Act.73
<Act.73 7/20(火) 22:29 新月>
【仄宮秋流】
闇色の紗に押し包まれたような暗闇の中、雷鳴のように轟き嘶くのは紫炎の光だった。
――――轟ッ!!
「ッ――――」「――――ッ」
暗闇の中で突如発生した紫電の爆発に、双子の目はさぞ眩んだことだろう。白んで明滅する紫電は動揺に歪む細面を明らかにすると共に、強制的に彼らの視界と聴覚を外界から遮断する。それは生物として避けられない本能であり、間近ではなかったとはいえ、術者の私とて免れることはできない。ゆえに、眩む。
しかしこの場で唯一、それをものともしない人外がいる。即ち、炸裂と同時にその身を弾丸の如く加速させた吸血鬼の王にほかならず。
光で麻痺させたとはいえ、それで稼げる時間はせいぜいが一秒だ。しかし彼は夜闇を領域として優雅に歩を進める夜の眷属であり、その程度の時間さえあれば双子の背後に回り込むことくらいは容易い。
そして次第に視界が戻り、サーベルの一閃が目を引く。それは私から見て左側の片割れ――仮に天日――の右肩に真っ直ぐに振り下ろされた。
「ッづ……ッ!」「ッ……!」
「む、完全に不意を打ったつもりだったんだが」
鋭く研ぎ澄まされた銀閃は、しかしその腕を斬り飛ばすには至らなかった。天日はぎりぎりで前に飛び込むことで、回避とまではいかずとも腕を奪われることだけは避けた。
まだ視界ははっきりしてはいなかっただろうに、よくもまあ何があるかわからないところに飛び込めたものだ。その判断には感心しつつも、しかし薙刀を振るう腕の一本でも削ぎ落とせていれば楽だっただろうにと歯噛みする。
「きっちり落とせってンだよハルトッ!」
言い終わらぬうちに私も床を蹴る。飛燕の切っ先は下に、埃を掠めるか掠めないかのところを往くそれは、反転して体制を崩した天日の胸へと吸い込まれる。
長得物の弱点は懐に入られることだ。その柄の中に入ってさえしまえば、思うようには振り回せなくなる。それを狙って振り上げられた切っ先は、――――しかしもう片割れ、白夜の一閃によって阻まれる。
視線が交わる。何を想い刃を振るうのか、まるで窺わせない人形のような瞳が刹那瞬いて、鬩ぎ合いに金属の擦れる音が耳朶を引っ掻いた。
二対二の乱戦が始まった。彼らはさして私と変わらない体躯でありながら、その細身には余るであろう薙刀を淀みなく振り回していた。その体捌きは一朝一夕で身についたものではなく、流石は獅子を冠する一族ともいうべきか長年の鍛錬の様子が覗く。しかし、それでもどこか実戦向きでない、道場剣術といった感は否めなかった。彼らもそれは理解しているらしく、いまいち足りない技術を完璧な連携で補っている。正直、こちらの方がキツい。
「チッ、埒が明かねェな……!」
刃を合わせて既に幾合目。彼我の戦力差はさほど開いてはいないことに加え、屋内ということもありお互い動きにくいことこの上ない。それが戦闘を長引かせていた。
目論見としては、半分は達成、半分は未達成といったところだ。鈴谷・熊野の二人が逃げ果せるだけの時間を作るためには、この状況は好都合。しかし単なる時間稼ぎに終始しているだけでは大勢に変化はなく、何かしらの進展を求めるからには彼らから情報の一つも引き出す必要があった。
だが、彼らは話さない。投げかけられた言葉に返すものなど刃だけで十分だと言わんばかりに、彼らはただただ顔色一つ変えることもなく私たちを攻め立てる。
次第に硬直していく状況に歯噛みした、まさしくその時だった。
「邪魔者がいれば切り捨てると余は告げたはずだ。そうであろう? なあ、灰」
たった一声。
息詰まるような緊張の空間をぐしゃりと握り潰し、その上で纏う気風を丹念にかつ迅速に張り巡らせるような、そんな声が場を支配した。双子も私たちも関係がない。刃を合わせようとしたことさえ忘れて振り向くほど、その声は圧倒的で、支配的で、この上なく暴君的だった。
