらに、働いて。お金は、少しは、あった。でも、いざ、倒れたとき。あたたかいものを、分け合える相手は。一人も、いなかった。
だから、私は。あんなに、寂しく、死んだのだ。
でも、今は、違う。私の周りには。ティルが、ヒノが、ネルさんが、ジオじいさんが、ガーゴさんが、いる。街の、みんなが、いる。
……私は、たぶん。前世より、ずっと、豊かに、なった。金貨の話じゃ、ない。心の、話だ。
◇
その夜。箱庭で。私は、ティルと、ヒノと、あたたかい、鍋を、囲んだ。
街に、たくさん、放出したから。私たちの、蓄えも。少し、減った。でも。
「ぜんぜん、へっちゃら、だよね。だって、また、貯めればいいんだもん」
ティルが、鍋を、頬張りながら、言った。
「そうだね。……深層に行けば、食材は、いくらでも、あるし。ヒノの炎で、いつでも、料理できるし。私たちは、どこにいても、あったかいごはんに、困らない」
ヒノが、そうだそうだ、と、言うように、ぐるる、と、鳴いた。
蓄えは、また、貯めればいい。分けた分は、また、作ればいい。
あたたかいものを、作れる、この力が、ある限り。私たちは、大丈夫。そして、その"大丈夫"を。少しでも、分けられるなら。こんなに、いいことは、ない。
「いただきます」
あたたかい、鍋を、囲む。ことこと、と、優しい音を立てる、移動かまど。窓の外の、景色は――私が、選んだ、あたたかい、夕暮れ。
街は、これから、厳しい、冬を、迎える。でも、この街には。あたたかい、備えと。分け合う、心が、ある。
だから、きっと。大丈夫。
銅貨、一枚から、始まった、小さな、あたたかさが。今、この街の、冬を、静かに、支えていた。
お読みいただきありがとうございます。そして、拠点強化ブロック(11〜15話)に、お付き合いくださってありがとうございました。
「ほんとうの豊かさは、いざというときに、あたたかいものを分け合える相手がいること」。ジオじいさんの言葉が、この物語の芯です。
次話――時渡り羊の噂と、レンの“空っぽの記憶”。物語の、いちばん大切な伏線が、そっと置かれます。
★ここまで読んでくださってありがとうございます。ブックマークと「☆評価」が、次を書くいちばんの力になります。毎日20時更新です。