そこに在ったのは、暗闇の中でもなお赫々と輝く太陽の色をした瞳を持つ、私と同い年くらいと思われる少年だった。その後ろには見慣れた顔の飛龍伊織、扶桑朧、そして先月意図せぬ邂逅を果たした二宮灰の三人の大人が、まるで護衛でもしているかのように付き従っている。
せいぜいが十七、八程度に見える少年の後ろを、大の大人がこぞって歩いてくる姿はある種滑稽にも思えた。しかし先頭の少年のその瞳と佇まいを見てしまえば、そんな愉快な気持ちなどたちどころに吹き飛んでしまった。
「ああ、言ったね」
二宮が無表情に相槌を打つ。先月見た姿とは打って変わり、彼の表情からは感情というものが掻き消えていた。その姿はまるで燃え盛る炎が落とす影のようで、それはいつもテレビの中に見る光り輝くような姿とはかけ離れたもので――――弟のことで見せたあの人間味は、一体どこに落としてきたのかと戸惑いを覚える。
「で、君はどうするつもりだい? 燈夜」
「んん、それなんだがな。しかしまあ、余が俗世に身を晒すことといい、此度のことは例外だらけだ。例外の一つや二つ、目を瞑ってやらんこともない。ないが……」
つ、とその視線が私とハルトを穿つ。まるで熱線のようなそれは、品定めでもするかのように私たちを見やった。不快だ。不快にも関わらず、それに対する反駁は喉元でつっかえてうまく言葉にならない。
一体何なんだ、コイツは。
疑問に思った刹那、ついに視線と視線が結び合って。
「――――良い。余に対して名を告げる名誉を許そう。申してみよ」
にぃ、とその唇が弧を描く。じりじりと灼け付くような圧力に足が退りそうになるが、こんなどこの馬の骨とも知らない輩に怖気づいてたまるかと、気合だけでその場にとどまる。
一瞬だけ、ハルトと視線を交わす。その青い碧い海の色は私よりかはまだ余裕があるようで、瞳だけで小さく笑ったのち、彼は一歩前へと進み出た。
そして、手にしたサーベルを少し離れたところに佇む少年に向け、言い放つ。
「人に名を訊ねる前に、まずは自分から名乗れと教わらなかったか? 坊や」
「「ッ……!」」
狼狽したのは少年――――ではなく、その後ろに控えていた飛龍・扶桑の二人だった。二宮も微妙にその表情が動く。挑戦的で挑発的なハルトの発言は今に始まったことではないというのは教師の二人も知っていように、しかしなぜそこまで動揺するのか。
私が怪訝に眉をひそめたところで、言い返された少年はより笑みを深めて「クッ」と喉の奥で声を漏らした。
「なるほど、それは道理だ。よかろう、貴様たちの望む通り、余から名乗ろう。未来の御名であるぞ、拝聴せよ」
その言葉の選び方に確信が過る。御名? しかも、未来の? ということは、コイツは――――
「余こそ、鳳凰院燈夜である。大日本帝国が掲げる帝の位を、いずれ受け継ぐ男よ」
次期皇帝。その名は雲上、ただの人など手を伸ばすことさえ憚られる遥か高みに御身を寛げる現人神の子。
子供でも理解できるように言い換えれば、今私たちの目の前で傲岸に笑っているこの男はつまり、『この国で上から二番目に偉い者である』ということだ。
それが何故、こんな場末も場末、歌舞伎町の外れの廃妓楼なんざにいるというのか。疑問が一つ浮かび、一方で先ほどからの異様なほど強いこの存在感の理由に合点がいった。
皇族が、とりわけ直系の鳳凰院家が他の王族なんかと異なるのは、まさしく『皇帝はこの国における神だから』というただ一点に尽きる。
同一視、ではない。冗談ではなく『この国において彼らは真実神なのだ』。天上におわす神が人という肉の体を使ってこの国を治めている。その存在は永きに渡ってこの地に生きる人々の思いを集め、束ね、一心に受け続けてきた。
そして魔力とは、思いに呼応するものだ。その方向が正であれ負であれ、聖であれ邪であれ、強いほどに魔力は大きな反応を示す。たった一人が刹那の時皇帝を想うたとて、量としては芥に等しい。だがそれも寄せ集めればいずれ大きな城になる――――この国が「ひのもとのくに」と呼ばれるようになる遥か以前から現在に至るまで、おそらくはこの国に生きる/生きた人全ての崇敬を集めて、彼らは君臨しているのだ。
ゆえに、この目の前にいる鳳凰院燈夜という人間はまだ皇帝ではなかろうと、『いずれそうなる者』というだけで大きな力を持っている。望もうと望むまいと、ほかでもないこの国が彼に与える。それこそただ佇むだけで戦場の空気を一変させ、ただ在るだけで他者を屈服させるだけの大きな力を。
名乗りに対してハルトははっとし、突き付けたサーベルを静かに下げた。彼ほど夜目のきかない私には、暗闇の中で一体彼がどんな顔をしているのか読み取ることはできない。
「戦っている中に割り込んでくるのは感心できないとはいえ、この国の皇族に対してすることではなかったな。失礼した。俺はベルンハルト、そしてこっちは、」
「仄宮……仄宮秋流、だ」
ハルトに向いていた視線が、再び私に向く。笑みを刷いたその瞳がきらりと光って、「ほう」と息を漏らした。
「愉快、愉快だな。其処の異邦の民とは違い、女――――秋流、貴様は余の民であろう。にも関わらずその胆力、なかなかに見所の在るものよ」
「……そりゃどうも。で、皇太子様とやらが一体何の用だよ」
正直、口を開くのも少し厳しい。この国に生を受けてから十七年の間に醸成された帰属意識が、『偉大な存在』に対して意志に反して膝をつかせようとしてくるのだ。これは最早、人格とかそういう位相の問題ではない。
「訊くまでもなかろう。此度の継承権問題は余としても放ってはおけぬ問題だ。それこそ国家の存亡に関わる。ゆえに、見届けに来たのよ。……そうしたら、なあ。面白い者と出会うではないか、なあ灰」
クク、とより一層その笑みが深まる。と同時に、薄ら寒い予感が私の背筋を走り抜けた。その懸念もよそに、水を向けられた二宮は「はあ」と気の抜ける溜め息をついて、
「君のそれは悪癖だよ、悪癖。後始末、一体誰がつけると思ってるんだい」
「無論、貴様よ。そのための側近であろう。――――む、飯綱の、まだ居たのか。疾く例の女を追え。構わぬ。往け」
告げながらも、その視線が私たちから逸れることはなかった。それはまるで私たちをこの場に縫い留めるようで、追う素振りの一つでも見せれば即座に首を刎ねる――――口にされずとも、そんな意志がありありと伝わってきた。
冗談じゃない。こんなところで皇太子の余興に付き合っている時間など、私たちにはない。しかし、かといってこの場には彼以外にも三人が――――そうだ。
「――――飛龍、扶桑ッ!」
「ッ、ああ! 行くぞ扶桑ッ!」
「応ッ!」
私が声を上げるまでもなく、彼らは既に踵を返す機会を今か今かと待ち望んでいたらしい。飛龍と扶桑は、二宮が止める間もなく妓楼の外へと駆けて行った。
これで、鈴谷と熊野は大丈夫。誰よりもあの二人を案じていたのが飛龍と扶桑であり、同時にあの二人のことを理解しているのも飛龍と扶桑だろう。アイツらに問題はない。問題があるとすれば――――むしろ私たちのほうで。
この場から脱兎の如く駆け出した飛龍と扶桑を追うべく、遅まきながら二宮も追走に移ろうとしたその時、皇太子が「良い」と短く切って捨てる。
「でも、」
「捨て置け。飯綱の双子とて、平民二人さえ退けられずに獅凰院を継承できるなどと甘い考えを持ってはおるまい。おっと、かといって余の興の邪魔をするのも許さんからな」
「……はいはい」
皇太子がばっさりを切り捨てれば、反駁を封じられた二宮は力を抜いて少し離れたところに移動した。
そして彼は、鳳凰院燈夜は今はっきりと「興」と言い切った。それはつまり、
「――――――――気張れよ、平民。余の伽の相手は、そう易々と務まるものではないぞ?」
興が削がれれば、彼はすぐにでも追撃に加わるだろう。それを防ぐことは、今私たちにしかできないことだった。




